酒と地域と近代化遺産・庵田の日常雑記

『地域文博・高炉館』管理人庵田の、愚痴と嘆きとどうでもいい日常。

三宜楼一般公開(その2・またはB面)

2006年08月17日 23時16分07秒 | 近代化遺産
見学会用の元原稿が見つかったので(笑)3階の紹介文も記載しておきます。

2~3階階段
 階段は手すりがすり切れ、栗色の輝きを見せています。踊場の壁部分は老朽化が激しく弱くなっているので、もたれかからないように気をつけてください。手すりもかなり古びてしまい、弱くなっているのでなるべくさわらないようにお願いします。
3階和室(8畳)
 窓からは九州鉄道本社(九州鉄道記念館)や三井物産(旧JR九州本社)、西部毎日新聞、日本郵船支店と波止場、門司駅(門司港駅)。そして船舶行き交う関門海峡が一望でき、門司の繁栄を一目で見ることが出来ました。
 こちらの下地窓は植物の葉をイメージしたもので、この部屋だけの特別なものです。見晴らしやこの細々とした装飾などに料亭としての格を知ることが出来ますね。かつては出光興産社長の出光佐三(いでみつさぞう)、イカリソース・山城屋百貨店の木村悌蔵(きむらていぞう)などもここを利用していました。
3階廊下
 こちらの廊下は少し特殊な天井を持っています。中央部分は網代で組んだ天井(これを網代天井(あじろてんじょう)といいます)、縁の部分は板張り(これは竿縁天井(さおぶちてんじょう)といいます)に仕上げられています。これは3階が特別な客、いわば上得意の客向けに作られた空間であったことを表しています。
 こちらにガラス戸の割れた小部屋がありますが、これは電話室として作られたものです。
3階和室次の間(6畳)
 8畳の本部屋から比べると少し小さく見えますが、本部屋の準備が出来るまでの次の間として、もしくはお付きの人たちが待機する場所として使用されていました。或いは特高警察の立ち聞き(?)場所として使用されていたかもしれません。畳部分は「底が抜ける」危険性もあるので、立ち入りはご遠慮ください。

ま、掲載したところで、ガイドが増えるかと言われれば、疑問ですがねぇ。

さて、まずは訂正から。三宜楼が陸軍に接収されたのは、昭和17年ではなく、18年でした(お詫び)。うっかりです。ごめんなさい。

さて、当日の感想から。
・暑い!
・人、多すぎ!
・おんなじ事喋るの、飽きた!!(笑)

以上です。
、、、なんですか、充実した案内できましたとか、言って欲しいんですか?
無理無理(笑)。そんなとってつけたこと言っても面白くないじゃないですか。
こっちは体力の限りを尽くしてやりました、くらいの体育系イベント感覚だったんですから、
そんなお公家様的感想なんて、かえって他のスタッフに失礼です。

さて、内部事情の記録から、、、。
途中まで私一人で見学者の皆様を廻していましたが、さすがに限界が生じてしまい、最終的には1フロアごとに担当を設け(午後の混雑時は2階担当者が常時2人いました)、来客をさばくという体制になりました。
午後2時以降の私は遊軍として機能いたしました。廻せないところにヘルプにはいる。玄関が詰まっていたら、三宜楼の歴史+門司港の歴史でお茶を濁す、、、
当日に増えた案内原稿は、前もって用意した原稿のほぼ二倍くらいあったかもしれません。全てはケースバイケースです。

本来、200人限定イベント、なんてこと言っていたのに、、、
結局10分以上の休憩時間無かったし!
その後の私の盆休み(14~16)が何となくだるい感じになったのは、きっとこのイベントのせいです!(笑)
、、、それは言い過ぎにしても。

話は変わりますが、18日(明日)には門司のまちづくりに関する会合、
「これからの門司港レトロ10年プランに対する住民意見交換会」
てなのが18:30より港ハウス2Fホールであります。
観光に生きるまちの姿勢を伺うため、こっそり参加しよーと考えとります。
あ、このことは関係者にはご内聞に(苦笑)。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この原稿も・・・ (秋武政道)
2006-08-20 00:15:53
門司港TVに、はりつけていいかね?
返信する
特段 (庵田)
2006-08-20 12:47:05
問題はありませんよ。

が、事前にお配りした案内資料と同じ文ですが、、、

あ、感想は貼り付けないですよね?
返信する