学生が試験問題の選択肢に対し、理解できていないにも関わらず、あてずっぽうで選択肢を選んで正解するのを避けるため、「分からない場合は空欄にせよ」との注意を与えた上で試験をした早大の世辞経済学部の教授。あてずっぽうで正解した問題があるとみなした学生の成績を0点とし、100人以上(推定)を落第としたらしいのだが・・・・
真面目に答えを記入し、十分な手答えがあったにも関わらず落第となったなどと訴える学生が続出、抗議を受けた大学側も「あてずっぽうに答えを記入したのか、まじめに考えて正答だと考えて記入したのか、どのように判断したのか基準が不明」だとして当該教授に厳重注意を与えた上で通常の採点に変更し、成績を変更した。
この教授、出来る方でないと思っちゃいます。選択肢という回答形式を選ぶのであれば、選択肢をどこまで絞り込むことが出来るかという事も重要なファクターなのですから。最後の1つにまで絞り込めなければ「あてずっぽうだ」「それが当たっていたとしても、不正な得点だ」
と、この教授はおっしゃりたいようですが・・・・・わかっちゃないよね。
選択肢問題では、知識と知恵を駆使し、正解の可能性がある選択肢を絞っていくのです、たった一つにまで絞り込めれば良いですが、5つの選択肢の中から選ぶ問題だったとして、2つ除外出来たとしたら、最後はエイヤで選択したとしても確率は1/5から1/3に上がっているわけです。何処まで選択肢を絞り込めるか、それで回答の確立を上げることも正当な勉強によって獲得できた点数だと思うのですが、この教授、確立論知らないのかねぇ。
かくいう私、あてずっぽうを当てる能力で生き残ってきたのであります。選択肢問題、大得意でした。特に大勢の先生方が作り上げた共通試験の様な問題。
私が、奈良県立医大受診時に受けた「共通一次試験」問題を読んで選択肢を読み終えると、「ひっかけにこの選択肢を入れましょう」とか、「これは正統派の誤答として必須ですね」「これも誤答のパターン選択肢ですよね。」などの制作者側の会話が聞こえてきました。その頃は、問題の内容が全く理解できなくても、選択肢さえあれば、普通の試験なら合格できる気がしていました。(気がしていただけでそんな高い得点を獲得できたわけでは無いです。共通一次試験、受ける前は最高点を更新するなどと息巻いておりましたが・・・)
医師免許を得てからも、「救急で受診される患者さんが首から病名の選択肢をぶら下げてこられたら、世界有数の名医になれるのだけどなぁ」などと言っておりました。大学病院の当直で遭遇する患者さん、時には思いつきもしないような稀な病気であることもあって・・・私そんな稀な病気を引くので名を馳せておりました。研究好き、勉強好きの同級生には「いくらでも発表出来るやん」と、羨ましがられたのですが・・・
世界で10番目だとか28番目だとか言われる、稀ではあって、一例報告しても「ホゥっ」と言われはするけれど、ただそれだけの症例の報告に興味は持てない私でした。
この教授、くそマジめに勉強に取り組み「知っている範囲内」で答えるしか能のない人なのでしょうね。
既存知識を帰納演繹し、「知らない範囲にまで答えを推理して高得点を獲得する」人々を、学生時代から苦々しく思い続けて来られたのだと想像します。
これまで継続されてきたシステムを、ユニークな手法で否定しようとするなら(ユニークでもないけど)、何故今までそれが為されてこなかったか、それを為したらどのような反響があるのか、ネガティブな反響が出ることを想定し、対抗出来る反論が用意できるかなど相当緻密な論理的思考力が必要なのですよ。
世の中を良い方向に変えていこうと努力することはとても良い事です。でも、自分で良い方向だと考え、信じていても、他人から見れば改悪に見えることもしばしばです。何故、そう変えることが良いのか、きちんと論理的に説明できることが重要です。そうですよね、自由民主党総裁候補者の皆さま!!
悲しみがとまらない I CAN'T STOP THE LONELINESS