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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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今年のマイ・ブーム

2010-12-27 11:19:45 | Jazz

今年のマイ・ブーム
                                                           By The Blueswalk

 今年は社会的にも個人的にも身の回りにいろいろな事が起こった一年であった。ジャズ界でもスウィング・ジャーナルの廃刊とそれに代わるジャズ・ジャパンの創刊、ワルツィ堂島の閉店など激動と言ってもいいような出来事が起こった。そして僕はちょっとやりすぎじゃないかと思うぐらいレコードやCD蒐集に明け暮れてしまった。来年からは蒐集は少し控えめに、聴くことに集中したいと思っている今日この頃である。
ただアメリカからは新しいジャズの息吹があまり聞こえてこない中で、幸運なことに相変わらずなのはイタリア・ジャズの活況である。今年もハイ・ファイヴを中心としたイタリア・ジャズの台頭には目を見張るものがあった。その中で録音はずっと古いが、個人的に良く聴いたのがバッソ=ヴァルダンブリーニ・クインテット」である。ジャンニ・バッソはこのところピアノのレナート・セラーニとのコンビでの『ボディ・アンド・ソウル』やギターのイリオ・デ・パウラとのコンビでの『リカード・ボサ・ノヴァ』と、70歳を過ぎても精力的な活動が見られるが、このヴァルダンブリーニとのグループはイタリア・ジャズを語る上では欠かすことにできない重要なコンボである。1950年代の中ごろ、ジャンニ・バッソ(ts)とオスカー・ヴァルダンブリーニ(tp)を双頭リーダーとして結成されたコンボで、1959年にデビュー・レコードを発表し、戦争の影響でヨーロッパの中でも遅れていたイタリア・ジャズを最初のイタリア発のモダン・ジャズとして世界にその名を知らしめた。60年代のイタリアを代表するジャズ・コンボであった。その特徴は、ウエスト・コースト・ジャズの華麗なアンサンブルとイースト・コースト・ジャズの激しいアドリブをあわせ持ったユニークなスタイルにある。ただ、両者の良いとこ取りをしたからといって、一概に1+1=2になるとは云いがたいところがジャズの難しいところではあるが、彼らはそれで成功したといっていいだろう。

『バッソ=ヴァルダンブリーニ・カルテット・プラス・ディノ・ピアナ』
は1960年作。クインテットにトロンボーンを加えた3管フロントでよりアンサンブルを厚くした作りではあるが、3人のソロもふんだんに取り入れており、ウエスト・コースト風とハード・バップ風が交互に出てきて飽きさせることは全くない。1曲目の“クレイジー・リズム”ではスタン・ゲッツ風のバッソのテナーとチェット・ベイカー風のヴァルダンブリーニのトランペットがユニゾンでハモりながらも若々しいハツラツとしたソロも聴かせてくれる。そこへ、ピアナのトロンボーンとセラーニのピアノが絡んできて、盛り上げていくという具合だ。本作では、ほとんどがスタンダードでまだオリジナル性を確立する前の段階といえるだろう。この時点では、まだウエスト・コースト・ジャズの影響を受けたイタリアの新進気鋭の若者たちのジャズという雰囲気が前面に出ており、これはこれで完成された出来具合だ。
 
『ウォーキング・イン・ザ・ナイト』
も同じく1960年の作。1曲目の“ロタール”は完全にブラウン=ローチ・クインテットを髣髴とさせるハード・バップ演奏である。特に、ドラムがローチ・ライクなシンバルさばきで、このリズム隊三人はそれを強く感じさせる。それに加えて、短いながら、トランペット、テナーのソロが快調に飛ばしていく。これがイタリア・ジャズの火付け役となった名曲・名演であるとのこと、一気呵成の3分間があっという間に過ぎてゆく。3分そこそこと短い演奏なのがもったいない。2曲目の“ブルース・フォー・ジェリー”はどことなくジャズ・メッセンジャーズの“モーニン”を模したような快適なブルース。ウォーキング・ベースを聴いているだけでなんだかワクワクする演奏だ。これほどの颯爽とした演奏を聴かせるグループが当時のアメリカにどれほどあったろうか。とにかく殆どをオリジナル曲で占めながら、当時のアメリカのメインストリーム・ジャズに全くひけをとらない演奏技術とスウィング感には驚嘆するだろう。それに、当時のアメリカのコンボと根本的な相違は、すべてとは言わないが、アメリカの有名なコンボの多くが、演奏者の演奏技量とアドリブのひらめき一発に賭けて作られたのに対し、こちらはきっちりとした編曲でアンサンブルを構成し、その上に各自のアドリブをちりばめて短いながら密度の濃い演奏をしていると云えることだろう。その典型がこのアルバムに現れていると言っていい。

