去年の今頃はせっせと九州に通い、両親の介護中心の生活だったなぁ。
両親は同じ施設の中で暮らし、穏やかな時間が流れていた。
介護と言っても直接何をするわけでなく時々体の動く母を食事や
買い物に連れ出すことが楽しみだったし、寝たきりの父のそばで昔話や
庭の木の手入れの仕方、花の時期や肥料のやり方など話したりして
いつも施設からかえるときには笑顔で バイバイを言ってかえれた。
でも、そんな時間はあまり長くは続かなかった。
誤嚥性肺炎を繰り返すようになった父は施設からちょっと離れた
病院に秋に入院しそこで暮らすことが中心になってしまった。
嚥下が上手くできなく成り 今話題に登っている「胃瘻」を
するかしないか私たちに判断を委ねられた。
少しでも長く生きていて欲しいと胃瘻する事をお願いした。
でも・・・・それが父にとって幸せだったのかどうか・・・
今でも分からない。
食べる楽しみを奪ってしまい管での食事は 苦痛でしかなかったのかもと
今になって思うと心が痛む。
呼吸も嚥下が出来づらいので鼻に管をいれ気管支まで入ったその管から
痰の吸引を日に何度もしなくてはならなかった。
吸引はかなり苦しくて父にとって辛い時間だっただろう。
見ている私も涙がでそうになった。
「痰が取れると呼吸が楽になるから辛いけど辛抱してね」
と声をかけたけれど もし自分がその立場なら
きっと「もうやめて!」とわめくかもしれない。
本当に申し訳ない・・・でも、生きて欲しい。
父は毎日が地獄だったのかもしれないと思うと今でも
涙が出そうになる。
今年に入ってだんだんと痩せてゆき、4月からは苦しい状態がつづき
とうとう5月5日の朝、病院から
「酸素濃度が極端に低く成り意識レベルが低下してきました」
と電話があり私が帰郷のじゅんびをしていたら、再度
「10時12分お亡くなりになりました」と・・・・
介護帰省を始めて4年近い。
2年前からは月に一度一週間ほどの割で介護帰省をしていたけれど
多分
父との別れには立ち会えないだろうなとおもっていた。
とうとう逝ってしまった(−_−;)
寂しさと悲しさとそして、父が苦しさから開放されたのではという
ほんの少しの安堵感があった。
もう父は居ない・・・
90歳の天寿を全うした父は今ごろ何をしているのかな?
父のなくなった後 怒涛の日々を過ごした。
今何だか心にポッカリと穴が空いた気がしている。
は~(;_;)
きっと分かってくれると思うので
最期まで幸せだってと思いますよ。
悲しみが薄れるまで2年はかかると
思います。
2年過ぎても思い出すと涙ぐむけど
毎日の生活に追われていると泣いて
ばかりもいられませんしね。
前向きに生きていくことが最高のご供養に
なると思います。
父が海でとったワカメ、干し方も色々言ってたなぁとか、サザエのつぼ焼きが食べたいなぁと言ったらその頃にはまだ送料がかなり掛かる冷蔵で送ってくれたり・・そんなことで父の顔を思い出してもういないんだとかなしいきもちになります。
口下手で不器用だった父。でも優しい人でした。
そんな出来ごとがあったんですね
ご愁傷さまでした。
また、大変でしたが、色々と出来る範囲で頑張ったちゃーママどん。
本当にお疲れ様です。私なら真似出来ないと思うもの。偉いな~。頑張ってるな~っと何時も思って見ていました。
今はしばらくノンビリして下さい。
また、元気が戻ったら、皆でお出かけしましょうね。
その時を楽しみにしています。
歳をとってきたなぁと実感するきょうこのごろ
初盆までは まるで夢の中の出来事みたく
あれよあれよと 過ぎてきたような気がします。
未だに実家に行っても庭からひょいと顔を出し
「おぉ、きとったか」と
父の声がしそうです。
もういないんだと何とも言えない寂しさで・・・
仕方ないんですがやっぱりね。
頑固だったけど優しくていい父でした。