ちゃーママ日誌

ちゃーママの周りに面白いことが一杯!
きょうは何を書きましょうか♪

衣替え? 今頃?

2010-07-22 23:05:10 | 日誌

6月は ほとんど実家にいましたので いま 遅い衣替えと
夏への移行で 毎日家事に追われています。

6月の頭は まだ ひやっと冷える時もあったので ホットカーペットは
まだ 敷いていたのですが・・・7月1日(戻った日)は もう 夏。

さすがにホットカーペットは見ただけで汗が出そう

長袖の物を 気の遠くなるほどの数(5人分ですから)洗ったり
クリーニングにだしたり 半そでのものを出したり
やっと 衣替えです。

カーペットも自分で洗えるものは 洗って 毛布もしかり・・・
そして 羽毛布団 5人分 ケースに入れてやっとロフトに
しまいました。

まだまだやることが山のよう。

こちらに戻って まだ 15日もたたないころ・・

母から電話で 
「もうそろそろ くるのでしょ?」 ですと!?

「母さん 私は こちらに帰ってまだ15日もたたないのよ。
 私は どこに住んでいるのか知ってるよね?
 簡単に行ける距離ではないし 1ヶ月家を空けてたから
 いま 大忙しなのよ~、 具合が物凄く悪くなったとか
 言うのなら別だけど たびたび東京から行くのは難しいよ~」

分かってるのです。

母は覚えてないのですから おこって言っているわけではないのです。

でも・・・しんどい・・・・

 それから 父のことですが そろそろ 今の病院をでて
施設に戻るか 転院するかということになりました。
今の病院は救急指定の病院なので 長くはいられないのです。

お蔭で 強い心臓と内臓を持った父は 点滴は必要な時だけ、
少しずつ食べられるようになって リハビリも始めました。

               奇跡です

あの時 助かったことだけでも凄いことなのに
動くことが出来るようになりつつあります。
ただ 高齢な上 長いこと臥せっていたので 筋肉がまるで
落ちて 今は立ち上がるのも難しいみたいだと 
見舞いに行ってくれたいとこから聞きました。

いいのです 生きてさえいてくれれば

ただ まだ 老健で過ごすほどに回復したかどうか分からないので
ひょっとしたら他の病院で治療を続けることになるかも・・・

いいのです 生きていてくれたら

父さん 凄いね さすが あのビルマから 生きて帰った
猛者だものね。

母さんも父さんが同じ老健に戻ってくるのをすごく楽しみに
してますよ。 がんばってね。



 


九州の豪雨

2010-07-16 00:04:23 | 日誌

最近の雨の降り方は 「ゲリラ豪雨」と名のつくほどの
凄い振りのあめが多い

6月初旬から 7月の1日まで 九州にいた私ですが
両親の病院通いの毎日の中で 雨らしい雨にあったのは
2日間 だけでした。空梅雨だと思っていたら7月に入って
大変なことになりました。

6月の 南九州の被害を TVで見ながら
「南の方は大変な雨なのね・・」と思っていました。

ところが ここ1週間 北九州方面の雨の酷さったら・・・

いつも飛行場に行くときに通る国道の途中にある「紫川」が氾濫して 
北九州の台所として有名な「旦過市場」が冠水してるではありませんか

びっくりしました。

それに 夫の実家近くの 池が溢れ 道路が水浸しで
若い男の子の乗っていた 車が動かなくなっているのが
ニュースで流れているのを見て

夫は

「おいおい 『長○の池』が溢れているぞ 実家は大丈夫だろうか

と つい先日まで法事で帰省していた実家に電話をしました。

幸い夫の実家は高いところにあるので 大丈夫でしたが・・・

今度の雨でかなりの被害が出ている様子、 
被害に遭われた方のことを思うとお気の毒で 少しでも
はやい復旧を願ってやみません。

関東地方は 明日 晴れるようです・・小さな日本でも
場所によってこんなに違うものなんですね。

 

 


久しぶりの 晴れ!

