コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

伝道研究会 7月

2010-07-11 01:24:23 | 真宗

月の第一水曜は伝道研究会、今月は7日に。

前回から装いを新たにしての2回目。
参加も新しい参加者が数名増えた。
一方で、前回参加されたのに今回お休みの方も。

テキストは「真宗の基礎 教義編」
前回の続きとしては大経の講義として四十八願の名称が続くところに入るんだけれど、ここでS先生の提案で大経のおさらい。
大経の位置づけや、何が書かれているお経なのかを、キーワードを各自が出し合うことで確認。
といっても、深く学んでいる先生方や勤勉な方からは要の言葉が出てくるものの、わたしなんぞは普段噛み砕いて聞かされているものの、それらを体系的に把握する能力が欠落しているので、「おぉそういえば聞いたことがあるぞ」の連続。
まったくお恥ずかしい話だ。
(いや、恥ずかしいと思っていないところが恥ずべきところだ)

「浄土真宗聖典」をサブテキストとして(いやこっちがメインだろ)使うが、その表記の意味合いも講義してもらう。
いままでいかにいい加減に使っていたかがよくわかる。
その欄外の表記を意識するだけで、今までと違って体系だてて感じる。
正信偈との関わりもわかりやすくなった。

さらに大教の構成を整理してもらい、大まかな内容を把握する。
いやぁ、ただただ「深い願い」として体感するのみだ。

最近は各地の法座でこの「大経」を取り上げて話されているようだ。
私のHPにも、かつて「Moz」先生が投稿してくださった
『仏陀が説かれた大無量寿経』のはなし
というものが掲載されているので、興味のある方はぜひご一読を。

8月はお休みで、9月は1日の水曜日、午後7時半からです。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
丸裸 (阿波の庄松)
2010-07-13 03:03:09
僕の心を惹きつけるのは三帰依文です。ここを毎日、拝読して、おつとめをしています。

どこまで行っても、生きることばっかりで後生など何も気にしていない。知人が死んで白骨になったり、余命一か月の花嫁(映画)を見たりした時に考えるくらい。そして、三日たったら、もう、頭から消えている。

僕は座談が嫌でたまらなかったのですけれど、たまには、丸裸にされるのもいいか…と思うようになりました。人の幸せを妬んだり、出来ることもやろうとしない、甘ったれた自分がいる。もっと中村久子さんのように努力しなくては…と思いました。
惑業苦 (阿波の庄松)
2010-07-14 00:15:10
中村久子さんのように努力しなくては…

いや、自分は努力はしてきたつもりなんですよね。たぶん、俗にいう惑業苦という無限ループにハマッてしまっているんだと思います。

ここから脱却するには、やはり、聴聞?
まとめてRES (MANU.)
2010-07-25 08:05:50
「阿波の庄松」さん、どーもです。
コメントいただきながら回答が遅くなりすいません。

>どこまで行っても、生きることばっかりで後生など何も気にしていない
そうですね、以前のコメントへのレスにも書きましたが、「気にしていない」のが本性ですね。
それが縁に触れ「少し気になる」
でも、またまぎれてしまう。
自分の背負っているものを、本当に「ありのまま」見せ付けられたら、一瞬たりとも正気じゃいられないんだと思います。

自分で丸裸になるのは難しいですよね。
ましてや他人に「これがお前の姿だ」などと押し付けのように責められても、到底受け入れられるものじゃありません。

自分で「丸裸」になる努力、頑張って他人から知らされる「丸裸」を受け入れる努力。
すばらしいことだと思います。

その一方で、「お前が頑張って丸裸にならなくても、その丸裸はすべて知っているぞ」という…。
だから「南無阿弥陀仏」が用意されたということを聴聞させていただくのですから、
>ここから脱却するには、やはり、聴聞?
ということですよね。

月並みな言葉になりますが、やはり「南無阿弥陀仏のおいわれ」「仏願の生起本末」ですよね。
いままで聞いてきたもの、聞いてきたつもりのもの、は横において、「今のわたし」に響くところで、聞かせていただくことでしょうね。

>三帰依文
とても深いご文ですよね。

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