コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

あなたは見たんですか?

2011-03-10 16:21:48 | 親子コミュニケーション

PTAのほうで来年度に向けた準備や打ち合わせが増えてきている。
しばらくは親子コミュニケーションをめぐるいろんな出来事が思考の中心線になりそうな予感。
でも一方で、月末に行われる広島WSに参加することも決まり、カウンセリングモードも刺激を受けそうだ。
そういえば、これも私が担当している「真宗カウンセリング研究会」のホームページも更新することが出来た。
ちょっと頑張って、いつものプログラム更新にプラスして、「創立50周年」のバナーを作ってみた。
小さいスペースで、いかにシンプルに必要なことを伝えるか…
素人としてはなかなかのものが出来たんじゃないだろうか。
(プロだと色使いなんかに指摘があるかも)

と、雑多なことを書きながら、今日書きたいと思ったことは、以前書いた「読み聞かせ」の先生から聞いた話で、記事にしてなかったもうひとつ大事なこと。
記事を書いてたときはすっかり忘れてたんだけど、娘とマスコミの問題を話してるときに思い出した。


講師の「大石進」先生は、小学校の教員をされていた時代、児童の色んな問題に関して保護者と話する機会が多かったらしい。
で、大抵は自分の子が受けた被害に関して、加害者のことを悪く言う。
まぁ、その気持ちは分かるし、我が子を親がかばわずして誰がかばうのかって事はある。
ただ、そういう加害者のことを話するときに
「○○さんはいつも問題を起こしている」というような言い方がでてくる。
単純に”問題”ということもあれば、具体的に「いつも○○をしている」というものもあるだろう。
問題は、その発言の根拠だ。
その多くが
「みんな言ってます」
というものだ。

こういうときに先生はこう尋ねるそうだ。
「あなたは見たんですか?」「いつ見たんですか?」
大抵はそう言われても「みんな言ってます」と繰り返すしか出来ないそうだ。
そう、自分で見たり確認したりしたのではなく、人のうわさを「真実」と思い込んでいる。
さらには、そのうわさの中から「自分側に有利」なものだけを頭にインプットして、それを根拠にする。

これはとても大事なことだと思う。

子ども同士が問題を起こすときに、一方が全面的に責任がある形で事が起こることはそう多くないと思う。
大抵は「どっちもどっち」なもので、売り言葉に買い言葉。
先に手を出して怪我させたりしたらもちろん悪いが、その前に見た目の傷が残らない心の傷もあるかもしれない。
どちらが先だとか、どちらのほうが傷が深いとか、そういうことではなくどちらも傷つくのだ。
だから一方だけを責めることは怖いことだと思う。


私自身、最近はいろんな問題の相談を受けるとき、その発言者の「気持ち」は今そこに在るものとしてそのまま受け止めるが、話題の中身に関しては「一方からの見方」としてとどめておく。
その話題に関わるもう一方の言い分もあるだろうし、一方の見方だけですべてが理解できるはずがない。
いや、理解という意味で言うと、双方の言葉だけ聴いても、実際にその体験をしていなければ理解は出来ないし、それでもってもすべてとは言えない。


「あなたは見たんですか?」「いつ見たんですか?」
少なくとも、発言者が自ら見て体験している話ならば、そういうこといが”あった”とは言えるだろう。
しかし、噂話や、又聞きした話には”他の意思”が混入され、想像が加わり、”あった”ことから離れてしまうことがほとんどだ。

こういうところにも、「聞く」態度ということにつながる重要な要素がありそうだ。
今ここにある”気持ち”と、”話題”とを分けて聞くことの重要さだ。