ひょっとして物理の誰でもデキるからいつでも盗れるものだとか、あるいは私が悪いことだとでも思われてる心地がいたしますw
物理の先生というのは高等学校においてもナニか他とは性格が違うような特異な心持の方が多いようですが、それもこれも理学部における物理学徒の特殊な在り方というかそんなことが関わっているように見受けられますし、なんか内部においても上は他とは違う特権階級だとでも思っておられるような気がします。ある意味では、それは数学においても、否、数学とはケタ違いな何かが漂っているような気がします、霊気というか。私の観測ではそれは基本的に昭和25年における湯川秀樹ノーベル賞に端を発していることだと察せられてなりません。
終戦後5年時点におけるかの栄冠が日本社会においてどのような意味・役割を持っていたかは論を待たないと考えます・・。
悪口を言わせてもらいますと学問の品格という点におきましても数学と比べて物理学はずーっと俗っぽいものでして、数学者に言わせれば「物理学者の仕事はすべての奇数は素数だと証明しているようなモノ」と言われたりしていますが、そのことが行動に至ってしまわれたのが他でもない湯川秀樹周辺だという悪いうわさ話など今の世の中ではあまり知られておりませんよね。京都大学紛争中において湯川マフィアとまで称された周囲の企みは、例えば「俺たちが湯川のマルと一言いえば大学に就職できる」というような実情となって結実していたようです。
京都共産党との付き合いも相当なモノで、共産党による人事権は相当な広がりを見せていたようです!
この世界で生きていきたくばこれを読めと教授に渡されたものがマルクスの資本論だったというのは作り話ではございませんw
数学者の仕事というのはライバルが存在する場合には情報が漏れてしまえば相手には筒抜けになりますから、たとえ九合目まで証明が進んでいても登頂するまでは気が抜けませんが、物理学の世界ではそれほどの話は無いように存じます。例外として特殊および一般相対性理論のような仕事は殆んど数学と同じだったと言えますが、アインシュタインはローレンツやポアンカレにある意味では先行されても取り返しています。そういう意味ではおおかたまとまった考え方に至っているならば早く発表した方が身のためということになりますかね。
しかし、アインシュタインん論文は他と比べたら後発ですが、いったいそれはナニを意味するのでしょうか?
物理学というか天才論の世界では相対性理論はアインシュタインが全世界にスイッチを入れたという話になります・・。
ローレンツにせよ、ポアンカレにせよ、当時は特許庁の役人でありアマチュア身分だったアインシュタインによる考察が影響を与えたパラダイムシフト現象だと見なされます。だからというのでもないですが、ローレンツ変換式はローレンツの電子論の理論式にはなっておりませんし全体として相対性原理に従うことがデキませんし、ポアンカレにかかったらロケットによって宇宙半径が縮んでしまいます。そのアインシュタインもその点においては考察が行き届いていなかったと見えて自分で「特殊相対論には矛盾がある」なんて言ってしまったりしてます。
そこらへんが数学者の仕事と違って物理学者の仕事だったところだと断定して差し支えないと存じますw
無理を言うな、そうでしょ、ジャンルが違うのですからジャンルジャンルの物事があって当然です。相対性原理から導かれる世界は数学的演繹による世界ですけど物理現象の世界ですから、矛盾があってかえって難しい、んー、そーかもしれないですねえ。そーなると「矛盾」なんて言葉もイイ加減になってきてしまって、論理学や数学による厳格な意味ではなくなってきます。そこが「物理学の物理学たる所以」なんでしょーけど、それを分かるという精神機能というのもまた禅問答のようなものではないでしょうかね。
で、ね、天動説にこもってしまわれたら反証するのは困難だというような事情だとはなかなか分かっていただけませんねん!
私に言わせたらすべての理論物理学者が負け惜しみを言っている、そのような現実が展開して10数年にもなります・・。
どーしたらイイでしょうか?
物理の先生というのは高等学校においてもナニか他とは性格が違うような特異な心持の方が多いようですが、それもこれも理学部における物理学徒の特殊な在り方というかそんなことが関わっているように見受けられますし、なんか内部においても上は他とは違う特権階級だとでも思っておられるような気がします。ある意味では、それは数学においても、否、数学とはケタ違いな何かが漂っているような気がします、霊気というか。私の観測ではそれは基本的に昭和25年における湯川秀樹ノーベル賞に端を発していることだと察せられてなりません。
終戦後5年時点におけるかの栄冠が日本社会においてどのような意味・役割を持っていたかは論を待たないと考えます・・。
悪口を言わせてもらいますと学問の品格という点におきましても数学と比べて物理学はずーっと俗っぽいものでして、数学者に言わせれば「物理学者の仕事はすべての奇数は素数だと証明しているようなモノ」と言われたりしていますが、そのことが行動に至ってしまわれたのが他でもない湯川秀樹周辺だという悪いうわさ話など今の世の中ではあまり知られておりませんよね。京都大学紛争中において湯川マフィアとまで称された周囲の企みは、例えば「俺たちが湯川のマルと一言いえば大学に就職できる」というような実情となって結実していたようです。
京都共産党との付き合いも相当なモノで、共産党による人事権は相当な広がりを見せていたようです!
この世界で生きていきたくばこれを読めと教授に渡されたものがマルクスの資本論だったというのは作り話ではございませんw
数学者の仕事というのはライバルが存在する場合には情報が漏れてしまえば相手には筒抜けになりますから、たとえ九合目まで証明が進んでいても登頂するまでは気が抜けませんが、物理学の世界ではそれほどの話は無いように存じます。例外として特殊および一般相対性理論のような仕事は殆んど数学と同じだったと言えますが、アインシュタインはローレンツやポアンカレにある意味では先行されても取り返しています。そういう意味ではおおかたまとまった考え方に至っているならば早く発表した方が身のためということになりますかね。
しかし、アインシュタインん論文は他と比べたら後発ですが、いったいそれはナニを意味するのでしょうか?
物理学というか天才論の世界では相対性理論はアインシュタインが全世界にスイッチを入れたという話になります・・。
ローレンツにせよ、ポアンカレにせよ、当時は特許庁の役人でありアマチュア身分だったアインシュタインによる考察が影響を与えたパラダイムシフト現象だと見なされます。だからというのでもないですが、ローレンツ変換式はローレンツの電子論の理論式にはなっておりませんし全体として相対性原理に従うことがデキませんし、ポアンカレにかかったらロケットによって宇宙半径が縮んでしまいます。そのアインシュタインもその点においては考察が行き届いていなかったと見えて自分で「特殊相対論には矛盾がある」なんて言ってしまったりしてます。
そこらへんが数学者の仕事と違って物理学者の仕事だったところだと断定して差し支えないと存じますw
無理を言うな、そうでしょ、ジャンルが違うのですからジャンルジャンルの物事があって当然です。相対性原理から導かれる世界は数学的演繹による世界ですけど物理現象の世界ですから、矛盾があってかえって難しい、んー、そーかもしれないですねえ。そーなると「矛盾」なんて言葉もイイ加減になってきてしまって、論理学や数学による厳格な意味ではなくなってきます。そこが「物理学の物理学たる所以」なんでしょーけど、それを分かるという精神機能というのもまた禅問答のようなものではないでしょうかね。
で、ね、天動説にこもってしまわれたら反証するのは困難だというような事情だとはなかなか分かっていただけませんねん!
私に言わせたらすべての理論物理学者が負け惜しみを言っている、そのような現実が展開して10数年にもなります・・。
どーしたらイイでしょうか?