「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

「三輪壽雪の世界」展

2007年01月19日 | 絵とやきもの
 先日、出不精になっていた私を誘って、弟夫婦が博多三越ギャラりーでの「三輪壽雪の世界展」に連れ出してくれました。

「自分の生命のこもった、借り物でない作品を作りたい。その気持ちだけはいつも持ち続けて来たし、これからも持ち続けて行きたい」といった頃の「休雪」の呼び名のほうに親しみを持っていますが、今は子息の竜作氏が「休雪」を襲名しておられるので、「壽雪」とお呼びするしかありません。


 この企画は「開店10周年文化企画第1弾」と銘打ってありました。
 三輪家は萩焼の伝統を伝える名家で、壽雪で、11代です。96歳の今も現役の陶芸家で作陶に励んでおられ、兄の10代休雪(後の休和)に続いて人間国宝の指定を受けられました。

 今回の回顧展では、80年に及ぶ陶芸家としての仕事を、4つの時代に分けて作品展示がなされていました。

       1章 修業と「休」の時代
       2章 十一代「休雪」襲名
       3章 大器「鬼萩」の創世
       4章 「壽雪」造形の清雅

 茶碗を中心に、水指、花入、陶筥などが展示され、会場の隅には、焼成までの工程が大きな写真パネルにして展示され、迫力を添えていました。

 好みからいえば、私は十代の休和白の「休和」の作陶のほうがピッタリくるのですが、展覧会の会場では、華やかな壽雪の鬼萩の世界は目を惹きます。
 90歳を越えての作陶にみられる気迫は、年齢に逆行するかのようで、やはり、ただものではないと思わせます。

 会場では、裏千家の方たちによる薄茶が、「人間国宝、壽雪の茶碗」で点出しされていて、予約していた人だけという盛況でした。

 長い時間を空けられない私を気遣って、直行して、そのまま何処にも寄り道せずの帰宅です。

2003年 鬼萩花冠高台茶碗2003年 鬼萩花冠高台茶碗
銘 命の開花
 
「休雪」の号を子息に譲り、「壽雪」と号した最初の作陶
2006年鬼萩割高台茶碗2006年 鬼萩割高台茶碗

老いてますます力強く荒々しいまでの逞しささえ窺える茶碗。
紅萩菱形水指1969年 紅萩菱形水指

銘 花篝 

片身変わりの一種モダンな雰囲気が強い造形の中に漂っています。
1965年 <br>
白萩手桶花入1965年 白萩手桶花入

山口県立萩美術館以来の再会でした。
三輪家の若手作家もこの手の形の佳いものを伝承していました。初期花入の代表作といわれています。

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5 コメント

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夫婦茶碗 (香HILL)
2007-01-21 10:27:38
写真にある茶碗は凄いですね、展示会場では即売会はあるんですか?
お安ければ一つ買いたいな・・。

湯飲み茶碗の夫婦一対の物はサイズが同じでしょうが、
ご飯茶碗の場合、サイズに違いをつけていますか?
男女平等の時代、お茶碗サイズも平等になったのかしら?

どうも、芸術性より日々の暮らしを大事にする方でしてね。
当方は。

主宰におかれては、観梅の頃に、ご自宅でお茶会を開催され
手持ちの高級茶碗を招待客にお披露目されては如何でしょうか?そう、茶碗にも陽の目を・・。
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目で楽しむ (boa !)
2007-01-22 06:28:00

人間国宝の茶碗など、手の出る価格ではありませんので、遠く眺めて目で楽しむだけです。
買うことのない宝くじにでも当たらない限りは・・・・・・

日々の暮らしの中で、せめて自分の好みのご飯茶碗と、湯飲みでと思いますが、それすら妥協する情けない懐具合を悲しみます。
欠けようと、取り落とそうと(最近よくやります)、気にしなくてよいようなものばかりでも味気ないとは思いますが。

お説に従って、取るに足らぬささやかなコレクションを、たまには並べていつくしむとしましょう。
前後の手入れと手間をいとうようでは、もう”品格”どころではありませんね。

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東京で見ました (雪月花)
2007-01-22 16:06:34
ご無沙汰しておりました、こんにちは。(いつも)遅まきながら寒中お見舞い申し上げます。大寒の候となりまして、東京にも初雪が舞いました。化粧をするほどのこともなくすぐに雨に変わってしまい、今日は午後から春のようなのどけさです。菜の花が咲き、遅咲きのはずの白梅の木々に紅いつぼみがたくさんついて、もう枝を染めています。
壽雪展は昨年の夏だったでしょうか、東京で見ました。壽雪はその前にこちらで拝見しまして、一度実物をと期待して出かけましたのです。でも‥わたしも美術品よりふだんの暮らし優先なのでしょうか、親しめないいまま会場を後にしてしまいました。「これでお薄を‥」とはとうてい思えませんでしたのです。まったく浅はかなことで、出入り口付近のショーケースに並んでいました即売用のぐい呑みから「ひとつ呉れる」というのなら「ぜひとも」と思いましたけれども‥(お恥ずかしい、すみません) 実るほど志を上げて邁進してゆく方でなければたどり着けない萩焼の斬新な境地。敬服いたします。
ご多用の折にもいたわりのお言葉をさりげなく届けてくださるboa!さま、今年もまたたくさんのことを教えていただくのを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
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遠く眺めるのみ (boa !)
2007-01-22 22:10:46
全く同じ感想です。ただただ畏れ入りました。
齢を重ねる様々な相に、頭を垂れて退場、退却しました。
鬼萩の口辺は、どんな感じがするのでしょうか。
口当たりは、ゆるやかなカーブで、やわらかく、適度の厚みがあるのが好みです。

こちらこそ、今年もよろしくご教導ください。ハイ・レベルの論調に、オタオタしながら、なんとかついてゆくつもりです。

成長目覚しい俳画を楽しみにお待ちしています。
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boaコレクション (渚一号)
2007-01-23 21:00:38
陶芸品の手持ちの品々は蔵書の虫干しと同様に、定期的に床の間に陳列し、眺めるだけでなく、活用の機会を与えたいですよね。
そう、使われてこそ道具は生きるって、聞きます。
木箱に入れておくものではありません。

昔テレビで、女優さんの別荘訪問と言う番組で、台所がピカピカでしてね、質問者”お料理されているんですか?”
女優さん”・・・・・”

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