5年前の今日のモーさん
時計の花は時を刻むかな?
幕末は黒船来航、手違いの孝明天皇の勅許なしの条約締結を絡めて徳川の世継ぎ争いから幕府内部抗争から始まったように私は感じています。(今でも政争はドロドロしているようです。脚色して清楚にし見ざる聞かざる言わざるが子供の教育には良いのかも知れません。)さて幕府では勝手に文句を付けに城へ来た事を咎められ水戸の徳川斉昭さんは謹慎処分され、水戸藩は大老井伊直弼の暗殺を計画、実行してます。思想として水戸学という藤田東湖の思想も時代を反映して長州などの過激派志士へ伝播していっています(尊王攘夷思想)。朝廷も当然のこと攘夷(外国を打ち払え)です。老中暗殺計画など不穏な世になり、安政の大嶽などもつづき、徳川の弱体が進む。13代将軍徳川家定が病死され、水戸藩の推す慶喜ではなく家茂14代将軍になり、開国派、攘夷派と朝廷も含めての抗争が激化し、京の都は天誅の暗殺テロで多くの開国論学者、要人が消えました。水戸の攘夷過激派による桜田門の変で大老井伊直弼が暗殺テロも起きていた。孝明天皇の妹の和宮が将軍の后になりました。孝明天皇も海外情勢を理解されて開国の勅許をされ公武合体の流れになりました。幕臣の勝海舟らは、西洋列強に対して全日本で海軍強兵を進言して、龍馬達も中へ加えて行きました。薩摩は英国戦艦に大砲を打ち込み、薩英戦争、長州も米艦に大砲を打ち込み、下関戦争でと共に大敗し、武器の差をやっと理解するようになった。しかし、攘夷過激派は京で暴動をつづけ、朝廷御所警備に新選組などが配備されて行き、とうとう、長州は御所へ大砲を打ち込み、朝敵となり、幕府は孝明天皇より長州征伐の勅を受けます、長州は幕府と薩摩連合と戦く力もなく「海舟がもう、幕府には統治能力は無く、内輪で争うのでなく雄藩が協力して西洋列強にあたるときである」と聞いていた西郷は、長州で交渉して内戦回避します。悪い事はつづき家茂は早くに病死してしまいます。お互い西洋列強に共に力を合わす思いの勝海舟も解任されてしまいますが、龍馬は、勝海舟との活動で得た西洋とのパイプや知識を生かし亀山社中などで有志を募って行くことになったのではと想像しております。
嵐勘十郎の正義の味方鞍馬天狗のおじさんは杉作、吉兵衛ともにつれ悪漢新選組をやっつける。昭和の私の知識です。
徳川慶喜15代将軍になると水戸藩も攘夷派は弱体して行きます。指導階級では開国が流れとなっていたと感じます。公武合体による朝廷を中止とした雄藩による合議制が現実的になっていました。龍馬の船中八策にもある大政奉還を迎えますが、公武合体を推す孝明天皇が崩御されてしまいます。龍馬もまた、暗殺されました。まだ、お若い明治天皇をめぐって朝廷内の策謀も生まれたようです。龍馬の意が山口容堂へ伝わり大政奉還が済みますと、倒幕が出来なくなり合議会議も徳川主導になることを受け入れられない薩長は、明治天皇を囲い込み、王政復古の大号令クーデターを起こしました。小御所会議の密勅ですね。新政府最初の会議で慶喜外しで要職を決議した。西郷の薩摩郡が御所を取り囲み対峙勢力を閉鎖し慶喜らの欠席のまま決議し、強行しました。山口容堂、松平春嶽らは反対し紛糾したが、西郷さんの「短刀一本で片付く」で恫喝により、徳川は領土を朝廷に納め官職を辞退することがきまりました。以後も薩長工作で江戸は盗賊の暗躍などで、放火や略奪が勃発しました。幕藩、幕臣達が戦を始め、朝敵として倒幕の勅を得る為です。結果は鳥羽伏見の戦いへ進み、多くの有望な人材が失われ多額の財源は列国への借金や賠償金へ流れました。龍馬や海舟の思いも慶喜の勇断も意味なく終わりました。高杉晋作は下関戦争後の連合艦隊との交渉では英雄ですが、現実的な賠償金の十数倍で支払いは幕府、後の明治政府ですが、米国より多く取りすぎたと変換を受けています。荷を背負う農民たちはやりきれないですよね。横井小南らも暗殺されたし龍馬は無念だったと思います。
