Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

クラシック音楽/コンサート会場におけるルールとマナー

2016年02月03日 23時00分00秒 | 音楽に関するエッセイ


クラシック音楽/コンサート会場におけるルールとマナー
~快適な空間で皆が音楽を楽しむために~


 長年にわたりクラシック音楽のコンサートやオペラに足を運んでいるが、毎回満足のいくような演奏に出会えるわけではない。一生忘れられなくなるような感動を覚えBravo!!と叫びたくなることもあれば、カネ返せ~と怒鳴りたくなることも・・・・たまにはある。ところが演奏の良し悪しはともかく、ホールの環境に・・・・具体的には聴衆の方々の行動に・・・・問題があり不愉快な思いをすることの方がずっと多い気がする。決して安くないお金を払って音楽を聴きに行くのだから、快適な環境の中で聴きたいものである。
 ここでは、クラシック音楽のコンサートやオペラの会場において、来場者(聴衆)が守るべきルールとマナーについて日頃思っていることをまとめてみたい。これからクラシック音楽を本格的に楽しみたいというビギナーの皆様方は参考にしていただければ幸いであるし、またマニアと呼ばれるような上級者の人たちも初心を忘れていつの間にか問題行動に陥ってしまっていることもあるので、ぜひご一読いただきたいと思う。もちろんここで私が述べることがすべて正しいなどと思っているわけではない。大部分の人たちが守っているルールとマナー、つまりクラシック音楽の世界の「常識」をまとめてみようとする試みであり、おそらくは多くの人たちの共感を得られるものと信じている。ちょっと長くなるが、お付き合いいただければ幸いである。

 どんな「業界」にも守るべきルールとマナーがある。たとえばスポーツ。野球やサッカーは鳴り物入りで応援が途切れることなく続けられるが、ゴルフのショット時やテニスのサーブ時は静粛が求められる。同じネット越しにボールを打ち合うスポーツでも、バレーボールのサーブ時は「ソーレ!」のかけ声を皆揃ってかけるが、テニスでは審判が「Quiet please」と言って観客は静粛となる。・・・・つまり「業界」によってルールもマナーも異なるということだ。音楽の世界も同様だ。ロック・コンサートやアイドルのコンサートではノリノリで歓声を上げるのが普通だが、クラシックでは静粛・不動が当たり前なのである。

 以下に掲げる諸問題の大部分は、コンサートに頻繁に通っている大部分の音楽ファンは行っていない。従って、不愉快な行動を取るのは、一部のマニアと素人衆(この言葉が適切かどうかは分からないが)ということになる・・・・。ごく単純なことだが、別にクラシック音楽のコンサートに限らずとも、人が大勢集まる場所では、周囲の人の迷惑にならないように注意して行動しなければならないのは、文明人・文化人として当たり前すぎるくらいに当然のことなのである。幼稚園で教わったことを守ろうではないか。

 一応定義づけしておくと、ここでいうルールとは「こうしなければならないこと」「こうしてはいけないこと」、マナーとは「こうする方が良いこと」「こうしない方が良いこと」ということである。


【1】演奏中は静粛に。これば根本的なルール。
 クラシック音楽のコンサートやオペラにおいては、演奏中は基本的に静粛を保つということが絶対的なルールである。音楽は音の芸術であるから、演奏以外の音は音楽を妨害するものでしかない。雑音は美術でいったら絵画にゴミが付いているようなものである。従って、演奏中に余計な音を発しない、というのがルールである。一応は、誰でも分かっていることだろう。そう信じたいのだが・・・・。

(1)咳・くしゃみなど
 演奏中の咳やくしゃみは後を絶たない。とくに弱音時の大きな咳などに不快な思いをしたことがある人は多いはず。極端な咳は音楽芸術に対する冒涜・妨害に相当する。また演奏に影響をおよぼすこともある。現にあるコンサートで指揮者が演奏を始めようと指揮棒を振り下ろす瞬間に大きな咳をした人がいて、指揮棒が止まってやり直したことがあった。突発的に出てしまう咳がないとはいえないが、ある程度は予測ができるはず。ステージの見ていれば演奏家の動きで演奏の始まるタイミングは分かる。やはりそういう大事なタイミングでの咳はほんの数秒でも我慢すべきだろう。演奏を邪魔しないように最大限の努力をすべきである。我慢できるなら我慢すべきだし、またハンカチで押さえて周囲に迷惑をかけないようになるなど、配慮があってしかるべきである。
 実際に咳をしている人はどういう人たちで、どのような気持ちでいるのだろう。先日、あるコンサートのリハーサルを聴く機会があったが、リハーサル見学会などに参加する音楽マニアの中には咳をする人はゲネプロ全曲を通してひとりもいなかった。少なくとも、私の知り合いの音楽好きの人々の中には、大きな咳をする人など一人もいない。本番で咳をしているのは音楽を理解しようとする心構えが出来ていない人なのだろうか。周囲の人たちだけでなく、演奏家にまで迷惑をかけているのだから。
 また別のコンサートでは、長い時間咳をし続けている人がいた。単にむせたりしただけではないようだった。風邪などで咳が止まらない人は、コンサートには来るべきではない。チケット代がもったいなかろうが、ダメである。騒音を撒き散らすだけでなく、ウィルスまで撒き散らすことなるからだ。私は、風邪で咳が止まらないような症状の時は、コンサートは諦めることにしている。これはルールではないがマナーである。クラシック音楽という狭い分野に留まらない、社会一般のマナーだと思う。
 ちょっと話はそれるが、あるコンサートでは最前列で眠ってしまいイビキをかいていた人がいた。イビキはステージ上の演奏家の方からもけっこう聞こえるという。その時はピアノのリサイタルだったが、ピアニストが気になるとみえて演奏中にチラチラそちらの方を見ていた。これも演奏に影響を与えかねない雑音のひとつである。

