Sound Mariage III 2018
田原綾子ヴィオラ・リサイタル
2018年5月19日(土)19:00〜 南麻布セントレホール 自由席 1列中央 3,000円
ヴィオラ:田原綾子
ピアノ:原嶋 唯
【曲目】
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821(ヴィオラとピアノ版)
ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第2番 作品80 より「シャコンヌ」(ヴィオラ版)
シューマン:アダージョとアレグロ 作品70(ヴィオラとピアノ版)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 BWV1001より「フーガ」(ヴィオラ版)
武満 徹:ア・ストリング・アラウンド・オータム
ブラームス:ヴィオラ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品120-1
《アンコール》
西村 朗:無伴奏ヴィオラ・ソナタ 第2番「C線のマントラ」
山田耕筰/森 円花編:からたちの花
パリに留学しているヴィオラの田原綾子さんが、一時帰国してリサイタルを開くというので、聴きに行った。数日前に帰国したばかりというのに、上記のような重量級のプログラムの本格的なリサイタルをサラリとこなしてしまうあたり、場数を踏んだ演奏家として芯の通ったところのある田原さんである。今回のリサイタルは日程だけ確保していたもので、曲目などの内容はほとんど知らなかった。だから1時間くらいのコンサートかなと思っていたのだが、来てプログラムを見たら、休憩ありで2時間コースというフルサイズのリサイタルだったので驚いた。実にバイタリティ溢れる演奏家へと成長している。
もっとも、いつも言っていることだが、ヴィオラの場合は一般的に演奏される曲が少ない。プログラムは毎回工夫して変えてはいるが、やはり過去に既に聴いている曲が多くなってしまう。今回はブリテンの「シャコンヌ」とバッハの「フーガ」が田原さんの演奏としては初めて聴く曲となった。ヴィオラの場合は曲が少ないだけでなく、演奏機会自体も少ないので共演するピアニストにも負担がかかることになる。その点、田原さんには盟友の原嶋 唯さんという優れた仲間がいて、毎回素晴らしいサポートをしてくれる。こうした環境も手伝って、マイナーなヴィオラでも(失礼)頻繁にリサイタルを開くことができるのであろう。単純なことだが、本番の演奏機会が多ければ多いほど、経験が豊富になり、心技体ともに向上していくことも確か。聴くたびに上手くなっていく田原さんをこの4〜5年見てきたから、聴く側にとっても毎回が楽しみになるのである。
今回の会場は「南麻布セントレホール」というところで、私もお伺いするのは初めてである。東京メトロ日比谷線の広尾駅から徒歩7〜8分。小さなビルの4階をワンフロア使っていて、三角形に近い変形のスペースに約80席を設けることができるサロンである。天井はやや高めに取っているため、ビルの1室という圧迫感のあるスペースではない。空席時にはかなり音が大きく響いていたが、満席になると適度に音が吸収されて、残響が少なくなった分だけスッキリして聴きやすい音響になった。この規模のサロンとしてはむしろ音響は良い方になると思う。ただし完全防音ではないので、外の往来の騒音が入ってきてしまうのと、空調の音もけっこう大きかったのが難点ではあった。しかし、救急車のサイレンが遠くから微かに聞こえたりするコンサートというのも、ある意味で暮らしに密着した音楽を感じることができて、たまには良いものである。
1曲目は、シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821」。ヴィオラで演奏するという点では定番になっている曲だが、一度で良いから、「アルペジョーネ」という楽器で聴いてみたい。歌曲王シューベルトに相応しい、息の長い歌謡的な旋律がとても親しみやすく、一度聴くだけで覚えてしまうようなところがある。人の声に最も近い音域と言われるヴィオラで演奏すれば、その歌謡的な旋律が人肌感覚で伝わってくる、とても素敵な曲だ。最近聴く機会が増えたせいか、すっかり好きになってしまった。
田原さんの演奏は、一段と安定感が増してきたのと、さらに伸びやかに「歌う」ようになってきた。哀愁を帯びた第1楽章では感情の起伏が息遣いのように表れ、抒情的な第2楽章は緩やかな心情表現が細やかに歌われる。第3楽章は器楽的な表現に安定した技巧を見せる。さりげないフレージングも実に音楽的で素敵だ。
2曲目は、ブリテンの「無伴奏チェロ組曲 第2番 作品80」より「シャコンヌ」。もちろんヴィオラで演奏するということは1オクターヴ高いということになる。今回初めて聴くことになった。チェロとヴィオラではまったく印象が異なり、低音部がない(少ない)のと、ホールの残響が少ないため、全体がどうしても高音域で浮ついて聞こえてしまうような印象になる。極めて技巧的で器楽的な曲でもあるため、ヴィオラで弾く場合にはその歌謡的な特性があまり表れないようだ。また、半音階的な進行時は音程が取りにくい曲のようだった。
