Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

2011年に聴いた名曲(1)/リヒャルト・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18」

2012年01月02日 00時47分51秒 | クラシックコンサート
 2011年のクラシック音楽界は、リストの生誕200年、マーラーの没後100年の記念年にあたったため、コンサートでリストやマーラーが多く採り上げられた。とくにリストはピアノ・リサイタルで様々な曲が採り上げられているため、細かく見ていけば同じ曲を何度も聴いているとは思う。ところが、1011年の1年間をざっと調べてみると、まとまった曲で最も聴いた回数が多かったのは、リヒャルト・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18」の7組8回、次いでメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」の6組7回だった。とくに記念年でもないので偶然が重なっただけだとは思うが、どういうわけか同じ曲をこれほどの回数聴ける年も珍しいのではないだろうか。しかも3月11日に発生した東日本大震災とその後の福島第一原発の事故を原因とする、コンサートの中止や延期を含んでのことである。
 というわけで、色々なことがあった2011年、この2つのヴァイオリン曲の演奏を振り返ってみよう。まずはR.シュトラウスから。それぞれのレビュー文章は、コンサート当日の記事からこの曲の部分だけを抜き出し、部分的に加筆訂正したものである。コンサートの全体(あるいは全曲)についてはリンクから各記事を参照してほしい。

【曲目】リヒャルト・シュトラウス作曲/ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 作品18

【1】ヴァイオリン: 米元響子 ピアノ: 佐藤卓史
 2011年2月13日(日)14:00~ 千葉県文化会館・大ホール

 大好きなリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは、シュトラウスが若い時の作品(1888年)で、青春の煌めきに満ちた曲想だが、ロマン派後期の爛熟した豊潤さも併せ持っている傑作だ。ヴァイオリンとピアノがほぼ対等に活躍する曲だけに、両者のバランスも大切だ。
 米元さんのヴァイオリンは、前曲のモーツァルトよりもはるかに雄弁に語り出した。音色にも艶やかさが加わり、表現の幅もぐっと広くなった。第2楽章のロマンティックな表現のなかなか素晴らしい。だがやはり何かが不足しているといった印象が残る。ひとつには、やはり譜面を見ながらの演奏で、曲が完全に掌握されていないのか、旋律の歌わせ方が器楽的で、人の呼吸にピッタリと合っていないような感じ。もうひとつは、曲全体の構造感が少々甘い感じがしたこと。一方、ピアノの佐藤さんは出過ぎることがなく、豊かな叙情性を発揮した演奏に終始し、ヴァイオリンとのバランスも良く、まあ、普通に聴けば、素晴らしい演奏だったと思う。この曲に関しては、個人的に思い入れが強いためか、ちょっと辛口になってしまうのである。

【2】ヴァイオリン: 松山冴花 ピアノ: フランク・ブルレイ
 2011年5月3日(火・祝)16:15~ 東京国際フォーラム G409(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011)

 曲順を変えていたので、次にR.シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ」が始まってビックリ。これもシュトラウスの青春の輝きのような曲。松山さんのヴァイオリンは、低音部は豊かな厚みのある音色で、足が地に着いているような安定感がある。高音部も絹のような、というよりは高品質の木綿のような、腰が強く弾力性があり、生命感に満ちた音色だ。色が濃いというか、艶があるというか、とにかく豊潤な響きで、音量も豊か。もちろん音に濁りもない。狭いG409の部屋に圧倒的な存在感の音が満ちていた。アメリカ育ちらしい、大陸的なスケールの大きいヴァイオリンである。そしてこの曲の場合、流麗なピアノ・パートも重要になってくるのだが、ブラレイさんのピアノは別の意味で色彩的な多様性を持っていて、二人の対比がかえって音楽に豊かさを増していたように思う。

【3】ヴァイオリン: 佐藤俊介 ピアノ: 鈴木優人
 2011年5月5日(木・祝)17:45~ 東京国際フォーラム G409(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011)

