酒と地域と近代化遺産・庵田の日常雑記

『地域文博・高炉館』管理人庵田の、愚痴と嘆きとどうでもいい日常。

論文

2006年08月28日 22時12分23秒 | 近代化遺産
今月締切の論文2本目が上がりました(挨拶)。
ここんとこ、門司港やら直方やらでイベントコーディネートや散策案内人ばっかりやっていて、自分って何様? と考えることしきりだったので、今回の論文漬けはちょっと心地よい時間でした。
肝心の出来は、、、うーん、、、次に期待(またかよ!)。

今回論文を書きながら思ったことですが、どうも私は論文の書き方について我流で推し進めてしまっているところがあり、どうも書いていることが「学術的」では無いようです。
正規の教育を何年も受けてるじゃないか! と仰るのならば確かにその通り。ただ、学部(考古学→見守り的論文教育)・大学院修士(都市景観→放任教育)とも身が入っていない部分があるのか、未だ怒られているのが現状です。
あと、やっぱり専門を確定していないところも問題。歴史的建造物保存問題ばっかり関わってしまったおかげで、自分の専攻忘れかかってます(都市計画、、、多分そうだと思いたい)。
今回の論文タイトルは「地方都市における産業遺産のデータベース作成に関する研究」、、、産業考古学を専門として認めてくれませんか。ダメですか、そうですか。

研究だけで飯が食えればいいのだけれど、と最近は毎日のように言っていますが、2年3年後の不透明さを思い、ただ西へ東へとかけずり回っています。なんか将来の糧が得られればいいのですよ。全ては近代史系学芸員就職のため!!
、、、こんなんでいいのか、自分。

製鐵所と軍艦島は世界遺産となり得るか?

2006年08月25日 17時45分19秒 | 近代化遺産
前回の続きとして、産業遺産の世界遺産登録に関する動きをここで整理したいと思います。
、、、まあ、あんまり胡散臭いことはいいたくないので、これまでの動きとキーマンの発言などを整理して、今回の報道について考えてみます。

まず産業遺産が世界遺産となり得るか、という問題について。
結論から先に言えば、なりますし、諸外国では実際登録されている事例が数多くあります。ここあたりの事例、登録基準を長々話すとややこしくなるので、この話題は隅においときます。
要は、産業遺産の世界遺産登録は、そんなに珍しくない、と考えてくだされば結構。

次に日本(九州)でなぜ、このような話が出てきたか、について。
いろいろきっかけはありますが、直接は昨年夏に催された「産業観光国際フォーラム」にてTICCIH事務局長であるスチュアート・B・スミス氏の発言にあるのだと思います。
軍艦島をはじめとした鉱山施設群(北海道赤平や別子銅山など)を例に挙げ、これらは世界遺産になる価値がある、という趣旨の発言を、
「実際に産業遺産群を世界遺産へ登録審査する人間が話されたこと
」が、その機運を埋火のように徐々に浸透させたのでしょう。
これに加え、都市経済研究家の加藤康子氏が今年2月に産業観光フォーラムin長崎で語られた、九州におけるアジア初の産業革命に関わった施設群【軍艦島・集成館事業・八幡製鐵所・三井三池炭鉱】の世界遺産登録を推進しようという提案が、民間で、また私含めた地域で研究或いは遺産の保存活用を行う人間の情熱を加速させ、その結果経済産業省の審議会で話題が採りあげられたのではないかと推察いたします。

とまあ、ここまでは事実の確認(文末に推論がが多すぎるという点はご愛敬)。
さて、今回の報道をどう見るべきでしょうか。
文面通りに経済産業省が動いてくれるかといえば、それは何ともいいようがない部分があります。経済産業省のサイトに実際そう書かれれば、それは具体的な姿を持って動き出しますが、今のところは水面下でうごめいている状態です。
ただ、政府が推進する観光立国実現のための観光客誘致策のひとつにこの動きがあるのだとすれば、そう遠くない未来、世界遺産というものが現実の色を帯びてくるのだと思います。

世界遺産にやたら威厳を感じ、その件数が増えることに嫌悪感を示す方も多いとは思いますが、そのネーミングが与える箔付けにこだわることなく、地域が誇れる資源の紹介パターンのひとつだと考えたらよいのではないでしょうか。
その点では、国登録文化財とそれほど大差はないのでしょう。登録対象がいくら増えても、遺産そのものが持つ価値は減衰しませんし、ひとつひとつの施設にユネスコからの手厚い保護もありません。

ちょっと言いたいことがぼやけがちですが、今後近代化遺産・産業遺産の観光利活用が進んでいくことは間違いないでしょう。私自身、その認知・広報手段として世界遺産登録を目指すという動きは実に適切であると考えています。
ま、今後に期待、という締めで今回は終わりですね。

製鐵所の世界遺産登録を支援?