 『ザ・ベスト・モダン・ジャズ・イン・イタリー1962』
はタイトル通り1962年の作。これもトロンボーンを加えたセクステットで、オリジナルとスタンダードが半々ずつの構成である。どちらかというとイースト・コースト味が強化されているようだ。各ソロも手を変え品を変えして、アグレッシヴに攻め立ててくる。テナーが前2作に比べて太くたくましい音に変化しているのは全体に重量感とアーシーな雰囲気を出そうと工夫しているのだろう、そのため聴いた後のイメージが若干変わってくる。いずれにしても3人のフロント奏者の力量が高いレベルで同質なため、どんなタイプの曲でもこなせるというのがこのコンボの強みである。こんな演奏が1960年代のイタリアにあったんだという感動がふつふつと湧いてくるのだ。残念ながらこのコンボは1970年ぐらいに解散してしまったということで、その解散が惜しまれる。まだ、当時の音源が残っているならどんどん出してもらいたいものだ。

 イタリアのデジャヴというレーベルの主宰者でプロデューサーのパオロ・スコッティの呼びかけで、2005年に「イディア6」というバッソとピアナの双頭コンボが復活し、2007年には日本公演もあった由、まだまだ若者には負けていられないという彼らの意気込みが衰えていないことの証であろう。残念ながら、最年長のヴァルダンブリーニは1996年に亡くなったとのことであるが、他のメンバーは健在も活動を続けているのは喜ばしいことである。スコッティはイタリアのモダン・ジャズ黄金期の歴史的遺作を復刻すると同時に新しいジャズの創造を提唱しているとの事なので今後もそれに対する期待は大きい。このことが、現在のハイ・ファイヴたちイタリア・ジャズへいい影響をも与えているようである。


コンプリート・コロンビア・マイルス 顛末

2010-12-24 22:09:21 | Jazz

コンプリート・コロンビア・マイルス 顛末

2010.12.24今日はクリスマスだというのにとほほです。うわさどおり、内容違いを発見しました。「ゲット・アップ・ウィズ・イット」の中身が「アガルタ」になっているではあーりませんか!! いくらアガルタが好きな僕でも何枚もあってもしょうがない。ヤフオクで買ったのでタワレコに持っていって交換してくれるはずがないし、オークション出品者に問い合わせ中なのだが、むりだろうなぁ?


コンプリート・コロンビア・マイルス

2010-12-20 11:09:41 | Jazz

コンプリート・コロンビア・マイルス

                                               By The Blueswalk
 僕はどちらかというとCDよりアナログ派なので、マイルス・デイビスのCDはそんなに多くもっていないし、ほとんどアナログとダブって持っているのであまりCDを聴く機会も無い。昨年コロンビアからそのコンプリート・セット(CD70枚+1DVD)が出たのは知っていたけれど、紙ジャケットの糊がCDの面についているとか、カインド・オブ・ブルーの内容が別物であるとかいううわさもあり、3万円以上という高額なため、全く蝕指が動かなかった。ところが、最近の趣味としてヤクオク漁りが病みつきになっているところに、上手い具合に件のCDセットが出品されているのをみつけ、遊びがてらにちょっと入札したのが、ついはまり込んで負けず嫌いが災いの元、ついつい落札してしまったというのが実際のところである。
まあ、市販の実売価格の7割ぐらいで手に入れたから良しとしよう。
 マイルス・デイビスのコロンビアへのレコーディングは1955年の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』から、1985年の『オーラ』まで、約30年に渡り、彼の楽歴の6割ぐらいを占めているので、これからマイルスを聴こうと思っている人にはうってつけの品ではある。しかし、日本語の解説とかは一切ないので、日本の初心者向けではない。既にかなり聴いているよといった人には無用の長物ではあろう。CD棚にコンパクトに収まるのが唯一の利点かもしれない。古いCDに比べるとリマスターされているので音質は良くなっているようだ。既に持っているCD、CDR(ツタヤのコピーが多い)との重複を細かくチェックしたら、結局僕にとっての全く初物は4枚しかなかったのだけれど・・・ とりあえず、いままで持っていたCDをヤフオクで処分すれば、何割かは回収できるし音質向上分を上乗せしたら損をしたという気分ではない。
 まあ、これから年金生活者のこととて、時間はたっぷりある。ゆっくり聴いてやろうじゃないかと思っている今日この頃である。


