「マネジメントの父」と呼ばれ、営利企業の経営だけでなく、非営利組織の発展に大きく貢献したピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年11月19日-2005年11月11日)は、自伝的著書『傍観者の時代(Adventure of a Bystander)』で、自身のおばあちゃんの思い出を語りながら、「コミュニティ」について次のように書いている。
「そして何よりも、おばあちゃんが知っていたことは、コミュニティとは、金やサービスや薬の配給のためだけのものではないということだった。それは思いやりの世界だった。オルガさんの工学専攻の甥のことを覚えていることであり、彼が学位を取ったことを共に喜ぶことだった。
それは、大昔に他界した従姉の召使いが慈しみ育てた可哀想なポーラを訪ねて、郊外の遠くまで足をのばすことだった。あるいは、街角で男の袖を引いている夜の人に咳止めドロップをあげるために、痛い足を引きずって五階までの階段を昇り降りすることだった。
確かにそのコミュニティは、息の詰まる小さな世界だった。新しい考えを受け付けず、搾取する世界だった。(中略)
しかし仕事への敬意、人への思いやり、人と人の絆こそ、まさに二〇世紀という世紀が、必要としつつも失ってしまったものだった。」
二〇世紀がそのような時代であったなら、そして二一世紀がここに記された”コミュニティ”を必要とするのなら、私達自らの手でこのコミュニティをもう一度取り戻さなければならない。一人ひとりバラバラだったものが、Communicationを通じて一つのunitとなる。一つの組織体として一体化する。それがコミュニティなのかもしれない。そして、そのプロセスこそが、『まちづくり』に他ならないのだと思う。政治家や専門家、地域のリーダーの活動を評論するのは簡単だが、傍観しているだけでは始まらない。
「そして何よりも、おばあちゃんが知っていたことは、コミュニティとは、金やサービスや薬の配給のためだけのものではないということだった。それは思いやりの世界だった。オルガさんの工学専攻の甥のことを覚えていることであり、彼が学位を取ったことを共に喜ぶことだった。
それは、大昔に他界した従姉の召使いが慈しみ育てた可哀想なポーラを訪ねて、郊外の遠くまで足をのばすことだった。あるいは、街角で男の袖を引いている夜の人に咳止めドロップをあげるために、痛い足を引きずって五階までの階段を昇り降りすることだった。
確かにそのコミュニティは、息の詰まる小さな世界だった。新しい考えを受け付けず、搾取する世界だった。(中略)
しかし仕事への敬意、人への思いやり、人と人の絆こそ、まさに二〇世紀という世紀が、必要としつつも失ってしまったものだった。」
二〇世紀がそのような時代であったなら、そして二一世紀がここに記された”コミュニティ”を必要とするのなら、私達自らの手でこのコミュニティをもう一度取り戻さなければならない。一人ひとりバラバラだったものが、Communicationを通じて一つのunitとなる。一つの組織体として一体化する。それがコミュニティなのかもしれない。そして、そのプロセスこそが、『まちづくり』に他ならないのだと思う。政治家や専門家、地域のリーダーの活動を評論するのは簡単だが、傍観しているだけでは始まらない。
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