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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

12/12(木))N響Bプロ定期/デュトワ+ゴーティエ・カプソン/デュティユーのチェロ協奏曲

2013年12月14日 02時25分59秒 | クラシックコンサート
NHK交響楽団 第1771回定期公演 Bプログラム《2日目》

2013年12月12日(木)19:00~ サントリーホール B席 2階 LA4列 18番 4,666円(定期会員券)
指 揮: シャルル・デュトワ
チェロ: ゴーティエ・カプソン*
管弦楽: NHK交響楽団
【曲目】
ラヴェル: 組曲「クープランの墓」
デュティユー: チェロ協奏曲「遙かなる遠い世界」*
《アンコール》
 プロコフィエフ:「子どもの音楽」から行進曲*
ベートーヴェン: 交響曲 第7番 イ長調 作品92

 先月に引き続いて、NHK交響楽団の定期公演Bプログラムを聴く。今月のマエストロは名誉音楽監督のシャルル・デュトワさん。今年2013年8月のザルツブルク音楽祭に、N響と共に参加、成功を収めた。日本のオーケストラとして初めてのことである。だから両者の関係は極めて良好であり、素晴らしい演奏が期待できるはずだ。今月はABCプログラムのすべてをデュトワさんが受け持ち、Aプロでは、ストラヴィンスキー、リスト、ショスタコーヴィチ、Cプロでは、プーランクとベルリオーズというように、多彩なプログラムを展開する。日程の関係でBプロが最後になり今日が2日目なので最終日にる。プログラムは上記の通りだが、デュティユーのチェロ協奏曲「遙かなる遠い世界」はフランスの現代もの、しかもソリストもフランス生まれのゴーティエ・カプソンさんということで、願ってもない組み合わせ。これは楽しみである。

 オーケストラの配置は、デュトワさんの好む第1ヴァイオリンの対向にチェロを置くというもの。弦楽が指揮者を半円形に取り巻いて、時計回りに段々音が低くなっていく配置だ。その弦楽5部は、1曲目の「クープランの墓」では12型、デュティユーとベートーヴェンはーでは14型になっていた。編成が一番大きかったのはデュティユーのチェロ協奏曲で、ピッコロ、バスクラリネット、コントラファゴット等に加えて、マリンバ、シロフォン、チェレスタ、さらに多彩な打楽器群が加わり、とても協奏曲とは思えないような大編成のオーケストラがステージいっぱいな展開していた。

 さて1曲目はラヴェルの組曲「クープランの墓」。元はピアノのための6曲の組曲だが、それらのうちから4曲が作曲者自身の手により、オーケストラ版に編曲された。小規模な2管編成に合わせて弦楽5部は12型。モーツァルトの時代のような管弦楽編成でも、そこから生まれる音の豊かな色彩感は、やはりラヴェルである。この曲はとくにオーボエが中心となって主題を回していき、絡み合うフルートやクラリネットが、鮮やかな色彩感を描き出していく。
 第1曲の「前奏曲」は冒頭から茂木大輔さんのオーボエと木管群のやり取りが、殊の外軽妙で美しい。終始抑え気味で透明のアンサンブルを聴かせる弦楽も見事である。第2曲の「フォルラーヌ」では、フルートを中心とした木管群と弦楽の駆け引きが、伸びやかで軽快なリズム感に乗って、優しい色彩感で表現されているようだった。ちょっと濃いめの水彩画といったイメージである。第3曲の「メヌエット」でもオーボエが活躍する。ほのぼのとした暖色系の音色が美しい。管楽器の色彩感に対して、弦楽の透明感が見事な対比となっていて、絵の具と真っ白な画用紙の関係といったところか。第4曲の「リゴードン」はデュトワさんの力みのない指揮ぶりで、N響から穏やかで優しく、明るい音色を引き出している。軽快な舞曲らしい、洒脱な演奏であった。

