酒と地域と近代化遺産・庵田の日常雑記

『地域文博・高炉館』管理人庵田の、愚痴と嘆きとどうでもいい日常。

シゴトノプライド

2006年02月22日 18時13分53秒 | 近代化遺産
最近、近代化遺産関連で会社や法人、自治体から助言を求められることがあります。
だいたいは相手方の努力が分かるような質問ばかりで(だからこそ、電話でしか応対できない)、そうなるとこちらも気合いを入れて回答を考えます。
そういった会話の積み重ねで信用というものが築かれるわけですから、当然といえば当然です。
この行為自体を私は自分自身の職業(というほどお金を貰えませんが)に対するプライドがなせるものだと考えています。

そういう私が一番萎える質問は、「~という建物に関する書籍を教えて欲しい」というもの。
なぜか、
1.努力が足りないことが多いから(Webで調べられる範囲も調べていないことが多い)
2.怠惰に感じられるから(新聞切り抜きあたりから地道に調べる人たちをバカにしてないか?)
3.私を便利屋としか考えていない節も、、、


まあ、民間で観光業をやっている人たちで知らない、というのは仕方ないかなとも思うのですが(それでもちょっと含むところはあります)、許せないのは同じ研究者からの依頼の場合です。
それも、どこに行けば資料があるか、ではなく本の紹介ですから。
そりゃあ、ちょっと業務怠慢じゃないですか、と。
研究者とはいえサラリー貰ってる人なら、自分で出向いて(あるいは自分のところの大学院生を使って)ちゃんと調べてくださいよ、と言わずにいられません。
こういった質問の度に、自分のやっていることがつくづくばからしく感じてしまいます。
私は、顎で給料を稼ぐ人たちから良いように使われるために調べているのか?
誰か、そうじゃないと言ってください。

対岸の火事、身内の火事

2006年02月17日 00時40分38秒 | 地域情報
北九州市の繁華街で火災、飲食店など10店舗全焼
(読売新聞記事より)


災害に関する記事というものを、子供の頃は何かのイベントのように感じていた事もあり、こういった記事に関しても何らかの変化が起こるのでは、という期待感を思うこともありました。
いったん会社に勤めていたときに、「安定した生産活動」に対する最大の敵はこのような災害だと改めて気付き、それに対する恐怖感を持つようにもなりました。
そもそも近代化遺産の研究保存に携わってからは、災害記事を見る度に「貴重な文化財候補が失われていく、ああ、もったいない」とまあ、不純な動機ながらそういった意識は出来てきたわけですが、

さすがに親戚の店が火事に遭ってしまうと、ちょっと冗談になりません。
この感情を何と表現すればいいのでしょうか、怒り? 虚しさ?
角の山口銀行付近が現場検証のために封鎖されているところを見ると、一体何のためにこのような事象が起こったのだと、
過去数年で既に周辺が数区画ずつ火事に遭い、建て替わっているところを見るに、何か恐ろしいものを感じずにはいられません。
今はただ、一日も早い復興を祈るばかりです。

ニッカウヰスキーの焼酎?

2006年02月14日 22時34分29秒 | 
北九州のクロップロード・国道199号線を北上していると、煉瓦工場群が続々見えてきます。
私は、、、職業病というのか何と言うか、建物の動向が気になって仕方ないため、ここら辺できょろきょろやってしまいます(危険です)。
帰り際、ちょっと赤煉瓦倶楽部(旧サッポロビール倉庫)による際、看板のチェックをやっていると、意外な事実が判明。
同じく煉瓦造りの工場建築の中に、見慣れない看板がひとつ。「ニッカウヰスキー門司工場」と。
それは何ですか? たしかここはアサヒ協和酒類製造という会社だったはず。

