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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

11/15(木)東京フィル/リプキンの「シュロモ」+三ツ橋敬子の「火の鳥」「展覧会の絵」は濃厚な色彩

2012年11月17日 01時13分52秒 | クラシックコンサート
東京フィルハーモニー交響楽団/第74回東京オペラシティ定期シリーズ

2012年11月15日(木)19:00~ 東京オペラシティコンサートホール A席 1階 4列 14番 3,780円(会員割引)
指 揮: 三ツ橋敬子
チェロ: ガブリエル・リプキン*
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ストラヴィンスキー: 組曲「火の鳥」(1919版)
ブロッホ: ヘブライ狂詩曲「シェロモ」
ムソルグスキー/ラヴェル編: 組曲「展覧会の絵」

 東京フィルハーモニー交響楽団の「東京オペラシティ定期シリーズ」、昨年に続いて、三ツ橋敬子さんの登場である。昨年2011年6月には、サントリーホール定期シリーズに振り替えてもらって、ベートーヴェンの「皇帝」(ピアノ独奏は横山幸雄さん)と「英雄」を聴いた。その時に三ツ橋さんを聴いたのが最初である。それ以来、およそ1年半の間に、新日本フィルハーモニー交響楽団とはチャイコフスキー・プログラムを、日本フィルハーモニー交響楽団とはベートーヴェン・プログラムを聴いた。そして今日は、再び東京フィルで、また全然傾向の違ったプログラムだ。レパートリーの幅も広く、聴くたびに新鮮ものを感じさせてくれる人である。

 1曲目はストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919版)。ご存じのように、1919年版は、バレエ音楽の全曲版の中から7つの場面を2管編成に編曲した、演奏会用の管弦楽組曲の方である。それでも多種の打楽器とピアノやチェレスタまで加わるから、東京オペラシティコンサートホールの拡張ステージであっても、オーケストラのメンバーで埋め尽くされている感がある。
 三ツ橋さんの指揮で最も特徴的だと思うのは、リズム感のキレの良さだ。拍の刻みがクッキリと明瞭で、しかも推進力がある。どちらかといえば、イン・テンポに近く、余分な装飾を加えずに、グイグイと押し出していく。いかにも若さがいっぱいでとても後味がスッキリした音楽を創り上げる。
 そんな三ツ橋さんだから、強力なリズムに満たされているこの時代のストラヴィンスキーの音楽は、想像していた通りの展開であった。変拍子であろうが正確にリズムを刻み、安定した造形を見せながらも、推進力があって、曲の流れがとてもリズミカル。オーケストラにそれがうまく伝わっていく指揮なのだろう。
 東京フィルの演奏がまた良かった。木管・金管の各パートが充実していて、安定感があるばかりか、それぞれに濃厚な色彩の音色を描き出している。とくにオーボエ持ち替えのコールアングレの田園的な調べや、ホルンのまろやかで艶やかな音色などにうっとりである。これらにダイナミックレンジの広い、厚みのある弦楽が加わり、さらに色彩感が増していた。

 前半の2曲目は、ブロッホの「ヘブライ狂詩曲『シェロモ』。これは珍しい曲だといっていいだろう。エルネスト・ブロッホ(1880~1959)は、スイス生まれのユダヤ人作曲家で、1916年に渡米してからは、アメリカを中心に活動した。音楽的にはリヒャルト・シュトラウスやドビュッシーらの影響を受け、後期ロマン主義や印象主義的な作風の中に、ユダヤ教の宗教音楽やユダヤの民族音楽的な主張を盛り込んだ。「イスラエル交響曲」や「ヘブライ組曲」などの作品が有名だそうである。それらの作品のうちの一つが今日の演奏曲「ヘブライ狂詩曲『シェロモ』だ(「シェロモ」はヘブライ語でソロモン王のこと/1915~1916頃)。
 演奏の形態としてはチェロ協奏曲であり、ゲスト・ソリストはイスラエル生まれのガブリエル・リプキンさん。大柄な身体を大きく揺すったりしながらの演奏は、意外にもナイーブな感じで、それほど強烈に主張をする方ではない。自己をしっかりと見つめて音楽に向き合っている感じであった。近くで見ると、とても真面目そうな好青年である。
 チェロの音色は、深い憂愁に満ちた…とまではいかなくとも、決して明るい音色ではなく、もちろん演奏している曲の影響もあるとは思うが、心に葛藤を持つような音色であった。また、音程が時折怪しげに揺れるように感じられたのは、民族音楽の系統の表れかもしれない。
 リブキンさんを聴いたのも初めてだったし、曲も知らなかったし、いわゆる西欧のクラシック音楽という枠組みからは微妙にずれる位置関係にあるからか、聴いていてもよく分からなかったというのが正直な感想である。

 後半は、ムソルグスキー/ラヴェル編の組曲「展覧会の絵」。こちらはまた、誰でも知っているような名曲である。今年は「展覧会の絵」の当たり年で、つい10日前の11月5日、同じここ東京オペラシティコンサートホールで、アリス=紗良・オットさんによるピアノ版を同じような席で聴いたばかり。その前は、10月9日にグルジア出身の新進ピアニスト、ニーノ・グヴェタッゼさんのリサイタルでもピアノ版を聴いている。ピアノ版でさえ演奏者が異なれば、曲に対するアプローチも全然違ってくる。オーケストラ編曲版になれば、なおさらだ。ましてやラヴェルのような管弦楽法の天才の手にかかった名編曲版自体も原曲を遥かに超越した部分がある。それだけ、この曲の懐は深く、自由度が高い性格を持っているということなのだろう。
 さて、三ツ橋さんの音楽作りは、相変わらずキレが良く、明快である。東京フィルの演奏技術の高さを十分に引き出し、非常に濃い色彩に彩られたそれぞれの「絵」と、それにをつなぐプロムナードのヴァリエーションも多様な変化を見せる。ダイナミックレンジを広く取り、最終的な「キエフの大門」でのffでは、大太鼓の地響きと雷鳴のようなシンバル、全開の金管群、負けじと掻き鳴らす弦楽たちが、音の奔流となって押し寄せてくる。大門がさらにどんどん大きくなって、私たちにのしかかってくるようであった。
 ちょっと変な表現かもしれないが、今日の「展覧会の絵」は、広い展覧会場に大きな絵が並んでいるといった印象であった。巨人の国の展覧会に紛れ込んでしまい、人々に踏みつぶされないようにしながら、巨大な絵を見上げている、というような情景が目に浮かんだ。
 また、いかに色彩的といっても、たとえばフランスのオーケストラのような印象主義的な多彩さともやや違っている印象だ。いってみれば、日本の浮世絵のような、繊細な線画と染料絵の具で明瞭に塗り分けられているけれども、原色はほとんど使われず、地味な中間色を配色の妙技で鮮やかな色彩感を描き出す、といった感じだろうか。
 やはりこれは、日本人の指揮者と日本人のオーケストラならではのネイティブな演奏、いわば日本語による演奏なのだと感じた。そしてそれは、けっして悪くないどころか、素晴らしい個性なのである。とにかく聴いていて分かりやすい。指揮者の独りよがりな感性に振り回されたりすることもなく、オーケストラがやる気のない演奏をすることもなく、今できる一番良い演奏をすることができたのではないだろうか。三ツ橋さんの持っている高いポテンシャルと、何だかんだといって老舗の東京フィルの水準の高さが、今日の素晴らしい演奏を創り出したのである。

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