2010-07-08 23:20:47 | 日誌

毎日鬱陶しい じめっとした日が続いていましたが

きょうは すっきりとまでは行かないけれど 晴れています。

朝から 洗濯機がフル活動です。

シーツや 厚手のもので洗っていなかったものとかを
洗って 我家の狭いベランダは 満艦飾です。

冷蔵庫が空っぽに近くって お昼の用意が出来ません。
近くの生協へ 取り合えず食材を少し買わなくては・・・
きょうは 共同購入のものも後で届くので あまり沢山は
買いません。

お昼は 素麺と 色んな具を作って ぶっ掛けにしました。
夏ですね~。
さっぱりと 体の中から冷えました。

午後はゆっくり過ごしました。 

やはり 6月の介護の疲れが ちょっと貯まっていたようで
ちょっとソファーに座ると いつの間にか うとうとしてしまいます。

さ~ しっかり体力つけておかねば・・・・

来月の初めか 遅くとも中ごろには 九州へ帰って両親の様子を
見てこないと・・・・。

来週は 御嶽渓谷に ハイキングに行く予定です。
気持ちすっきりにしてきます。


心ならずも・・・ゴメンね 

2010-07-06 23:31:40 | ペット・生き物

実家での出来事・・・

洗濯物を干そうと 庭へ続く 戸を開けたとたん

不気味な音がして 耳の横を何かが飛んでいったので
ふっと部屋の中を見ると

        「うわ~~~っ

       ぶお~~~~ん  

凄い羽音がして 何か飛んでいる。

     きゃ~っ 

大きなスズメバチです。
初めて遭遇しました。

部屋の中で ぶぉ~ん ぶぉ~ん と 飛び回っています。
私は怖くて 隣の部屋に駆け込み 境の戸を しめましたが
ずっとそのままではいられないので そっと のぞくと
スズメバチは 箪笥と壁の隙間で 壁の角に向かって 
ぶつかっています。

きっと 蜂も パニックったのでしょう。

         今だ 

効くかどうか分からないけど キンチョール」 を持って
そっと近づき 

  しゅ~~~~~っ  

と 吹きかけました。
そしてダッシュで 隣の部屋に逃げ 戸を閉めてしばらくしたら
ぼとっ と音がしました。

そ~~~っと 覗くと 蜂が 畳に落ちてもがいています。

      やった!  効いた 

でも 怖いので10分くらい隣の部屋で待機。

そして また覗くと 蜂はまだもがいています・・が
少し 動きが鈍くなっています。

近寄って 飛べなくなっているのを確認して 布団たたきで
ピッピッ っと 外へかきだしました。

でも それから小一時間しても まだ もがいています。
なんという生命力でしょう。

          
         尻の針 鋭く1センチ以上出ています。
            こんなのに刺されてたら・・と思うとゾッとします
   
  

でも そのままには出来ないので 私は 割り箸を持ってきて
彼をつまみ 庭にもって出て 土を掘って その中に埋めました。

本当は 父が生死の境をやっと超えた時だったので
殺生はしたくはなかったのだけど・・・・・

私が刺されでもしたら 運が悪ければ とんでもないことになります。

「君が 家の中に入って来たのが悪いのよ。どうぞ安らかに」

と 手を合わせました。    

        南無阿弥陀仏・・・・・・

            本当は物凄く 怖かった~~~

コメントまた開きます。よかったら書き込んでね。 多分お返事は 遅れるかも、


飛行機から見た雲間の光

2010-07-04 22:00:12 | 介護

6月7日に 母の入院(教育入院)のために帰郷。

母が入院して落ち着いてきたので 13日に帰京することにしました。
父はその時 老健で 大腿骨骨折後のリハビリをしていましたが
やっと馬蹄型の器具を使って歩行練習を始めていました。

