ちゃーママ日誌

ちゃーママの周りに面白いことが一杯!
きょうは何を書きましょうか♪

お久しぶり~・・

2011-11-05 23:29:46 | 介護

またまた 本当にお久しぶりのおめもじでございます

ちゃーママは このところ九州へ 通うことが多くなりました。

先月から 父がまた入院中です。

食事をすると 誤嚥性肺炎を起こすことが増え とうとう胃ろうの手術をし

鼻には酸素を吸う為と 喉の奥の痰を吸入する為の 管が入れられました。

でも 呼吸はお蔭で痰が絡むことが少なくなり 楽になりました。

 

10月11日 主治医から 血中酸素濃度が落ちている・・と

連絡があり 飛んで帰りました。

幸い 症状は落ち着いてきて私は月末に東京へ戻ることが出来ました。

でも 何時急変するかは なんともいえないと 主治医からは

言い渡されています。

高齢であるから仕方ないとはいえ 体力がどんどん落ちていくのが

見えると 娘としてはとても 胸がつまる思いで一杯です。

特に妹は 父っ子でしたので 一層辛いと思います。

でも こんなことを言っては おかしいかもしれませんが

兄弟離れて暮らしていることもあり 妹はまた仕事を持っていることもあり

なかなか 姉妹で会うことも少なくなっていたのに 両親の

介護のお蔭で 会うことも増え 色んな話を出来るようになりました。

弟とも この先の事も 話し合えました。

「介護とは 親が命を賭けてやる最後の子育て」と 何かで読みました。

本当だな~~と 実感する今日この頃です。

きょうは 客観的な書き方をしましたが ・・・・

色んな思いが溢れて 詳しく書くと 涙が出そうで・・・

ちゃーママは頑張っています。 周りの助けに本当に感謝しつつ・・・。

ごきげんよう。また暫くは ご無沙汰になるかと思いますが

そのうちに また  ・・・ では では

 

 


大笑い\{{(^0^)}}/

2011-05-15 00:15:30 | 介護
きょう(5月14日)九州に戻ってきています。
先月から今月にかけては両親のいる「H荘」から
特別におしらせもなかったので二人が平穏に過ごせたと言う事になります。
父も施設に馴染んできているようで娘としては
少しホッとしています。
夕方実家につきました。
それから施設に行くには時間が中途半端になるので
母には 「明日いくね」と電話しました。

母と取り留めのない話を暫くしたのですが
そろそろ ホームでも夕飯時なので話を切り上げようとしたとき・・・

母が何気に言った言葉がきっかけで二人で大笑い(^0^)/

それは、「あのね、ここはとっても過ごしやすいし皆優しくしてくれるけど私の回りのお部屋にいるのはお年寄りばかりで若い人がいないのよね~・・・」

私→(@。@);?!

{{(^O^)}}

「母さん、そこは特別擁護老人ホームだからお年寄りしか入れないのだけど?!若い人がいたら変かも?」

そう 言ったら

「あ!そうか!」

二人で大笑い{{(^O^)}}

でもね、嬉しかったの、86歳の母がまだ自分の事を若いと
感じているのが・・・。

若い人がいないから話が合わない・・つまり、自分より年上の人が多いと思ってるのです。
実際は母より若い方も沢山いらっしゃるのですが(^_^)

なんとも可愛いらしいではありませんか!(母親に向かって言って良いものかどうか迷いますが)

そうして 二人でひとしきり笑って 電話を切りました。

なんか とっても幸せな気分になりました。

明日 会いに行きますよ~、父さんと待っててね~(^0^)/

両親の誕生会・・ホームにて

2011-04-25 11:54:04 | 介護
4月16日(土曜日)両親がお世話になっている 「H 荘」で
お誕生会がありました。

私の両親は 
父が大正11年4月1日、母が大正14年4月1日が誕生日です。
そう・・3つ違いで 同じ誕生日なのです。
それも エイプリルフールの日むふっ


4月1日当日は私も妹も都合が悪かったので16日にしていただきました。
弟は仕事で参加できず 家族4人で お祝いをすることに。

当日私と妹は プレゼントを用意して 「H荘」に向かいました。

父は午前中に お風呂に入り 前日 散髪をしてさっぱりと
していました。 施設の方の心配りに感謝。

母は部屋で待っていました。
私はメイク道具を持っていってて 母にメイクをしてあげました。
母はいつもお洒落で 出かけるときはお化粧をきちんとしていました。
服装も明るいものがすきで お洒落さんでした。
施設に入っていると お化粧もすることがなかったので
少し照れながら 頬紅や口紅を塗ってる私に
「なんか 気恥ずかしいね」と言いました。

