昨年から1か月以上力が入らない状態がつづいている。30年以上私淑してきたMさんがガンで亡くなったのだ。
どう表現すればよいのかわからないが、両親を亡くしたときの感情に似ている。もう頼りにする人がいなくなってしまった。
よい家をさがして各地を歩くとき、つねに頭にあったのはMさんのことだった。集落の歴史や伝統・習俗、地元のひとびとの精神などを考えるとき、Mさんならばどう取り組みどう読み解くかと自問していた。地域の伝統をふまえた新しい古典住宅をつくることができればいいと内心かたく思っていた。「よくやったじゃないか」、一度でいいからそう言ってほしかった。
しかしどこかの時点で気持ちを切り替えて、多忙な現実にもどらなければいけない。四十九日が近づくにつれ、そうした思いが強まっている。
人事は尽くしても尽くしてもきりがない、人事の尽きたところが天命なのだ。言葉が人に属すのではなく、人が言葉に属すものだ。そうだとすれば、正しいと信じたらその仕事に打ち込むことだ。人間だからいつか命が尽きるし、いつかはわからない。人は亡くなるまでにやり遂げた仕事に属す。それで十分ではないか。
Mさんにそんなことを言われそうな気がしている。