13年ほど違う環境で育って来ましたアンちゃんは、少々運動不足の夏太りですが、この子が好きな様にします。小泉八雲の「ある民族の社会的および道徳的経験を、他の民族のそれと取り替えることは、それが急速に行われようと、徐々に行われようとかわりなく、幸福な結果をもたらすことはあり得ない」に習って。
イザベラバートの日本奥地紀行がYouTubeにありました。桐原さんの書かれた街道歩き旅は表日本、彼女は西南の役翌年に裏日本からです。
彼女の観察、洞察、知識と文学表現は魅力的でした。諸行無常 万物はすべてはかなく
生者必滅 生ある者は必ず死す
寂滅為楽 死して涅槃の楽しみあり
文中から抜粋しました。
読み終わり、内村鑑三の代表的日本人にある、中江藤樹を思い出しました。子供たちの道徳教育を生活にて実践する優位性を述べています。また、犬飼隆明解説 南洲翁遺訓の1節も。
広く各国から制度を取り開明に進まんとならば、先ず我が国の本体を据え風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否からずしてみだりに彼れに倣いなば、国体は衰退し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。
解説 西郷隆盛について、中略 各国の制度を採り入れて開明に進むことはいいと言っている。しかし、その前に日本をどのような国にするつもりなのか、国民の中にどういう倫理や思想形成を促すのか、これが肝心だ、そうでなければ、文化も含めて欧米列強の支配を受けてしまうだろうという。こうした批判にもかかわらず、明治10年代後半に井上馨らによって、鹿鳴館時代と称される軽薄な一時期が生まれるのである。井上は、この時日本の漢字と仮名文化を排してローマにしようとまで言っていたのである。以上 抜粋しました。
それで、萩原朔太郎の日本への回帰が、浮かんで来ますね。
青空文庫 日本への回帰から
明治以来の日本は、殆んど超人的な努力を以て、死物狂ひに西欧文明を勉強した。だがその勉強も努力も、おそらく自発的動機から出たものではない。それはペルリの黒船に脅かさた西洋の武器と科学によつて、危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る為に、止むなく自衛上からしたことだつた。聡明にも日本人は、敵の武器を以て敵と戦ふ術を学んだ。(支那人や印度人は、その東洋的自尊心に禍され、夷狄を学ばなかつたことで侵略された。)それ故に日本人は、未来もし西洋文明を自家に所得し、軍備や産業のすべてに亙つて、白人の諸強国と対抗し得るやうになつた時には、忽然としてその西洋崇拝の迷夢から醒め、自家の民族的自覚にかへるであらうと、ヘルンの小泉八雲が今から三十年前に予言してゐる。そしてこの詩人の予言が、昭和の日本に於て、漸く現実されて来たのである。
明治の初年、東京横浜間に最初の汽車が開通した時、政府の公告にもかかはらず、民衆の乗客が殆んどなかつた。牛乳を飲むことさへも、異人臭くなると言つて嫌つた当時の人々は、すべての文明開化的の利器に対して、漠然たる恐怖と嫌悪の情をもつてたからである。明治政府の苦心は、かかる攘夷的頑迷固陋の大衆を、いかにして新しく指導すべきかと言ふことだつた。伊藤博文等の政府大官が、自ら率先して鹿鳴館にダンスを踊り、身を以て西洋心酔の範を示したことも、当時の国情止むを得ざることであつた。自ら西洋文化に心酔することなくして、いかにしてそれを熱心に学ぶことが出来ようか。過去僅か半世紀の間に、日本が西洋数百年間の文明を学得したのは、世界の奇蹟して万人の驚異するところであるが、この奇蹟を生んだ原動力が、実に鹿鳴館のダンスにあり、国あげて陶酔した、文明開化への西洋崇拝熱にあつたことを知らねばならぬ。
しかしその西洋心酔の真最中にも、日本は治外法権を撤廃し、条約改正を行ひ、朝鮮の不義を糺弾し、あくまで民族的自主の国家意識を失はなかつた。即ち八雲が観察した如く、日本人の西洋崇拝熱は、西洋に隷属する為の努力でなくして、逆に西洋と対抗し、西洋と戦ふ為の努力であつた。そして遂に支那を破り、露西亜と戦ひ、今日事実上に於て世界列強の一位に伍した。もはや我々は、すくなくとも国防の自衛上では、学ぶだけの者は自家に学んだ。そこで初めて人々は長い間の西洋心酔から覚醒し、漸く自己の文化について反省して来た。つまり言へば我々は、過去約七十年に亙る「国家的非常時」の外遊から、漸く初めて解放され、自分の家郷に帰省することが出来たのである。
だがしかし、僕等はあまりに長い間外遊して居た。そして今家郷に帰つた時、既に昔の面影はなく、軒は朽ち、庭は荒れ、日本的なる何物の形見さへもなく、すべてが失はれてゐるのを見て驚くのである。僕等は昔の記憶をたどりながら、かかる荒廃した土地の隅々から、かつて有つた、「日本的なるもの」の実体を探さうとして、当もなく侘しげに徘徊してゐるところの、世にも悲しい漂泊者の群なのである。
