「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

法隆寺の至宝

2008年06月01日 | 旅の足あと
 翌日は所用のある妹とは別行動で、一人で30余年ぶりに法隆寺に行くことに
しました。JR奈良駅から三つ目が法隆寺駅です。小さなシャトルバスの乗客は一
人きりで、朝も10時だし、静かな拝観を期待したのでしたが・・・・

 古い記憶を覆す斑鳩の里はすっかり様変わりの住宅街になっていますが、わが
国最初の世界文化遺産に登録された寺院や伽藍は、変わっているはずもなく、む
しろよく整備されていました。
 修学旅行の小学生、中学生たちの囀りの喧騒を避けて、中門の前を右に折れ、逆周りす
ることに決めて東院に向いました。

 真っ先に、中宮寺の国宝、思惟半跏の弥勒菩薩にご挨拶に行くことにしました。ここまでは、中学生たちもやってこないので、開け放たれたお堂にすわり、心ゆくまでアルカイックスマイルの面差しを眺めていました。
 歴代皇族が尼門跡を勤められる寺だけに、どこか優美な気配なのですが、若い日に目にした木造のお堂で、西向きに座しておられたお姿が浮かんで、陰翳礼賛とはまいらぬ今を落ち着かないものに感じていました。
 国宝の天寿国曼荼羅(レプリカ)を眺めながら、聖徳太子一族の辿った悲劇を反芻していました。
 夢殿の本尊、救世観音の春の開扉は先週日曜日で終了しており、拝観できなかったので、美しい八角円堂のたたずまいを回廊を歩きながら眺めていました。

 
 昼食の後、西院伽藍に入りましたが、修学旅行生が間歇的に押し寄せてきて、賑やかこの上ないことですが、彼らの通り過ぎる記憶の中に、柔軟な感性が刻む古代日本の遺産が少しでも留まっていれば、いつの日か灯が点る時もあろうかと思い直しました。

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 ここで思いがけぬ拝観が出来たのです。一年に3日間しか開扉されないという国
宝の飛鳥仏の秘宝、本尊の金銅釈迦三尊をはじめとする諸像が、これから始まる金堂修理のために、大講堂の上にある上御堂に移されていたのです。
美術全集でしか見たことのない憧れの飛鳥仏に逢えたのが、本日の思いもかけなかった余慶でした。
 西院伽藍の回廊を出て、少し登るので、拝観を省略する人が多く、ゆっくりしていました。
 目の前、僅か1メータぐらいの所で、扉は開け放たれ、懐中電灯も必要ない明るさの中で拝観するうち、訳もわからず涙がこぼれそうになりました。
(画像は聖徳太子のために作られた金銅釈迦三尊と、父君用明天皇のために作られた金銅薬師如来像と二枚入っています。)


 大宝蔵院と名づけられている宝物殿は、かつてとは比べようもない立派な建物になって、展示もよく整理されていました。ただ、保存のために仕方がないとはいえ、以前とは異なり、極度に照明が落とされていて、玉虫厨子など、妹が持たせてくれた小さな懐中電灯を頼りの拝観でした。
 学校で用意された栞を片手に、熱心に鑑賞する子、自分の足と仏像の足のサイズを比べている子、教科書そっくり、と感心している小学生とさまざまでした。
 百済観音は、別室に北向きで、優雅な立ち姿で佇んでおいででした。ここは少し明るく、衣にのこる朱も横から捉えることができました。
 橘夫人念持仏、夢殿の夢違観音などもここに安置されています。
 一日を法隆寺で過ごして4時過ぎ、濃密な時間を充足した思いを抱いて斑鳩の里を後にしました。





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<南大門より見る法隆寺
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2 コメント

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笑顔の素晴らしさ (香HILL)
2008-06-01 23:50:46
中宮寺のあの菩薩像は特に有名で、人気投票をしたらトップ10に入選するでしょうね?
東大寺の大仏さんが一番で・・。

”大和古寺風物詩”は亀井勝一郎の著ですが、中宮寺の思惟像を絶賛していたのを思い出しました。
考えている姿はロダンの作にも類似点があり、微笑はモナリザの作にも似ている。
微笑は慟哭前の一瞬のホホエミか?と。
無限の忍耐、言わば人生を耐えに耐えたあげく、ふとあの微笑がわくのか・・云々。
いやいや、プロの感じ方は違います。

亀井先生や主宰の古寺巡礼を真似てトライをしてみようかな?
古稀を過ぎてからにしましょうかね、今は忍耐力をつける作業に専念。
色黒の老いたる男があの微笑の真似をしたら
???、目はパッチリと開けて・・と考えている次第。

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永遠の微笑 (boa !)
2008-06-02 21:39:13
香HILLさんは、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」ですか。私は和辻哲郎の「古寺巡礼」の洗礼を受けたのがそもそもの始まりでした。

たしか世界の三微笑の一つだったと思います。スフィンクス、モナリザと並んで。
和辻はこの仏を、「慈悲の権化、人間の心の奧の慈悲への願望が、その求めるところを人体の形に結晶せしめたものである。飛鳥彫刻の究極の美を示している」と絶賛していました。
瞑想する静かな心が蘇ります。
愚かで、欺瞞に満ちた己を丸ごと受け入れてくれそうな微笑です。
お願いですから、あの微笑をなぞったりなさらないでください。
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