Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

11/4(日)N響 in 市川/松田華音をゲストにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番トチャイコフスキーの「悲愴」交響曲

2018年11月04日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
NHK交響楽団 in Ichikawa

2018年11月4日(日)16:00〜 市川市文化会館・大ホール S席 1階 2列 27番 6,000円
指 揮:高関 健
ピアノ:松田華音*
管弦楽:NHK交響楽団
【曲目】
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18*
《アンコール》
 プロコフィエフ:組曲『3つのオレンジへの恋』より「行進曲」*
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」
《アンコール》
 チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 作品48 より第2楽章「ワルツ」

 NHK交響楽団が千葉県の市川市で開催するコンサート。都心から30分もかからないような立地だが、地方自治体主催のコンサートなのでチケット価格も安いし、内容的にも思いっきり名曲コンサートになる。N響の定期公演では良い席が取れないので、このような地方扱いのコンサートの方がかえって都合の良いところもある。発売日を押さえておけば、かなり希望に近い席が取れるのだ。というわけで、今回はゲストが松田華音さんということもあったので、2列目のソリスト正面を確保した。
 プログラムは彼女の得意とするロシアものの中から、極め付けともいえるラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番」。演奏自体はダイナミックで重量感のある部分と感傷的なロマンティシズムが繊細に描かれる2面性がコントラストを創り、素晴らしい才能を見せてくれる。幼いときにロシアに渡り、名門のモスクワ市立グネーシン記念中等音楽専門学校(高等学校)を首席で卒業して、過酷なレッスンで知られるモスクワ音楽院にロシア政府特別奨学生として進学したという逸材だけのことはある。高度なテクニックとパワフルというだけでなく、自由度が高く大胆に音楽を膨らます演奏スタイルは、日本の音大で学んだピアニストにはいないタイプである。
 ところが、何というか非常に残念な結果になってしまった。というのは、まず市川市文化会館・大ホールの音響が悪い。というか、ない。ピアノもオーケストラも、音がどこか空間に吸い込まれてしまうように、響かない。目の前で聴いているのにも関わらず、音のエネルギーが伝わって来ないのだ。このような地方自治体の多目的ホールでは、仕方のないことだとはいえ、いかにも残念だ。
 もう一つはピアノのコンディションが悪いこと。要するに30年前だか40年前だかにホールが立てられたときに購入したピアノが、たまにしか使われない状態で放置されていたのであろう。使うときだけ調律しても・・・ねぇ。このピアノをプロのピアニストが本気で弾く(つまりコンサートで)のが年に何回あるのだろう。いかにも弦が固まってしまっていて、振動していないことが分かるコツンコツンという音で、振動が伸びないから倍音も共鳴もなく、音が薄っぺらで音量も出ない。華音さんのピアノは何度も聴いているので、違いが分かってしまう。本来なら2列目でラフマニノフを聴けばピアノの音が大きすぎてオーケストラが聞こえづらくなるくらい鳴るはず。そうでなければN響相手に大ホールの隅々まで音を飛ばすことはできない。まったく残念の極みである。

 後半はチャイコフスキーの「交響曲 第6番『悲愴』」、こちらは高関さんがしっかりとした造形の音楽を創ろうとしていたが、音が響かないからか、そのためにオーケストラのメンバーからやる気が失せてしまったのかは分からないが、あまり熱気の感じられない演奏であった。

 そうはいっても、チケットは完売だし、客席もほぼ満席状態だったから、公演自体は成功ということなのだろう。ちょっと虚しさが残るコンサートであった。

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11/1(木)ティーレマン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団/シューマン交響曲ツィクルス第2日/スタンダードな第3番「ライン」、心を描き出す「第4番」

2018年11月01日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 2018年 日本公演
SÄCHSISCHE STAATSKAPELLE DRESDEN / Japan Tour 2018
《シューマン:交響曲全曲演奏 / 第2日》


2018年11月1日(木)19:00〜 サントリーホール S席 1階 3列 21番 30,000円
指 揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
【曲目】
シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
シューマン:交響曲 第4番 ニ短調 作品120

 クリスティアン・ティーレマンさんの率いるドレスデン国立歌劇場管弦楽団(SÄCHSISCHE STAATSKAPELLE DRESDEN/ザクセン州立歌劇場管弦楽団)の来日公演の2日目。本日のプログラムは、シューマンの交響曲第3番「ライン」と第4番。こちらも終演後の来場者の評価は皆さんほぼ共通で、「ライン」は普通の演奏で第4番の方が良かった、という感想が多かったようである。この点については私もまったく同感であった。昨日の公演のブログにも書いたが、比較的人気の高い名前の付いた交響曲「春」と「ライン」がオーソドックスな演奏にまとめ、演奏機会の少ない第2番と第4番に力点を置いたアプローチをしたツィクルスであったように、誰もが感じたようだ。その辺にティーレマンさんの意志がどれくらい働いていたのかは知る術もないが、いずれにしても、シューマンの交響曲ツィクルスとしての演奏は世界のトップ水準であることは間違いなく、ティーレマンさんの置かれている立場や地位、音楽界におけるポジションなどを考えると、これこそがシューマンの心と音楽芸術を具現した保守本流の演奏だと言えるだろう。言ってみればご本家の伝統を受け継いでいるということだ。
 繰り返しになるが、14型の弦楽5部と2管編成のオーケストラは、シューマンの交響曲には大きすぎる。しかもシュターツカペレ・ドレスデンほどの一流のオーケストラがまともに鳴らせば、高品質の音のまま相当の音量が出る。そこをティーレマンさんは編成はそのままに、グッと抑制をかけてオーケストラを鳴らせない。7〜8割の音量に抑え込むところに、ロマン派前期という時代性を反映させているだけではなく、シューマンの内向的な心情を描きたかったのだと思う。もっと言いたいことはいっぱいあるのに、勇気がなくてそれを言うことを躊躇ってしまうもどかしさ。そうした揺れる心情が「抑制」されたオーケストラのサウンドから滲み出ていた。私はそこに、音楽に精神性を求めるドイツ・ロマン派の保守本流を感じたのである。