アンチ・マイルスって?

2010-11-17 23:07:33 | Jazz

アンチ・マイルスって?

                                                     By The Blueswalk
  今月の例会テーマが『マイルス vs アンチ・マイルス』なので、今回はこんなタイトルになってしまった。 最初に断っておくけれども、僕はアンチ・マイルスなんかではない。それどころか、マイルス大好き人間と言ってもいいほどいろんなタイプのマイルス・ミュージックを楽しんでいる。ご存知のように、マイルス・デイビスはチャーリー・パーカーの許でビ・バップ革命の洗練を浴びて以来、常にジャズ・シーンの中心にあり、数々の変遷を遂げてきた。一言にマイルス・ミュージックといっても、大雑把に分類してもビ・バップ、クール、ハード・バップ、モード、エレクトリックと様々な系統のジャズを演奏してきている。以前会報の記事で、“マイルス・デイビスの歩んできた道がジャズの王道になった”と云ったことがあったけれども、それはお世辞でも極論でも無く僕の本音である。しかしながら、かといって50年にも及ぶマイルス・デイビスの楽歴におけるすべてのカテゴリーの作品を好んでいるかというとそうとも言い切れないのが事実である。だいたい、逆にアンチ・マイルスを標榜する人たちのなかでも“マイルス・ミュージック”のすべてが嫌いという人も少ないのではないだろうか。特に、古くからのジャズ・ファンにとっては、1960年代中半まで、つまり第2期マイルス黄金カルテットと呼ばれる、ウエイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムス等のグループまでは容認できるけれども、1960年代後半からのエレクトリック・マイルス(具体的にはビッチェズ・ブリュー以降)に至っては拒否反応を示す方々が多いのではないだろうか。僕自身はロック世代に身を置いてからジャズを聴き始めたので、どちらかというとフュージョン的なエレクトリック・マイルスは好きなタイプの演奏であり、“イン・ア・サイレント・ウェイ”などはマイルス・デイビスの最高傑作ではないかと密かに思っているので、全く違和感なく楽しむことができている。しかし、どうしてもこのロック的ビートに乗り切れない純粋な?ジャズ・ファンも多いようである。つまり、マイルス大好き人間にも少なからず“アンチ・マイルス”が共存しているところがあるということなのだ。 
 さて、他人の好き嫌いはどうでもいいとして、僕自身の“アンチ・マイルス”は何処かと問われたら、僕は即座に「ギル・エバンスに統御されたマイルス・デイビス」と答えるだろう。その心は、ギル・エバンスの編曲に因って、マイルスらしさが押さえ込まれて、自由度が制限されてしまい、全くつまらない音楽に聴こえてしまうからだ。そこでマイルス・デイビスがトランペットを吹く意味が全く見えてこないからだ。だから、名盤の誉れ高い『クールの誕生』も僕にとってはただの駄盤にしか思えない。問題はこのレコードに収められている多くの演奏が全く非の打ち処の無い状態に仕上がっているのにだ。すべて、マイルス・デイビス九重奏団による演奏なのに、玉石混交といえばいいのだろうか。例えば、1曲目の“ムーヴ”、まだバップの香りがぷんぷんする爽快な演奏で、ジョン・ルイスの編曲もあまり窮屈でなく自由度が残されたジャズらしい雰囲気とスピードを持っている。2曲目の“ジェルー”は本レコードで重要な役割を担っているジェリー・マリガンの作・編曲である。いわゆる後年の、ウエスト・コースト・ジャズのアンサンブルの効果を先取りした快調にスウィングするビッグ・バンド・ジャズの趣を湛えた演奏である。ここまでは文句なしの出来具合であるが、3曲目のギル・エバンス編曲の“ムーン・ドリームス”、これが全くダメ。これまでの2曲の快調な流れに全く乗っていかない。