帰ってみてよくよく調べるとニッカウヰスキーはアサヒビールの子会社となっており、(以下地元工場の情報・読み飛ばし推奨)元々ここにあった鈴木商店アルコール工場からの流れを汲む「協和発酵門司工場」が酒類部門をアサヒビールに売却した際、将来的な蒸留酒部門の統合(今回の事態=アサヒ協和とニッカの統合)を考えていたらしく、平成18年(今年)正月にめでたく合併。ただ単に名義の変更が次々あっただけで中での業態は変わっていないようです。
しかし、、、ニッカウヰスキーが合成清酒を造ったり、大五郎ラベルの焼酎を売るのは、なんともはや、少々不憫な気がいたします。
現在工場見学が行われていないこの工場、酎ハイやウイスキー試飲付きの観光施設として活用されれば、素敵ですけど。

協和発酵が大事にしてきた製塩用煙突をすぱっと撤去してしまうところを見ると、地元に愛があるように感じられない気がしてもどかしいです。

北九州市、、、やる気だな。

2006年02月11日 12時05分06秒 | 地域情報
市の産業観光施設紹介ページがここ数ヶ月で大きく変わっています。
いや、デザイン面とか構成が変わったとかいうことではなく、掲載対象に広がりが出来たというか、工場見学だけではなくなってきたようです。
「門司赤煉瓦プレイス(サッポロビール九州工場跡地の保存活用施設)」が掲載されていることは、小さいながらも市の「やる気」を感じさせる画期的な変化です。

あとは産業観光の範囲を二次一辺倒から一次~三次産業にまで拡大させれば、そこからは民間活力の導入へと持って行けるんじゃないか(理解力は行政よりもあると思う)と思います。
範囲拡大については、
 ・合馬の観光農園
 ・平尾台の農場群
 ・若松脇田の海釣り広場+汐入の里
 ・ゼンリン地図の資料館
 ・日立金属鋳物記念館(苅田町)
 ・新北九州空港
 ・北九州市交通局
なんてところはいかがでしょうか(黒崎播磨が入っていないのは意図的ですかね?)。

今年は産業観光フォーラム北九州の開催も決まり、嫌が応にでも産業観光の流れが加速していきます。
お手伝いできるのでしたら、精一杯やりたいとは思うのですが、さて、どうなる事やら。

源泉徴収の還付金

2006年02月09日 17時25分28秒 | NPO
もう情けないくらい収入が少ない庵田@研究バカですが、昨年度はそこそこ貰っていることが判明いたしました。
、、、まぁ、、サラリーマンしてましたしね。
ただ、来年度に繋げる(食いつなぐ)ためには、税金問題を超えねばなりません。

これやこの 呑むも喰らうも金無くば 越すに越されぬ 年度末時期
(庵田)

だめですな、だめですわ。

で、副収入やら何やらを勘案するとどうやら現金還付を受けられることが判明。
税理士さんと相談しながら、源泉徴収金を調べてみたところ、
なんと、万札にぎりぎり突入!
福澤さんが国から臨時ボーナスとして貰えます。ありがたや、ありがたや。
NPOで活動していると、収入の手段が極めて限られ(そのくせに、やらなければならない分野は多く)、バイトがあまり出来ません。
拘束時間こそ少ないものの、完全に自由と言える時間も少ない現状です。クライアントに答えられるよう、待機していることもままあります。

ま、来年は期待できそうにありませんね。学生でピーピー言っている時と状況がちっとも変わらず、泣けてきます。

長崎みやげの地ビール

2006年02月07日 18時02分29秒 | 
立て続けにお酒の話になります(そもそも前回のネタが掘り起こしのものですからね、、、)。

前回の長崎出張でいくらか補助を頂いたので、少々遊び金が出来ました。
で、そういうときはお世話になったひとにお土産を買うのが私の基本です。
アルコール類もそれらお土産のひとつですが、今回は気になった地ビールがありましたので、自分へのご褒美に買ってきました。
ヴァイツェンとデュンケルの二種類を買ってきましたが、いやあ、これが旨い!
今まで地ビールは九州を中心に20種近く呑んできましたが、一番の仕上がりとなっています。そして、値段も他のモノに比べてお手頃(500mlで390円)です。
もともとの醸造場は長崎大島醸造のものの様です。また、長崎に行く楽しみが増えました(おまえはそればっかりか)。

