三笠宮寛仁 死亡から一年 アルコール依存症

2013-07-31 | アルコール依存症
寛仁さまご逝去から1年 長女の彬子さまが思いを語られました。

天皇陛下のいとこで、「ひげの殿下」として親しまれた三笠宮寛仁さまが亡くなられてから、1年がたちます。

深い悲しみを乗り越えた長女の彬子さまが、胸に秘めた最愛の父への思いを語られました。

1990年、寛仁さまは「高い山だから、ふもとで、これはとても無理だろうって言って、登ろうとする1歩を踏み出さないというのは、
僕はすごくつまんないことだと思うから」と話されていた。

2012年6月6日、がんとの闘病の末、66歳の若さで亡くなられた寛仁さま。

あの日、彬子さまは急きょ、出張先のポーランドから帰国された。

彬子さまは「あんなに早く車を動かしてほしいと思ったことは今までなくて、とにかく1秒でも早く、病室に行きたいと思って走りましたね」と話された。

彬子さまが病室に戻られたあと、寛仁さまは、静かに息を引き取られた。

寛仁さまは、社会福祉やスポーツ振興に尽力したほか、テレビやラジオにもご出演。

また、アルコール依存症を公表されるなど、多くの注目を集めたご生涯だった。

彬子さまは「副葬品を準備していた時に、お財布がもちろん入っていて、その中身を確認したら、すごく小さなピンクの紙が見えまして、
何かなと思って引き出してみたら、私が幼稚園の時に作って、父に差し上げた、折り紙で作ったお財布だったんですね。その時はもう本当に、
部屋に戻って、しばらく涙が止まりませんでした」と話された。

厳しかった父が、ひそかに大切にされていた幼い娘からのプレゼント。

彬子さまは、そっとお墓に納められたという。

子どもたちに、日本の伝統文化を伝えるプロジェクト「心游舎」を、ライフワークとされている彬子さま。

最愛の父を亡くした深い悲しみの中、彬子さまは、その活動を再開された。

彬子さまは「子どもが、何人かが手紙をくれまして、『彬子さま、もう泣かないでください』って書いてあって、そうやって子どもたちまでも、
わたしのことを気にかけてくれて、本当に心游舎の活動があったことは、本当に感謝しています。お子さんたちとふれあっていくにつれて、
やはり、自分も子どもを持ってみたいなというふうには思うようになりました」と話された。

「国民の中に入り、国民の望むことをする」という寛仁さまのご遺志を受け継ぎながら、彬子さまは、新たな1歩を踏み出されている。
(2013/06/06 13:24)










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