急ブレーキをかけられ、前へつんのめってしまった気持ちにさせられるのだ。それに、眠たくなるほど退屈な演奏である。まあ、タイトルがそうなんだからギル・エバンスの思いどおりの演奏ではあるのだろうが。次のマリガンの“ミロのヴィーナス”がこれまた、マイルスのスマートなオープン・トランペットを大きくフューチャーした傑作なのに、“ダーン・ザット・ドリーム”では唐突にケニー・ハッグドというボーカルが出てくるという具合に躁と鬱が交互に出てくるといった纏まりの無いレコードに化している。結局は3人の編曲者がいることによる散漫化が致命的なんだろう。僕の好みから云えば、ジェリー・マリガン一人に絞れば本当の意味での『クールの誕生』という傑作が誕生したのではないかと思うのだが・・・ 
 ギル・エンバンスの編曲した『ポーギーとベス』も同様だ。マイルス・デイビスの回顧録に以下のような談話が残っている。少し長いが引用してみよう。「いちばんレコーディングに苦労した曲は“ベス・ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ”だ。《ベス、お前はオレのオンナだ》っていうフレーズを何回も繰り返さなければならなかったからな。しかも違う意味をもたせて吹き分けなきゃいけなかった。同じ気持ちで何回も“アイ・ラヴ・ユー”って言えないよな?」このことは、マイルスがこのオペラの内容を詳細に理解して演奏に当たっていることを伺わすものではあるが、逆に言えばそれによって演奏の自由度がかなり束縛されているということに他ならない。つまり、自分の好きなように、感じたままに吹くことを制限されているということだ。そもそも、クラシックであるオペラをジャズとして演奏する意味が果たしてあるのか?そこから聴取者は何を感じ、汲み取ることができるのか非常に疑問であるというところに僕の立脚点があるので、どうしてもこのレコードにはいい評価を下すことができない。このレポートを書くために、15年ぶりぐらいにこのレコードをターン・テーブルに載せ、気持ちを新たに聴いたつもりであったが、以前から抱いていた評価を払拭するには到らなかった。
 そして、この『スケッチ・オブ・スペイン』。実は、これは僕の大好きなレコードの一つで、アンチ・マイルスとして取り上げるべきものでは無いのだが、ギル・エバンスの編曲にはこれもあるということで・・・ このレコーディングのためにギル・エバンスとオーケストラは計15回のリハーサルと本番演奏を繰り返したというだけあって、入念に用意周到したことが伺える。また、ここでの“アランフェス協奏曲”にはこれまで指摘したギル・エバンスの制約があまり見受けられないのでマイルスのトランペットもアドリブっぽいかなり大胆な吹き方が見られ、非常に好感の持てる仕上がりにはなっている。それにもましてすばらしいのは、レコードで云えばB面の2曲“サエタ”、“ソレア”だ。A面の楽調をそのまま引き受けて全体の統一感を損なわないばかりか、ギル・エバンスのアレンジにありがちな眠気を誘うそれが無く、それぞれが短い演奏ながらもメリハリの効いた演奏になっている点だ。“サエタ”などはあのモーリス・ラヴェルの“ボレロ”を想起させるようなイントロに始まり、マイルスのフラメンコタッチのトランペットと合いマッチして深い感動を呼び起さずにはおかない。そして、“ソレア”でのトランペット・ファンファーレと前曲から引き続くボレロ的小太鼓のリズムが心地よくこのレコードのフィナーレを彩っていく。このレコードだけはギル・エバンスが全く別人なったかのような躍動感あふれる編曲を提供しているのだ。
 結局のところ、自分の描いた譜面をそのまま押し付けるのか、それともおおよその外枠だけを示してそこから演奏者の自由な発想を引き出すのかによって結果はおのずと決まってくるというのが真相のようだ。それでもマイルスは『So What?』と云うだろうが。


タモリはジャズ・シンガー?