 最後はR.シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ」だ。ついさっき松山さんで聴いたばかりだから特に強く感じるのだと思うが、同じ曲がこれほど違って演奏されるものかと、ビックリしてしまう。佐藤さんは、繊細優美で整った演奏スタイル。音量も大きくないし、強弱の幅も狭い。音はキレイなのだが、表現の幅が狭いように感じられた。譜面を見ながらの演奏だったが、まだまだ曲が自分ものになっていないのではないだろうか。

【4】ヴァイオリン: 松山冴花 ピアノ: フランク・ブルレイ
 2011年5月5日(木・祝)13:00~ 東京国際フォーラム G402(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011)

 松山冴花さんのプログラムは一昨日とまったく同じ。今日の席はピアノの正面、ヴァイオリニストの立ち位置からもちょうど正面にあたり、聞こえ方に関しては、ダイレクトで申し分なかった。松山さんの場合は、2度目であっても感動の薄れる要素は微塵もない。極めて正確な音程、豊かすぎるほど濃厚な音色、たっぷりとした音量、そして全体を貫く伸びやかな歌わせ方と、音符の一つ一つにまで意味を持たせた緻密な表現…。シュトラウスのソナタでは、ブルレイさんのピアノもかなり突っ込んだ音を出していたが、松山さんは十分な音量で、見事なバランスを保つ。何て豊穣な音楽なのだろう。そして信じられないような、スケールの大きさ。私はかねてよりシュトラウスのソナタはピアノ・パートをオーケストラ用に編曲すれば、素晴らしい協奏曲になる曲だと思っていた。繊細優美に室内楽として演奏するのも良いものだが、今日の松山さんのように堂々たる押し出しの演奏を聴くと、協奏曲であったなら、世にもうひとつ名曲が増えていたのではないだろうか、などと独りごちた。

【5】ヴァイオリン: 久保田 巧 ピアノ: 村田千佳
 2011年5月5日(木・祝)14:45~ 東京国際フォーラム G402(ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011)

またまたリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタだ。結局、今回の「ラ・フォル・ジュルネ2011」では、松山冴花さん、佐藤俊介さんに次いで3人目を聴くことになる。短期間に、同じ会場で聴き比べができる機会なんてそうあるものじゃないので、面白い体験になった。久保田さんの演奏は繊細優美なタイプ。主題の歌わせ方なども素直で可憐な感じ。レガートが美しく、女性的な優しさに満ちた演奏だ。席の位置がピアノの後ろ(鍵盤の反対側)だったせいもあって、ピアノ伴奏の音が大きく、ヴァイオリンが余計に華奢に聞こえてしまったのかもしれない。楽曲の解釈の相違はあるにせよ、演奏自体は技巧的にも表現力も素晴らしかった。この前に同じ部屋で聴いた松山さんとは正反対のイメージだろうか。あとは好みの問題だろう。ピアノの村田千佳さんはけっこうダイナミックかつ抒情性もあり、素敵だったと思う。

