コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

地域若者サポーター養成講座 第1回

2008-10-14 00:37:46 | コミュニケーションワーク

「地域若者サポーター養成講座」というのを受講してきました。

今まで、法座活動の延長からカウンセリングを学びだしたことと、保育園の関係から親子コミュニケーションを考えることをしてきましたが、ちょっと違う世界も覗いてみようかなと。
違う世界と言っても、まったく未知のものではなく、今までの学びを、今までとは違う場で実践に結び付けられればいいなと考えています。
学びよりも、実戦経験のためという思いが強いですね。

そう考えているときに、偶然にもこの講座の案内が目に入りました。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000046150.html

まぁ、この講座やそのあとのサポーター活動は「ニート対策」という行政の動きがメインなんでしょうが、自分の子どももこれから「若者」(この活動定義では15~34才)になって行きますし、同時に親の立場としていろいろ相談を受けたりしていく方々の心配の対象もこの年代が増えてくるでしょう。
そういうときに、こういう講座で「現状」を知っておくのも大事でしょうし、実践的に関わって経験をしておくのも、プラスになるでしょうしね。
このブログでもいろいろ還元できるかもしれません。

さて、そんな自分中心の動機ではありますが、先日第1回目の講座を受講してきました。
今回は大学教授を招いて、「支援が必要な現状」の実態と、「どういう支援活動があるか(できるか)」ということ、そして世界で実践されている「援助活動」の報告でした。
率直な印象としますと、今の日本では「縦割り行政」のつけで、地域・学校・行政の連携がとれず、その責任の不明瞭さ(押し付け)がネックになっているんだなという感じですね。
諸外国の取り組みを聞かせてもらえばもらうほど、この先生は今の日本行政を憂いている感が前面に伝わってきました。

本当は、そういう行政システムを変えていきたいというのが主題で話されたんでしょうが、「システムが変わらないと本当の支援活動が出来ない」ということでしたらこれから講座を受講してサポーターになろうとする私たちには制限がついてきそうでマイナス印象ですね。

そういえば、学校で生徒相談をしている知人がいるのですが、自分の生徒でいる間は支援できても、学校を離れたら関わりが切れてしまうことを問題にされていました。
本当の支援は、学校や行政の管轄で引き継いでいくのではなく、地域が継続的に学校-社会-職場と変わる状況があっても寄り添っていくのが理想なんでしょうね。
この「地域」というのは、かつては近所のおじさんやおばさんであり、私が学生のころだと行きつけの喫茶店のマスターであったり、楽器屋の先輩であったり、そこに行けば相談に乗ってもらえる身近な人間だったんですね。
いま、行政ではそういう集まりの場を作っているんでしょうけど、問題はそういうコミュニティに出かけることが出来ない個々の人であり、その人数が年々増えていってることでしょうね。

まぁ、偉そうに言ってますが、私が個人でなにか動こうと思ってもその力はたかが知れています。
せいぜい、こうして不特定のひとに言葉を伝えるくらいですけどね。

今回の講座には50名以上の参加者がいました。
見た感じ、私より年上で、定年後地域活動を考えている感じの人が半分くらい。
ちょっと若かいめで、ボランティアに関心のある感じの人が残りの半分。
あとは、私と同じように、今子育てで「若者」の親をしている感じの人かな。

どうなるか分かりませんが、今までとはちょっと違う切り口で、今までの私の学びと経験を見つめる鏡にしてみましょう。

ここからは余談ですが、学生時代、授業が苦手で1時間もじっと講義を聞いていられない私にはこういう時間は苦痛でした。
法座やカウンセリングの場が、いかにゆっくりと落ち着いた時間の流れであるかを再確認し、感謝の気持ちがありますね。
とにかく進行スタッフや教授の話が早口で落ち着かない。
まぁ、講義ですからしかたないんでしょうが、言葉を浴びせかけられる感じ。
聞き方・伝え方で大事にすることの逆を行っている気がします。
まぁ、こちらは聴きに行く立場なんで、こちらががんばるしかないんでしょうけど。