最近、近代化遺産関連で会社や法人、自治体から助言を求められることがあります。
だいたいは相手方の努力が分かるような質問ばかりで(だからこそ、電話でしか応対できない)、そうなるとこちらも気合いを入れて回答を考えます。
そういった会話の積み重ねで信用というものが築かれるわけですから、当然といえば当然です。
この行為自体を私は自分自身の職業(というほどお金を貰えませんが)に対するプライドがなせるものだと考えています。
そういう私が一番萎える質問は、「~という建物に関する書籍を教えて欲しい」というもの。
なぜか、
1.努力が足りないことが多いから(Webで調べられる範囲も調べていないことが多い)
2.怠惰に感じられるから(新聞切り抜きあたりから地道に調べる人たちをバカにしてないか?)
3.私を便利屋としか考えていない節も、、、
まあ、民間で観光業をやっている人たちで知らない、というのは仕方ないかなとも思うのですが(それでもちょっと含むところはあります)、許せないのは同じ研究者からの依頼の場合です。
それも、どこに行けば資料があるか、ではなく本の紹介ですから。
そりゃあ、ちょっと業務怠慢じゃないですか、と。
研究者とはいえサラリー貰ってる人なら、自分で出向いて(あるいは自分のところの大学院生を使って)ちゃんと調べてくださいよ、と言わずにいられません。
こういった質問の度に、自分のやっていることがつくづくばからしく感じてしまいます。
私は、顎で給料を稼ぐ人たちから良いように使われるために調べているのか?
誰か、そうじゃないと言ってください。
だいたいは相手方の努力が分かるような質問ばかりで(だからこそ、電話でしか応対できない)、そうなるとこちらも気合いを入れて回答を考えます。
そういった会話の積み重ねで信用というものが築かれるわけですから、当然といえば当然です。
この行為自体を私は自分自身の職業(というほどお金を貰えませんが)に対するプライドがなせるものだと考えています。
そういう私が一番萎える質問は、「~という建物に関する書籍を教えて欲しい」というもの。
なぜか、
1.努力が足りないことが多いから(Webで調べられる範囲も調べていないことが多い)
2.怠惰に感じられるから(新聞切り抜きあたりから地道に調べる人たちをバカにしてないか?)
3.私を便利屋としか考えていない節も、、、
まあ、民間で観光業をやっている人たちで知らない、というのは仕方ないかなとも思うのですが(それでもちょっと含むところはあります)、許せないのは同じ研究者からの依頼の場合です。
それも、どこに行けば資料があるか、ではなく本の紹介ですから。
そりゃあ、ちょっと業務怠慢じゃないですか、と。
研究者とはいえサラリー貰ってる人なら、自分で出向いて(あるいは自分のところの大学院生を使って)ちゃんと調べてくださいよ、と言わずにいられません。
こういった質問の度に、自分のやっていることがつくづくばからしく感じてしまいます。
私は、顎で給料を稼ぐ人たちから良いように使われるために調べているのか?
誰か、そうじゃないと言ってください。