つぎは、、、も少しまともなネタをやりますね。

多分、昔出しそびれたお酒ネタ

2006年02月06日 15時28分56秒 | 
昔どこかに投稿したような、、、気がする文章を掘り当てました。折角ですので投稿します。
さて、、文章しあげて仕事終わらなきゃ(ブログを仕事しながらやるな、俺)。

近代化遺産と思われがちなお酒の話。
日本酒醸造会社(蔵元、と言った方がむずがゆさがない)の事務所は、概して面白味に欠けるのだが、この建物は別格である。
阪神大震災以前の白鹿が洋館事務所であったという話も聞くが、私の中で最強クラスの蔵元事務所はこれに尽きる。
大川市に移管される前は、坂本繁二郎や青木繁の作品を無造作に展示していたと言うから、益々驚きだ。

平成15年県指定文化財となったが、それに前後して耐震改修が行われた。
改修後の建物というのは、どうもフランケンシュタインのような不可思議なつぎはぎ感を覚える(改修具合の様子を一部床をガラスにして見せているのが、どうも良くない)。
何というのか、後味で苦みを感じる酒のようである(筑後川にそんな酒はない)。

一番哀しいのは、蔵元の端に建てられた今の清力酒造事務所。
安っぽくて仕方ない。もうこれは仕方のないことなのだろう。
そんなこんなといいながら、私は「清力」が結構好きだったりするので、概して建物に対する評価も甘くなる。数ヶ月後にリストに載せる予定だが、作者の気持ちをくんでいただければ幸いだ。

近代化遺産関連は話がどうしても長くなる。

2006年02月03日 22時24分33秒 | 近代化遺産
西日本新聞2/3付け朝刊社説より

いよいよ動き始めてしまった、という感じでしょうか。
近代化遺産の保存という分野は、自治体、特に中小都市では埋蔵文化財専門の学芸員が兼務している状況で、現在の財政緊縮体制下では人員補給も望めそうもありません(まだ理解も足りません)。
そうなると学術団体や民間組織が立ち上がり、広めていくほかないでしょう。

今回の団体立ち上げは、ある意味自然発生的な流れではあるのですが、ここに至るまではいくつかの提言・挫折もあり、それでもくじけず頑張られた長崎の有志あってのことです。
このイベントで起きた流れを確実にするためには、教育・認知の徹底が必要であり、また現在の効率一辺倒の社会構造を替えなければ徒花に終わるでしょう。
それを考えると、、、、ああ、大変だ。皆さん、応援してください(チワワのような目で)。出来れば温かい言葉と支援を。

今年度何度目かの長崎出張です。

2006年02月01日 06時36分07秒 | 近代化遺産
ろくに金も出ないのにこうも往復して大丈夫か否か、というところに関しては一切口をつぐみます(もしくは銀行の残高見て絶望します)。

さて、最近近代化遺産保存・活用の分野において、長崎の活動が活発化しております。
先年ニュース23に採りあげられ反響を呼んだ「軍艦島を世界遺産にする会」の活動をはじめ、長崎・五島列島を中心とする実に特徴的な教会群を世界遺産にするという目標を持った団体、長崎バンドに焦点を当てた団体など、その内容は実に様々で、それに携わられている方々も多士済々といった格好です。
こうなると、半年後同じように産業観光フォーラムをやる北九州も負けてはいられない、、、というのは誰でも言えるのですが、はてさて、自分がどこまで協力できるやら(極力悲観的)。
かつて(といってもたかだか2年前)産業観光の可能性について一生懸命報告書に仕上げたものが、市で軽く放置扱いだったことにショックを受けて以降、個人の努力に関しては0査定で行くのが私のスタンスです(北九州関連コンテンツが休眠状態である真の理由のひとつ)。
、、、とまあ、過去の愚痴をだらだら述べても仕方ありません。九州の近代化産業遺産保護に向けた取組みは、これから益々加速していきます。明日明後日の新聞記事には、具体的なネットワーク活動が載ることとなるでしょう(西日本新聞はもう載せちゃったから、2度はないかな)。
さて、ここが踏ん張りどころです。近代の遺産も人類史という一定の時間軸で考えてみれば、法隆寺や姫路城と同じ輝きを持っていることを、辻説法せねばなりません。頑張ろう。