2006年08月21日 03時33分36秒 | 近代化遺産
いきなりびっくりするようなニュースが飛び込んできました。
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/lnews/02.html

現在の高炉(東田第一高炉、、っていっても、昭和36年に作った第十次高炉ですけど。)が世界遺産になるか、といわれれば否定的な言葉を紡がざるを得ませんが、
「修繕工場」、「条鋼工場」、「初代本事務所」、「河内を始めとした水道施設群」が世界遺産の基準に当てはまりそうだとは断言できます。
非欧米圏最初の産業革命を成し遂げた施設として、九州の炭鉱施設と製鐵所、集成館事業は十分に遺産登録に恥じない、日本が誇る産業遺産ではないかと思います。

ただ、なぜ今のタイミングで報道されたのでしょうか。
北九州産業技術保存継承センター(仮称)への支援? 全国産業観光フォーラムin北九州への弾み?
、、、とおもっていましたら、全国的な流れの中に位置づけられた記事のようです。
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/08/21/d20060820000078.html
(NHK動画ニュース・経済より)
動画ニュースは長崎・軍艦島と群馬・屑糸製糸所がクローズアップされており、なかなか好感触です。

年内に登録準備、となると私も少なからず動いていかなければならないでしょう。
今できることを地道に、保存活動と研究に進むのみ、、、なのですが、確実に論文に影響しそうで、まあ、それはそれで心配です。
個人事情を優先していられなくなる危険性が高そう、、、、(困笑)。

自然災害はこまるんだって!

2006年08月19日 02時01分07秒 | 雑談とか
華奢な3階建て料亭建築や都心部の2階建て木造建築や、傾斜地の煉瓦造捲上機台座が破損したらどーするんですか!!(おまえはそればっかりか!)

、、、ま、それはともかく、こんな雨の日に福岡で会議、その後北九州で会合参加とか言われると、泣きたくなります。
あー、だから電車遅れないで、スケジュールギリギリなんだから!!
そんなさなか、会合自体が台風で中止になったことが判明。
やった、これで早めに寝られる。
、、、と思ったんです。一瞬。
そしたら、私のバカと来たら、スケジュール表覗いてしまったんですね。
「NPO理事会 19:00~」
あ、忘れてた、、、。
そんなこんなで帰宅が遅くなってしまいましたとさ。
めでたくもなし。

三宜楼一般公開(その2・またはB面)

2006年08月17日 23時16分07秒 | 近代化遺産
見学会用の元原稿が見つかったので(笑)3階の紹介文も記載しておきます。

2~3階階段
 階段は手すりがすり切れ、栗色の輝きを見せています。踊場の壁部分は老朽化が激しく弱くなっているので、もたれかからないように気をつけてください。手すりもかなり古びてしまい、弱くなっているのでなるべくさわらないようにお願いします。
3階和室(8畳)
 窓からは九州鉄道本社(九州鉄道記念館)や三井物産(旧JR九州本社)、西部毎日新聞、日本郵船支店と波止場、門司駅(門司港駅)。そして船舶行き交う関門海峡が一望でき、門司の繁栄を一目で見ることが出来ました。
 こちらの下地窓は植物の葉をイメージしたもので、この部屋だけの特別なものです。見晴らしやこの細々とした装飾などに料亭としての格を知ることが出来ますね。かつては出光興産社長の出光佐三(いでみつさぞう)、イカリソース・山城屋百貨店の木村悌蔵(きむらていぞう)などもここを利用していました。
3階廊下
 こちらの廊下は少し特殊な天井を持っています。中央部分は網代で組んだ天井(これを網代天井(あじろてんじょう)といいます)、縁の部分は板張り(これは竿縁天井(さおぶちてんじょう)といいます)に仕上げられています。これは3階が特別な客、いわば上得意の客向けに作られた空間であったことを表しています。
 こちらにガラス戸の割れた小部屋がありますが、これは電話室として作られたものです。
3階和室次の間(6畳)
 8畳の本部屋から比べると少し小さく見えますが、本部屋の準備が出来るまでの次の間として、もしくはお付きの人たちが待機する場所として使用されていました。或いは特高警察の立ち聞き(?)場所として使用されていたかもしれません。畳部分は「底が抜ける」危険性もあるので、立ち入りはご遠慮ください。

