命題文を記号化したらプール代数で以って計算するわけですよね、正しいならば「T」と出るし、間違いならば「F」と出るじゃないですか?
まー、もちろん論理学の真偽基準は「否定されないならば真」ですから「立証し切らなければシロ」の裁判と似たような印象を受けますがね、裁判の場合には捜査当局とか検察とかの犯意やら不正やらがありますので「排中律を適用しても同じことだ」ということは言うまでもないです。無理やり決め付けるには権力による歪曲が必要になりますし、そうなると冤罪が増えてしまうことは確実です、さらに遠くには戦火が垣間見えると表現しても変じゃありません。
でも恒真命題って変な文章になるのが多いんですよ、たとえばA⇒Aは公理ですけど「AならばAはいつでも正しい」から「Aは無矛盾である」になれば「Aは正しい」と同じことじゃないですか・・・w)
A⇒A
⇔
¬A∨A
⇔
T
革新政党があてにしそうな恒真命題には¬A⇒(A⇒B)というのがありまして、
¬A⇒(A⇒B)
⇔
A∨(A⇒B)
⇔
A∨(¬A∨B)
⇔
(A∨¬A)∨B
⇔
T∨B
⇔
T
Aをマニフェストとして¬Aを現実とすれば「現実どおりのコトなんか公約するに及ばない」から変じゃないですよね、「現実があればマニフェストだとこうだという言い方はいつでも合理的だ」となるんです。あー、こいつは昨今、共産党だけじゃなくて政権政党も愛用しているみたいですけど、これも一歩間違えれば
¬A∧(A⇒B)
⇔
¬A∧(¬A∨B)
⇔
¬A
これは「現実がある」と言っただけの事なんですよね。元の文とつなげて言えば「現実を前提条件としてマニフェストならばこうだと言うのは現実が存在するに他ならない」ですから、こりゃじゃ本当のナンセンスですよね、共産党のば~か・・・w)
そして論理規則には「文章全体の真偽判定を命題文に持ちこんではならない」というのがあって超論理学への突入を禁則にしておられますが、このように計算していくとしたら「命題文が最終的に命題文の真偽判定と同値になったりする」わけですから、なんだか理不尽な規則じゃないですか、そこで
嘘つき命題「この文が間違いならばA」を素直にF⇒Aと表記させることにします、と
F⇒A
⇔
¬F∨A
⇔
T∨A
⇔
T
なんとプール代数による計算では「嘘つき命題は恒真命題である」と出ました、これはえらいことですよ、これは・・・w)
これは「嘘つきが何を言っても否定することができない」という話に陥ります、あるいは「嘘つきは嘘つきだ」という公理同様のトートロジー(同義反復)といってもいいでしょう、いずれにせよ重大なのは恒真命題だということにあります、恒真すなわち恒等真(いつでも正しい)なのですよ、ここに排中律を適用させていただきました。もちろんこの式の変形はちょっとしたルール違反ですから、現実に適用できる“さらなる具体的な意味づけ”はこれから探さなくてはなりません!
この命題はおそらく欧米において障がい児教育に生かされていて「君は間違ってすらいない」と題された本となって出版されたりしております・・・w)
その原題は(ぬあ~んと)Not Even Wrong.だってさ、はあ~ぁ・・・sigh)
まー、もちろん論理学の真偽基準は「否定されないならば真」ですから「立証し切らなければシロ」の裁判と似たような印象を受けますがね、裁判の場合には捜査当局とか検察とかの犯意やら不正やらがありますので「排中律を適用しても同じことだ」ということは言うまでもないです。無理やり決め付けるには権力による歪曲が必要になりますし、そうなると冤罪が増えてしまうことは確実です、さらに遠くには戦火が垣間見えると表現しても変じゃありません。
でも恒真命題って変な文章になるのが多いんですよ、たとえばA⇒Aは公理ですけど「AならばAはいつでも正しい」から「Aは無矛盾である」になれば「Aは正しい」と同じことじゃないですか・・・w)
A⇒A
⇔
¬A∨A
⇔
T
革新政党があてにしそうな恒真命題には¬A⇒(A⇒B)というのがありまして、
¬A⇒(A⇒B)
⇔
A∨(A⇒B)
⇔
A∨(¬A∨B)
⇔
(A∨¬A)∨B
⇔
T∨B
⇔
T
Aをマニフェストとして¬Aを現実とすれば「現実どおりのコトなんか公約するに及ばない」から変じゃないですよね、「現実があればマニフェストだとこうだという言い方はいつでも合理的だ」となるんです。あー、こいつは昨今、共産党だけじゃなくて政権政党も愛用しているみたいですけど、これも一歩間違えれば
¬A∧(A⇒B)
⇔
¬A∧(¬A∨B)
⇔
¬A
これは「現実がある」と言っただけの事なんですよね。元の文とつなげて言えば「現実を前提条件としてマニフェストならばこうだと言うのは現実が存在するに他ならない」ですから、こりゃじゃ本当のナンセンスですよね、共産党のば~か・・・w)
そして論理規則には「文章全体の真偽判定を命題文に持ちこんではならない」というのがあって超論理学への突入を禁則にしておられますが、このように計算していくとしたら「命題文が最終的に命題文の真偽判定と同値になったりする」わけですから、なんだか理不尽な規則じゃないですか、そこで
嘘つき命題「この文が間違いならばA」を素直にF⇒Aと表記させることにします、と
F⇒A
⇔
¬F∨A
⇔
T∨A
⇔
T
なんとプール代数による計算では「嘘つき命題は恒真命題である」と出ました、これはえらいことですよ、これは・・・w)
これは「嘘つきが何を言っても否定することができない」という話に陥ります、あるいは「嘘つきは嘘つきだ」という公理同様のトートロジー(同義反復)といってもいいでしょう、いずれにせよ重大なのは恒真命題だということにあります、恒真すなわち恒等真(いつでも正しい)なのですよ、ここに排中律を適用させていただきました。もちろんこの式の変形はちょっとしたルール違反ですから、現実に適用できる“さらなる具体的な意味づけ”はこれから探さなくてはなりません!
この命題はおそらく欧米において障がい児教育に生かされていて「君は間違ってすらいない」と題された本となって出版されたりしております・・・w)
その原題は(ぬあ~んと)Not Even Wrong.だってさ、はあ~ぁ・・・sigh)