(2)プログラムをめくる音
 せっかく目の前で音楽が演奏されているのに、たった一度しかない演奏が目の前で行われているのに、プログラムを読んだり、チラシをめくったり、音楽以外の文字情報に意識を向けている人がいる。演奏に集中しないのは明らかにもったいない話だが、それはその人の勝手であったとしても、紙を触るカサカサという音は周囲の者にとってはかなりうるさく感じるものだ。結局は周囲の人に迷惑をかけていることになる。プログラムなどは開演前や休憩中に読んでおけば良いだけのこと。チラシは大切な情報源のひとつだが、演奏が終わってから読んでも内容は変わらないのだから、どうしても演奏中に読みたいのならホールから出て行って欲しいくらいだ。
 また、高齢になり聴力が低下してくると高い音、とくにカサカサ音が聞こえづらくなるらしい。そんなことも、若干は要因のひとつになっているのかもしれない。
 いずれにしても、演奏中にプログラムを読むのは演奏家に対しても失礼であり、すべきではない。これはマナー。そしてカサカサ音をたてるのは周囲に迷惑をかけるので、絶対にしてはならない。これはルールだ。「プログラムをめくる音くらいいいじゃないか」という意見の人もいるだろうが、そんな意見は尊重する必要はない。自分さえ良ければ他人への迷惑など気にならない、という自己中心的な思考形態は、街のチンピラと何ら変わるところはない。他人の立場に立って、周囲の人々の気持ちになって、自身の行動に必要な抑制をかけるということこそ、洗練された文明人、あるいは文化人の行動様式ではないだろうか。

(3)演奏中以外のおしゃべり
 曲が始まる直前までおしゃべりしているひとたちがいる。とくに自治体主催の休日の昼間のコンサートなどでしはしば遭遇する。オバさん同士が近所のウワサ話をしているというのも多いし、若い女性を連れてきたクラシック音楽にちょっと詳しい(と本人は思っている)オジさんが自慢げに解説したりしているのにも出くわす(私も経験があるので人様のことはとやかく言えないが・・・・)。まあ、音楽の話をしているのならまだ良いが、そのコンサートとは無関係の近所のウワサ話や家庭の愚痴などを、演奏家が出て来ているのに拍手しながらおしゃべりしている。しかもけっこう大きな声で。こういう人たちの頭脳構造はどうなっているのだろう。近所のウワサからベートーヴェンに一瞬で切り替わる頭脳は、大変素晴らしく機能的だと言わざるを得ない。脳科学者に分析してもらいたいくらいだ。
 私はアタマの切り替えが上手くできない方なので、開演の10分前には席に着き、沈思黙考。来るべき音楽に向けて、精神を集中させることにしている。簡単に言えば、大人しく始まるのを待っているわけだ。ある大学教授である音楽評論家の先生が語っていたことだが、クラシック音楽のような芸術に触れるということは、日常からの一時的な脱却なのだという。家族のこと、仕事のこと、楽しいこと、辛いことなど、日常に溢れている様々な出来事から精神が解放され、それらとまったく異なる芸術的な世界で、純然たる美を追求する世界で喜びを感じることなのである(現実からの逃避、という側面もある)。だからこそ聴く価値があるのだ。
 だから、演奏が始まる直前まで、関係のない日常的なおしゃべりをされていると、周囲に甚だしい不快感をバラまいていることになる。それに本人たちは気づいていない。その人たちは、晩ご飯の味噌汁の具にベートーヴェンの音符を入れられるという、素晴らしい特技を持っているとしか思えないのだ。演奏中は静かにしているのであればルール違反ではないが、マナーが良いとは決して言えないのである。
 また、曲が終わるとすぐに感想をしゃべり出す人がいる。前述の解説するオジさんにその傾向が強い。自慢げに「あそこが良かっただろう?」「ここをミスしたよね?」といった具合。自慢したくなる気持ちは分からないでもないが、隣でコレを始められると、けっこう煩わしい。こういう人たちには、余韻に浸るという考え方がないようである。多くの人は、演奏が終わって、幸せな気分を全身に行き届かせながら拍手しているのである。感動を噛みしめているのだ。やはりその間くらいは精神的に内向的である人たちの邪魔をしてほしくない。要するに鈍感だということだ。

