コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

カウンセリング研修会-ミニカウンセリング

2005-10-03 23:45:16 | ミニカウンセリング
今参加している研修会は、9月27日から10週、毎週火曜日にある「秋季ミニカウンセリング」です。春の部に初めて参加したのに続いてのミニカウンセリング。流れとしては、「逐語録を聞く」「全員で検討」「先生の解説指導」「ペアを組んでのミニカウンセリング」「分かち合い」という感じでしょうか。

最初に聞く「逐語録」は事前に二人がペアを組んでカウンセラー役とクライアント役をきめて15分間録音をします。その後役割を交代して録音。それをそれぞれが持ち帰って、テキスト化して研修会当日に皆で聞きながらクライアントの心の変化を捉えたり、カウンセラーの応対・態度に気付いたことなどを出し合って検討します。

今回の研修会では世話役さんから事前に連絡があり、1回目と2回目の担当をすることとなりました。 Tさんとペアを組んで、9月22日の夕方に録音。相談して1回目の発表(カウンセラーが逐語録をテキスト化)をTさん、2回目が私となりました。今はその2回目の発表のための逐語録をまとめています(発表は明日です) 録音当日、春の研修会から日が経っているので、久々のカウンセリング実践ということでかなり緊張していました。これはTさんも同じだったようですが、お互い一呼吸してから録音をはじめ、徐々に緊張も取れ温まってきた気がします。

私がクライアント役で話をしたとき、始めに話し出した話題がどうも深まらない感じがしていました。そのとき気になっていたことを話してはいたのですが、どうも状況の説明のようになってしまう。一息ついたときに、Tさんが聞いてくれている安心感からか、今まで話していた出来事に対する自分の気持ちがふっと湧きあがってきました。それを話し出すと、どんどん言いたいことが出てくる。最初に話しようと頭で考えていたものは、嘘ではないのですが何かよそ行きの感じで、自分の意思から離れた所から出てくることは、紛れもなく私の奥底に眠っていた気持ちのようです。もとろん、それを呼び起こすためには最初の状況の話が必要だったのですが。

これが、私がカウンセリングを通して感じている大きな気付きの一つです。聞いてもらうことで、自分でも気付かない、あるいは隠していた私自身が現れてくる。それを、驚きつつも、受け入れていける自分がいる。 この”受け入れる”安心感というのは、仏法に出会って気付かされる私の中のどろどろしたものを「それこそが私自身だ」と受け入れるところに通じている気がします。