読売日本交響楽団 第16回読響メトロポリタン・シリーズ
2015年5月29日(金)19:00~ 東京芸術劇場コンサートホール S席 1階 A列 16番 4,312円(年間会員券)
指 揮: ユーリ・テミルカーノフ
ピアノ: 河村尚子*
管弦楽: 読売日本交響楽団
コンサートマスター: 日下紗矢子
【曲目】
リムスキー=コルサコフ: 交響組曲「シェエラザード」
ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調*
《アンコール》
スクリャービン: 左手のための2つの小品 作品9 より 第2番 夜想曲 変ニ長調*
ラヴェル: バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
《アンコール》
チャイコフスキー: バレエ音楽「くるみ割り人形」より「パ・ド・ドゥ」
いろいろと忙しかったために、この5月はオーケストラの定期シリーズをほとんどキャンセルしてしまった。しかしこれだけは外せないと思って楽しみにしていたのが、今日の「読響メトロポリタン・シリーズ」。今春から3年目のシーズンを迎えたこのシリーズは、人気・実力を兼ね備えた若手のソリストをゲストに迎えての協奏曲のプログラムが充実していて、かなり聴き応えがありそうだ。通算第16回となる今日の公演も、ピアノの河村尚子さんを招いて、指揮はロシアが生んだ世界の巨匠ユーリ・テミルカーノフさんの登場である。
プログラムは、テミルカーノフさんお得意のロシアものでカッチリ組んで来るかと思いきや、半分はフランスものである。構成はひっくり返したような曲順になっていて、前半がリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。後半がラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」と「ダフニスとクロエ」第2組曲という曲順だ。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランさんがいるのに、敢えてラヴェルとは挑戦的だ。もっとも次々回の9月公演では、そのカンブルランさんが登場してムソルグスキーとラフマニノフというロシア・プログラムでリベンジ(?)することになっているのも面白い。
テミルカーノフさんは、2000年以来、読響には6回目の客演で、もうすっかりお馴染みだ。やはり「超」がいっぱい付くくらいの大物指揮者であり、誰もが認める世界の巨匠のひとりであろう。地に足の付いたどっしりとした構えの音楽はロシアそのものの風格であり、押し寄せるような迫力と抒情性豊かなロマンティシズムの融合は、馬力のある読響との相性は良いと思う。だからロシアものに関してはご本家だからテミルカーノフさんの音楽に文句をつける人はいないだろう。ただしフランスものは・・・・?? 興味は尽きない。
さて前半はリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。あたかも協奏曲のようなヴァイオリンの悩ましいソロがある。そしてコンサートマスターは日下紗矢子さん。やはりシェエラザードのソロは女性の方が雰囲気が出ると思う。昨年2014年2月の「読響サントリーホール名曲シリーズ」の時、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」で「英雄の伴侶」として登場するヴァイオリンのソロがやはり日下さんが弾いてとても素晴らしかったのを鮮明に覚えている。だから今日も期待大なのである。
重低音が豪壮に鳴り響いて第1楽章「海とシンドバッドの船」が始まる。ゆったりとしたテンポで濃厚なロマンティシズムが歌われていく。シェエラザードの主題となるヴァイオリンのソロが、日下さんによって艶めかしくねっとりと歌われていくと、そこはもう「千夜一夜物語」の雰囲気にたっぷりと満たされている。真実がうねるような海のイメージは、大きく雄大に描き出され、情景が目に浮かぶようなドラマティックな表現で、テミルカーノフさんの音楽は実に活き活きとしている。読響の演奏もスケールが大きく、豪快だ。