ま、掲載したところで、ガイドが増えるかと言われれば、疑問ですがねぇ。

さて、まずは訂正から。三宜楼が陸軍に接収されたのは、昭和17年ではなく、18年でした(お詫び)。うっかりです。ごめんなさい。

さて、当日の感想から。
・暑い!
・人、多すぎ!
・おんなじ事喋るの、飽きた!!(笑)

以上です。
、、、なんですか、充実した案内できましたとか、言って欲しいんですか?
無理無理(笑)。そんなとってつけたこと言っても面白くないじゃないですか。
こっちは体力の限りを尽くしてやりました、くらいの体育系イベント感覚だったんですから、
そんなお公家様的感想なんて、かえって他のスタッフに失礼です。

さて、内部事情の記録から、、、。
途中まで私一人で見学者の皆様を廻していましたが、さすがに限界が生じてしまい、最終的には1フロアごとに担当を設け(午後の混雑時は2階担当者が常時2人いました)、来客をさばくという体制になりました。
午後2時以降の私は遊軍として機能いたしました。廻せないところにヘルプにはいる。玄関が詰まっていたら、三宜楼の歴史+門司港の歴史でお茶を濁す、、、
当日に増えた案内原稿は、前もって用意した原稿のほぼ二倍くらいあったかもしれません。全てはケースバイケースです。

本来、200人限定イベント、なんてこと言っていたのに、、、
結局10分以上の休憩時間無かったし!
その後の私の盆休み(14~16)が何となくだるい感じになったのは、きっとこのイベントのせいです!(笑)
、、、それは言い過ぎにしても。

話は変わりますが、18日(明日)には門司のまちづくりに関する会合、
「これからの門司港レトロ10年プランに対する住民意見交換会」
てなのが18:30より港ハウス2Fホールであります。
観光に生きるまちの姿勢を伺うため、こっそり参加しよーと考えとります。
あ、このことは関係者にはご内聞に(苦笑)。

三宜楼一般公開(その1)

2006年08月13日 14時19分34秒 | 近代化遺産
皆さん、本日は三宜楼においで頂き、まことにありがとうございました。本日の案内を勤めさせていただく、庵田と申します。あ、チップは要りません。念のため。

ここ三宜楼は明治末期頃から営業された料亭で、現在の建物は昭和6年に竣工した木造三階建のものです。門司随一の料亭として、落成から一週間、建物は宴会で賑わったとのこと。
さてこの建物の特徴は建物全体が数寄屋風の意匠で特徴づけられていることです。右手をご覧ください。これは下地窓と申します。通常土壁を造る際には、格子状に竹を組み、籐を絡ませ土が載りやすい状態にして土を被せていきますが、こちらはその下地を敢えて見せることで格調ある空間を構成づけています。三宜楼ではこの窓の他にも二階、三階にも下地窓がありますので、どうぞ注意深くご覧ください。

 さて、一階をご案内いたします。こちらは所有者であります三宅さんの居住空間でありました。そのためお客さんはこちらに入らず、玄関から直接2階に上がっていました。本来なら各部屋をご案内したいところですが、掃除も行き届いていない為、今回は残念ながら廊下のみの見学とさせていただきます。
 翻りまして、階段を渡り2階の方をご案内させていただきます。こちらの階段、幅の広い構成となっています。大広間へ多くのお客さんを案内する必要があったためで、材もきっちりしています。ここはおすもうさんが載っても問題ないと思います。

 右手にお入りください。はい、こちらが通称「百畳間」といわれる大広間でございます。実際はたたみ8×8、計64畳の大広間と16畳の舞台によって構成されています。
 舞台にお上がりください。こちらはかつて能の興行が催されたとのこと。そのためか音響効果を高めるためにこちらの床には甕が埋め込まれているそうです。同じような様式は市内においては、三菱化学黒崎工場・敬止館の武道場にも用いられています。
 さてこの大広間からはかつて門司港の景観が一望できましたが、現在マンションに阻まれています。手摺りなどに往時の雰囲気が遺されているので、外に出てみてはいかがでしょうか。安全確保のため、こちらは一度に5名までとさせていただきます。

