松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

和井内神社に立ちすくむ・・・十和田湖畔・大川岱集落

2014年10月25日 16時09分08秒 | 日記

和井内貞行は偉人だと子供のころからずっと思ってきた。しかし、どうもすこしちがう、貞行よりも妻のカツ子のほうが地元では尊敬されていたのではないかとここ数か月間考えるようになった。その根拠は和井内神社だった。カツ子の逝去まもなく神社が建てられたときの呼称は「勝漁神社」。すなわちカツ子の「勝」と十和田湖の「漁」からとったものだったからだ。

はたして私の考えは正しいのか。しらべるために十和田湖畔・大川岱の「和井内神社」に行ってみた。和井内神社は道路の脇にある。小さな鳥居をくぐると、杉木立になっている。十和田湖はもう初冬だ。赤や黄色の落ち葉をさくさくと踏んでいくと、左手に神社の縁起が墨書してある。読むと、地元民はカツ子によって救われ、敬慕の念を篤くしたときちんと書いてった。カツ子の没後しばらくして貞行が亡くなると合祀した、とも。明らかに神社の主祭神はカツ子である。叙位叙勲の名誉にあずかった貞行も、この神社に関するかぎり、脇役にすぎない。ここ数か月間の考えは正しかったのだが、あまりにもあっさりと判明してしまって、拍子抜けしてしまった。

社殿の周囲をまわってみた。小社とはいえ、本殿拝殿をもった木造の立派な社殿である。おそらくなかは外観よりも荒れているだろう、補修には相当の費用がかかるにちがいない。とはいえ、地元の女性にきいたところでは「大川岱集落では人が減って空き家が増えた。いまや中学生は駐在さんの息子ただ一人、小坂の街なかの学校へタクシーで往復通学している。若い人は一度出ていくともう戻ってこないから、年寄りばかりになる」。地元にはとても神社を支える経済的余裕などない。「限界集落だからね」と女性はつぶやいた。和井内貞行夫妻が漁業と観光との先鞭をつけ、一時期はにぎわった十和田湖畔・大川岱。しかし現実は甘くない。再興をめざすのは困難だろう。だれもいない和井内神社の境内に立つていると、冷たい風が音を立てて吹いた。


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