「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

花八つ手

2004年12月01日 | 歌びとたち
 早朝、偶然つけた教育テレビで、俳句の選が行われていました。選者によって選ばれたさすがと思われる句の解説が進行し、やがて特選句3句が発表されます。毎回のことですが、お二人の選者がおられて、同じ句を選択されることはまずありません。3句のうち一句が重複して選に入るのはあります。これは新聞の投稿歌や句の場合も同様ですね。

 ここに人の感性のさまざまがうかがえます。選者のすぐれた解説、鑑賞の眼力に敬服しつつ、ひそかに自分ならと選んだ句が取り上げられたときは、豊かな気分で満足します。添削で指摘される助詞の使い方一つで、句がまるで違った世界を展開するさまを、感動とともに、自分の日ごろの言葉への対応のいい加減さを自覚させられます。


 今日の兼題の一つに「花八つ手」がありました。

   花八つ手三島由紀夫のあの日来る
    
 お一人の選者の方が特選にあげられました。三島忌でなくあえて「あの日」と表現した点に篭る作者の想いが伝わる。といわれていました。

 私は花八つ手の白いか細く花火状に広がる花に三島の手袋の白の幻影を見ます。すっかり忘れていた、11月25日の市谷での自決の衝撃のニュースを鮮やかによみがえらせました。もし、今三島が生きていたらこの時代に対してどんなメッセージを表示するかと、今日から師走の風の中で考えてしまいます。