第2楽章「カランダール王子の物語」では、まずソロ・ヴァイオリンのカデンツァが素晴らしい。完全に協奏曲レベルの独立性を主張していて、日下さんの存在感が際立ってくる。ファゴットの主題に続いて、様々な楽想が現れるが、木管も金管もそれぞれのパートが豊かな色彩感を生み出していて、全体の印象もイスラム文化の爛熟した煌びやかな世界観を見事に描き出しているようであった。
第3楽章「若い王子と王女」は有名な抒情的な主題が美しい弦楽のアンサンブルによって、情感もたっぷりに描かれて行く。豪壮さと鮮やかに対比する甘美なロマンティシズムはロシア音楽ならではのものだ。感傷的な主題とはいえ弦楽のアンサンブルは分厚く野太い。その辺りの表現手法がさすがテミルカーノフさんという感じで、読響があたかもロシアのオーケストラのように鳴るようになる。中程から現れるソロ・ヴァイオリンがねっとりと歌いながらも豊かな音量を持ち、協奏曲にようにオーケストラと対話していく。
第4楽章「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士である岩で難破」では、ソロ・ヴァイオリンのカデンツァが重音奏法で強いインパクトのあるところを聴かる。日下さんのヴァイオリンは強目に押し出しても女性的なエレガントさをなくさないところが良い。船の難破のシーンは、怒濤渦巻く荒れた海のイメージが、ダイナミックレンジの広い、爆発的なパワーを持つ読響の本領発揮といった感じで、実にダイナミックで劇的だ。最強奏のエネルギーと押し寄せる音圧という点では、読響は日本一だろう。これを最前列で聴くと、本当に身体がビリビリと振動するくらいに、スゴイ。嵐が去った後の最後は、ヴァイオリンのソロによって沈静化するが、日下さんの最後まで色っぽい演奏が印象に残った。
この「シェエラザード」はかなりの名演だといって良いだろう。テミルカーノフさんも本領を発揮し、豪快な荒々しさと甘美なロマンティシズムを見事に描き分け、ロシア音楽の持つ魅力をこれでもかとばかりに読響から引き出していた。やはりこのクラスの指揮者となると、オーケストラの反応が違ってくるのだろう。文句なしのBravo!!である。
後半はステージ正面にピアノを引き出してきて、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」である。河村尚子さんの協奏曲を聴くのは、やはり読響との共演で昨年2014年10月のモーツァルトの「ピアノ協奏曲第12番」以来だが、協奏曲はラヴェル、しかも「左手」。比較的珍しい方に入るだろう。単一楽章だし20分にも満たないから、コンサートの演目としてはちょっと取り扱いが難しい曲なのだろう。
今日もソリストの目の前で聴いているので、ピアノの音はどうしても大きめに聞こえてしまうが、それでも河村さんの演奏も片手で弾いている分だけ力が入っているようであった。これは力んでいるという意味ではなく、両手で弾くのと変わらないくらいに音量を出していたという意味である。何しろオーケストラ・パートが3管編成で打楽器の種類も多いフル編成だから、なよなよ弾いていたらピアノはオーケストラに食われてしまう。「ピアノ協奏曲 ト長調」のように小編成のオーケストラの時のキラキラ系のピアノとはだいぶ様相が違うわけである。
河村さんは、強めの打鍵で、弱音時にもクッキリと明瞭な音を出し、それらを積み重ねてラヴェル特有のキラキラした目映さを表現していた。煌めくような分散和音も強めに弾いてはいるのに荒っぽくはならない。むしろ輝きが増すような力感のある演奏である。重低音の和音などはさすがにかなり叩いている感じで、目の前で聴いている以上は音圧エネルギーに押されて音としては美しくはない。しかし中音域以上でのスッキリと明瞭で鮮やかな弾きっぷりは片手であっても変わるところはない。力が入っているように感じられたという点では、今日の演奏では全体に繊細なイメージはなく、大編成のオーケストラとともに、エネルギーに満ちた豪快な演奏だったといえそうだ。テミルカーノフさんもオーケストラを遠慮なく鳴らしていたようである。
河村さんのソロ・アンコールは、密かに期待していた通り、スクリャービンの「左手のための小品~夜想曲」であった。今日は右手は絶対に使わないぞ、ということである。この曲がまた涙がこぼれそうになるくらいに美しく感傷的な曲。完全なソロになれば、河村さんも強く弾く必要がない。それでもいつもの左手よりは強めだったかもしれないが、河村さんらしい明瞭で濁りがなく、豊かな抒情性に満ちた演奏であった。会場全体がうっとりと聴き惚れていた。Brava!!