 次は向かいの洋間をご案内させていただきます。さてこの洋間には色々とおかしな部分がございます。天井をご覧ください。天井は和風様式の典型である棹ぶち天井、そして欄間や書院の痕跡さえもあります。どうやらこの部屋は元々和室であったようです。なぜこのような状態になったのでしょうか。
 一説ですが、ここ三宜楼は昭和17年から20年まで陸軍カイ行社に接収されていました。全国から集められた兵隊さんは、ここでお酒を呑みながら英気を養い、大陸へと出征されたのです。そのときのリフレッシュ空間として、この建物は洋間となったと考えられます。戦後はやはり進駐軍がこの部屋をホールとして使用されたそうです。


 、、、とまあ、2階部分まで三宜楼の実況解説をなぞらせていただきました。
 昨日、北九州市門司区清滝にあります旧料亭「三宜楼」の一般公開が行われました。
 告知期間も少なく、またばたばたとしていたにもかかわらず(それゆえに?)500人を超す来場者を迎えることが出来ました。それもこれも、三宜楼の建物自体が持つ魅力と開催準備に携わった門司港コミュニティというまちづくり団体の行動力がなせる業だと感心した次第です。
 今後も門司港のまちづくり活動には興味しきりと言えますが、それにしても、昨日は暑かった、、、まずは開催に携わった多くの皆様方、お疲れ様でした。

個人情報についてシビアな理由

2006年08月11日 17時02分04秒 | 雑談とか
私の場合、サイトにしてもブログにしても、実生活と近いところで活動を行っているため、本来個人情報(この場合、名前とか直接の連絡先)を公開してもそれほど差し支えありません。
むしろ、公開していないが故に、少々不便な手続きを経ている部分があります。

それでも私が個人情報の公開に「踏み切れない」理由はいくつかあります。
まず、
1.公私の混同を避けるため
 大学・学部生時代に高校生徒会の様子見・下手伝いをしていたら、いつの間にか「生徒会を私している」という噂を流されました。
 それ以降、高校の情報はおざなりになりがちです。こういったモノは批判こそあれ、養護する人間はいないものです(見ず知らずの人間から批判されるのは心外ですし)。

2.Webでの匿名性の維持に賛意を示しているため
 後述する部分と多少相反するところでもありますが、誰もが記名で物事をうまく話せるとは限りません。これについては文通や電話越しの関係と似ている部分があるのではないでしょうか。
 ハンドルネームも、Web上で作品を造っている(文だったり絵だったり)人間にとってはペンネームのようなものです。そこをつっこむのはヤボだと勝手に考えています。

3.Webで既に嫌がらせを受けているため
 これが一番の理由です。
 ブログにしても、掲示板についても、かつて被害を受け、未だに嫌がらせが続いています。
 少しこの経緯について整理しましょう。
 経緯についてあまりご存じない方もいらっしゃると思いますが、詳しくは2チャンネル地理お国自慢板、、それも北九州関連の掲示板あたりの方が詳しいかもしれません。私への質問は一切お断り申し上げます(アドバイスは歓迎)。2ちゃんねるへの書き込みもかつて一切致しておりませんので、その関連話題も却下です。
 2003年、、、もう少し後でしたか、ガゾーンという北九州関連写真のリンク集サイト(という認識)に掲示板があった頃、写真の批評が好きな書き込みをする方がいらっしゃいました。
 その方が黒崎の山手通りを「熊手通り」だろ? と他の投稿者をからかっていらっしゃったので、その誤りについて指摘しました。

 そこから私を目の敵にするようになりました。冗談と思うかもしれませんが、嫌がらせの原因なんて、些細なことなんだとこの経験から感じ取ることが出来ます。
 掲示板を読んでいただくと分かると思いますが、このなかには「君の立場で企業批判をして~」というような書き込みがなされているかと思いますが、これは実は私の書き込みに対する批判ではありません。
 ガゾーン管理人すいかさんの記事内容(新日鐵系~安川系~etc)を私が書き込んでいるものと早合点し、執拗に批判しているのです。
 私は、、、そもそも他人の批判を好みません。ガゾーンに関連する関門通信の記事についても、私は企業に対する取材不足の中での批判は行いませんし、そういったものに賛同しているわけではありません(まあ、私も市に対しては辛口ですがね)。
 掲示板での質問者の恫喝内容は、ガゾーン管理人への写真提供を止め、関係を絶たないと、おまえも訴えられることになる、という趣旨です。私は今までそんな連罪は聞いたことが無く、また批判の趣旨が適切とも思えなかったため、これに関しては拒絶いたしました。
 だのに、この掲示板の質問者は、私のサイトだけに留まらず、前述した2ちゃんねる地理お国自慢板への私の実名批判・誹謗中傷を繰り返し、またブログにも意味不明の書き込みを続け、(最近はすぐ消しますが)掲示板へも嫌がらせを続けています。
 この輩は、いくつかのプロキシを通して書き込んでいるため、アクセス禁止にしてもまるで効かないようです。

