「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

自分の時間

2005年01月14日 | 塵界茫々
 こころ豊かに生きてゆきたいとは誰しもが願うことでしょうが、現実はなかなかそれを許してはくれません。どこまであるのか天のみぞ知る時間を、美しくエンジョイしなくてはもったいないとhは思うのですが。・・・
 生きていくうえでの浮世のしがらみに縛られてのよんどころない時間以外の、自分の時間は、同じ時間なら,「踊らにゃ損々」の論理でいくのが楽しいと思っています。
 つまり、中身が同じコーヒーでも、紙コップに入れて飲むのと、それをお気に入りのカップで味わうのでは、そこに流れる時間の豊かさが違うはずだということです。
 惰性で日を送るのは人生の浪費だと思ってはいるのですが、何に対しても興味が湧かない時があります。本にも入っていけず、絵筆も走ってくれない時、外に出て歩くことにしています。季節の移ろう姿に元気を貰うことが多いようです。
 私にとっては、未知のものに好奇心をそそられる時が一番充実を感じる時間です。いまはパソコンに傾斜して、少しの時間があれば、キーを打っています。次から次への疑問と発見は、これまで知らなかった世界を提示してくれます。こうした時間を過ごしていると、マスコミの騒ぐ報道の多くがばかばかしく、タレントの動静などに構ってはおれません。同じ時間を使うなら、密度の濃いものに使ったほうが意味のある生き方だと思うのは、残り時間の少ない年寄りのひがごとでしょうか。

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4 コメント

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素晴らしいです。 (りこ)
2005-01-14 09:05:36
私の場合は時々電池切れをおこしますが、パワフルな行動力を尊敬し憧れています。
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少しは見習います (ba-ba)
2005-01-14 19:03:29
無駄と余裕はまるで違いますよね、何でも合理的に無駄を省くと言いますが、出来れば無駄を無駄と言わないで余裕を楽しむぐらいの心のゆとりを持ちたいものです。

今度から地区会のお茶はやっぱりお湯飲みで出して、私が洗って片付ければ良いのだ。と思いました。

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引きずられない時間 (R.H)
2005-01-14 21:05:05
パワフルな行動力と心のゆとり。いいですね。ブログのお仲間がこうしてコメントをつなげてゆくのも、まさに、自分の時間をしっかり持ったことになるのでしょう。ブログは、こうでなければ面白くありません。現代の「連歌」ともいうべきものです。では、例によって長たらしく、



密度の濃い納得のいく時間を持ちたいと思いながら、本当に自分だけの時間はなかなか持てません。結局は身のまわりの様々な事象に反応して動くことになります。気の入らない惰性の時はそれだけ周囲に刺激がないということ。あっても心が響かないということでしょうか。一日に活動のときと睡眠のときがあるように、活力満ち溢れるときと惰性で流れる休息のときがあるのは人間の自然なのかとも思います。

年齢に関係はありません。昨日の夏目漱石にしても、49歳で亡くなっています。20代、30代で俳句の世界にのめりこんで行ったことになります。パソコンの開発も、荒々しいとも軽々しいとも思えるほどの若い才能のたまものです。これらの俳句を鑑賞し、パソコン操作に充実感を持つのも、知らず知らずに若い才能と好奇心に共感していることになるのではないでしょうか。それが自分を若く保ち、充実したときを実感する源になっているのでしょう。大いに自分の好奇心に引きずられましょう。

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若い才能に感謝 (mamai)
2005-01-15 10:54:47
R.Hさんのおっしゃる通りで、若い才能に感謝し、共生して、今を精一杯楽しみ、「踊る」ことにします。
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