ピアノを片づけて、最後はラヴェの「ダフニスとクロエ」第2組曲である。さあ、テミルカーノフさんのラヴェルはどうだったのか。結論から言ってしまうと、これがまた濃厚でじっくりと練り上げたような色彩感を持つ演奏で、個人的には素晴らしい演奏だと思った。フランス風の印象主義よりは、絵の具が濃い感じである。弦楽の分厚いアンサンブルも、オーボエやクラリネットの色彩も、ねっとりと濃厚だ。全体に音量も大きく、弱音時も豊かな色彩が出るような楽器を十分に鳴らせている。ダイナミックレンジが狭まらないように、全合奏時は爆発的な音量を押し出している。だが全体的なバランスは良く、楽器がよく鳴っている分だけ濃厚な色彩感が出ているのである。フランス風というよりはやはりロシア風ということなのだろうが、読響の演奏が実に活き活きとした色彩を発揮していて、とても良いのである。最近の読響は、カンブルランさんが指揮する時でも当初のようにフランス風の鮮やかな色彩感が出なくなっていたように感じていた。むしろ今日のテミルカーノフさんの方が、フランスものの演奏が良いかどうかは別としても、読響との相性は良いのではないか、そんな風に感じたものである。
今日はアンコールも用意されていた。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」。ハープの分散和音に乗ってお馴染みの旋律が繰り返される。この甘美なロマンティシズムは、劇的な盛り上げ方は・・・・。やはりテミルカーノフさんはスゴイ。この甘い曲で、コンサートに劇的なクライマックスをもたらし、聴くものを熱狂させてしまう力を持っている。その辺の指揮者とは、役者が違うなァ・・・・というところだ。Bravo!!
結局のところ、今日の「読響メトロポリタン・シリーズ」は、こういってはナンだが、聴いてビックリの大名演だったと思う。「シェエラザード」のエキゾチックなロマンティシズムも、鮮やかで力強いラヴェルの「左手」も、何ともいえない高品質のイメージ。国内のオーケストラの定期シリーズでこれくらいのクオリティの演奏を聴かせていただけるのなら、大枚はたいてベルリン・フィルやウィーン・フィルを聴きに行かなくても良いのでは??・・・・などと余計なことを考えてしまった。テミルカーノフさんは、もともと好きな指揮者のひとりではあるが、この方を常任指揮者にとはいわないが、せめて首席客演指揮者に迎えるかなどして、読響との演奏機会をもっと増やして欲しいと思うのは私だけではないだろう。
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2015年5月29日(金)19:00~ 東京芸術劇場コンサートホール S席 1階 A列 16番 4,312円(年間会員券)
指 揮: ユーリ・テミルカーノフ
ピアノ: 河村尚子*
管弦楽: 読売日本交響楽団
コンサートマスター: 日下紗矢子
【曲目】
リムスキー=コルサコフ: 交響組曲「シェエラザード」
ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調*
《アンコール》
スクリャービン: 左手のための2つの小品 作品9 より 第2番 夜想曲 変ニ長調*
ラヴェル: バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
《アンコール》
チャイコフスキー: バレエ音楽「くるみ割り人形」より「パ・ド・ドゥ」
いろいろと忙しかったために、この5月はオーケストラの定期シリーズをほとんどキャンセルしてしまった。しかしこれだけは外せないと思って楽しみにしていたのが、今日の「読響メトロポリタン・シリーズ」。今春から3年目のシーズンを迎えたこのシリーズは、人気・実力を兼ね備えた若手のソリストをゲストに迎えての協奏曲のプログラムが充実していて、かなり聴き応えがありそうだ。通算第16回となる今日の公演も、ピアノの河村尚子さんを招いて、指揮はロシアが生んだ世界の巨匠ユーリ・テミルカーノフさんの登場である。
プログラムは、テミルカーノフさんお得意のロシアものでカッチリ組んで来るかと思いきや、半分はフランスものである。構成はひっくり返したような曲順になっていて、前半がリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。後半がラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」と「ダフニスとクロエ」第2組曲という曲順だ。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランさんがいるのに、敢えてラヴェルとは挑戦的だ。もっとも次々回の9月公演では、そのカンブルランさんが登場してムソルグスキーとラフマニノフというロシア・プログラムでリベンジ(?)することになっているのも面白い。
