松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

富山市岩瀬・・・・・北前船の時代にもどる

2015年02月06日 10時41分31秒 | 日記

富山市岩瀬は江戸時代後期から明治のころまで北前船の寄港地だった。北海道のニシンや昆布などを満載した船が南下し、京都や大阪・瀬戸内の特産品を積んだ船が北上する途中に、ここ岩瀬に立ち寄った。物資の補給や地元の荷物の積み込みなどは廻船問屋が請け負った。

また岩瀬は加賀藩の領地であり、米や木材を江戸や大坂に積みだす港でもあった。船が到着するたびに歓声があがり、料飲食・風俗・旅館などはにぎわった。しかし一攫千金をねらう者はそうした船員相手の商売ではなく、北前船のオーナーになろうとした。リスクはあるが、当たれば莫大な利益がとれたからだ。1航海が無事に終わると現在の価値で数億円の利益が船主のふところに入ったともいわれる。廻船問屋みずからが船主になることもあった。

岩瀬の中心には旧北国街道がとおっており、その港側には、廻船問屋が軒をつらねた。間口は7間程度だが、奥が深い。ずっと奥は船着き場につながっていた。一番の長者は馬場家、次が森家だったらしい。どちらも北前船のオーナーでもあった。

森家住宅に入った。見上げると小屋組みが美しい。飛騨高山の吉島家住宅には劣るが、能登・黒島や佐渡・宿根木などの北前船主の住宅よりは立派である。森家の特徴は小豆島から運んだ御影石を土間に敷き詰めていることと、桜の浮かび上がるような模様をいかした天井、それに柱のないガラス戸だ。遊び心が効いている。

森家の裏に向かうと土蔵があった。扉には見事な鏝絵が描いてある。職人の心意気だ。通り抜けると海に接している。もちろん今では北前船は見られないが、かわりに重油を運んできたタンカーがゆっくりと弧を描きながら接岸するところだった。数百トンの重油を積んで、喫水線ぎりぎりの状態だ。

海岸に沿ってすこし歩くと、渋い暖簾がかかっていた。「野村商店」とある。「棒鱈煮つけ」の文字に心が躍った。のれんをくぐると、ニシンの昆布巻きもある。北前船が運んだ北海道のニシンや棒タラ、昆布などを加工し食べた百年二百年前にもどったようだ。歴史感覚とはこのようなものかと頭がくらくらした。


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