コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

報恩講 条件付けからの脱却

2010-01-14 02:29:27 | 真宗
いろいろ書きたいことはあるんだけど…まとめることで明日になるよりは小出しにしてでも今日のうちに。

今回の報恩講で私の中に生まれたいくつかのテーマの中のひとつ。
「念仏を申しやすい生活とは」

一人の生活のほうが念仏しやすいのならば一人に
家族と一緒のほうが念仏しやすいのなら家族と一緒に

このことを繰り返し聞かせていただいた。
他の人はどうかわからないが、私にとってはこれは「逃げ道」の封鎖でもある。
逆に言うならば、「一人だからお念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を駄目とし、「家族と一緒にいるからそっちのことも考えんならん、だから念仏中心の生活が出来ない」と今の状態を理由にする…

隣の芝生は青い…

そう、どのような環境にあってもそれを良しとせず、次々と欲を求め、ないものねだりがやまないのが私なのだから。

どのように変わっても今以上の「念仏申しやすい生活」はない。
あるのかもしれないが、そんな当てのないものに頼る暇があれば、「今・ここ」でお念仏させていただくだけだ。

「念仏を申しやすい生活とは」
この問いは、今を良しとせず、あらゆる状況を言い訳にして、お念仏しない原因を外に置いている姿。

呼び声はただひとつ
ただわが名を称えよ。
南無は帰命。
召還の勅命。

南無阿弥陀仏