 この場合は、、、さすがにWebの匿名性を恨みます。警察がこの内容で動いてくれるかどうか、、、とも考えますし。
 この輩が何を要求し、自分の主張をどう考えているか、私にはさっぱり理解できません(したくもないです)が、ここ1、2年身の危険を感じているのは事実です。
 そして本日、ついに携帯に執拗な無言電話がかかりました。
 この人間がかけたものでしょうか? だとしたら、私がこの世界で安全でいられるのはそう長くはないのかもしれません。
 
 、、、後々事件などで己の身に万が一の危うい事態が起きたときのことを考え、「保険として」敢えて詳しめに記載させて頂き、今日の結びとさせていただきます。
 刺されて、更新できなくなったら、ごめんなさいということで。

門司港・旧料亭三宜楼一般公開【再掲!】

2006年08月11日 10時40分58秒 | 近代化遺産
前回見逃している方もいらっしゃる(と思う)ので、もう一度。

門司港の旧料亭「三宜楼」一般公開
期日:2006年8月12日 10:00~16:00
場所:北九州市門司区清滝3-6-8
九州鉄道記念館から国道3号線を渡り、少し山側、、、木造3階建ての、やたらでかい建物なので、近くに行けば分かります。
(なお、当日は循環バスが市街地を順次移動しています。)
入場料:無料(ただし寄付金は随時受付けます)
問合せ:門司港レトロ倶楽部(093-332-0106)

当日は興味ある人には懇切丁寧(そうでない人にはそれなりに、、、)な解説付きですので、暇な方、建物好きの方は是非是非ご来場ください。
、、、保存基金の足しになるかは兎も角として、、、知名度アップに向け、頑張らなきゃ。

「シャツ出しファッション」に関する一考察

2006年08月09日 13時01分20秒 | 雑談とか
近年、、、といってももう当たり前のようになってきていますが、特にこの時期になると男性が上着のシャツを出して街を闊歩するのをよく見かけます。
一時期はみっともないとか、若者の道徳意識の低下とか色々といわれていましたが、そんな声もすっかり収まってしまいました。

そもそも日本人は高温多湿な風土に合わせて、和服という通気性の良い服装を持っていました。
ところが、近代化と欧米風文化が浸透して行くにつれ、洋服が公共での地位を確立するとともに、相対的に和服の地位が低下し、今では和服を着る男性は成人式のちょっとやんちゃな子ぐらいになってしまいました。
これで気候も欧米風になれば、洋服をきっちり着こなすことも出来たのでしょうが、年々気温は上がる一方。温暖化の声も既に当たり前のように聞こえています。
洋服は保温性に優れた服装ですが、こうも暑いとかえって暑苦しいだけの布っきれです。

世の男性方、特に若者世代を中心にして通気性を確保しつつ洋風文化に準じた服装を追い求めた結果が、上着のシャツ出しではないか、と考える次第です。
、、さてこの文章、何が言いたいかといいますと、つまるところはこの暑さはどうにかならないですか? と懇願したいわけで、、、いやはや何とも。

伊万里で都市計画セミナー

2006年08月04日 22時06分29秒 | 近代化遺産
「辺鄙なところ(伊万里市長・談)」といわれる伊万里に行きました。
筑肥線と松浦鉄道が交差する、交通の結節点ではあるのですが、なにせ周辺の人口があまりないものですから、古いものはそのままに、しかし活気があるかといわれればとても困ってしまう街並みでした。
しかし! 歩き続けていくうちに、登録文化財級の建物が実にごろごろしていることがわかりました。
また重要伝統的建造物群保存地区もねらえるのでは、といった風景もちらほら、、、(街並みの写真はご自身で行って撮ってみてくださいね)
写真は商店街の中でも一番の大店、石見屋呉服店です。

いやあ、伊万里もなかなか楽しめますよ?
陶磁器の旅として、天草-平戸-伊万里・有田のコースはなかなかにお薦めできます。是非一度おためしあれ。