「良いわよ~ハート達(複数ハート) きょうは お誕生会の主役だから
お洒落しなくっちゃ」と アイシャドウも少しつけました。
かわいらしいおばあちゃんの出来上がりわーい(嬉しい顔)

12時過ぎに 父と母と私達は 誕生会をするお部屋に
案内されました。
20畳くらいでしょうか 見晴らしの良い3階のお部屋です。


そこには 白くて周りにお花の刺繍のあるテーブルクロスをかけた
テーブルがあり お花で飾られたろうそくと アレンジされた生花が
飾られていました。
 

両親は並んで座り 私たちは右左に分かれて座りました。

それぞれの 担当の方たち 看護師さん 介護士さんたち
7人くらいでしたか集まってくださり みんなで
ハッピーバースデイを手拍子とともに歌ってくださいました。
 

お花で飾られたろうそくを 二人で 吹き消す様に言われ
ふ~~っと吹き消しました。

「まるで結婚式みたいね~~~ぴかぴか(新しい)」と 冷やかされていました。

両親はニコニコして 少し照れていました。 
施設に入る前は 私はお誕生日に電話でお祝いをいうくらいしか
してなかったのです。 両親はこんなに沢山の人からお祝いをされて
うれしかったのでしょう 満面の笑みでした。
 
   

そして バースデイカードを 母のほうから読んでくださったのですが
隣にいる父の顔が ゆがんできたので 「?」 と思ってみたら
涙ぐんでいるのです。 
次に 父のカードを読んでくださったとき 涙が溢れました。
   

父の涙は あまり見たことがなかったので 驚きましたが
よっぽどうれしかったのでしょう・・・ほっとした顔
 
 

 

  


私ももらい泣きしてしまいました。

二人ともに 写真立がプレゼントされました。

私達も用意したプレゼントを渡し みんなからの拍手で 
セレモニーは終わりました。
「お食事は ご家族だけでごゆっくりお召し上がりください」と
皆さんは退場されました。

メニューは 前にお願いしていた物を アレンジしてくださっていました。
 

散らし寿司、お吸い物、茶碗蒸し、サラダ、魚のムニエル、
デザート(チョコレートケーキ 果物2種)香の物、お茶。
    
とっても美味しくて 楽しく 食事を済ませました。

誕生会は同じ階の方たちと一緒に 食堂で済ますのかなと思っていました。

そうでなく家族だけで個室でしたので 
心置きなく楽しい時を過ごすことが出来ました。
こんな素敵な時間はもう二度とないかもしれません。

施設の方のお計らいで かけがえのない時間を過ごさせていただき
本当にうれしく感謝の気持ちで一杯です。
その日とっても綺麗な夕日を見ました。
   

父さん 母さん 長生きしてくださいね。
来年もまた あの部屋で お祝いが出来ますように願っていますぴかぴか(新しい)

余談・・・終わった後に 私が「お化粧を落とした方が良いわね」と
     いうと 「皆が綺麗ねっていってくれたからこのままが良いわ」
     寝る前に 自分で落とすから・・・と。
     女性は最後まで女性なのねウインク
     可愛いおばあちゃんでしたハート達(複数ハート) 私も負けられないわね~わーい(嬉しい顔)

笑顔

2011-03-05 16:13:04 | 介護
両親の暮らしている 特別養護老人ホーム「H荘」

職員さんや 介護士さん 看護師さんたちはとっても
優しくて 細かに気を遣って下さって 入所者はとても過ごしやすいところだと
思います。

真ん中にあるリビングでテーブルを囲んでのお食事の後 それぞれ お部屋に戻ったり
リビングでTVを見たりするのだけれどその中で 少し認知の進んだ方で 

あまり表情の豊かではなかったおばあちゃんのこと。

私は実家に帰っていた3週間、ほとんど毎日お食事時に行っては 

父の食事を助けたり 部屋につれて帰って話をしてりしてたのですが
ある日 お食事が終わる少し前 そのおばあちゃんのご家族
(多分お子さん達とその連れ合い)がお見えになったのです。

