松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

和井内貞行伝説をこえて・・・青森県十和田湖

2014年10月17日 17時40分30秒 | 日記

和井内貞行夫妻が十和田湖でヒメマスの増養殖に成功し、十和田湖観光を開発して以来、十和田湖周辺は観光客でにぎわった。盛期には数百万人のひとがおとずれ、ホテルや飲食店・土産物屋が軒をつらねた。しかし観光客が半減してしまったため、ホテルや遊覧船の廃業や倒産があいつぎ、廃屋が増えている。地元でも手をこまねいているわけではなく、雪と氷の光景を売り物にして通年営業をめざしたり、行政にたよってあらたな観光拠点をつくったりして努力してはいるものの、客足はもどっていないという。

和井内夫妻二柱の神を祀る和井内神社は十和田湖畔にある。正確な地名は「小坂町十和田湖大川岱」である。神社は明治40年に地元・大川岱のひとたちによって社殿が創られて以来、ずっとまもられてきた。ご祭神をみせてもらえないかと地元関係者にきいたところ、意外なこたえがかえってきた。

「社殿のいたみがはげしくて危険なため、なかはお見せできない。修理するにも、いまは大川岱は人口がへってしまって。和井内さんの子孫が住んでいるかぎり放っておくわけにはいかないのだが、なにせ・・・」

ううむとうなってしまった。たしかに十和田湖周辺から人足が遠のいて地域産業が衰退すれば、人口がへり、寺社を支えることはできなくなってしまうのは無理はない。しかし死後百年近くたってもなお鹿角ばかりか秋田県のひとびとの心のどこかにまだわずかではあっても生きている和井内貞行夫妻をさらにこれからも語りついでいくことはできないだろうか。

大川岱集落の人びとが和井内夫妻を神に祀ったのは、困ったときに何の見返りも要求せずに助けてくれたことと、あらたな地域産業を興してくれたことへの感謝の気持ちがあったからだろう。和井内夫妻が神だったから祀ったのではない。ありがたい人物だから永く記憶しておきたいと思ったため、「神社」という形式を借りたにすぎない。時代状況が異なれば、仏教の形式を使ったかもしれない。大事なのはそうした民衆の精神に注目することである。

和井内神社を創った大川岱集落の「物語」は貞行を主人公にするもののようにとらえられてきたが、私がこれまでみてきたかぎりでは、じつはそうではなく、カツ子に重心がある。事実、「勝漁神社」はカツ子のために創られたものであり、貞行の叙位叙勲は神社創建のあとのことだった。私はこれまでの見方を修正したい。カツ子の人生にスポットをあてて、もういちど和井内「貞行」伝説を考え直してみたら、あらたな物語が生みだせるのではないだろうか。それは、人にとって地域とは何かという根本的な問いと深くかかわり、十和田湖畔や鹿角地域を再生する動きにつながっていくにちがいない。

 

 


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