結婚して今は千葉に住んでいるらしいその女性は、増田の外れに一人住まいの母親が心配になってひさしぶりに帰省したのだという。増田が景観整備をして昔の町並みを取り戻しつつあることを知らなかったようだ。説明してあげると「うれしいです」と笑った。
佐藤又六家に着いたのは約束の11時をすぎていた。「マタロク カメラ」との看板がかかっていたから、昔は写真館だったのだろう。佐藤さんは70代の笑顔をたやさない物腰のやわらかい人だ。奥様もまた笑顔のきれいなきびきびした人だ。若いころはさぞかしきれいな人だったろうと内心おもった。
「よい日本の家とは何か」をさがして、これまで日本の各地を歩いてきた。家をみることが目的なのだが、やはり人もみる。もちろん好みというものはあくまでも個人的なものにすぎない。そのことは重々承知の上でいえば、日本の美人の宝庫は青森の津軽から秋田にかけてではないだろうか。数年前に弘前を中心に何度か歩いたとき、何度もふりかえった。なによりもある美しい人をみて心がざわついた。
「秋田美人」。私が「秋田美人」のイメージをつくったのは木村伊兵衛の撮った一枚のポスターによってだった。右すこし前を向いた若い女性がいる。農作業用の着物をきちっと着て、菅笠のあごひもはきりりと締めている。凛とした意志のつよさを感じさせる美しい姿だ。モデルになった柴田洋子さんは増田近くの大曲角間川に住んでいて、木村伊兵衛の眼にとまった。撮影した昭和28年の当時、柴田さんはまだ高校生だった。プロのモデルになるようすすめられたが固辞し、結婚して渡米、77歳で亡くなったという。いまこの一文を書くにあたって、柴田さんのことを調べてみて、え、そんなに昔の写真だったのかと驚いている。私はずっと以前から秋田女性をみるとき、心のすみのどこかで木村伊兵衛の撮った柴田さんと比較してきたからだ。それほどあの写真は色あせていない。いや美は永遠の力を持つというだろうか。
佐藤又六夫妻の話を聞きながら、そんなことを考えていた。