読響シンフォニックライブ公開録画(7月18日放送分)
2012年5月30日(水)19:00~ 東京オペラシティコンサートホール 1階 27列 26番(無料)
指 揮: 久石 譲
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
久石 譲: シンフォニア ~弦楽オーケストラのための~
1.Pulsation 2.Fugue 3.Divertimento
ショスタコーヴィチ: 交響曲 第5番 ニ短調 作品47
日本テレビ系列の「深夜の音楽会」が今年度より「読響シンフォニックライブ」と番組名を変えてのリニューアルした。今日はその7月放送分の公開録画である。いつも不思議に思うのだが、スポンサーの付くテレビ番組制作のためには、1600席の東京オペラシティコンサートホールが(テレビに映る部分だけ)満席になる。それは見事なくらいの満席で、普段はあまり売れない隅っこの方の席までビッシリと客が入ったホールは壮観だ。視聴者(?)への無料招待であるから抽選で外れる人も多いと聞くが、もちろん有料の定期シリーズのチラシを配布していたのが…ちょっと侘びしい。
作曲家として著名な久石譲さんであるが、ご承知のように最近は指揮者としての活動も活発だ。ところが読売日本交響楽団との協演は初めてなのだそうだ。今日はご自身の作曲による曲も指揮されるので、プレトークでも楽曲の解説があった。
1曲目は「牧神の午後への前奏曲」。現在、3つの定期シリーズの会員になっているので一番聴く機会の多い読響なので、まああまり感激するということもなく…。しかもこの曲は、1ヵ月半ほど前の2012年4月に、同じ東京オペラシティコンサートホールでシルヴァン・カンブルランさんの指揮で聴いたばかり。その時の絵画的な色彩感溢れる演奏と比べると、今日の演奏は、…まあ、普通というところだ。ちょっと意外だったのは、最後列に近い27列で聴いていたのに、オーケストラの音がとても澄んでいて、各楽器の分離が明瞭だったこと。17列で聴いた時の方が音が混然として濁った感じに聞こえたような気がする。ステージの上に浮かぶ天上代わりの反響板の効果なのだろうか。概ね評判の良いオペラシティでも、席の場所によっては微妙に音響が違うようである。いつもステージ間近で聴いている私にとっては、「思ったより、かなり良い音」であった。
2曲目は久石譲さんの「シンフォニア」(2009年)。サブタイトルに「弦楽オーケストラのための」とあり、英文では「Synfonia for Chamber Orchestra」となっていた。今日の演奏は、弦楽のみならず、管楽器などを加えて編成を大きくしたものに書き直した版である。
久石さんといえば、『風の谷のナウシカ』を初めとする宮崎駿監督のアニメ映画の音楽や、最近ではNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌「Stand Alone」(サラ・ブライトマンさんや森麻季さんが歌った)などが話題になった。その一方で、国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに関心を持ち、いわば純音楽の分野での作品を発表している。今日の「Synfonia」は、そのミニマル・ミュージックの作品である。
なるほど、ミニマルといわれるだけあって、3つの楽章を通じて、短い単純な「動機」のようなものが繰り返されて曲が構成されている。解説文によると、第1楽章・第2楽章は動機のハーモニーが5度ずつ上がって行きすべての調で演奏されるのだという。理論的に構築された音楽なのである。…正直なところ、聴いていてもあまり面白くは感じられなかった。これは作品がつまらないという意味ではなくて、聴く側がもっと音楽理論に精通していないと、理論武装された現代音楽は聴く側の感性だけでは消化しきれないということだ。現代音楽は決して嫌いではないのだが、解りにくいことも確かで、一般に人気が出ないのも仕方のないことかもしれない。
後半は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。この曲は読響では昨年2011年7月の「サントリー名曲シリーズ」でワシリー・シナイスキーさんの指揮で聴いている。なんだかこうして振り返ってみると、この1年以内に演奏会で採り上げた曲ばかりなので、どうしても新鮮味には欠けてしまうことになろう。
全体の印象としては、ややメリハリに乏しく、各楽章ともフラットに感じられた。馬力のある読響サウンドというよりは、かなり抑制されていて、ある意味冷静なアプローチというふうにも採れる。ダイナミックレンジが広くなく感じられたのは、27列目という席までの距離感が原因なのかと思っていたら、第4楽章では随所に力感溢れる読響サウンドが炸裂した。そうなると、楔形の天上は高いが幅が狭いシューボックス型のオペラシティでは、音が怒濤のごとく押し寄せてくるイメージ。会場全体が爆発的な音量で満たされていた。トロンボーンとチューバなどの金管の低音の迫力と、キリキリと刻むヴァイオリンのヒステリックな響きが鮮やかな対比になっていて、聴くものを決して癒してくれないショスタコーヴィチらしさを感じた。とはいえ、久石さんの音楽作りは、ある意味ではスタンダードで、スコアの再現という点では、バランスの良いオーケストラ・ドライブでしっかりとした構造感も描き出していた。読響の方も精緻で透明な弦楽アンサンブル、強すぎない金管、木管の中ではクラリネットが存在感を出していたり、と、密度の高い演奏をしていた。ただ惜しむらくは、国家や社会体制に抑圧されたショスタコーヴィチの情念、あるいは第4楽章の長調に転じた「歓喜(?)」に隠れた闇の部分など、スコアの裏側にある「生々しさ」のようなものをあまり感じさせてはくれなかった。
まあ、今日はタダのコンサートなので、何も文句を言う筋合いではない。2時間のコンサートを楽しませていただいたことに感謝したい。