すると びっくりするくらい うれしそうに ”にっこり”されて
お部屋に一緒に戻って(すぐ前のお部屋)手振り 身振りで
喜び一杯だって事が こちらにも伝わってくる位でした。
初めて声を出して 笑っていました。

あ~~~ 本当に ご家族に会えたことがうれしいんだな~って
私まですごくうれしくなってに~~っと笑っていました。

本当は 自宅で家族と一緒に暮らすことが一番なのだと
私も 心のそこからそう思います。
でも・・・現実はそういうわけにはいかず どうしても
施設にお願いしなければなりません。

ご家族の気持ちも おばあちゃんの気持ちも 分かります。

に~~っと 笑った後 すごく気持ちがブルーになりました。

あれだけ家が大好きで 庭仕事や海に漁(玄人はだし)にいったり
山を眺めたり 自然の中にいることが大好きな父のことがすごく
可愛そうになってきたのです。
私達の都合?で施設の中で自分の
思い通りには出来ない の暮らしの中に
いなければならないことを 本当に申し訳なく思って・・・・。

でも現実は このH荘にいて生活させていただくことが

一番良いことだと思うことにして何とか気持ちを
ごまかしている気が・・・。

介護って 結構つらいな~。
私はそんなに心が強くないから

もし家で一緒に暮らしたとしたら
四六時中 わがままを言うからだが動かない年寄りを
看て行くことは本当に大変なことだと思う。
お互い言いたいことをいって 時に酷いことを言うことも
きっとあると思う。
施設にいれば 私もいつも 笑顔で両親に会う事が出来る。

本当に難しい。

父のこと

2011-02-28 12:24:57 | 介護
きょうは大変な一日でした。
母が14日に骨折で入院、手術のあとリハビリも順調なので
きょうは私も休みを貰うつもりでした。
家でごろごろしようかなと朝8時半位に目を覚ましベッドの中にいました。
しかし9時過ぎ・・・父が意識がなくなり血圧が低く、救急搬送します、と携帯に連絡が!
母と同じ救急病院に向かう予定がキャンセルになり、
急遽 市立Y病院へ。
妹や親類にも連絡を入れたあと 弟の車で病院へ。

もしもの事があっても仕方ないと思いました。

父は先に入り検査を受けていました。
私達が入った時には父の声(不安からか大きな声)が聞こえていました。
あ!意識がある〓
でも・・・肝臓癌や脳梗塞の持病もあるので検査結果が気になります。
結果は 一過性のものとわかり ホッとしました。

妹にすぐに連絡をいれましたがすでに車でこちらに向かう
高速道路を走っていました。
もしもの時の用意をして駆け付けた妹と姪でしたが
病院から施設に戻ってベッドに横たわっている父を見て ホッとしたようでした。
今回は良い方へ転んだ父の騒動?でしたが
年をとると何がいつ起きるか分からないので
覚悟はしておかなくてはと 妹と話しました。
妹と姪は 私を送ってくれた後、熊本に帰りました。

心配をかけた親類にも連絡を入れ今 やっと
一息入れることができました〓

休みを貰ったつもりが何だか大変な一日になりました〓

でも 良かった〓

母の骨折

2011-02-19 17:21:10 | 介護
2月12日から九州に来ています。

14日の真夜中 特養から電話が入り母が転倒して
骨折したようなので今から救急搬送しますので
病院まで来ていただけますかとのこと。
慌ててタクシーで駆け付けたら
やはり 大腿骨頚部骨折で即、入院、手術が必要だと。

16日に手術、
人工骨頭を入れました。
次の日にはリハビリが始まりました。
きょうは立ち上がって平行棒につかまりながら数mですが
歩ける様になってました。
医学の発達は凄いですね~。

お蔭様で 施設に時間を余りかけずに戻れそうです。

歳をとると 何時、何が起きるかわかりません。
自宅でなくてよかったと思います。

リハビリ頑張ってね、母さん(^_^)

