「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

よく似た漢字

2005年07月17日 | ああ!日本語
 パソコンの変換機能のおかげで、文字の間違いが少なくなりましたが、自分で書き物をしていて、一瞬、迷ったり、書き間違えたりをやってしまいます。
 「偶」と「遇」もその一つです。違いが「」と「」にあるだけで、字音が全く同じうえ、訓読みがないので戸惑います。

 形が違うのは意味が違うからなので、手がかりは「イ」が人に関係があり、人が並びあうことが原義と辞書にあります。そこから仲間、つれあいの意味が生まれ、配偶者、の熟語ができます。禺の持つ作り物の意味から、人と合わさって偶像、木偶(でく)。人が並び合うことから偶数、ここまではいいのですが、転じて思いがけなくから、偶然、偶発、偶成、たまたまの意味で偶感、偶詠、となると転意を覚えておくほかありません。

 遇の辶は、道を行く、思いがけなく出会うで、遭遇、千載一遇となりますが、「もてなす」や、「あしらう」の意味を持つのは憶える他はないわけです。待遇、優遇、厄介なのは遇にも、たまたまや、思いがけなくの意味があることです。
 ただし、こちらはほとんど偶の方を使っているように思います。

 「像」と「象」は、[一時的なゲンショウ]のとき、現像としているのを時々みかけます。
 現象、現像という紛らわしい熟語があるからでしょうが、どちらも訓読みを持っていません。象は動物の象を意味するときと、象嵌ぐらいしかゾウと読むことはないので、象はショウとおぼえてしまえば簡単です。
 天気はキショウ(気象)、写真はゲンゾウ(現像)です。

 今日の漢字の学習はここまで。