その後、廃仏棄釈も行われ、聖徳太子以前への復古を唱えた新政府は、それまでの「和を以て貴しとなす」という。神仏習合の寛容さを否定し、攘夷を叫びつつ、西洋礼讃して支離滅裂に権力掌握しました。それまでの日本には文明が無く新政府によって文明開化したと。復古を旗頭に維新とは?江戸は浮浪者で溢れ、貧民帝都と化し。おのぼりさんは鹿鳴館で舞踏会にあけくれ、西洋の模倣を学びに要人挙って外遊して、留守に何も決めるなと西郷さんにあずけった。このていたらくに西郷さんも怒っただろう。引っ込んだ西郷さんに疑心暗鬼?大久保の策謀?結果、またまた内戦で勝海舟は西郷と交渉を託されたが「おめえらいつまでも何やってんだよ」と呆れてしまったと思いますね。「もっと、世の中敏速に、新体制へ移行出来るはずだった今更何だよ」て子供だってこう言っちゃうよ。大和の寛容さが薄れて、戦争の訓練はいっぱい出来て、戦好きは育ったちはしただろう。だから明治は戦争ばかり考えていた感じでがしませんか。江戸は230年も泰平の世でした。文明開化はカステラの文明堂がよろしい良いです。と思いにふける老けたこの頃であります。
明治維新 維新 良いのでしょうね?肉を食べる事が出来るからかな?
私は、スーパーマン、ケーシー・ジョーンズ、名犬リンチンチン、ラッシー、うちのママは世界一、ララミー牧場、ローハイド、ローン・レンジャー、ターザン達がヒーローで育ちました。書籍は世界文学全集でした。音楽はラテン、ポップ、ボサノバ、サンバ、ジャズ、シャンソン、カンツォーネといった具合。海外では共通の話のタネになりましたが、日本文化を聞かれると無知です。「維新前は文明は開化していませんでした」 とは言えませんね。
子供も、ピーターラビット、くまのプーさん、ミフィー、スヌーピーにアンデルセン童話などなどで読書はハリーポッターあたりで育てていますね。昼寝の音楽はトロイメライとかでした。
以前に窓ガラスにドンと当たった音がしたので
開けて見ると下に野鳥が居りました。
前にも時折音がすることがありましたが
鳥には気が付きませんでした。
どうも、衝撃で目を回しているようで動かなかった。
猫などに襲われると可愛そうなので。飛び立つまで
観ておりました。
小さいので何かの雛と思っていました。
野鳥のフィールドブックを見ていたら、雛ではなく
どうもミソサザイと言う日本の最小の野鳥の様にですが?
周辺に生息しているのは間違いないですね。
閑静にして動かず心の中に残る残影
私は日本の事は無知で、西洋かぶれです。明治維新も下級士族が日本文化を卑下して西洋讃えかぶれた。昭和維新、大東亜戦争後はさらに西洋かぶれが溢れる。私も典型だ、下級で無学のため日本の事を聞かれて答える知識がない。高齢者になって、寺社巡りで日本文化を知り始める馬鹿者です。日本の宗教は?仏教です。(だけじゃないのですが)どの様な教えですか?知りません。全てが万事でありました。江戸の文化社会は西洋以上に庶民生活は安定していたとは聞きもしなかった。世の中が西洋コンプレックスで凝り固まっていたと感じますね。小学校の先生が天皇は国民の象徴で盲腸のようなもの、あってもなくてもいい。とか言ったりしていた。また、米軍基地の住居で床を牛乳で磨いていると先生が言えば、所謂、優等生が牛乳を持ってきて床掃除をしたり、現実は白い液体ワックスだったけどね。教育もそうだが、GIのお兄ちゃんにハロー チューインガムとか媚びたりして、かれらの物の豊かさに羨望をいだきましたね。武士は食わねど高楊枝などの精神などは風の前の塵で下賤なガキでした。維新て悪いことも多いけど、未だに維新って良いイメージが定着してますね。平成維新、令和維新とね。勝てば官軍負ければ賊軍で官軍になった政府の下級志士は江戸を貧民帝都にしてしまい、江戸幕府の幕臣に行政は任せる事が出来たので良かったですね。今度の一万円札の渋沢栄一さんもその幕臣です。歴史は時の政府によって書かれるからね。負けていたら”タリバンのテロリスト”(桜田門の水戸藩のテロ組織も)と同じように歴史に書かれたでしょうか?