「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

七夕まつり

2005年07月07日 | みやびの世界
 今日は7月7日、七夕祭りを太陽暦で行うところも多くなりました。もともと中国伝来の星祭ですが、戦後は商店街の客寄せの行事のようになって、民俗行事が、観光事業化して形を変えて伝承されていくようです。

 折口信夫説だと、日本古来の棚機の民間信仰に中国大陸の星祭が結びついたもので、水辺で行われた農村の禊の行事であり、直ぐ後に控える大きな年中行事の盂蘭盆の準備のための禊の意味もあったというのですから、大イベントの「中元大売出し」の景気づけと変化しても不思議ではないのかも知れません。

 私たちの地方では、公的機関は別として、子供のいる家庭では月遅れで8月の行事として行われています。
 記憶の中では、早起きしてお椀を手に、里芋の葉の露をすくって集めた僅かばかりの水で墨を磨って、粗末な五色の色紙大の紙を四つに切り、「天の川」とか「七夕」とか書いた覚えがあります。
 そして必ず紙を何枚か重ねて二つ折りにし、鋏をいれて前後左右対称の簡単な着物の形に作って吊るしていました。
 祭りの後の笹竹は川に流したように思います。「今は昔」のものがたりです。
 星祭のロマンはやはり梅雨がはっきり明けた季節がふさわしいようです。

花暦  その二

2005年07月06日 | 季節のうつろい
桔梗
 何度植えても、土があわないのか育たなかった桔梗が今年は全部大きくなって次々に花をつけています。
 王朝の昔から咲き継いできた花で、詩歌や絵画に登場することの多い花です。
 山上憶良の有名な秋の七草を詠んだ「萩が花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴朝貌の花」の旋頭歌で、最後の朝貌は桔梗とするのが今日では定説のようです。
 枕草子では朝顔、桔梗それぞれ独自に登場して、竜胆、刈萱、女郎花などと共に秋草にリストアップされています。
 昔から日本人の好きな花のようです。現代の感覚からは桔梗は梅雨時の花という感覚ではないでしょうか。
 秋草と呼ばれる草花は、旧暦では7月から秋とはいえ,季節の秋を実感する今の10月にはおおむね枯れてしまって、、秋草というより夏の終わりを告げる花といったところです。
 五つの花弁の切れ込みも、色もきっぱりとして、武家にも好まれ家紋にも用いられています。





岡虎の尾
 籠の花入れによく合う花です。桜草の仲間といわれてもちょっと首を傾げたくなります。
勿論、花穂の形からきた名前のいかつさでしょうが、一つずつの花は可愛らしい形をしています。


 

「井筒の女」

2005年07月04日 | 絵とやきもの

 先日の「江戸の絵画」の里帰り展で、遥かの記憶の底に沈んでいた亡霊に出会いました。

 宗達描くところの「河内越え」の小さな色紙が、極彩色の厚塗りで展示されていました。
 画面左上に庭の植え込みの中に小さく身を潜める男と、右下半分に大きく吹きぬきにした縁先に、黒髪を引く後ろ姿の女が描かれ、「風吹けば沖つ白波立田山 夜半にや君の一人越ゆらん」の歌が上に書かれていました。

 この伊勢物語「河内越え」は「井筒」として謡曲でも謡われており、有名な段ですが、簡単に筋書きを書いておきます。、
 井戸のそばで遊んでいた幼馴染が成人して、「筒井筒 井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹見ざる間に」との男の歌に
、女が「比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべき」と応え、結婚します。
 歳月が経ち、男は新しく河内に通う女ができます。ところがこの井筒の女は、「悪しと思へる気色もなくて出だしやりければ」男は疑心を持って、ある日、「河内にいぬる顔」で庭の植え込みに隠れて様子を窺うのです。
 夜更け、女は「いとよう化粧じて」「風吹けば・・・」この夜更け、風の中を今頃はたった独り山越えをと、夫の身を案じる歌を詠むのです。やがて男は河内に通うのをやめた。という筋書きです。
 
 10代の終わりの学生の時分、伊勢物語のこの段をを初めて読んだときのことです。なにかおかしいと違和感を持って、小品に書いたことがあります。
 井筒の女は、夫が河内に出かけた振りをして、どこかから様子を窺っていることを計算の上で、芝居がかった演出をしたという解釈で、生意気な、青い心理分析を披瀝して得意になっていた遠い日を思い出しました。

 しばらくは宗達の「河内越え」の前に佇んで白塗りの男の顔を眺めていました。

里帰り展

2005年07月03日 | 絵とやきもの
 昨日は待望の雨となり、庭仕事ができないので、思い立って北九州美術館の「江戸絵画への熱いまなざし インディアナポリス美術館名品展」と題した企画展に出かけました。    
 雨とはいえ土曜日のことでかなりの入場者でした。
 アメリカ最大規模の美術館のコレクションである以上、今後お目にかかる折もあるまいと、出かけました。
 屏風絵をはじめ、華やかな極彩色の花鳥や、色紙、短冊の張り混ぜに源氏物語を配した豪華なものが多い中で、私の目は、珍しく墨一色で描き上げた伊藤若冲(じゃくちゅう)のユニークな大黒天と、もう一点餅を描いたものに惹きつけられました。
、円相風の緊張感のある重ね餅が、力強く右から左へ思い切り良く筆を走らせた大葱の束の上に乗っているという、まるで判じ物のような作品です。その筆遣いの力強さに惹かれました。

 いつもやることですが、「この中から一枚あげると言われたらどれを選ぶ?」で、私は若冲の餅、夫は森 狙仙の毛描きの猿が気に入ったようです。そして繰り返し、戦後の混乱の中で海外に流出した多くの作品を、まるで自分のものででもあったかのように惜しんでいました。
 そのおかげで世界に日本文化への興味、関心が生まれたのならそれも一石とは思うのですが・・・。

   


     


文字遊び その二

2005年07月02日 | ああ!日本語
 先日の「爪のない爪の話」のコメントで、つい調子に乗って、「子」文字の遊びを提起しました。
 早速の「ネえ、ネえ、コのコどこのコ、」や、「一ダースなら安くなる」などの傑作が寄せられましたが、もともとは一体どう読むの、気になって仕事の邪魔とお叱りもありました。
 「宇治拾遺」に出ているところでは、嵯峨天皇が、小野 篁に、「子」文字を12個書いて、「読め」とおおせられ、篁が「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読んで、難を切り抜ける話になっています。片仮名のネは古くは子と書いたので、子は「ね」とも、「こ」とも読むし、音読だと「し」です。これでよろしいでしょうか。
 今でも訓めない歌が万葉集にはありますが、その中で、戯訓はかなり「おあそび」の要素が濃いものです。十六を「しし」八十一を「くく」、馬声を「い」蜂音を「ぶ」などと訓んでいます。

 「江談抄」の中の難題から、「木頭切月中破」なんだか詩句のようですが、これは、木の頭を切った文字は、「不」月の中を破ったのは「用」で、「不用]という返事でした。
 そのほかにも、七と刀を離して書いて「寄らば切るぞ」だとか、千の字を九つ書いて[泉岳寺]などおしゃれです。
 車の頭をひっこめたら、「でんしゃ」でしょうか。こんなのは今時のお若い携帯世代の独壇場でしょう。
 文字あそびを楽しむのは、わが国古来の伝統文化のようです。