 2曲目はデュティユーのチェロ協奏曲「遙かなる遠い世界」。前述のように、打楽器系を増強した大編成のオーケストラと、チェロの独奏による。デュティユーの曲をナマで聴くのも久しぶりで、この前に聴いたのは3年前の2010年7月、読売日本交響楽団の定期演奏会で「5つの変遷(Cinq métaboles)」という曲である。指揮はシルヴァン・カンブルランさん。やはりフランス人でないと、この手の作曲家の作品はなかなか採り上げにくいものがあろう。その時はデュティユーはまだ存命中であったが、今日の演奏会を前にして、今年の5月22日に亡くなられた。
 デュティユーの作品といっても沢山あるだろうが、知っている範囲でいうなら、現代音楽ではあるが前衛的なものではなく、明晰な論理性が作り出す響きの美しさが印象に残る。フランスの音楽らしく色彩感が豊かで、不協和音でさえ美しく響かせるのである。
 チェロ協奏曲「遙かなる遠い世界」の標題は、ボードレールの詩集『悪の華』の中の「髪」という作品から採られているそうで、プログラム・ノートには「デュティユーは、恋人の豊かな髪に広大な世界を見出すというモチーフに惹かれたという」と書かれていたが、何のことやら・・・。作曲者の世界観は、実際のところはよく分からない。チェロ協奏曲という形式を採っているが各楽章にも標題が付いているところなどは、モチーフをある程度言葉で説明しないと音楽だけでは伝わりにくいからだろうか。第1楽章は「謎」、第2楽章は「まなざし」、第3楽章は「うねり」、第4楽章は「鏡」、第5楽章は「賛歌」となっている。
 この曲は1970年にムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんの独奏で初演されている。つまりロストロポーヴィチさんの演奏を前提にして書かれたらしく、高度に技巧的であることは言うまでもない。様々な演奏技法が盛り込まれている。
 チェロ独奏はゴーティエ・カブロンさん。ヴァイオリニストのルノー・カプソンさんの弟で、まさにフランスの貴公子といった風情。実にカッコイイ青年である。そしてそのチェロの音色も、明るく伸びやか。ギラギラしたところがなく、知的で都会的な雰囲気だ。洒落ている、という言葉がピッタリ。演奏の方は、超絶技巧をさりげなく弾き通し、全体的にはロマンティックな豊かな表情を持っている。重音が多用され、長調にも短調にも聞こえるような曖昧な調性の中でも、旋律線がはっきりしているので、チェロをけっこう歌わせていた。打楽器群との協奏的な部分では、リズム感の良さも発揮し、駆け引きが巧みな感じがする。だが、躍動的といってもある種の抑制が効いていて、クールな印象でもあった。不思議な曲想の曲に対して、論理的にも明瞭な演奏で対処したといった感じで、素晴らしい演奏であったと思う。
 鳴り止まない拍手に応じたカプソンさんのアンコールは、プロコフィエフの「子どもの音楽」から「行進曲」。もちろん、コチラの方が分かりやすいし、楽しげで、茶目っ気たっぷりの演奏であった。

 後半は、一変してベートーヴェンの交響曲第7番。「リズムの権化」。この選曲にも虚を突かれた感じがする。前半の2曲がフランスの近代・現代のもので、N響からフランス音楽に相応しい音色を引き出していたデュトワさんが、元々は伝統的にドイツ系の強いN響でベートーヴェン、しかも第7番に対して、どのようにアタマを切り替えていくのか、あるいはいかないのか。何とも予測がつかない。さてさて・・・・。
 今日のデュトワさんが仕掛けた技は、全楽章をアタッカで演奏、しかもすべてのリピートを省略しないで演奏する、というものだ。全楽章をアタッカで演奏するというのは、もちろんスコアには指示はないのでデュトワさんの意志であるわけだが、はたしてその真意がどこにあるのか、今ひとつよく分からなかった。第1楽章、第3楽章、第4楽章にある提示部のリピート(第3楽章は最初のスケルツォ部分)は、演奏会によっては省略されることもある。とくにこの曲は全楽章を通じて執拗に同じようなリズムの音形が続くため、すべてのリピートを忠実に行うと、やや「しつこい」感じがしてしまう。その辺りはどうなるのだろうか・・・・。
 結局、デュトワさんの演奏は、終始早めのテンポを維持し、推進力を貫いて、全楽章を駆け抜けた。楽章間のアタッカ演奏については、そうすることによって緊張感を持続させるという効果と、各楽章の調性の違いがはっきりと認識できるという効果があった。とくに第1楽章がイ長調で終わり、間を置かずに第2楽章のイ短調の和音で始まると、その「明→暗」という非連続性がとても新鮮に感じられ、う~ん、ナルホド、といったところである。
 リピートについては確かにくどくなることは否めないけれども、今日のデュトワさんの演奏は、縦のラインのハッキリとした緻密なアンサンブルを聴かせながらもN響を存分に鳴らし、スピード感のあるダイナミックな演奏でもあった。とくに圧倒的だったのは第4楽章で、前半のフランス音楽では終始抑制気味だったエネルギーをすべて解放して、熱狂的ともいえる怒濤のような演奏。まるでお祭り騒ぎのようであった。終わり良ければすべて良し、という訳ではないが、とにかく終わりは良かったので、後味はスッキリしたようである。今月のAプロとCプロを聴き終えていた友人によると、両プロともその出来はあまり芳しくなかったらしい。せめて最終日の最終楽章くらいは爆発的な演奏をしてくれたので、溜飲を下げたことであろう。

 私にとっては、N響というのは一番よく分からないオーケストラである。もちろん、日本一の(あるいは世界でも有数の)演奏技術を持つオーケストラであることは間違いなく、誰しもが認めるところであろう。だからこそチケットの値段も他の在京オーケストラよりは高いし、Bプロの定期会員になるためにもかなりの根気のいる手続きを踏まなくてはならない。Bプロは単券も手に入れにくいくらいの人気だ。実際に聴いてみれば、やはり日本一といわれるだけの巧い演奏をするし、文句の付けようもない。コンサートに出かけ、演奏の最中はいつも「N響はやっぱり巧いなァ」と感じるのに、聴き終えた後に、何かが足らなかったような気がして、不完全燃焼の印象が残ってしまうのだ。帰り道は「やっぱりいつものN響か・・・・」とつぶやくことになってしまう。いったいその理由は何なのだろう。

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