九州での うれしい出来事 ②

2010-11-20 23:47:21 | 介護

ペーパードライバーの私は九州に帰ったときに レンタカーを
借りることが出来ません
むか~し むかし、左ハンドルの地では 必要に迫られて ちゃんと
運転してたのだけど・・日本に帰ってから 道の狭さと交通量の多さで
ぱったり 運転を止めてしまったのです。

同級生の YONEさん(東京在住)は 九州へ帰ったら 空港で
レンタカーを借りて お母さんの居る施設にいったり 親類を尋ねたり
色んな用事を片付けたり 軽快に事を運びます。

いいな~~と思っても 怖がりの私は なかなか運転することが
出来ずにいます。

さて そこで YONEさんは 私が九州に帰る同じ日に彼女も
帰ったときは 
「ちゃーママさん 私の用が済んだら どこへでも車で 連れてってあげるよ」
と 父の病院や 母の施設 買い物があるときは そこへ連れてってくれます。

今回13日に あわせて帰る予定だったのですが 彼女は都合で何日か
前に 九州に帰っていたのです。
空港から我家まで車で40分くらいかかるのですが、先に帰っていた
彼女は わざわざ 空港まで私を迎えに来てくれたのです。
そして 父や母のところへ 連れて行ってくれました。

本当なら 九州についたその日は 両親のどちらかの方に行くだけで
夕方になってしまうところ 彼女のお蔭で どちらにもいけて
その上 美味しい烏賊を食べに行ったり 珍しいお酒を扱っている
お店に連れて行ってくれて お遣い物の 焼酎を手に入れたり出来ました。

そして 彼女のお母さんにも会うことが出来ました。
お体がご不自由ではありますが お元気でした。
施設での生活をされています。 私の母も施設で過ごしています。

同じ 介護仲間としても 彼女の存在は本当に大きいのです。
介護の先輩として 色んなことを教わりました。

介護の大変さも実践してるからこそ 分かりあえます。

そして 命の洗濯を一緒に出来る仲間です。
彼女と出会えたことを 本当に感謝しています。 有り難う


九州での うれしい出来事 ①

2010-11-19 01:03:44 | 介護

13日から17日まで九州に帰っていました。

昼間は両親の事で 毎日飛び回っていました。
夕方は早めに帰り 夜はバタンキュ~

去年までは 九州に帰ったら 時たま 夜 友人と会って喋ったり
してたのだけど 体がしんどいのと 友人達も忙しくしてるので
会う機会も少なくなりました。
帰っていることを知らせる事も 何人かにするだけ・・になりました。

でも こんな嬉しいことが・・・

母の入所している施設からの帰り バス停でぼ~~~っとバスを
待っていたら 「ちゃーママさ~~ん」と 呼ぶ声が・・・
え? 私のこと? こんなところで? だれかしら?

ふっと 振り返ると なんと同級生の T・Y さんが手を振っています。

家族の方が 母と同じ施設に通っていることは知っていたけれど
私は九州に帰っていることを知らせていなかったし 車です~~っと
通り過ぎたら バス停で立っている人に気づくこともないでしょうに・・
彼女は 私だってすぐに気がついたそうです

「ちゃーママさん こっちに帰ってたの? お母さんに会いに?
 今からどうするの 家に帰るなら送るよ~~

施設へ 行くバスは 1時間に1本です。 バス停からは すぐなのですが
バスに乗りそこねると 次のバスまで1時間待たねばなりません
時間さえ見てればそれほど不便とは思わないのですが
やはり無駄な待ち時間をつかったりするし 
家から遠いので少々しんどい・・。
車で送ってもらえるなんて とても助かります。

彼女は 家族のお迎えをすると 自分の家とは逆方向なのに
私を 実家まで送ってくれました。本当にあり難かったです。
車の中でのおしゃべりは やはり介護の事や 友人のこと 孫のこと
体のこと、病気のこと・・・
ふふふ・・ 私達の周りは 自然 話題はそうなります