(4)音の出るモノ
 余計な音の出るものをホール内に持ち込むことは厳禁である。これはルール。毎回必ずアナウンスがあり警告される、携帯電話やスマートフォンの電源を切ること、アラーム付き腕時計(これを使用している人はあまりいそうもないが)のセットを解除すること。これは当然のことだ。携帯・スマホの電源を切らない人は意外に多く、マナーモードにしておけば良いだろうくらいに思っているらしい。だが、電話がかかってきてしまうとバイブ機能の音もけっこう遠くまで聞こえるので、やはり電源を切るべきだろう。ホールによっては電波の遮断を行っているところもあるが、万が一のためにも電源OFFがルールである。
 また、補聴器を使用している人も要注意だ。使い方を誤ると、いわゆるハウリングを起こして電気的な音が漏れてしまい、これもけっこう聞こえてしまう。あるオーケストラのコンサートでは、ステージ中央にいる木管楽器奏者が、補聴器のハウリング音が気になって仕方がなかったと、後で語っているのを聞いたことがある。
 その他でよく気になるのが、飴の包みを剥くカサカサ音。演奏中に、咳が出た後でこれをやられると余計に腹が立つ。演奏中の飴は私も常用しているが、包みを剥くのは、演奏前か楽章間にしか行わない。これも当然のマナーだ。
 他にも、財布やバッグに鈴を付けている女性(論外!)、立てかけておいた杖を倒すカラーンという音、居眠りしてチラシの束を落とすバサーッという音など、色々ある。先日はこんなことがあった。ステージ近くの壁寄りの席でポツンとひとりで座っていたお年寄りの男性が、和菓子屋などでくれる紙製の手提げ袋を腕から下げたままで演奏を聴いていて、じっとしていられないのか、モソモソと動く度に紙袋がガサガサバリバリ・・・・。本人はまったく気にしていないのである。これにはさすがにホールのスタッフが気づいて止めに行った。お年寄りを悪く言いたくはないが、いくら何でも判断力が低下し過ぎである。本来なら介護者同伴でお願いしたいところだが、それだとチケットが2枚必要になるってしまう。何か良い方法はないものか・・・・。


【2】拍手とBravo!のタイミング
 クラシック音楽のコンサート経験の少ない人は、拍手をするタイミングがよく分からないという。モノの本には、そういう場合は周囲に合わせるように、と書かれている。実際にしてはいけないところで拍手が入り、演奏家が苦笑い・・・・などという光景も何度も目にしたことがある。ここでは、拍手についてのルールとマナーについて、ついでに「ブラボー」の掛け声についても整理しておこう。

(1)拍手の基本的なルール
 クラシック音楽のコンサートでは、拍手をして良い場面と、してはいけない場面がある。多楽章形式の曲がクラシックには多い。オーケストラでは交響曲や協奏曲、器楽曲ではソナタ、室内楽でも弦楽四重奏やピアノ三重奏などほとんどが多楽章。この「楽章」という概念はPOPSやジャズなど他分野の音楽にはないものだ。クラシック音楽をよく知らない人にとっては、例えば4楽章構成の交響曲は4つの曲にしか聞こえないだろう。逆に知る者にとっては、4つの楽章で1曲が完成する。各楽章の関係性や調性、全体の構造や形式的なルールなど、いつも本ブログでも書いているように、すべてが出揃って1曲、ひとつの作品になるのである。従って、全楽章が終わるまでは拍手はしてはならない。これが基本的、というよりは絶対的なルールである。「組曲」という形式も同様で、全曲が終わったら拍手をする。
 ただし、ガラ・コンサートや名曲コンサートなどでプログラム構成の都合上、○楽章のみ演奏されるというような場合は、そのコンサートでは1曲として捉えているので拍手しても良いことになっている。
 ピアノ・リサイタルなどでは、小品はある程度まとめて続けて演奏されることがある。例えばプログラムが、ショパンの小品が3曲、リストが3曲となっている場合などは、ショパンの3曲が終わったら拍手となる。このような場合は、演奏者の挙動を見ていれば雰囲気で分かることが多い。
 しばしば問題が起きるのが協奏曲の場合だ。そもそも協奏曲の構成は、第1楽章が最も重い協奏風ソナタ形式で書かれていることが多く、ソロ楽器の派手なパフォーマンスがふんだんに盛り込まれていて、しかも長い。第1楽章がけっこう劇的に終わる曲も多く、派手な演奏に釣られて拍手をしてしまうことが時々起こる。オーケストラの定期演奏会などではそんなことは起こらないが、自治体主催の名曲コンサートなどではよく起こる事態である。もちろんこれは間違いで、楽章間の拍手は厳禁なのだ。「素晴らしい演奏だったのだから良いではないか」と思うのは聴いている側の一方的な論理にすぎず、演奏家にとってはまだ曲の途中なので集中を途切れさせたくないし、まだ評価してもらっては困るのである。

