その昔、ノーベル賞をもらって上機嫌のシュウインガ-に恐るべきアイデアが訪れた・・。
日本で二つ目の中間子とだけ思われてほとんど京大をリーダーとした全日本チームの独壇場かと思われていたβ崩壊において原子核からで飛び出てくる素粒子に対して自己陶酔するような考えが浮かんだのだ。「ああ、これで湯川の独壇場から湯川の恥にまで一挙に持って行ける」つまり、β崩壊で出るのは二つ目の中間子ではなくてフォトンと同じようなゲージボソンだという夢のような理論だ。どうして夢なのかといえば「そこからは電磁場と弱い相互作用に関する統一場に一挙に突き進める」という寸法だったからだ!
既に名前だけは付いていたW粒子だったが権威筋の実験結果ではスピン0だと出た・・。
「なんだ夢だったか、それにしても奇妙で、かつ、甘美な夢を見たモノだ」と独りごちたシュウインガ-は大学の講義でこの夢のようなアイデアを語ってしまった、いや、それだけだといいんだが、実験で駄目だったとなると大学院の凡人どもに課題としてくれてやってしまったのだ。それですぐさま「先生、あの実験結果は間違いでW粒子のスピンは1でした」という訃報(?)に接することになる。
哀れシュウインガ-の二つ目のノーベル賞は受け持たなくても良かった10人もの大学院におけるハイエナどもに浚われてしまった・・。
当時は学生側のおねだりが凄かったらしく、それはグラショウの著書だけでなく、大学院生の人数だけからでも推し量ることができる。10人だって、僕の知ってる世界じゃ大学院生は2人までだぞ、普通の5倍じゃないか、そりゃまたなんたる重労働なんだろう。そんな中で南部先生のノーベル賞論文と同じ頃にグラショウのノーベル賞論文は書かれた!
サラムは「俺は二度と読まないぞ」、ワインバーグは「読むモンか・・」、とだけ反応したそうだ・・。
その二人が6年後に有名な《ワインバーグ・サラム理論》を打ち立ててなぜか仲良くもなかっただろうがノーベル賞を分かち合うことになる。おそらくサラムは「こんなの一度読んだら分かる」と言ったのだろうし、ワインバーグは「シュウインガ-先生の講義で十分さ」と、まあー、意気軒昂と受け取れなくもないコメントだったのだろう。
ま、この辺りは物理学史に属する裏話であるからこの辺までにしておこう・・。
現在の標準模型ではヒグス機構によって質量の数%を説明することができ、残りは南部理論による、ことに、まあー日本だけでは為っている。つまりアメリカではクォーク凝縮そのものを南部理論の産物そのものとは認めておらないから「南部理論による質量」とまでは言わないのである。ノーベル賞論文において南部氏は《カイラル対称性の自発的破れ》とその際の《南部粒子としてのπ中間子の出現》によって陽子質量に良い近似を与えている。
問題は「自然はそこまで単純じゃない」し「おそらく考え方は間違っている」ということだ・・。
南部理論による説明だとクォーク凝縮はスピン0でなくてはならない。クォークがスピン0の粒子と擦れ合えば抵抗によって質量が生じるのかも知れないがスピンがその都度において反転する。ヒグス機構だってそうだがそれを「カイラル対称性の自発的破れ」と言ったら破れは必ず1でしかない。そもそもカイラリティーというのは「対称性というよりも対掌性」であって「むしろ鏡像対称性が無いこと(理論物理ではP対称性が1破れていること__、実は、かのニュートリノがそうなんだが)を指して言う言葉」だから僕としたらかなり以前に当ブログでも噛みついたことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
ハドロン内において、粘り気でクォークに質量を与える粒子はスピン1でなくてはならないし、π中間子は、uクォークやdクォークを往復させる存在でなければならない・・。
さてクォークのまわりの物質場をクォーク凝縮にさせる主体とは何だろう?