テミルカーノフさんは、2000年以来、読響には6回目の客演で、もうすっかりお馴染みだ。やはり「超」がいっぱい付くくらいの大物指揮者であり、誰もが認める世界の巨匠のひとりであろう。地に足の付いたどっしりとした構えの音楽はロシアそのものの風格であり、押し寄せるような迫力と抒情性豊かなロマンティシズムの融合は、馬力のある読響との相性は良いと思う。だからロシアものに関してはご本家だからテミルカーノフさんの音楽に文句をつける人はいないだろう。ただしフランスものは・・・・?? 興味は尽きない。
さて前半はリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。あたかも協奏曲のようなヴァイオリンの悩ましいソロがある。そしてコンサートマスターは日下紗矢子さん。やはりシェエラザードのソロは女性の方が雰囲気が出ると思う。昨年2014年2月の「読響サントリーホール名曲シリーズ」の時、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」で「英雄の伴侶」として登場するヴァイオリンのソロがやはり日下さんが弾いてとても素晴らしかったのを鮮明に覚えている。だから今日も期待大なのである。
重低音が豪壮に鳴り響いて第1楽章「海とシンドバッドの船」が始まる。ゆったりとしたテンポで濃厚なロマンティシズムが歌われていく。シェエラザードの主題となるヴァイオリンのソロが、日下さんによって艶めかしくねっとりと歌われていくと、そこはもう「千夜一夜物語」の雰囲気にたっぷりと満たされている。真実がうねるような海のイメージは、大きく雄大に描き出され、情景が目に浮かぶようなドラマティックな表現で、テミルカーノフさんの音楽は実に活き活きとしている。読響の演奏もスケールが大きく、豪快だ。
第2楽章「カランダール王子の物語」では、まずソロ・ヴァイオリンのカデンツァが素晴らしい。完全に協奏曲レベルの独立性を主張していて、日下さんの存在感が際立ってくる。ファゴットの主題に続いて、様々な楽想が現れるが、木管も金管もそれぞれのパートが豊かな色彩感を生み出していて、全体の印象もイスラム文化の爛熟した煌びやかな世界観を見事に描き出しているようであった。
第3楽章「若い王子と王女」は有名な抒情的な主題が美しい弦楽のアンサンブルによって、情感もたっぷりに描かれて行く。豪壮さと鮮やかに対比する甘美なロマンティシズムはロシア音楽ならではのものだ。感傷的な主題とはいえ弦楽のアンサンブルは分厚く野太い。その辺りの表現手法がさすがテミルカーノフさんという感じで、読響があたかもロシアのオーケストラのように鳴るようになる。中程から現れるソロ・ヴァイオリンがねっとりと歌いながらも豊かな音量を持ち、協奏曲にようにオーケストラと対話していく。
第4楽章「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士である岩で難破」では、ソロ・ヴァイオリンのカデンツァが重音奏法で強いインパクトのあるところを聴かる。日下さんのヴァイオリンは強目に押し出しても女性的なエレガントさをなくさないところが良い。船の難破のシーンは、怒濤渦巻く荒れた海のイメージが、ダイナミックレンジの広い、爆発的なパワーを持つ読響の本領発揮といった感じで、実にダイナミックで劇的だ。最強奏のエネルギーと押し寄せる音圧という点では、読響は日本一だろう。これを最前列で聴くと、本当に身体がビリビリと振動するくらいに、スゴイ。嵐が去った後の最後は、ヴァイオリンのソロによって沈静化するが、日下さんの最後まで色っぽい演奏が印象に残った。
この「シェエラザード」はかなりの名演だといって良いだろう。テミルカーノフさんも本領を発揮し、豪快な荒々しさと甘美なロマンティシズムを見事に描き分け、ロシア音楽の持つ魅力をこれでもかとばかりに読響から引き出していた。やはりこのクラスの指揮者となると、オーケストラの反応が違ってくるのだろう。文句なしのBravo!!である。
後半はステージ正面にピアノを引き出してきて、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」である。河村尚子さんの協奏曲を聴くのは、やはり読響との共演で昨年2014年10月のモーツァルトの「ピアノ協奏曲第12番」以来だが、協奏曲はラヴェル、しかも「左手」。比較的珍しい方に入るだろう。単一楽章だし20分にも満たないから、コンサートの演目としてはちょっと取り扱いが難しい曲なのだろう。