2010-10-06 21:39:31 | Jazz

タモリはジャズ・シンガー?
                                                By The Blueswalk
 このような記事を書くのに少しためらいはあるものの、やはり日本のジャズを語る上で否が応でも避けて通るわけには行かないだろうから、あえて僕が踏み絵を踏まされたつもりで書くことにしようと決心した次第である。
 僕が先日惜しくも?廃刊となってしまったスウィング・ジャーナル(SJ)誌を定期的に購読し始めたのは1980年代中頃のことである。SJ誌には年1回、人気ランキングの読者投票があったのだけれど、当時の日本ジャズ演奏者のランキングには“え~??”というような人が多くランク入りしていたものだった。例えば、フランキー堺がドラムスで、植木等がギターで、先日亡くなった谷啓がトロンボーンでベスト・テンにランク入りしていた。そんな中でもタモリがジャズ・ボーカルおよびトランペット部門で常に上位にランク入りしていたのは驚きで、日本のジャズのランクインってお笑いチャートか?ってがっかりしたものだった。表に示すようにボーカル部門に至ってはタモリが1982年~1984年3年連続1位に輝いている。タモリのトランペット演奏やボーカルを聴いたこともないし、いつも違和感を覚えていたのを思い出す。(データは『TAMORI's Data Page』より抜粋)
 タモリは学生時代にジャズ研でトランペットを吹いていたそうなのでそれなりの知識と技術はあったのだろう。1977年に『タモリ』を発表してからほぼコンスタントに4枚のレコードを出している。今回はこれらのレコードを聴きながらジャズ・シンガー“タモリ”の意味を考えようという嗜好である。
 『タモリ』(1977/3/20発売)
タモリのお笑い芸のすべて曝け出そうとした意欲作である。この中では3曲?目の《教養講座”日本ジャズ界の変遷“》が一番の聴き所である。中州産業大学タモリ教授によるジャズのルーツを紐解いた少しまじめで大変面白いジャズの歴史の解説である。タモリがシニカルに講釈する。B面の《タモリのバラエティー・ショー》はお笑い芸人としてのタモリが抱腹絶倒の一人芸を披露する。特に”第一回テーブル・ゲーム“では中国語、朝鮮語、英語、東南アジアのどこか?の言語の4人がマージャンでチョンボした様を面白おかしく演じている。各言語のアクセント、イントネーションを上手く捕らえた出鱈目な会話が笑いをそそる。

『タモリ2』(1978/12/20発売)
1作目と同じコンセプトの作品である。《教養講座“音楽の変遷その①”~旋律の源とその世界的波及について~》で、一つの旋律を世界の各国の音楽に置き換えて様々な角度から民俗音楽を斬るという発想がユニークである。勉強になり、為になるついでに笑える音楽といえるだろう。先日、中国旅行に行った(尖閣諸島事件の直前に帰国したので事なきを得たが・・・)とき、京劇を鑑賞したのだが、そのときの女役者の歌が、ここでの「中国歌謡”熊猫深山“」にそっくりなこと、いまさらながらタモリによる声帯模写の切り口の斬新さに驚いたことであった。B面も前作と同様《タモリのバラエティー・ショーVol.2》となっているが、テーマが一貫しておらず散漫な感じである。特筆は三遊亭円生の物まねとおぼしき出鱈目落語一席、笑いが止まらない。
『タモリ3』(1981/9発売)
著作権の問題があり、次作より発売が遅くなっているがタイトルが示すとおりタモリの第3作目に当たる。副題が《戦後日本歌謡史》となっているように、戦後の有名人、高名な歌手、有名曲をパロディ化した作品となっているので、著作権の問題というより、対象化された当人にとっては“名誉毀損”もしくは侮辱的に捉えられかねないと判断しての発売禁止処置であっただろう。しかし、結局は1回きりの販売ではあったが世に出ることのできた作品である。34曲34人の声帯模写、それがよくその特徴を捉えており、よくもここまでやるわとあきれてしまう。最後には、タモリがタモリをパロディ化するのだ。
『ラジカル・ヒステリー・ツアー』(1981/5/1発売)
タイトルから判るように、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』をもじって付けられた4作目の作品だ。ここでは、これまでと一転して歌手“タモリ”を前面に出している。演奏も鈴木宏昌、松木恒秀、ザ・スクェアなど当時のフュージョン・ミュージシャンを集めてかなりタイトな音である。しかし、はっきり云って全くつまらない作品になってしまったといわざるを得ない。曲と曲の間にナレーション的なコントが入っているのだが、僕にはコントとコントの間に曲があるという印象がして、曲は無くても全く差し支えないのだ。何がしたいのか、お笑いタモリとしてはインパクトが殆どないのだ。タモリもここにきて煮詰まってしまったようだ。
実はこの後1986年に5作目としてギャグなしのまじめなジャズ・レコード『HOW ABOUT THIS』を発表しているが、ジャズ・マンとしてのタモリ人気も下降しており、時既に遅し、あまり話題になっていない。タモリともあろう人が時勢を見誤ったと云わざるを得ない。
 結局のところ、これらの作品からはジャズ・ボーカリスト、ジャズ・トランペッター“タモリ”は全く見えてこなかった。タモリはやっぱり赤塚不二夫ゆずりのギャグの天才であった。あの80年代の異常なタモリ人気はいったいどこから来たのだろうか? 
それとも、そもそもジャズ・シンガー“タモリ”そのものがギャグだったんだろうか?