3曲目は、シューマンの「アダージョとアレグロ 作品70」。まさに「これこそがロマン派」といえるような、しっとりとした情感が描かれる曲で、この曲のヴィオラでの演奏もすっかりお馴染みになってしまった。「アダージョ」部分では、美しい旋律がヴィオラで歌われると、まさにアルトの歌手が歌うような風情が感じられる。「アレグロ」部分では器楽的な曲相が、躍動感と生命力をもって弾む。いずれの部分にも表れる、ロマン派らしい自由な感情の発露。田原さんの演奏は、細やかなニュアンスで情感豊かに、感情の起伏が大きく豊かに描かれる。その感性は瑞々しく、若い生命力に満ちている感じがして、聴いていてもすがすがしい気分になるほどロマンティックな演奏であった。
後半の1曲目は、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 BWV1001」より「フーガ」をヴィオラ独奏で。ヴァイオリンと同じ運指で、つまり5度低く移調しての演奏である。4弦で多声的なフーガを構成するのはなかなか技巧的ということなのだが、5度低いヴィオラだと通奏低音が豊かに響き、音楽にも深みが増す。その代わりに、高音域が中音域に下がってくるので華やかさがなくなってくる。その雰囲気の違いがおもしろい。ヴァイオリンとヴィオラでは演奏技法に若干の違いがあるのか、弾きにくそうに聞こえる部分もあるようだった。
続いて、武満 徹の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」。1989年のフランス革命200周年記念の委嘱作品として作曲されたもので、今井信子さんのために書かれた。本来はヴィオラとオーケストラのための曲である。この頃の武満さんの作品は、瑞々しくロマンティックな情感を湛えていて、とても美しい。調性を超えた不協和な和声でピアノが自然界の音を紡いでいくと、そこにヴィオラが一陣の風のようにそよりと吹いてくる。ピアノが森の木や岩肌など動かないものだとすれば、ヴィオラは風。田原さんの演奏の暖色系の音色は風の温度から涼しさよりも温かさを感じさせる。極度に抽象化されているはずの武満さんの音楽なのに、聴いていると自然の風景が目に浮かんでくる。演奏が上手ければ、より映像にリアリティが増すような感覚であろうか。
最後は、ブラームスの「ヴィオラ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品120-1」。しっかりとした造形を持つロマン派のヴィオラ・ソナタとしては、数少ない名作のひとつ。晩年の作だけあって、枯淡の境地というか、実に渋い曲である。ヴァイオリンでも使い方によっては哀愁を帯びた表現ができるが、ヴィオラだと哀愁に年輪が加わって、中高年の哀歌といったイメージか。まあ、あまり若い演奏家に向いている曲だとも思えないが、田原さんの演奏は、自身の若さをよく抑えて、控え目のロマンティシズムをうまく表現している。
第1楽章は、秘めたる思いを胸の奥に隠し、淡々とした表現の中に、熱いモノを滲ませる。優しさに包まれた諦念とそれを否定する憧れとの葛藤、といったところか。第2楽章の方が豊かな抒情性を表し、素直な情感の表現で、ヴィオラがしっとりと歌っていた。第3楽章はスケルツォに相当するものの、そこには迸るような躍動感も皮肉っぽい諧謔性もなく、飾らず思いのままの情感が自然体で表れている。第4楽章はロンドで、構造的にも主題も器楽的な様相の曲だ。3楽章まで押さえていた感情を解き放つように快活な音楽だ。田原さんの演奏は、やはりこういう明るい曲想の方が似合っているとは思う。立ち上がりがキリッとした明瞭なフレージングと暖色系の音色が、生命の息吹のようなものを感じさせる。素敵な演奏だ。
アンコールは2曲用意されていた。
まずは、西村 朗さんの「無伴奏ヴィオラ・ソナタ 第2番『C線のマントラ』」。ほとんど大部分をC線(一番低い弦)だけで弾くようになっているヴィオラの独奏曲である。鋭いタッチとC線特有のビリビリした振動が独特の雰囲気を創り出す。演奏を聴くのは何度目になるだろうか。前回聴いたときよりも一段と鋭さが増し、同時に伸びやかさや自由度の高さも感じさせ、音楽表現と音色がかなり奥行きが深くなってきていると思う。現代音楽とヴィオラという楽器は妙に親和性が高いような気がするから不思議だ。
最後は田原さん恒例の日本の歌曲シリーズ。今回も新作で、山田耕筰の「からたちの花」を盟友の森 円花さんがヴィオラとピアノ版に編曲したものだ。人の声域にもっとも近いと言われるヴィオラだからこその歌曲であり、旋律楽器であるヴィオラが多彩な音色でヴァリエーションを歌い、ピアノが古風な歌曲に現代的な感性を吹き込み、センスの良い和声で彩る。田原さんの温かみのあるヴィオラ、原嶋さんの透明感のあるピアノ、そして才気活発な森さんの編曲(作曲)。3人が創り出す独特な世界観は、日本人の優しさを象徴しているようだ。
さて今回のリサイタルは、なかなか重量級のプログラムで、それなりに負担も大きかったとは思うが、こうしたリサイタルを確実に成功させ、また次なるステップへ駒を進めていくことになるのだろう。田原さんのヴィオラは、聴く度に上手くなっている。パリに留学してからはとくに演奏自体や音色に豊かさが増してきたような気がする。十代の頃はもっと尖っていたが、今は角が取れて来たというよりは、大きく膨らんできたというべきだろう。ヴィオラは人の声と同じ音域なので、ヴィオラは豊かに響くようになると聴く者とシンクロを起こす。今日もいつものように最前列の目の前で聴いていたということもあるが、ヴィオラの音が身体に直接語りかけてくるような感覚が実に心地よいのだ。ヴァイオリンがシンクロすると気分が高揚してくる感じになるが、ヴィオラだと落ち着いた気分になるのである。そこがヴィオラの魅力だと思う。
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