やはりグルオンなのかも知れないな・・。
日本で二つ目の中間子とだけ思われてほとんど京大をリーダーとした全日本チームの独壇場かと思われていたβ崩壊において原子核からで飛び出てくる素粒子に対して自己陶酔するような考えが浮かんだのだ。「ああ、これで湯川の独壇場から湯川の恥にまで一挙に持って行ける」つまり、β崩壊で出るのは二つ目の中間子ではなくてフォトンと同じようなゲージボソンだという夢のような理論だ。どうして夢なのかといえば「そこからは電磁場と弱い相互作用に関する統一場に一挙に突き進める」という寸法だったからだ!
既に名前だけは付いていたW粒子だったが権威筋の実験結果ではスピン0だと出た・・。
「なんだ夢だったか、それにしても奇妙で、かつ、甘美な夢を見たモノだ」と独りごちたシュウインガ-は大学の講義でこの夢のようなアイデアを語ってしまった、いや、それだけだといいんだが、実験で駄目だったとなると大学院の凡人どもに課題としてくれてやってしまったのだ。それですぐさま「先生、あの実験結果は間違いでW粒子のスピンは1でした」という訃報(?)に接することになる。
哀れシュウインガ-の二つ目のノーベル賞は受け持たなくても良かった10人もの大学院におけるハイエナどもに浚われてしまった・・。
当時は学生側のおねだりが凄かったらしく、それはグラショウの著書だけでなく、大学院生の人数だけからでも推し量ることができる。10人だって、僕の知ってる世界じゃ大学院生は2人までだぞ、普通の5倍じゃないか、そりゃまたなんたる重労働なんだろう。そんな中で南部先生のノーベル賞論文と同じ頃にグラショウのノーベル賞論文は書かれた!
サラムは「俺は二度と読まないぞ」、ワインバーグは「読むモンか・・」、とだけ反応したそうだ・・。
その二人が6年後に有名な《ワインバーグ・サラム理論》を打ち立ててなぜか仲良くもなかっただろうがノーベル賞を分かち合うことになる。おそらくサラムは「こんなの一度読んだら分かる」と言ったのだろうし、ワインバーグは「シュウインガ-先生の講義で十分さ」と、まあー、意気軒昂と受け取れなくもないコメントだったのだろう。
ま、この辺りは物理学史に属する裏話であるからこの辺までにしておこう・・。
現在の標準模型ではヒグス機構によって質量の数%を説明することができ、残りは南部理論による、ことに、まあー日本だけでは為っている。つまりアメリカではクォーク凝縮そのものを南部理論の産物そのものとは認めておらないから「南部理論による質量」とまでは言わないのである。ノーベル賞論文において南部氏は《カイラル対称性の自発的破れ》とその際の《南部粒子としてのπ中間子の出現》によって陽子質量に良い近似を与えている。
問題は「自然はそこまで単純じゃない」し「おそらく考え方は間違っている」ということだ・・。
南部理論による説明だとクォーク凝縮はスピン0でなくてはならない。クォークがスピン0の粒子と擦れ合えば抵抗によって質量が生じるのかも知れないがスピンがその都度において反転する。ヒグス機構だってそうだがそれを「カイラル対称性の自発的破れ」と言ったら破れは必ず1でしかない。そもそもカイラリティーというのは「対称性というよりも対掌性」であって「むしろ鏡像対称性が無いこと(理論物理ではP対称性が1破れていること__、実は、かのニュートリノがそうなんだが)を指して言う言葉」だから僕としたらかなり以前に当ブログでも噛みついたことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
ハドロン内において、粘り気でクォークに質量を与える粒子はスピン1でなくてはならないし、π中間子は、uクォークやdクォークを往復させる存在でなければならない・・。
さてクォークのまわりの物質場をクォーク凝縮にさせる主体とは何だろう?
やはりグルオンなのかも知れないな・・。