「CP破れとT破れが同じこと」とはCPT保存を前提にした言葉です・・。
CPTが破れていなければ「CPが破れておれば同じ割合でTも破れている」という意味です、しかるに「T反転はC反転と同じ」とは「C破れとT破れは完全に同一」であることを示しています、はて、これは如何なる意味であるのか?ようするに「CT反転はCCもしくはTTなので何もしないと同義」ですから畢竟「CPT反転はP反転を意味する」という、何か、楽しげで奇妙な、僕好みの世界が切り開かれたような気がしてきました。
さて「ニュートリノのPは1破れているのではない」と言ったように存じます・・。
いや、それはgooブログ上ではなくてyahoo掲示板上でしたっけ、で、抜粋しますか、
>なんとならば「左巻きニュートリノをP反転したら右巻きニュートリノ」「右巻きニュートリノをC反転したら右巻き反ニュートリノ」この連続技(CP反転)によって元の世界観に戻るという旧来の図式が訂正されて「ニュートリノをCP反転させたら逆巻き反ニュートリノだがそんな物は一つも存在しない」ことから「ニュートリノのCPは1破れている」ことになるのです。あるいはニュートリノにも微小な質量が存在することから「極めて1に近く破れている」が正しいですかね、しかし、それとて「右巻きニュートリノは極めて重い別の素粒子である」となってしまえばごっちゃにすることが許されませんから「ニュートリノのCPは1破れている」が正しくなります。
(以上、yahoo掲示板・物理学カテ「ユニバーサルフロンティア理論」トピより)
ニュートリノのPが1破れているというのは誤りで、正しくは「ニュートリノのパリティーは奇である」に過ぎなくなってきます。左巻き電子をCP反転させたら右巻き陽電子ですが、さらにT反転を加える(CPT反転を意味する)と右巻き電子となり、やはり公式「CPT=P」のとおりになるでしょ?そうなるとCPTにしても弱い相互作用では破れているわけであるから、これはまた大変な事態を引き起こしてしまったものですよ、UFTという理論は・・。
あるいは「ニュートリノはPもCPも1破れていてCは破れていない」というべきなのかもシレナイ!
つまり「パリティーが奇であるとはPが1破れていることと同義である」という世界観を導くのです。なにしろフェルミオンは左巻きと右巻きとではまったく異なった素粒子なんですから「左巻きの電子をP反転させて右巻きにした電子」などというものは存在させる必然性は既に、そして、とおの昔に失われている・・。
すなわち「右巻き電子は左巻き電子とP対称な関係ではない」ということだ!
(こりゃ、美味しいことにあり付いたモノである・・、うっしっし・・)
CPTが破れていなければ「CPが破れておれば同じ割合でTも破れている」という意味です、しかるに「T反転はC反転と同じ」とは「C破れとT破れは完全に同一」であることを示しています、はて、これは如何なる意味であるのか?ようするに「CT反転はCCもしくはTTなので何もしないと同義」ですから畢竟「CPT反転はP反転を意味する」という、何か、楽しげで奇妙な、僕好みの世界が切り開かれたような気がしてきました。
さて「ニュートリノのPは1破れているのではない」と言ったように存じます・・。
いや、それはgooブログ上ではなくてyahoo掲示板上でしたっけ、で、抜粋しますか、
>なんとならば「左巻きニュートリノをP反転したら右巻きニュートリノ」「右巻きニュートリノをC反転したら右巻き反ニュートリノ」この連続技(CP反転)によって元の世界観に戻るという旧来の図式が訂正されて「ニュートリノをCP反転させたら逆巻き反ニュートリノだがそんな物は一つも存在しない」ことから「ニュートリノのCPは1破れている」ことになるのです。あるいはニュートリノにも微小な質量が存在することから「極めて1に近く破れている」が正しいですかね、しかし、それとて「右巻きニュートリノは極めて重い別の素粒子である」となってしまえばごっちゃにすることが許されませんから「ニュートリノのCPは1破れている」が正しくなります。
(以上、yahoo掲示板・物理学カテ「ユニバーサルフロンティア理論」トピより)
ニュートリノのPが1破れているというのは誤りで、正しくは「ニュートリノのパリティーは奇である」に過ぎなくなってきます。左巻き電子をCP反転させたら右巻き陽電子ですが、さらにT反転を加える(CPT反転を意味する)と右巻き電子となり、やはり公式「CPT=P」のとおりになるでしょ?そうなるとCPTにしても弱い相互作用では破れているわけであるから、これはまた大変な事態を引き起こしてしまったものですよ、UFTという理論は・・。
あるいは「ニュートリノはPもCPも1破れていてCは破れていない」というべきなのかもシレナイ!
つまり「パリティーが奇であるとはPが1破れていることと同義である」という世界観を導くのです。なにしろフェルミオンは左巻きと右巻きとではまったく異なった素粒子なんですから「左巻きの電子をP反転させて右巻きにした電子」などというものは存在させる必然性は既に、そして、とおの昔に失われている・・。
すなわち「右巻き電子は左巻き電子とP対称な関係ではない」ということだ!
(こりゃ、美味しいことにあり付いたモノである・・、うっしっし・・)