(2)拍手の基本的なルール~オペラの場合
 オペラにおける拍手はもう少しややこしい決まり事がある。これはルールでもマナーでもない、慣習だ。幕の終わりには拍手が入る。これは誰でも分かる。幕が下りるからだ。また、1幕の中にいくつかの「場」があり、場の終わりの拍手はまさに場合によって違うので注意が必要だ。演出によっても変わるので、その時になってみないと分からないのである。
 もうひとつはオペラ独特の慣習で、アリアに対する個別の拍手というのがある。バロック時代~ロマン派中期くらいまでのオペラの多くは、序曲、独唱曲(アリア)、二重唱~多重唱曲、合唱曲などが独立した楽曲になっていて、それぞれ順番に番号が振られているので番号オペラと呼ばれている。曲と曲の間はレチタティーヴォや台詞でつながれて、物語が進行していく。イタリア・オペラははとんどが、独墺系のオペラではモーツァルト、ベートーヴェンからロマン派中期くらいまでだが、こうしたオペラではアリアや二重唱などに人気の高い名曲となっているものがあり、歌手たちもそこを見せ場、聴かせ所として、より声を張り、大見得を切って歌うのである。当然、それが素晴らしければ拍手喝采となる。これはオペラの途中でも構わないのである。ただしあくまで番号オペラのように、曲が完全に止まることが条件となる。例えば、時代は後期ロマン派になるが、プッチーニの『ラ・ボエーム』の第1幕では、ロドルフォの「冷たい手を」とミミの「私の名はミミ」は連続しているが曲は途切れるので拍手が入るが、第2幕のムゼッタの「私が街を歩くと(ムゼッタのワルツ)」は超人気アリアで一番盛り上がるところであっても演奏が止まらないので拍手はダメということになっている。ロマン派中期までのオペラは、概ねこのスタイルでいけるが、後期に入るとワーグナーやリヒャルト・シュトラウスは基本的に音楽がノンストップなので、幕の途中での拍手のポイントはない。どんなに長かろうとも、幕が終わるまでは黙って聴いているしかない。同じ時期でもプッチーニは心得ていて、アリアの後で音楽を止めるように曲を作っている。聴衆の心理に応えるようにしているのだ。
 このようにオペラの拍手に関してはけっこう難しい。
 
(3)早く拍手したがる慮外者
 どういうわけか、曲が終わるか終わらないかの時に、すぐに拍手をしたがる人がいる(けっこう多い)。早く拍手をしたところでエライわけでもないし、すべての演奏家がそれを望んではいないのにもかかわらず、である。要するに自己中心的な性格の人たちであって、自己満足のために行っているのに過ぎず、本当に音楽を愛する人から見れば、演奏を妨害しているバカ者でしかない。そういうバカのための業界用語(?)で「フライング拍手」という言葉があるくらいだ。つまり多くの、大部分の音楽ファンは「フライング拍手」をする人を軽蔑しているのだということ。そしてこれはマナーではなくルールだということ。そのことを自覚して欲しいのである。
 なぜ「フライング拍手」がいけないのかというと、「おしゃべり」のところで述べたように余韻に浸る時間が必要だという心情的な理由に加えて、もう少し物理的な理由として、一流のコンサートホールでは2秒以上の長い残響音があるから、というのがある。曲の最後の演奏が止まっても、音はすぐには消えない。打楽器や弦楽器の振動は徐々に減衰していくわけだし、同時に2秒以上もある豊かな響きの中で音楽は意外と長く鳴っている。すべての残響音が減衰して、完全な無音状態、静寂が戻ってくるまでが、曲のうちなのである。CDを聴いても分かるように、曲の終わりに無音部分が必ず入っている。つまり、楽曲を最後まで聴く。その上でその演奏が気に入ったら拍手をする。それだけのことなのだ。はっきりした根拠がある以上、これはルールである。従って「フライング拍手」は演奏を「汚す」ものであり、絶対に許されない行為なのである。
 ただし例外もある。オペラの場合だが、幕の終わりにあたって、歌唱が終わってオーケストラがまだ演奏していても、幕が下りてきたら拍手が始まるという慣例がある。

(4)ブラボーおじさん
 同じようなタイプに「ブラボーおじさん」というのがいる。曲が終わると、やたらに「ブラボー」を大声で放つ。ホールの2階・3階の後方の席、つまり値段の安い方の席から聞こえてくることが多い。1階のS席から「ブラボー」が飛び出すのは、本当に素晴らしい演奏だった時で、そのような時は会場全体が沸き上がるのでよく分かるのだが、「ブラボーおじさん」はどうやら演奏そのものに感動しているのではなくて、ナンでもカンでも「ブラボー」らしい。うるさいし不愉快だ。以前、珍しくNHKホールの3階席で聴いていた時のこと、隣に座っていたのが「ブラボーおじさん」だった。静かに聴いていたのに曲が終わった途端に突然の大声で「ブラボー」を叫んだので、本当にビックリした。ちなみにNHKホールの3階席なんて音響はメチャクチャだし演奏自体があまり良く聞こえていないので、ブラボーのクソもあったものではない。まったくバカと「ブラボーおじさん」に付ける薬はないようである。
 「ブラボー」のもうひとつの問題は、こちらも業界用語でいうところの「フライング・ブラボー」も略して「フラ・ブラ」である。演奏が終わった瞬間に放たれる「ブラボー」のことで、これも残業音をかき消すようにやられると、それまで良かった演奏を最後にブチ壊しにされる気分で、はなはだ不愉快だ。ある人から聞いた話だが、テレビの収録が入っているコンサートで、わざと「フラ・ブラ」をやり、編集でも消せないタイミングで自分の声を記録に残して悦に入っているヤツがいるとのことだ。N響の定期公演などではあまり見られないが、海外のオーケストラのテレビ収録では、確かによくあることである。こうなるともう犯罪に近い。
 「フラ・ブラ」は演奏家も間違いなく嫌っている。演奏家に不愉快な思いをさせたら、その後の演奏に影響するおそれもあるので、絶対にやってはいけないことなのだ。これを嫌う指揮者で、曲が終わっても敢えて指揮棒を下ろさない人もいるくらいなのである。ある外国人の指揮者は、曲が終わっても丸々1分間、指揮棒を下ろさないでいた。背中で、皮肉たっぷりに日本の聴衆を諭しているかのようであった。
 この手の人に遭遇したら、例えばそれがコンサートの前半であったなら、休憩時間の間に主催者やホールのスタッフにはっきりとクレームを告げる方が良い。「○列○番の席の人が曲が終わっていないのにブラボーと叫んでうるさく迷惑で不愉快である」と。こうすることによって、場合によってはスタッフがその人に注意してくれることもあるし、あらためて館内放送で「演奏が終わり、指揮者のタクトが下ろされるまで、拍手などはしないでください」などと注意喚起をしてくれることもある。それでも「フラ・ブラ」をやったら、直接文句を言うしかないのだが・・・・。
 ここに述べたことはあくまで悪質な例であって、拍手や「ブラボー」を慎めということではない。素晴らしい演奏には惜しみない拍手を送り、そうでない演奏にも次回への期待を込めて温かい拍手を送ろう。