 「ライン」は変ホ長調で、第1楽章冒頭に現れる主題は明るく躍動的で生命力に溢れる・・・・普通はそうなるはずだが、今日の演奏では、やや遅めのテンポとちょっとくすんだ音色、やや重めのリズム感でティンパニを効かせて、全面的に肯定的な音楽にはなっていない。第2楽章・第3楽章もかなり抑制的。第4楽章は「厳かに」なので、演奏にも重厚長大なイメージが盛り込まれてくる。第5楽章も全面的な華やかにはならず、リズム感にも少し重いところがある。あたかも心と身体が葛藤しているような、ある種の不安感を伴っている。「生き生きと」書かれている楽章から感じられるところに、ティーレマンさんとシュターツカペレ・ドレスデンの意志が感じられたのである。

 第4番の交響曲は、元は2番目に当たる1841年に初演していて、不成功に終わったため10年後の改訂を経て成功、出版されたのが1852年になったので第4番の番号が付いた曲だ。初稿の時点ですでに実験的な試みがなされていたのが、4つの楽章をつないで切れ目なしに演奏するという形式を採用した。それが初演の失敗の原因だとも言われている。その時点で、ベートーヴェン以来の交響曲という楽曲の形式に対しても新しい表現の試みをしていることが分かる。シューマンは完成した交響曲は4曲しか残していないが、実際には4番目となる「ライン」では5楽章を採用するなど、常に新しい可能性を追求していたのである。
 ティーレマンさんの演奏には、そうしたシューマンの進取の気鋭に対しても細心の注意で音楽を創っていく。例えば、第1楽章のように短調の中に時折現れる長調のフレーズの持つ色彩感に揺れ動く心情を描き出している。
 第2楽章では、オーボエとチェロのソロのユニゾンに、旋律を呼吸感のある歌わせ方をしている。続くヴァイオリンのソロもゆらゆらと揺れ動くように歌わせる。このような歌わせ方は、まさに人間心理を表現しているように感じられる。音楽の流れそのものが豊かな抒情性を表現しているのだ。器楽的なアンサンブルの乱れを指摘する声もあるようだが、それは本質ではないと思う。このオーケストラの実力を持ってすれば、アンサンブルで縦の線をピタリと合わせることなど、やろうと思えば簡単にできるはず。目指しているものが違うのだ。
 ちなみに、第3楽章のスケルツォではかなりテンポを揺らせるティーレマン節が出ていたが、アンサンブルはピタリと合っていた。舞曲系なのだから当然といえば当然である。
 第4楽章では、第3楽章からつながる序奏の部分で葛藤を描き、ニ長調に転じるソナタ形式の主部に入ると霧が晴れたような鮮やかな色彩が現れ、ティンパニが叩き出すリズムも前のめり気味に躍動的になる。主題が展開してクレシェンドしていく辺りの高揚感、高らかに鳴り響く金管。晴れ晴れとしたコーダ。そこに描かれているのはやはりシューマンの「心」なのだと思える。第4番の第4楽章では抑制を解き放ち、心が解放されたような鮮やかな色彩感が広がった。

 結局、2日間の「シューマン・ツィクルス」は各日とも、前半がスタンダードな解釈、後半がシューマンの内面を深く掘り下げた解釈、ということになる。多くの人たちは、有名な「春」と「ライン」に名演を求めてコンサートに出向いたと思われるが、意外にも第2番と第4番が圧倒的に評判が良かった。偶数番の2曲の方が題名が付いていない分だけ心情表現が聴衆に伝わりやすかったのかもしれない。私にしても、今回のツィクルスを聴いて、改めて第2番と第4番の良さを知った思いである。
 実際に、今回のツィクルスの演奏は素晴らしく、これ以上の演奏を聴ける可能性はあまりないだろう。聴く側の人たちの個人的な好みやシューマン体験の多寡によるある種の勝手な評価はさておき、ドイツの音楽界のトップに君臨するティーレマンさんと、ヨーロッパでもトップ水準のオーケストラが演奏しているというだけでなく、精神性を重視した(というと大袈裟、むしろ心情を重視)ドイツ・ロマン派の保守本流の解釈は、派手な色彩や轟音で聴く者を圧倒するような演奏ではなく、抑制的で、やや地味目ではあるが心情表現が聴く者の心に共鳴して、内側から感動が湧いてくる。そんなタイプの演奏だったのではないだろうか。本家本元の本物を聴くことができたのだと思う。

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