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2012年5月30日(水)19:00~ 東京オペラシティコンサートホール 1階 27列 26番(無料)
指 揮: 久石 譲
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
久石 譲: シンフォニア ~弦楽オーケストラのための~
1.Pulsation 2.Fugue 3.Divertimento
ショスタコーヴィチ: 交響曲 第5番 ニ短調 作品47
日本テレビ系列の「深夜の音楽会」が今年度より「読響シンフォニックライブ」と番組名を変えてのリニューアルした。今日はその7月放送分の公開録画である。いつも不思議に思うのだが、スポンサーの付くテレビ番組制作のためには、1600席の東京オペラシティコンサートホールが(テレビに映る部分だけ)満席になる。それは見事なくらいの満席で、普段はあまり売れない隅っこの方の席までビッシリと客が入ったホールは壮観だ。視聴者(?)への無料招待であるから抽選で外れる人も多いと聞くが、もちろん有料の定期シリーズのチラシを配布していたのが…ちょっと侘びしい。
作曲家として著名な久石譲さんであるが、ご承知のように最近は指揮者としての活動も活発だ。ところが読売日本交響楽団との協演は初めてなのだそうだ。今日はご自身の作曲による曲も指揮されるので、プレトークでも楽曲の解説があった。
1曲目は「牧神の午後への前奏曲」。現在、3つの定期シリーズの会員になっているので一番聴く機会の多い読響なので、まああまり感激するということもなく…。しかもこの曲は、1ヵ月半ほど前の2012年4月に、同じ東京オペラシティコンサートホールでシルヴァン・カンブルランさんの指揮で聴いたばかり。その時の絵画的な色彩感溢れる演奏と比べると、今日の演奏は、…まあ、普通というところだ。ちょっと意外だったのは、最後列に近い27列で聴いていたのに、オーケストラの音がとても澄んでいて、各楽器の分離が明瞭だったこと。17列で聴いた時の方が音が混然として濁った感じに聞こえたような気がする。ステージの上に浮かぶ天上代わりの反響板の効果なのだろうか。概ね評判の良いオペラシティでも、席の場所によっては微妙に音響が違うようである。いつもステージ間近で聴いている私にとっては、「思ったより、かなり良い音」であった。
2曲目は久石譲さんの「シンフォニア」(2009年)。サブタイトルに「弦楽オーケストラのための」とあり、英文では「Synfonia for Chamber Orchestra」となっていた。今日の演奏は、弦楽のみならず、管楽器などを加えて編成を大きくしたものに書き直した版である。
久石さんといえば、『風の谷のナウシカ』を初めとする宮崎駿監督のアニメ映画の音楽や、最近ではNHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌「Stand Alone」(サラ・ブライトマンさんや森麻季さんが歌った)などが話題になった。その一方で、国立音楽大学在学中よりミニマル・ミュージックに関心を持ち、いわば純音楽の分野での作品を発表している。今日の「Synfonia」は、そのミニマル・ミュージックの作品である。
なるほど、ミニマルといわれるだけあって、3つの楽章を通じて、短い単純な「動機」のようなものが繰り返されて曲が構成されている。解説文によると、第1楽章・第2楽章は動機のハーモニーが5度ずつ上がって行きすべての調で演奏されるのだという。理論的に構築された音楽なのである。…正直なところ、聴いていてもあまり面白くは感じられなかった。これは作品がつまらないという意味ではなくて、聴く側がもっと音楽理論に精通していないと、理論武装された現代音楽は聴く側の感性だけでは消化しきれないということだ。現代音楽は決して嫌いではないのだが、解りにくいことも確かで、一般に人気が出ないのも仕方のないことかもしれない。
後半は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。この曲は読響では昨年2011年7月の「サントリー名曲シリーズ」でワシリー・シナイスキーさんの指揮で聴いている。なんだかこうして振り返ってみると、この1年以内に演奏会で採り上げた曲ばかりなので、どうしても新鮮味には欠けてしまうことになろう。
全体の印象としては、ややメリハリに乏しく、各楽章ともフラットに感じられた。馬力のある読響サウンドというよりは、かなり抑制されていて、ある意味冷静なアプローチというふうにも採れる。ダイナミックレンジが広くなく感じられたのは、27列目という席までの距離感が原因なのかと思っていたら、第4楽章では随所に力感溢れる読響サウンドが炸裂した。そうなると、楔形の天上は高いが幅が狭いシューボックス型のオペラシティでは、音が怒濤のごとく押し寄せてくるイメージ。会場全体が爆発的な音量で満たされていた。トロンボーンとチューバなどの金管の低音の迫力と、キリキリと刻むヴァイオリンのヒステリックな響きが鮮やかな対比になっていて、聴くものを決して癒してくれないショスタコーヴィチらしさを感じた。とはいえ、久石さんの音楽作りは、ある意味ではスタンダードで、スコアの再現という点では、バランスの良いオーケストラ・ドライブでしっかりとした構造感も描き出していた。読響の方も精緻で透明な弦楽アンサンブル、強すぎない金管、木管の中ではクラリネットが存在感を出していたり、と、密度の高い演奏をしていた。ただ惜しむらくは、国家や社会体制に抑圧されたショスタコーヴィチの情念、あるいは第4楽章の長調に転じた「歓喜(?)」に隠れた闇の部分など、スコアの裏側にある「生々しさ」のようなものをあまり感じさせてはくれなかった。
まあ、今日はタダのコンサートなので、何も文句を言う筋合いではない。2時間のコンサートを楽しませていただいたことに感謝したい。
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