LA CAFFETTERIA DI RETROSCENA舞台裏カフェ

テノール芹澤佳通の日常系ブログ (・∀・)

人の中心は情緒である。

2016年01月20日 | クラシック音楽
人は余裕が無くなるとまともな思考回路を働かせることができなくなる。

つい衝動的にしてしまったことが、後にどのような形で自分の身に降り掛かってくるのか、頭に血が登った時は計算出来ないのだろう。

他人と比べて、他人を妬んで、他人を中傷して果たして自分は何を得られるのだろう?

そういう人種は因果応報という言葉を知っているのだろうか?

自分の現状を不服とし、そのことに対し周囲を呪う人に気づいて欲しい。

現実とは自分自身を映し出す鏡であると。




周囲に不満を漏らす連中がよく使う文句に「みんなそう言ってる」という名言がある。




ここで登場する「みんな」って誰?




不肖芹澤、義務教育は勿論、大学も卒業しており、おまけに海外の教育機関も卒業した身。

それが特定の個人を指す言葉で無いことは分かっております(`・ω・´)ゞ


ではその不特定多数を指す魔法の言葉「みんな」を統計学的に考えてみましょう。


しかしながら、そもそも統計学のサンプル数に絶対的な判断基準はありません。

なのでここではサンプル数としてマリリン・ボス・サヴァントが起こしたモンティ・ホール問題の検証に際して国立研究所がプログラムを組んで行った実験回数である「100万回」にかけて、

「みんな=100万人」

と定義してみようと思います(・∀・)

総務省統計局によると
【平成27年12月1日現在(概算値)】
<総人口> 1億2688万人

であるからして、「100万人」とは日本の総人口の約0.78%にあたる。


一個人に「100万人の知り合い」は非現実的だし、もし仮に100万人居たとしても全員の意見が見事に一致するとは考えにくい。
(ちなみに1人に対して質疑応答3秒しただけで時間にして約35日かかるwそんな暇があったら他にやるべきことをやって欲しい。)

その100万人にこんな質問をしてみよう。

問「C=0%、M=0%、Y=0%、K=100%」または「CMYK全て100%」で構成された色は何色か?


流石にこれだけでは質問が鬼畜なのでその”色”を実際に目視させて「何色?」と問いてみれば大部分の人は「黒」と答えるでしょう。


でも中には部屋の照明器具の具合や、直前まで目にしていたものの影響で「黒」と回答せず、「漆黒」や「烏の濡羽色」と答える人も居るだろうし、あえて間違える人も居るだろう。



こんな単純な色当てゲームでさえ、意志の統率を図るのは困難なのに、もっと抽象的な事象に対して「みんなそう言っている」と発言し、それがさも絶対的な基準の様に言い放ち、鋭利な言葉の刃物として振りかざす輩が悲しいかな実在する。

仮に100万人全員が「そう言った」としても、それは総人口の1%にも満たない数。1%未満が「みんなの意見」では随分心もとないではないか。

しかしながら「みんなそう言っている」は大目に見て「リサーチ結果」だと解釈出来るが、

「そういう噂を聞く」という寓話レベルの情報から他人をほぼ名指しで中傷する輩は手に負えない。

せめて個人を特定する情報を伏せていたなら・・・・


-----------


上記は僕がフェイスブックに書いた記事をブログ用に少し内容を変えたものです。


僕が誰かから誹謗中傷を受けているわけではありません。

大切な仲間が、妬まれて心ない書き込みをされたのです。




さてさて、こういうすぐに人を批判、中傷するような人種は情緒が上手く育ってないのだ・・・・というのが今回のタイトル(・∀・)


このタイトル、実は天才数学者岡潔(おか・きよし)氏の著書、「春宵十話」のはしがきに最初に書かれている言葉なのです。

岡潔氏の専門分野は多変数解析函数論で、その功績は同分野における三大問題に一人で解決を与え、西欧では「岡潔」とは複数人から構成される研究グループではないか?と言われたほどの天才だったそうです。(シェークスピアもそのおびただしい語彙と知識から複数の作家の共通ペンネームでは、との説があったらしいですね)


その天才的理系人間の著書の始まりが「人の中心は情緒である」なんだからびっくりです(;´∀`)


その著書の中では続けてこう語っています。


-情緒が頭をつくる
『頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているのだといいたい。』


数学と情緒があまり結びつかないのは僕が文系だからなのか・・・

でもこれを読んでいて、昔テレビで見た数学者を思い出しました。

その数学者は極小曲面を求める数式を見せながらリポーターに「美しいと思いません?」と笑顔で聞いていました。

やはり天才脳の形成には情緒が関係しているのだろうか・・・・



話がそれてしまいました(;´∀`)


岡氏は『人間は動物だが、単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、つまり動物性の台木に人間の芽をつぎ木したものといえる。-中略-渋柿の芽は甘柿の芽よりずっと早く成育するから、成熟が早くなるということに対してもっと警戒せねばならない。すべて成熟は早過ぎるよりも遅すぎる方がよい。』と発言しています。

続けて著書の中で、『二十歳前後の若者に、衝動を抑制する働きが欠けている』と教育に対する不安を述べている。

キレやすい若者という奴ですな(・∀・)



この著書、出版されたのが1963年・・・・



なんも変わっとらんやんけ(・∀・)




生活環境を取り巻く情報ツールは日々進化し、誰もが簡単に世界に向けて情報を発信することが出来る現代。



安易な発言、衝動的な行動が命取りになるインターネット社会。


技術の発展速度に使う側のモラルが置いてけぼりでは困りますな(・∀・)


一度ネットに上げた情報を完全に消すことは出来ません。


やるならそれなりの覚悟を決める必要があります。


誹謗中傷して、逃げるように当該記事を削除したところで証拠隠滅にはならないのです。


記録は残るものなので(・∀・)



今日は少し長くなってしまいました(;´∀`)



取り留めのない内容で申し訳ないのですが、ブログに残しておきたかったので記録として・・・・φ(..)メモメモ
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