Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:08 [ No.398 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
お さ ら い
原子命題「太郎は犬を飼っている」
に対して、
クォーク命題 太郎:「太郎は犬を飼っている」
反クォーク命題 太郎じゃない:「太郎は犬を飼っていない」
とやれば矛盾が結合して【中間子文】が完成するのではないか?
と言ってるわけです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:10 [ No.399 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
この場合「太郎じゃない人は犬を飼っていない」という意味はどこにもないことに注意せよ!
物理と違って原子は中間子と同様の意味しか持っていないようだ、な?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:19 [ No.400 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
ゲーデル命題G:「Gは証明できない」
ゲーデル命題じゃない¬G:「Gは証明できる」
これらは私の【クォーク論理学】からすれば
中間子文「Gは証明できないのがGであってGが証明できるなんてGじゃない」
とゆー意味であるだけで、両者はメソン結合をしてしまいます!
ただ「数学命題中にGが存在する」ってゆーのはゲーデルによる発見かな?
証明不可能性を規定していくには他に方法が無い、ちゅーのが僕の意見・・。
ゲーデルはクォーク命題と中間子文の使い手だったのではなかったか?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:24 [ No.401 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
さ ら に
Gの証明不可能性:「Gは証明できない」
Gの証明不可能性じゃない:「Gは証明できる」
から、
【クォーク論理学】に沿わせますと
「ゲーデルは、ゲーデル命題の証明不可能性を定義して解析した結果、数学命題中に証明不可能であるものを発見した」
ってことですねえ?
じゃあ数学の無矛盾性だけじゃなくてフェルマー定理なんかもその範疇だとして良いわけなんですよ、ね?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 10:41 [ No.402 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
つまり、こおーゆうーことでっせ・・。
ゲーデルの証明で「Gも¬Gも証明できない」ってゆーのが最後のへんの下りで出てくるけど、クォーク論理学に言わせますれば「それはGの証明不可能性の定義になっているからだ」ってゆーことがデキルのどす(?)
で、
話を原子命題に戻しますと、
原子命題1「太郎は犬を飼っている」
原子命題2「太郎は犬を飼っていない」
は「1と2とどっちが正しいか」でいくわけでっしゃろ(?)
太郎:「太郎は犬を飼っている」
¬太郎:「太郎は犬を飼ってない」
このようにクォーク命題と反クォーク命題にしてしまえば状況は一変するわけで。
そんなわけで僕としたら「公理だって定義だってゲーデル命題じゃないのか?」と言ったりしてるんだけど、どー思う?
投稿者 :
buturikyouiku
お さ ら い
原子命題「太郎は犬を飼っている」
に対して、
クォーク命題 太郎:「太郎は犬を飼っている」
反クォーク命題 太郎じゃない:「太郎は犬を飼っていない」
とやれば矛盾が結合して【中間子文】が完成するのではないか?
と言ってるわけです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:10 [ No.399 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
この場合「太郎じゃない人は犬を飼っていない」という意味はどこにもないことに注意せよ!
物理と違って原子は中間子と同様の意味しか持っていないようだ、な?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:19 [ No.400 / 402 ]
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buturikyouiku
ゲーデル命題G:「Gは証明できない」
ゲーデル命題じゃない¬G:「Gは証明できる」
これらは私の【クォーク論理学】からすれば
中間子文「Gは証明できないのがGであってGが証明できるなんてGじゃない」
とゆー意味であるだけで、両者はメソン結合をしてしまいます!
ただ「数学命題中にGが存在する」ってゆーのはゲーデルによる発見かな?
証明不可能性を規定していくには他に方法が無い、ちゅーのが僕の意見・・。
ゲーデルはクォーク命題と中間子文の使い手だったのではなかったか?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 8:24 [ No.401 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
さ ら に
Gの証明不可能性:「Gは証明できない」
Gの証明不可能性じゃない:「Gは証明できる」
から、
【クォーク論理学】に沿わせますと
「ゲーデルは、ゲーデル命題の証明不可能性を定義して解析した結果、数学命題中に証明不可能であるものを発見した」
ってことですねえ?
じゃあ数学の無矛盾性だけじゃなくてフェルマー定理なんかもその範疇だとして良いわけなんですよ、ね?
Re: 数学は矛盾命題から始まっている! 2008/ 4/29 10:41 [ No.402 / 402 ]
投稿者 :
buturikyouiku
つまり、こおーゆうーことでっせ・・。
ゲーデルの証明で「Gも¬Gも証明できない」ってゆーのが最後のへんの下りで出てくるけど、クォーク論理学に言わせますれば「それはGの証明不可能性の定義になっているからだ」ってゆーことがデキルのどす(?)
で、
話を原子命題に戻しますと、
原子命題1「太郎は犬を飼っている」
原子命題2「太郎は犬を飼っていない」
は「1と2とどっちが正しいか」でいくわけでっしゃろ(?)
太郎:「太郎は犬を飼っている」
¬太郎:「太郎は犬を飼ってない」
このようにクォーク命題と反クォーク命題にしてしまえば状況は一変するわけで。
そんなわけで僕としたら「公理だって定義だってゲーデル命題じゃないのか?」と言ったりしてるんだけど、どー思う?