ぶたころの愉快コレクション

近くの国営昭和記念公園の近況、アウトドア活動を中心に愉快を探していきたいと思います。

現場監督時代 & ニャンのアピール( & ニャンの飼い猫暮らし )の巻

2018年06月27日 05時05分00秒 | 日記
高尾山のケーブルカー運転室



私が学校で建築の設計を学んでを卒業した約50年ほど前の事です。


これから建築の設計をするんだ、と夢いっぱいでした。

現場も知っておく必要があるだろうと中堅の建設会社に就職し、設計を希望したのですけど現場と言う事で都心の現場に配属されました。


いきなり 所長が タバコ買ってきてくれ との事。

私は父がヘビースモーカーでしたので嫌で私は生まれてこのかたタバコは大嫌いです。


渡されたお金で替えるだけのタバコを買って、買置きですね と渡しました。

それから所長は1級上の先輩監督に頼むようになりました。


当時新入の現場監督は常傭の土工と言う扱いだったのです。

仕上げに入った現場は地下のエレベーターピットにガラ(コンクリートくず)が沢山溜まっていて高卒の新入監督と一緒にシャベルを持って夜遅くまで上に上げる作業、そして交代で泊まりがあり、コンクリートの躯体の2階フロアに足場パイプと合板で囲ってあるところに泊まりでした。

ある日朝起きて現場事務所を見ると、鍵が開けられ支給された新しい作業服などが無くなっていました。

新人が泊まりの日をねらったようです。
気が付いて騒いだら危なかった、昼間は人の多いオフィス街ですが夜は人がいませんから。

銅線とか他の建築資材とか良く盗まれました。


どうせ現場関係の者だ と警察沙汰にはなりませんでした。


良く無事でいたものです。


そして監督の仕事は色んな位置を決める墨出しはまだ良いほうで、職人さんの尻拭いのような仕事でした。

7階から 監督ーセメント無いぞー と言われたらセメントの袋を担いで足場の階段を登ったり、左官屋さんから 壁から鉄筋が出ていて塗れない と呼ばれたらアセチレンと酸素のボンベをあげて切断したり、職人さんが失敗した部分を修正したり、小間使いでした。


職人さんのミスをどうごまかすかと言う仕事なのかと思いました。


学校で設計を勉強したのはなんだったのだろうと思う毎日。

夢がどんどん萎んでいったのです。


ある日、基礎の鉄筋で溶接しなければならないところを先輩と溶接したら火花をみたせいで帰りの電車でどんどん目が痛くなり、その夜はじっとできないほどで転げまわり病院に行ったらやけど状態でした。

間違って入れた砂利をスコップでトラックに戻したり、その当時の現場は今から考えられない状態でした。


1級上の先輩も設計を志望する人だったので、私が入ってしばらくすると設計事務所に転職して行きました。

その頃の現場は今よりいいかげんで、コンクリート打ちの時、鉄筋を構わず踏みつけて床から鉄筋が飛び出したりは日常茶飯事。


ちゃんと管理できる主任か所長もいませんでした。

毎日の土工生活で疲れ切って帰りの電車で倒れたこともあります。


学校時代の夢などどこに行ってしまったのかと言う毎日でした。


たぶん会社からすると私は不良監督だったと思います。、


他でも似たり寄ったりだったと思います。

友人も建設会社に就職したら毎日穴掘りをさせられて辞めたと言っていましたから。



続く






「 ニャンのアピール 」



昨日昼ごろ外出したニャン、帰ってきたらまた スズメさんを!!!!!


わざわざ台所の私の目の前まで持ってきてハンティングのデモンストレーションをします。


その時、気が付きました。



「 わたし 役に立つでしょ! 」



そういうアピールか!


ネズミの駆除の為に家畜になった猫の本能の名残なのか。


紐遊びで注意をそらしたらスズメさんには興味が無くなったようでその後お経をあげてスズメさんは東の隙間に埋めて冥福を祈りました。



スズメさんも毎日餌をあげて支えているのでニャンがハンティングしてくるとすごく落ち込みます。

でも、ニャンも一所懸命なのだなと分かった気がします。


この世の命は複雑、人間もたくさんの命をいただいて生きているのですから、ニャンは責められません。


ニャン、頑張ってるね。


そういう事かも知れませんね。




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