美しい町並みは小木にはなかった。いささか気落ちして、車で数分の宿根木に向かった。
高台に開かれた田畑を両脇にみながら走ると、右側に大きな建物がある。「小木民俗博物館」。ここに展示されている北前船にあいたかったのだ。
ずんぐりした大きな船だ。「白山丸」という。帆柱は折りたたんであったが、太く長い一本柱だ。船底には厚い床板が張ってあり、バランスをとるために瀬戸内産の御影石がおいてある。これが日本の各地に富と文化をもたらした北前船か、はじめて観た。
船は安政5年(1858)に宿根木で建造された「幸栄丸」の図面を忠実に再現したものだ。全長24m、最大幅7mの512石積、帆は何と155畳だという。この大きさでも、北前船としては中型だったというからおどろく。
木造建築に関心があるからかもしれないが、私がとっさに感じたのは日本の船大工だった。無名のかれらの遺した立派な仕事のことだった。
高台に開かれた田畑を両脇にみながら走ると、右側に大きな建物がある。「小木民俗博物館」。ここに展示されている北前船にあいたかったのだ。
ずんぐりした大きな船だ。「白山丸」という。帆柱は折りたたんであったが、太く長い一本柱だ。船底には厚い床板が張ってあり、バランスをとるために瀬戸内産の御影石がおいてある。これが日本の各地に富と文化をもたらした北前船か、はじめて観た。
船は安政5年(1858)に宿根木で建造された「幸栄丸」の図面を忠実に再現したものだ。全長24m、最大幅7mの512石積、帆は何と155畳だという。この大きさでも、北前船としては中型だったというからおどろく。
木造建築に関心があるからかもしれないが、私がとっさに感じたのは日本の船大工だった。無名のかれらの遺した立派な仕事のことだった。
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