【3】服装と持ち物
 クラシック音楽のコンサートやオペラに行くのに適した服装はあるだろうか。ドレス・コードのある「正装コンサート」などというものもごく稀にはあるが、一般的には服装に関する規定はない。モノの本に書かれていることといえば、「服装は気にしなくて良い」というスタンスと、「ある程度はその場にあった服装を」という考え方に大別される。服装に関しては特定のルールはなく、あくまでマナーの範囲内だとは思うのだが・・・・・。
 最近は・・・・あまり使われなくなったようだが、TPOという考え方はどなたもご存じだろう(もちろんTokyo Philharmonic Orchestraの略ではない・・・・失礼!)。Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)に応じて、という意味である。何度か述べたように、コンサートは日常から離れた特別な時間・場所・場合であることは間違いない。だから、やはりTPOに応じた心遣いは周囲の人々のためにも必要なことだと思う。

(1)服装に関する考え方
 私は、フォーマルを意識した服装とまではいかないが、いつも仕事に行く時と同じレベルの服装でコンサートに行くことにしている。休日も、である。真夏以外はジャケット着用、襟のあるシャツとスラックスに革の靴といったところだ。ネクタイは・・・仕事中も着用していないのでコンサートでもパスしているが、演奏者に敬意を払うときはネクタイ着用で行くことにしている。
 なぜTPOなのかといえば、たとえばオーケストラのコンサートの場合、演奏者は男性は燕尾服、女性は黒のフォーマルドレス。指揮者も多くの場合、同様だ。リサイタルの場合も、演奏家はフォーマルな服装、すなわち「正装」であることがほとんどである。これは貴族社会の中から生まれ育ってきたクラシック音楽の伝統であろう。POPS系の演出絡みのステージ衣装とは考え方が根本的に違うのである。出演者が最上の正装をして客を迎えてくれるのだから、客の方が普段着というのでは、いわば釣り合いが取れないということになる。少なくとも、近所のコンビニに行くような格好でコンサートホールに来るのは如何なものかと思う。Tシャツに、半ズボン。サンダル履きでリュックを背負って・・・・。そんな格好で最前列になど座って欲しくない。どんなに暑い夏の日でも、正装で迎えてくれる演奏家に対して失礼というものだ。やはり考え方の基本になるのは、「自分さえ良ければ周囲の他人がどう思おうと構わない」というような自己中心的な考え方は良くないということだ。「カネを払って来ているのだからどんな格好をしていてもオレの自由だ」と権利を主張するのが自由と民主主義といえるのであろうか。音楽を楽しみにしてコンサートに来るのは自分だけではない。演奏家への敬意、周囲の聴衆への配慮があってこそ、聴く側の人間もコンサートに参加することができるし、あるいはコンサートを成功させるひとつの要因になることができるのだと思う。

(2)お洒落をするのは良いのだが・・・・
 たまに見かけるのが帽子をかぶったまま席に着いている人。かなりファッションに気を遣っている人たちで、お洒落をするのは構わないが、帽子は室内では脱ぐのがマナーであろう。「業界人」みたいなのを気取っているようだが、芸能人じゃあるまいし、コンサートで聴き手がキャラづくりをする必要はない。後ろの席の人から見れば邪魔なだけなことも分からないのだろうか。先日も最前列で帽子をかぶったままの人(40歳前後の男性)がいて、開演前に係の人に注意されていた。幼稚園生じゃあるまいしバカみたいである。
 逆に時々、何を思っているのか、普通のコンサートでフォーマルなイブニングドレスで来ている人がいるが、これは日本のクラシック音楽界の常識的な感覚からいえばやり過ぎである。おそらくはクラシックのコンサートに足を運んだことなどないのであろう。ちょっと勘違いの気合いの入れすぎである。また休日の午後だと、コンサート会場で「お見合い」という人たちもいるようだ。これもちょっと違うような気がする・・・・。そしてそのような際、これも当然のことであるが、どんなにお洒落をしても香水は禁止である。
 お洒落のことではないが香水の話が出たついでに「臭い」について一言。先日のコンサートでは、隣に座った人からタバコの臭いがプンプンと漂って来ていた。クラシック音楽の愛好家には喫煙者はかなり少ない。ホールに設けられている屋外の喫煙所などを利用している人が極端に少ないことでも分かる。喫煙者は、息だけでなく服に染み込んだ臭いを撒き散らしていることに気づいていない人が多い。タバコを常用すると嗅覚が鈍るからである。タバコを吸わない人に取ってはけっこう不快に感じるものなので、狭い空間におよそ2時間じっとしているコンサートでは、何らかの配慮をして欲しいものである。