温故知新 Part03

2010-10-03 15:09:52 | Jazz

温故知新 Part03
                                                                            By The Blueswalk
 現代でこそ、その座をソプラノ・サックスに取って代られ、演奏する人もめったに無くなり、聴かれる機会も少なくなっているが、20世紀初頭のニューオーリンズ・ジャズの時代に於いて、クラリネットは花形の楽器であった。ニューオーリンズ・ジャズのアンサンブルはその殆どがトランペット、トロンボーン、クラリネットの3管で構成されており、トランペットが高音を、トロンボーンが低音を担当しており、クラリネットはその間の隙間を縫うように、あるときは高音で、あるときは低音で音を敷き詰めていった。ニューオーリンズ・ジャズのアンサンブルが緻密に聞こえるのはひとえにこのクラリネットの幅広い音域とその小回りのよさに負う所が大きいのである。 面白いのは、ニューオーリンズ・ジャズでのクラリネット奏法というのは、フランスのクラシックの奏法が直結していることである。というのは、当時の一流と言われたジャズ・クラリネット奏者の殆どがフランス系のクリオールであるティオ家のロレンゾJr.という人に師事しているのである。そして、このティオ家の秘伝のクラリネット奏法を教わって腕を磨いたのである。ジョージ・ルイスを除いてジミー・ヌーン、アルバート・ニコラス、バーニー・ビガード、シドニー・ベシェ、ジョニー・ドッズ皆然りである。当時のクラリネット奏者の音が黒人独自のシンコペーションがあまりなく、メロディアスであるのはその辺に由来しているのかもしれない。
 ジョニー・ドッズ(1892/4/12~1940/8/8) は弟のベイビー・ドッズ(ds)と共にキング・オリバーのクリオール・ジャズ・バンドに参加して以降、1930年代後半にベニー・グッドマンが出現するまで、名実共にクラリネットの第1人者であった。この『ジャズ栄光の巨人たち②-ジョニー・ドッズ』は1928年~1929年の最も脂の乗り切った頃の演奏を集めたものである。前述の論と矛盾するようではあるが、このジョニー・ドッズのクラリネット奏法は他と較べて少しヴィブラートを含んだリズミカルで、ブルージーなところに特徴がある。たまに急に高音に移行したり、強いアタックをかけたりと遊び心豊かであるが、かといって、クラリネット特有のメロディック・ラインを崩すことはない。そういう意味で他の奏者がクラシック的奏法を踏襲しているのに較べ、ジョニー・ドッズはより黒人的な今日のジャズ的要素を含んでおり、我々の耳にとっては馴染みやすいだろう。最も、ニューオーリンズ・ジャズらしいトラディッションを感じさせるクラリネットと言っていいだろう。
 シドニー・ベシェ(1897/5/14~1959/5/14)はブルーノート・レコードの初期に膨大な録音が残されているので最も知名度の高いクラリネット奏者の一人であろう。ブルーノート・レコードの1200番代、7000番代の殆どがシドニー・ベシェかジョージ・ルイスに少しのブギ・ウギ・ピアノの録音であることからみても、アルフレッド・ライオンがこれらの奏者を好んでいたと仮定したとしても、いかにクラリネットが花形であったかが判ろうというものだ。1919年ヨーロッパへの楽旅を通じて、ベシェのテクニックがクラシック指揮者エルネスト・アンセルメに衝撃を与え、アンセルメをして世界初のジャズ評論(勿論ベシェを絶賛する)を書かしめたという逸話が残っている。