今日もソリストの目の前で聴いているので、ピアノの音はどうしても大きめに聞こえてしまうが、それでも河村さんの演奏も片手で弾いている分だけ力が入っているようであった。これは力んでいるという意味ではなく、両手で弾くのと変わらないくらいに音量を出していたという意味である。何しろオーケストラ・パートが3管編成で打楽器の種類も多いフル編成だから、なよなよ弾いていたらピアノはオーケストラに食われてしまう。「ピアノ協奏曲 ト長調」のように小編成のオーケストラの時のキラキラ系のピアノとはだいぶ様相が違うわけである。
河村さんは、強めの打鍵で、弱音時にもクッキリと明瞭な音を出し、それらを積み重ねてラヴェル特有のキラキラした目映さを表現していた。煌めくような分散和音も強めに弾いてはいるのに荒っぽくはならない。むしろ輝きが増すような力感のある演奏である。重低音の和音などはさすがにかなり叩いている感じで、目の前で聴いている以上は音圧エネルギーに押されて音としては美しくはない。しかし中音域以上でのスッキリと明瞭で鮮やかな弾きっぷりは片手であっても変わるところはない。力が入っているように感じられたという点では、今日の演奏では全体に繊細なイメージはなく、大編成のオーケストラとともに、エネルギーに満ちた豪快な演奏だったといえそうだ。テミルカーノフさんもオーケストラを遠慮なく鳴らしていたようである。
河村さんのソロ・アンコールは、密かに期待していた通り、スクリャービンの「左手のための小品~夜想曲」であった。今日は右手は絶対に使わないぞ、ということである。この曲がまた涙がこぼれそうになるくらいに美しく感傷的な曲。完全なソロになれば、河村さんも強く弾く必要がない。それでもいつもの左手よりは強めだったかもしれないが、河村さんらしい明瞭で濁りがなく、豊かな抒情性に満ちた演奏であった。会場全体がうっとりと聴き惚れていた。Brava!!
ピアノを片づけて、最後はラヴェの「ダフニスとクロエ」第2組曲である。さあ、テミルカーノフさんのラヴェルはどうだったのか。結論から言ってしまうと、これがまた濃厚でじっくりと練り上げたような色彩感を持つ演奏で、個人的には素晴らしい演奏だと思った。フランス風の印象主義よりは、絵の具が濃い感じである。弦楽の分厚いアンサンブルも、オーボエやクラリネットの色彩も、ねっとりと濃厚だ。全体に音量も大きく、弱音時も豊かな色彩が出るような楽器を十分に鳴らせている。ダイナミックレンジが狭まらないように、全合奏時は爆発的な音量を押し出している。だが全体的なバランスは良く、楽器がよく鳴っている分だけ濃厚な色彩感が出ているのである。フランス風というよりはやはりロシア風ということなのだろうが、読響の演奏が実に活き活きとした色彩を発揮していて、とても良いのである。最近の読響は、カンブルランさんが指揮する時でも当初のようにフランス風の鮮やかな色彩感が出なくなっていたように感じていた。むしろ今日のテミルカーノフさんの方が、フランスものの演奏が良いかどうかは別としても、読響との相性は良いのではないか、そんな風に感じたものである。
今日はアンコールも用意されていた。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」。ハープの分散和音に乗ってお馴染みの旋律が繰り返される。この甘美なロマンティシズムは、劇的な盛り上げ方は・・・・。やはりテミルカーノフさんはスゴイ。この甘い曲で、コンサートに劇的なクライマックスをもたらし、聴くものを熱狂させてしまう力を持っている。その辺の指揮者とは、役者が違うなァ・・・・というところだ。Bravo!!
結局のところ、今日の「読響メトロポリタン・シリーズ」は、こういってはナンだが、聴いてビックリの大名演だったと思う。「シェエラザード」のエキゾチックなロマンティシズムも、鮮やかで力強いラヴェルの「左手」も、何ともいえない高品質のイメージ。国内のオーケストラの定期シリーズでこれくらいのクオリティの演奏を聴かせていただけるのなら、大枚はたいてベルリン・フィルやウィーン・フィルを聴きに行かなくても良いのでは??・・・・などと余計なことを考えてしまった。テミルカーノフさんは、もともと好きな指揮者のひとりではあるが、この方を常任指揮者にとはいわないが、せめて首席客演指揮者に迎えるかなどして、読響との演奏機会をもっと増やして欲しいと思うのは私だけではないだろう。
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