私が 帰るときに 老健のエレベーターの前まで見送ってくれて
「気をつけて帰りなさい」と 車椅子を操り 元気な顔をしていました。

13日の夜 家について 荷解きをして 汚れ物の洗濯や バッグを
片付け 休みました。


ところが次の朝(14日) 「お父さんが 救急搬送されました」と 老健から
連絡があり 先に聞いてた妹からも 父の容態が悪いとメールがありました。

私は 頭が真っ白になって 
「何で もう一日いてあげなかったんだろう」と
前日の父の姿を思い浮かべて 後悔の念で一杯でした。

うろたえました。 
いてもたってもいられず すぐに 支度を始めました。

飛行機のチケットもすぐに取れ 搭乗しましたが 飛行機の中でも
走りたい気分でした。

離陸してしばらくして・・低く垂れ込めた雲を抜けたときです。
もっと 上にあった 雲の切れ間から 物凄く綺麗な色の光が
幾筋も射してきました。

いつもなら 「綺麗な光だこと」と眺めるだけの その光が
私にとって 天のお迎えの様に思えて

思わず

「お願いです。 私が着くまで 父を連れて行かないで下さい」

と 手を合わせて心の中で拝んでいました。

隣に座っていた若者は きっと 「変なオバサンだな」と思ったでしょうね。

私の願いは届いたようで 病院に着いた時
父は ICUのベッドの上で 痛みに耐えながら 横たわっていました。

4日間のICUでの治療が 功を奏し 父は生還しました。

今は 一般病棟にいますが 点滴が主な栄養補給で ほんの少し
経口でゼリー様の物を 食べられるときもあるくらいです。
薬のせいか 意識は混濁しています。

危機を脱したとはいえ いつ急変もあるかもしれませんが
一応落ち着いたので しばらくは主治医にお願いすることにして 
帰京したのです。

結婚後 遠くで暮らし始めたときから 両親の彼岸への旅立ちに
立ち会えないと覚悟はしてたものの 現実が 目の前に迫ってきた
事を 感じずにはいられない出来事でした。

でも・・仕方ないことなのだと・・・。 

皆が 通り過ぎることです。受け止めないとならないのです。
心の準備を しなくてはなりませんね。

でも まだ 希望はあります。頑張って欲しいです。

何しろ 父は 第2次世界大戦の超激戦地ビルマから 
やっとのことで生還してきたツワモノですから。

 

 


 

 

 


本格的に 介護が・・・・(-_-;)

2010-07-03 15:50:14 | 介護

6月初めから ちゃーママは実家(九州)に 帰っておりました。

7月1日やっと 家に戻ってきました。

とうとう 両親の介護も 本格的になってきました。

介護の中で 私のように 親元を離れているものにとって
様々な 難しい問題がでてきます。

近くにさえいれば 何の問題もなく サクサク片付くことも
時間が かかるし 納得のいくように出来なくって ジレンマ・・。

母を施設にお願いし 父は入院中で こちらに帰ってきましたが
本当に いつも頭のどこかに老親がなにをしているか気にかかります。

車の運転をしない私にとって 九州の交通事情は (特に田舎方面)は
時間ばかりを必要とします。

免許はあるものの 何十年も運転をしてないので やるとすれば
ペーパードライバーのための 運転練習をしなくてはなりません。
それに 実家は既に車を処分していて レンタカーをするにしても 
かなりの出費だし・・ましてタクシーを 毎回使うわけも行かず・・・。

それやこれや 思うと いつも頭の中は 混乱気味に。

でも 姉弟妹で分担が出来きているので 少しは楽。

ただ こちらにいるときは 自分の生活を一番に考えて
もしも の時は すぐに 戻る と決めて 介護鬱にならないようにと
考えています。

ブログだって ぼちぼち・・と 書き込んでいこうと・・・。

コメントはしばらくの間 閉じようと思っています。

ちゃーママ  やれることをやっていこうと思ってます。
頑張り過ぎないで 頑張ります