彼女の 頑張りと優しさに 私も力を貰うことが出来ました。
T・Yさん 本当にありがとうございました

介護はまだまだ続きます。 来月も実家に帰ります。

でも・・両親が生きていてくれる幸せをいつも感じています。
少しでも そばに居たいので 時間が許す限り九州に
通っていくつもりです。


訪問販売  火災報知機の巻

2010-10-29 21:22:56 | 介護

またまた 訪問販売の被害にあった母の話です

補正下着事件?の少し後のことです・・・

事件から何ヶ月かして 実家に帰ったら 

母が「火災報知機をつけたよ~ お風呂場と 台所」

と嬉しそうに言うのです。

私は 父が入院中なのに 誰に設置してもらったのかしらと
母に尋ねたら

「消防署の指導で この辺の方は皆 火災報知機をつけました。
 お宅はどうしますか?」

そう制服を着た人が来て言われて つけたそうです。

「で? いくらぐらいで付けてくれたの?」 

「2個で 2万円」

「は~~~~ 2万円 量販店で買えば 一個 3千円くらいで
   売ってるのに 勿体無い 騙されたのよ

「でも 取り付けてくれるって言うし お願いしたのよ」

「私達が来るまで 待っていればいいのに・・

「おばあちゃん一人じゃ 取り付けるの大変でしょ~~」 
って 優しく言ってくれたとかで 頼んでしまったのです。

あ~~~ぁ まったくしょうがないな・・

もう 言っても後の祭りです。 泣き寝入りするしかありません。

でもね 
もう一度腹がたってしまった後日談があるのよ・・・

数ヶ月して妹と私が日を同じくして 実家に帰ったとき。

私たちは それぞれ忙しい中帰省していたこともあったり
父の見舞いや色んなものを買いだしに行ったりして 疲れたので
朝は少しゆっくり起きようねと言って休んだのですが・・

朝、なにやら焦げ臭い臭いがしたので 部屋の扉を開けたら

うわ~~~~

家中に煙がもうもうとしています。 

火事か と 火元(煙の元)を 探しました。

ガスコンロには 煮干が焦げて モクモクと 煙を出している鍋が
母が味噌汁の出汁を煮干でとろうとして その場を離れてしまった
らしいのです。
すぐにガスを消して 窓という窓を開け放して 母を捜しました。
母は 庭に出てなにやら野菜を手入れしていました。

今思えば その頃から 母の認知が少し始まっていたのかも・・。

とりあえず 火事でなかったのでほっとしました 

母に 火を使っているときは
その場を離れないでねと 言いました。

何事もなく終わって ほっと 安心した後 ふと 思ったのが
例の火災報知機です。

なんでなの~~~~

  火災報知機 
        作動しなかったじゃないの

これも詐欺ですよね 

その後 父も母も家を離れたので 火災報知機は
そのままにしてますが 時間が出来たらなるべく早く
  本物 を つけようと思っています。

兎に角 「人を見たら疑え」 の 
気持ちにならざるを得ない世の中って 
間違ってるよね~~~ 悲しいよね~~~




 

 


異常気象で バテバテ・・・

2010-09-25 00:10:50 | 介護

暑さ寒さも彼岸まで・・・・

といっても 今年の猛暑は9月の半ば過ぎても 収まる気配が
なかったのに・・・

うって変わって きょうは なんという寒さでしょう今朝の気温は15度くらい! 一昨日までの あの 猛暑日は夢だった?

一昨日までクーラーを入れていたのに 昨夜は フェザーケットを
上からしっかりかけてそれでも 夜中に「さむっ!」って目が覚める始末。

こんなのは 生まれてこの方半世紀以上経つが 初めての気がする。

今年はお年寄りや 体の弱い人たちには 辛い一年になったろうな~。

私も そうとう堪えた・・・
介護で実家に帰って あちこち 動くのに 公共の交通機関を利用したのね。
これまた 田舎なので 接続が悪かったり 本数が少なかったりで・・・。
待ち時間や乗り換え場所への移動の時に 日傘をさしても 照り返しや熱風で
まるで毎日 サウナの中を移動してるようだったの。

家に帰り着くや否や クーラーの部屋に入り バタンキュ~

田舎での移動は 車が必要だな~~~~
でも ペーパードライバーだし 車はなし・・・

これから先 良い季節ですけど それを過ぎると今度は 冬将軍。

は~~~、考えるだけで体力が追いつかないわ~

兎に角 私は 風邪なんぞひいてはおれないし 倒れるわけには
いかないのです。

でも こうやって忙しくしている時が一番充実してるのかも