「お客様はわがまま。好き勝手に要求してもらっていい。我々の会社はそのとおりに家をつくるだけ」。
そう、某中堅ビルダーの社長は言った。
地元工務店は数区画の土地を分譲した。南欧風の住宅がある。隣はログハウスだ。もうひとつは和風だ。色もまちまちだ。「何で」と聞くと、お客様の要望だからと社長は答えた。
それで「よい家」ができるのだろうか。どこかで違和感をおぼえる。
ある政治思想史家は「私と公」の関係についてこう述べている。
「個人の尊厳」を唯一の理念にした欠陥は、そのことを重んずるあまり、私の価値、私の権利、私の利益というものを独走させてしまった・・・・・・・・「私がよければよい」という精神の問題がある・・・・・・・・「私」と一対であるべき「公」の位置づけがありません
そうだ、これではないか。
家は個人の所有だから、好き勝手に作ってもよいということはならない。無国籍の、のっぺらぼうの家ばかり並んでよいのだろうか。周囲の町並み全体との調和をはかりながら、つくらなければならない。
そして、周囲との調和をはかることは、個々の家をつぶすことにはならない。私が観てきた美しい伝統的住宅は、全体との修景を加えられていたが、まったく同じ家はなかった。かえって、ひとつひとつが強烈に自己主張していた。
そう、某中堅ビルダーの社長は言った。
地元工務店は数区画の土地を分譲した。南欧風の住宅がある。隣はログハウスだ。もうひとつは和風だ。色もまちまちだ。「何で」と聞くと、お客様の要望だからと社長は答えた。
それで「よい家」ができるのだろうか。どこかで違和感をおぼえる。
ある政治思想史家は「私と公」の関係についてこう述べている。
「個人の尊厳」を唯一の理念にした欠陥は、そのことを重んずるあまり、私の価値、私の権利、私の利益というものを独走させてしまった・・・・・・・・「私がよければよい」という精神の問題がある・・・・・・・・「私」と一対であるべき「公」の位置づけがありません
そうだ、これではないか。
家は個人の所有だから、好き勝手に作ってもよいということはならない。無国籍の、のっぺらぼうの家ばかり並んでよいのだろうか。周囲の町並み全体との調和をはかりながら、つくらなければならない。
そして、周囲との調和をはかることは、個々の家をつぶすことにはならない。私が観てきた美しい伝統的住宅は、全体との修景を加えられていたが、まったく同じ家はなかった。かえって、ひとつひとつが強烈に自己主張していた。