(3)持ち物に関する注意点
 私はバッグなどはクロークには預けずに座席まで持ち込んでしまうが、もちろん演奏中は座席の下に入れてしまい、通路には何も置かないようにしている。通路に置くと、遅れてきた人を通したり、早く帰ろうとする人を通すのに大わらわになってしまう。あまり多くの者を持ち込まない、というのも当然のマナーである。
 休日午後の名曲コンサートなどでは、コンサートの前に買い物をしてくるオバさんたちがいる。せっかく都心に出てくるのだから、デパートで買い物を済ませて・・・・という感覚なのだろう。さすがにこれらを持ち込まれると場所を取るし、そもそもデパートの紙袋はガサガサ音が出るので困りものなのだが、そういう人に限ってプログラムを紙袋に入れたりする。それを演奏中に出して読み出したり、また仕舞ったり、ガサガサゴソゴソ。地方都市だとスーパーのレジ袋を持ち込む人もいるくらいだ。繰り返しになるが、コンサートは日常の現実から離れて芸術世界に浸る場なのであり、日常をホール内に持ち込まないで欲しい。買い物の帰りに来るのなら、荷物はクロークへお願いしたい。


【4】ホール内での行動
 あまり人様のことを言える立場ではないとは思うのだが、クラシック音楽を聴きに来るマニアの人たちには、ヘンな人がけっこういる。人それぞれなので、多少のことはお互いの我慢で世の中は成り立っているはずだが、基本的には「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」ことを皆が心がければ、コンサートホールは心地良い空間になるはずだ。ところが、それができない、あるいは他人の心を慮る想像力の欠落した人、つまり「自己中心的」な人はどんな世界にも必ずいるもので、ヘンな人とはそういう人のことを指している。

(1)開演時刻に遅れないこと
 クラシック音楽のコンサートは告知されている開演時刻より5分遅れてスタートするのが慣例になっている。これはやむを得ない事情で遅れて来る人への配慮が慣例化したものであって、別に定時に始めても一向に構わない。1分でも遅刻したら入れてもらえなくても文句は言えないはずだ。過去に一度だけ、体験したことがある。ベルリン国立歌劇場の日本公演で、定時に演奏が始められ、入れてもらえない人がけっこういたようだった。
 5分遅れてスタートすることを知っていて、定時を過ぎても席に着かないで立ち話をしている人がいる。また定時を過ぎてからトイレに行く人がいる。その方が空いているからという理由。「どうせまだ始まらないから・・・・」というわけだ。ところがこの認識は間違っている。5分後にならないと始めないのではなくて、運営側の人たちは会場の様子をモニターしていて、全員が席に着くまで始めないだけのことなのだ。「どうせまだ始まらないから・・・・」という自己中心的な人格の人たちが、開始を遅らせているのである。
 中にはいつも開始ギリギリに入って来る人がいる。これは良い位置の空いている席を狙っての行為だと思われても仕方がない。開始直前だと係の人も止められないからだが、悪質極まりない行為だと言わざるを得ない。またこういう人がいるために開始が遅れるのだということも考え合わせれば、常習者はある程度分かっているはずだから、ホールスタッフが入場させないなどの対応策を採るべきだ。おそらく、会場で演奏が始まるのを心待ちにしているすべての来場者が不快な思いをしているに違いないからである。

(2)早めに席に着く
 これは心構えの問題だが、私は開演時刻の30分前(通常であれば開場の時刻)には必ず、会場に到着するようにしている。そして、時にはおにぎりを食べたり、友人・知人とおしゃべりしたり、トイレにも必ず行って、少なくとも開演の10分前には席に着くようにしている。プログラムを読むことはあまりなく、沈思黙考して開演を待つ。つまり15分くらいの間じっと集中していることで、自分の中で音楽への期待を高めていくのである。
 これはマナーというよりは周囲への配慮というレベルのことだが、ホール内で列の中央付近の席の人は早めに席に着いている方が良い。逆に通路寄りの人は遅れて来る方が良い。これは席に着くために他の人を立たせたりしないための配慮である。そこまで気を遣う必要はない、と考える人もいるだろうが、できるだけ多くの人が気持ちよく音楽を聴くことができるように、ひとりひとりが心がけることは決して無駄ではないと思うのである。