【6】ヴァイオリン: 青木尚佳 ピアノ: 鈴木慎祟
 2011年7月1日(金)19:00~ 浜離宮朝日ホール

 リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは、私の最も好きなヴァイオリン・ソナタのひとつだ。本ブログにも何度も登場しているので、曲については触れないが、ひとつだけ、シュトラウスが若い時(23歳)の作品だということだけ強調しておきたい。つまりこの曲は若い人が演奏するととても素敵に聞こえるのである(もちろん上手ければの話)。そういう訳で、今日のリサイタルでは、この曲に最も期待を込めていたのである。
 結論から言うと、今日の青木さんの演奏はとても素晴らしいもので、完全にBrava!!であった。最近では、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2011」で聴いた松山冴花さんといい勝負といったところだ。もちろんふたりの曲に対するアプローチは全然違っているので、人によっては評価はまったく異なるかもしれない。松山さんは曲の中からご自身の感性で自由な解釈を導き出した演奏。青木さんは曲の構造を素直に見つめて本質に迫ろうとした演奏だったように思う。解釈の相違なので、好き嫌いは別として、同じ曲が弾く人によって表情豊かに変貌していくのは聴いていて楽しく、新たな発見があったりして、音楽を聴く喜びを感じさせてくれる、嬉しい瞬間でもある。
 第1楽章はアレグロ・ノン・トロッポ。序奏から第1主題への雄壮な部分から、青木さんのヴァイオリンは立ち上がりの鋭い音、しかし尖った印象はなく豊潤な音で魅了していく。テンポは決して早めではなかったが、曲の流れがもたつかないところはリズム感が良いからだろう。第1主題、第2主題の美しい旋律には微妙にテンポを揺らした表情があり、これも自然に聴かせているところがなかなか素晴らしい。この楽章は最後まで躍動的な推進力があり、劇的な仕上がりであった。
 第2楽章の切なくも美しい旋律は、何度聴いても飽きないところだが、やはりこの感傷的な音楽は、女性が演奏した方が素直に素敵に感じられる。音質の柔らかさ(左手の指の太さなども影響するのかも)が、旋律の美しさに合っているからだ。もちろん感性の面でも、あたかも恋への憧れを歌ったような感傷的なロマンティシズムが女性的である。青木さんの演奏は、良い意味で若い女性的であり、優しい音色が素敵だった。もちろん、純音楽としての構造感もしっかりしていて、ヘンに思い入れの入ったような弾き方ではない。
 第3楽章は、長いピアノの序奏に続いてカデンツァ風のパッセージが華麗な演奏を聴かせた。正確な技巧(とくに正確な音程)が安定感だけでなく豊かさをもたらしている。主題の歌わせ方もリズムに乗って推進力がある。展開部の技巧的な部分もサラリとこなしていくのはさすが。フィニッシュに向けての劇的な流れも躍動感があり、若さと瑞々しさが感じられ素晴らしかった。演奏中の表情にも、楽想が端的に現れていて、この曲を自分のものにしたことが感じ取れた。

【7】ヴァイオリン: パク・ヘユン ピアノ: マリアンナ・シリニャン
 2011年7月27日(水)19:00~ 紀尾井ホール

 リヒャルト・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ」は、どういうわけか、今年はこの曲をずいぶん聴いた。松山冴花さん、佐藤俊介さん、久保田 巧さん、青木尚佳さん、そして今日のパク・へユンさん。9月末には川久保賜紀さんも予定されている。久保田さんを除いて(失礼)、若手だということが共通点。この曲は若い人が演奏する方が抒情性が瑞々しく表現されて良いのだと思う。後半は元気を取り戻してくれるだろうか。
 第1楽章は、後半からようやく楽器が鳴り出してきた。前半のベートーヴェンよりは明らかに良くなってきたし、事前の弾き込みも十分になされていたようだ。シリニャンさんが目を覚まさせようとしきりに煽るように弾き、それに呼応するように音色がだんだん豊かになってきた。 
 第2楽章は、前半がとくに美しく感傷的な音楽。ヴァイオリンのやさしい音色がなかなか良かった。やはり穏徐楽章の方が弾きやすいとみえて、音もよく出ていた。一方、後半の盛り上がりでは、音量不足が否めなかった。
 第3楽章は、序奏からダイナミックなピアノに対し対等以上の演奏が求められる。歯を食いしばって弾いている感じ
ただ、第2主題のアクセントと抑揚の付け方にキラリと光るものがあった。大器の片鱗が垣間見えた気がする。豊かな才能に恵まれ、さらに楽曲の解釈においても作曲家の意図や心情を十分に理解しているのにもかかわらず、表現するだけの技が追いついていかない、そんなもどかしさとイライラ感が手に取るように解る。本当に体調不良なのだろう。最前列だと、演奏者の表情から心理状態までもが見えることがある。彼女は、若いだけにそのあたりをごまかすことに慣れていない。表情と演奏が一致しているから、そのあたりがよくわかるのである。
(注)この日のパク・ヘユンさんは、左腕の筋を何らかのアクシデントで伸ばしてしまったらしい。つまり痛みがあったのか、筋肉が固まってしまっていたのかわからないが、いずれにしても万全の態勢ではなかった。

