今日は7月7日、七夕祭りを太陽暦で行うところも多くなりました。もともと中国伝来の星祭ですが、戦後は商店街の客寄せの行事のようになって、民俗行事が、観光事業化して形を変えて伝承されていくようです。
折口信夫説だと、日本古来の棚機の民間信仰に中国大陸の星祭が結びついたもので、水辺で行われた農村の禊の行事であり、直ぐ後に控える大きな年中行事の盂蘭盆の準備のための禊の意味もあったというのですから、大イベントの「中元大売出し」の景気づけと変化しても不思議ではないのかも知れません。
私たちの地方では、公的機関は別として、子供のいる家庭では月遅れで8月の行事として行われています。
記憶の中では、早起きしてお椀を手に、里芋の葉の露をすくって集めた僅かばかりの水で墨を磨って、粗末な五色の色紙大の紙を四つに切り、「天の川」とか「七夕」とか書いた覚えがあります。
そして必ず紙を何枚か重ねて二つ折りにし、鋏をいれて前後左右対称の簡単な着物の形に作って吊るしていました。
祭りの後の笹竹は川に流したように思います。「今は昔」のものがたりです。
星祭のロマンはやはり梅雨がはっきり明けた季節がふさわしいようです。
折口信夫説だと、日本古来の棚機の民間信仰に中国大陸の星祭が結びついたもので、水辺で行われた農村の禊の行事であり、直ぐ後に控える大きな年中行事の盂蘭盆の準備のための禊の意味もあったというのですから、大イベントの「中元大売出し」の景気づけと変化しても不思議ではないのかも知れません。
私たちの地方では、公的機関は別として、子供のいる家庭では月遅れで8月の行事として行われています。
記憶の中では、早起きしてお椀を手に、里芋の葉の露をすくって集めた僅かばかりの水で墨を磨って、粗末な五色の色紙大の紙を四つに切り、「天の川」とか「七夕」とか書いた覚えがあります。
そして必ず紙を何枚か重ねて二つ折りにし、鋏をいれて前後左右対称の簡単な着物の形に作って吊るしていました。
祭りの後の笹竹は川に流したように思います。「今は昔」のものがたりです。
星祭のロマンはやはり梅雨がはっきり明けた季節がふさわしいようです。