(3)身を乗り出さない
 特に2階以上のバルコニー席では、身を乗り出してはいけない。当たり前のことだが、後ろの人が見にくくなるからである。1階席でも実は同じことが言えるのだが、客席では、背もたれに背中を付けた状態で座っていることがルールだ。要するに身を乗り出したり、前屈みになったりした場合、後ろの席の人の視界を遮ることになるので、それを慎まなければならないということだ。こういうところにも想像力を働かせて、皆がお互いに音楽を快適に楽しめるように配慮したいものである。以前、東京文化会館でオペラを観ていた時のこと、3階くらいの右側バルコニー席で3列目だったのだが、1列目の人がずーっと身を乗り出して見ていた。ちょうど私の視界を遮ってしまい、ステージの真ん中が見えない。休憩時間に係の人に注意してもらったら、第2幕からその人はいなくなった。まあ、けっこうなことである。

(4)席を移動しない
 地方の公演で時々面白いアナウンスに遭遇する。「携帯電話・スマートフォンの電源をお切り下さい」に続いて、「演奏中に席を移動しないで下さい」というものだ。クラシック音楽の世界で、演奏中に席を変える人はまずいないから、地方公演だと演歌歌手のコンサートなどと同次元になるのだろうか。
 演奏中に席を移るのは論外だが、前半と後半で席を代わる人はしばしば見かける。一緒に来た友人・知人・家族と曲によって交替するというのなら構わないが、前半は2階以上の自分の席で聴き、1階の空いている席を確認しておいて、後半に席を移ってくるのは、ルール違反、というよりは違法行為(席種によって値段が違うから)だ。指定席のチケットで入場したのなら、席を移ってはならないのは、常識的に考えても当然のことである。
 日本人は正直でマナーが良いので、東京文化会館でのオペラ公演などで、5階が満席なのに1階がガラガラなんてことがある。これはこれで立派なこととして誇るべきことだ。海外では(といってもどこの国を指しているのか分からないが)空いている席にどんどん移動してしまうなどというウワサを聞いたこともあるが、実際のところはどうなのだろう。ある音楽評論家が自著の中で「自分は空いている席がある場合は移っても構わないと思う」と書いているのを読んで驚いたことがある。もちろん、その評論家は下品な言葉遣いで他人を批判したりしているような人で、ピアノも弾けず楽譜もロクに読めないないことがバレてしまったりして、評判は良くない。

(5)曲が終わるとすぐ帰るのは失礼
 コンサートで、最後の曲が終わると待ってましたとばかりに席を立って帰る人がいる。もちろん、急いで帰らなくてはならない事情のある人もいるとは思うが、どうもそうではないように見える人も多い。クロークが混む前に帰りたいからとか、サイン会に一番に並びたいからとか、演奏がつまらなかったからとか、夜遅いのが苦手だからとか、いろいろ理由はあるのだろう。しかし、演奏我終わったばかりで、会場は拍手で沸いているところを演奏者に背を向けて帰っていくのは如何なものか。「あなたの演奏は最後まで聴いているのが苦痛だった」と言わんばかりである。演奏者に対してあまりに失礼ではないだろうか。5分10分遅くなったからといって大した違いはないはず。最後まで拍手するのは、演奏者に対する讃美だけではなく、礼儀でもあり、演奏に不満があったとしても次回への期待や激励を込めてのものである。急いで帰るのも自己中心的な行為であり、演奏家に対する配慮もなければ、他の聴衆にも不快感を撒き散らしているだけ。そのことを自覚して欲しいものだ。

(6)演奏に対する批判
 これはルールにもマナーにも慣例にも反することではないので、私の個人的な見解にすぎないかもしれないが、けっこう不快に感じていることがある。それは今聴いたばかりの演奏を批判するという行為である。コンサートで演奏を聴いて、どんな感想を持とうが、それは自由だ。私だって自分が満足いるような演奏に出会うことはそう多くはない。だからといって、いちいちそれを誰かに言ったりはしない。だがそれを声に出して言うとなるとまた別の意味を持ってくる。音楽のような「芸術鑑賞」においては、各人の芸術的経験や知識の多寡によって、感想の種類は様々である。人によって感じ方が違うのだ。「上手い」か「下手」かは絶対的な価値判断で誰にも共通で判ることもあるが、「良い演奏」か「悪い演奏」は人によって判断が変わる。要するに好き嫌いが出るのだ。だから、今聴いたばかりの演奏に対して、「ヒドイ演奏だったね」「何回かミスしていたね」「あのテンポの採り方は納得がいかない」「●●●さんより下手だ」・・・・というような批判的な発言をしたとしても、それは個人的な見解であって客観性は乏しい。実はそれを同じ演奏を聴いて逆のことを思っている人もいるかも知れないのである。とくに自分が良いと感じた演奏をクソミソに貶されると、非常に不愉快な気分になってしまう。そもそもプロの音楽家の演奏に対して素人の聴き手が批判するだけの素養があるのかどうかも怪しい。マニアの人は自分は音楽にかなり詳しいと思い込んでいて好き勝手な批判を発言したりするが、かといってスコアを読み解いて演奏家を批判しているわけでもなく、良く聴いたレコード=CDなどと聴き比べているにすぎないことが多いのである。知ったかぶって批判的なことを言う(演奏を貶す)のはほどほどにしておく方が良い。誰もそんな発言を聞きたいわけではない。周囲に不愉快を撒き散らすだけなのだから。