かつて「西洋の図」を心に画き、海の向うに蜃気楼のユートピアを夢みて居た時、僕等の胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れて居た。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき処の家郷は、世界の隅々を探し廻つて、結局やはり祖国の日本より外にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の国が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、電車を走らし、至る所に俗悪なビルヂングを建立して居るのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑ひのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失しては居ないのである。
我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり
と僕はかつて或る抒情詩の中で歌つた。まことに今日、文化の崩壊した虚無の中から、僕等の詩人が歌ふべき一つの歌は、かかる二律反則によつて節奏された、ニヒルの漂泊者の歌でしかない。AはAに非ず。Aは非Aに非ず、といふ弁証論の公式は、今日の日本に於て、まさしく詩人の生活する情緒の中に、韻律のリリシズムとして生きてるのだ。
3
僕等は西洋的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰つて来た。その巡歴の日は寒くして悲しかつた。なぜなら西洋的なるインテリジエンスは、大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかつたから。僕等は異端者として待遇され、エトランゼとして生活して来た。しかも今、日本的なるものへの批判と関心を持つ多くの人は、不思議にも皆この「異端者」とエトランゼの一群なのだ。或る皮相な見解者は、この現象を目してインテリの敗北だと言ひ、僕等の戦ひに於ける「卑怯な退却」だと宣言する。しかしながら僕等は、かつて一度も退却したことは無かつたのだ。逆に僕等は、敵の重囲を突いて盲滅法に突進した。そしてやつと脱出に成功した時、虚無の空漠たる平野に出たのだ。今、此所には何物の影像もない。雲と空と、そして自分の地上の影と、飢ゑた孤独の心があるばかりだ。
西洋的なる知性は、遂にこの国に於て敗北せねばならないだらうか。遂にその最後の日に、僕等は「虚無」と衝突せねばならないだらうか。否々。僕等はあへてそのニヒルを蹂躙しよう。むしろ西洋的なる知性の故に、僕等は新日本を創設することの使命を感ずる。明治の若い詩人群や、明治のロマンチツクな政治家たちが、銀座煉瓦街の新東京を徘徊しながら、青白い瓦斯燈の下に夢みたことは、実にただひとつのイデー ― 西洋的知性の習得 ― といふことではなかつたらうか。なぜならそれこそ、あらゆる文明開化のエスプリであり、新日本の世界的新興を意味するところの、新しき美と生命との母音であるから。過去に我等は、支那から多くの抽象的言語を学び、事物をその具象以上に、観念化することの知性を学んだ。そしてこの新しいインテリジエンスで、万古無比なる唐の壮麗な文化を摂取し、白鳳天平の大美術と、奈良飛島の雄健な抒情詩を生んだのである。今や再度我々は、西洋からの知性によつて、日本の失はれた青春を回復し、古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意志してゐるのだ。
現実は虚無である。今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる。だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の建設に向つて這ひあがつてくる。僕等は絶対者の意志である。悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、最も絶望的に失望しながら、しかも尚前進への意志を捨てないのだ。過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだつた。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なヂレンマに逢着して、二重に救ひがたく悩んでゐるのだ。孤独と寂蓼とは、この国に生れた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰! それは僕等の詩人にとつて、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ。暫らく我が静かなる周囲を去れ。
以上
イザベラバートは、旅の途中の文中に記している。
西洋の高価な贅沢品に夢中になって国を疲弊させるよりも、国内の品物輸送の
為に役立つ道路を作るというような実利ある支出をする事によって国を富ました方が、ずっと良いことであろう。(徳川藩政にあった原丈人さんの公益資本主義で岸田総理の新しく資本主義でしょうか?)
大正、昭和の薩長幕藩体制で、若い将校達は、特権階級の贅沢さに対し、出身郷の民の生活が貧しいままを憂い、若い知識階級は焦燥感を抱き、自らだけでも独立の為に進もうとし、庶民から乖離したのでしょうか?徳川藩政では下級権力階級は、傘張り、畑仕事、寺子屋講師の副業で、勤勉に民のお手本だったという。
井上さんには、およびませんが、私はありあわせのシシャモなどでピザを焼いた。
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