【8】ヴァイオリン: 川久保賜紀 ピアノ: 清水和音
 2011年9月30日(金)19:00~ ヤマハホール

 今年は随分多くのヴァイオリニストでリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタを聴いた。松山冴花さん、佐藤俊介さん、久保田巧さん、青木尚佳さん、パク・ヘユンさんなどである。仕上げが川久保さんということになる。ところが川久保さんの演奏は、いままでとはかなり違った解釈を持ってきた。またまた新しい発見である。もともと、シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは若い時の作品であり、若い演奏家が瑞々しい演奏を聴かせてくれる時が一番作品も輝くと思っていた。川久保さんは、作曲した当時のシュトラウスよりも年齢が少し上になるし、大人の女性としてのアプローチだったと思う。
 第1楽章は、冒頭から力みのないサラリとした演奏で、ピアノと共に比較的小さな音から始まり、徐々にクレシェンドしていくようなイメージ。第2主題辺りからレガートが美しく旋律のフレーズを歌わせるようになる。再現部でも第1主題はさりげなく、第2主題をたっぷり歌わせるといった構成にしていた。このような演奏は初めて聴いたので、一瞬ドキッとしたが、第1楽章を終わりまで聴けば、なるほど、とういうことか、と納得できた。張り切りすぎないところ、思い入れを強くしすぎないところが、大人の味わいというものだ。
 第2楽章はとにかく美しい旋律の続く曲想なので、極端な弱音にも繊細に神経を行き届かせることのできる川久保さんならではの表現だ。「歌う」という表現をよく使ってしまうのだが、管楽器の「歌わせ方」が声楽の歌唱に似ているのに対して、弦楽器は人の呼吸とはやや違った器楽的な「歌わせ方」ができる。川久保さんの「歌わせ方」は楽譜の中からフレーズを読み取り、ひとつひとつの音符に微妙なニュアンスの違いを与え、フレーズがひとつの塊として浮き出させるだけでなく、曲の流れを分断させない連続性が見事。低音から高音域まで、優しくエレガントな音色に包まれつつ、音楽という波間に揺られているような、心の安らぐ楽章だった。
 第3楽章はピアノとヴァイオリンが複雑に絡み合い、キラキラと輝きだした。清水さんのピアノも玉を転がるようなキレイさで、ヴァイオリンと対等に対話していく。ピアノもかなり難易度が高いし、ヴァイオリンも易しくはない。ふたりとも超絶技巧の持ち主なのに、そのことを感じさせないところが良い。とくに川久保さんは、難しいパッセージも微笑みをまじえながら力まずにサラリと弾く。しかしその音楽は演奏家の意志を正確に表現していて、極めて緻密な構成力があるのに、その音色はあくまでエレガントである。
 この曲から漲るようなパッションを取り除き、青年シュトラウスの中の大人の部分を、楽譜の内側から導き出すような演奏だったと思う。やはり、川久保さんのヴァイオリンは素敵。間違いなく、Brava!!であった。

*   *   *   *   *


 以上、2011年に聴いたリヒャルト・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調」は、7組のアーティストで計8回であった。各コンサートのレビュー記事からの抜粋なので、内容的なかなり重複している部分が生じてしまった。
 同じ楽曲を短期間にこれだけまとめて聴くと、それぞれの演奏者の個性の違いがハッキリと浮き上がってくる。解釈の違いはもちろんのこと、音色の違い、あるいは楽器の違い、演奏技術の違い、経験の違い、そして奏者のパーソナリティの違い…。いずれの演奏も素晴らしく、かけがえのない体験となった。個々の演奏家の持ち味が出ていたと思われるし、所詮私のような素人が聴いた上でのことなので、演奏の良し悪しを述べるのは本意ではないが、あくまで個人的な好みで評価させていただくとすれば、一番強く印象に残ったのは、スケールの大きな豊潤な演奏を聴かせてくれた松山冴花さん。次いで大人のエレガンスで流麗な演奏を聴かせてくれた川久保賜紀さん。そして未来への希望を感じさせてくれた青木尚佳さん、というところだろうか。いずれにしても、1888年に書かれたこの曲を2011年に8回も聴けるということは、ソロで活動するヴァイオリニストにとって、この曲が名曲である証だろう。

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