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 以上、日頃感じていることをまとめてみた。これを読んで「堅苦しいことを言うな」と感じた人もいるだろう。しかしその人は「自己中心的」であり周囲の人々に迷惑や不快感を撒き散らしていることは確かだ。なぜなら、コンサート会場に訪れる大部分の人は、ここで述べたルールやマナーを誰に言われなくてもキチンと守っているからだ。また、クラシック音楽愛好家によるこうした「堅苦しさ」が、敷居を高くしていると考える向きもあるかもしれない。もっとカジュアルに、もっと気軽に音楽を楽しめばよいではないか、という考え方もあるし、それは間違ってはいない。しかし私はこう思う。クラシック音楽は、その「堅苦しさ」や「敷居の高さ」を「楽しむ」ものなのである。
 クラシック音楽を聴くのだって、家でならコタツに入ってミカンを食べながらとか、ソファに寝転んで雑誌をめくりながらCDを聴いていたって構わない。しかしコンサートホールは、そうした日常とは乖離した世界。高い格調と厳格な秩序が保たれつつ、二度とない美が生み出される特別な時間と空間なのである。その世界に身を置くことは、苦痛なんかであろうはずはない。それらは至上の喜びなのであり、私たちは単にそれらを楽しんでいるだけなのである。ビギナーの方たちも、この「堅苦しさ」は楽しめるものなのだということを知ってほしい。逆にこれを「堅苦しい」と感じている間は、クラシック音楽を楽しむことはできないと思う。
 芸術の鑑賞には、多少の「素養」が必要である。何の背景もなく、ただ漠然と音楽を聴いていても、なかなかその深みにはたどり着けないような気がする。ここで述べたことは、音楽の本質に迫るというようなレベルのことではないが、音楽鑑賞のための心構え=立ち位置を明確にすることで、その世界に入り込むための「素養」なのである。

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【追記】 2016年07月17日
 この「クラシック音楽/コンサート会場におけるルールとマナー」という記事に対しては、投稿以来けっこう様々な反応があった。友人・知人からの直接の評価だけでなく、メッセージやコメントもたくさんお寄せいただいている。コメントは公開していない。肯定的賛意を伝えてくれるものの方が多く、中には「手ぬるい。もっとハッキリ厳しい言葉で書くべき/書いて欲しい」と励まされたこともあるくらいで、私と同様に会場で「迷惑と感じる行為」に憤慨している人は多いのだろうと思う。
 一方で、無記名のコメントの中には「偉そうなことを言うな」「何様のつもりだ」「お前の言っていることの方が自己中心的だ」というような批判的・否定的な意見も頂戴している。自分だけが正しいというつもりはないし、本文ではかなり建て前論に近い正論を述べているつもりである。それが気に入らないというのであれば、人によって感じ方が違うのは仕方がないことなので、あえて議論はしないつもりだ。
 また「避けられない様々な事情で周囲に迷惑をかけてしまう場合がある」という指摘を受けたこともある。私としては離れた席にいる人の事情までは分かりようもないので、あくまで一般論として、結果的に迷惑になってしまうことがあると述べているつもりである。
 さらに、別の記事を読んで「自由席のコンサートで、先に並んでいる友人に席を取ってもらう」ことがマナー違反の行為だという指摘をいただいた。私自身は正直に言って、そのような認識は全くなかった。言い訳になってしまうが、クラシック音楽のコンサートに限らず、どのような分野でも自由席の席取りは先に並んだ知り合いにお願いするという行為は普通に行われていると思われる。皆が行っているから正しいというつもりはないが、マナー違反だと言われれば確かにその通りだとも思えるし、このことは私自身の中でも整理がついていないというのが正直なところだ。私や友人たちは自由席の時はかなり早く行って並ぶことが多いので、同じように早くから来て並んでいる親しい友人間では席を融通し合っているというくらいの認識なのである。ただし今後はご指摘に従い、自分の席は自分で取るように心がけたい。
 他にも様々な意見が寄せられている。大変ありがたいことだ。この記事がきっかけになって、少しでもコンサート会場が快適な環境になり、皆が音楽を楽しめるようになることを願っている。


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2 コメント

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Unknown (ふく)
2021-02-13 12:04:49
フライングブラボー関連から貴ブログを拝見させていただくに至りました。
細かいことを言ってるようですが、実際は全然細かくありませんよね。
でもザンネンな人たちは貴方様の仰ることが細かいことにしか見えないのもわかります。彼らは、それを理解する教養というか常識を持ち合わせていませんから、いくら説明しても「そんなことくらい」という考えが変わることはないのでしょう。
しかし、本当に素晴らしい記事でした。この手の記事は頭の悪い人たちが謎の批判をしてきがちですが(私もブログを書くのでわかります)、どうか消さずに維持していただけたらと思います。
長いコメントをお読み下さりありがとうございました。
Unknown (classic_beginner)
2023-06-21 19:29:52
初めまして
classic_beginnerと申します。
こちらの記事に思うところがあり、私のnote(ブログ)でご紹介させていただきました。
納得できる部分もありましたが、しっかり反論もさせていただいています。どうしても問題があるようなら記事の見直しもいたしますが、貴方様も十分言いたいことをぶつけていらっしゃるようですので、私からの反論だけ認めないというわけにもいかないのではないかなと思っております。
お互い考え方が違うので仕方ない部分もありますが、意見を戦わせることに意義を感じましたので、ご了承いただけると幸いです。

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