ベシェの功績の一つに、ソプラノ・サックスの普及に尽力したことが挙げられよう。今でこそクラリネットに成り代わってジャズの主要楽器に収まっているソプラノ・サックスであるが、当時は誰にも見向きもされなかったという。この『ジャズ栄光の巨人たち③-シドニー・ベシェ』は1932年と1940-41年のセッションを収めている。ここでも、クラリネットとソプラノ・サックスを曲によって吹き分けているが僕には全く判別できない。僕の耳が悪いのか、演奏が上手すぎるのか、とにかくこの尋常ならざるテクニック、うっとりするメロディ・ライン、躍動するスウィング感はけだし聴き物である。
 メズ・メズロウ(1899/11/9~1972/8/5)はシカゴ・ジャズのエディ・コンドンのバンドで実力を磨き、1928年にニューヨークに出てトミー・ラドニア(tp)やシドニー・ベシェらと活動を共にしてきた白人の奏者である。後年はパリに本拠を構えたため録音は多く残っていない。その中にあって、このフランスのジャズ評論家ユーグ・パナシェ監修の『ジャズ栄光の巨人たち⑦-パナシェ・セッション』がジャズ史に輝く代表作である。ユーグ・パナシェはジャズ界に最初に現れた偉大な評論家として“Le jazz hot”(英訳:ホット・ジャズ)で「ジャズが知識人にも鑑賞に堪えうる音楽である」ことを示唆した最初の人として功績がある。後年、ビ・バップに対して否定的な評論をしたため論壇から締め出されてしまった。このパナシェが1938年RCAの求めに応じてアメリカへ渡りこのレコードを監修したのである。この渡米に対してエディ・コンドンが『おいおい、フランスの馬鹿野郎が俺たちにジャズのやり方を教えにくるとよ。俺たちもフランスにぶどう酒のつくり方を教えにゆくべえか』と言ったと云われている。(本レコードの油井正一によるライナーノーツより)ジャズはアメリカのものだという意地とプライドを物語るエピソードである。 それはともかく、メズ・メズロウであるが、このレコードの前半はトミー・ラドニア(tp)、シドニー・ベシェとの競演となっており、この二人に較べ流石にその力不足、経験不足は否めない。が、中半以降のベシェの抜けた双頭コンボではこれが始めての顔合わせとは思えない息の合った演奏を聴かせてくれており、捨てたものではない。そうでなければこのレコードが名盤と云われる所以もないはずだ。いずれにしてもこの名盤の誉れはほとんどトミー・ラドニアに拠るところではあるが、“フランスの馬鹿野郎“のおかげでジャズ史にその名を残せたラッキーなメズロウである。
 ジョージ・ルイス(1900/7/13~1968/12/31)はニューオーリンズ・ジャズのクラリネット奏者のなかで最も多くの録音を残したのではないだろうか。1920年代から活動を続けていたのだが、中々一流の評価を受けられないまま1940年ぐらいまでは推移したようである。レコーディングの機会を持てなかったのが致命的ではあるが、ひょっとしたら、上述したクラリネット主流派のティオ家に学んでいなかったからではと勘ぐりたくもなってくる。ところが、1940年代のニューオーリンズ・ジャズ・リバイバルの中で、バンク・ジョンソン(tp)と共に再発見され(実は目玉はバンク・ジョンソンでジョージ・ルイスはおまけ的存在であった)、42歳で初録音をすると共に一躍脚光を浴びて、最晩年まで精力的な活躍を続けたのである。それらの中でもジョージ・ルイスのピークは1950年代前半というのが定説となっている。この『不滅のニューオーリンズ・ジャズ』(1953年)は『ジャム・セッション』(1950年)、『イン・コンサート』(1954年)と並んでジョージ・ルイスを代表する1枚である。ジョージ・ルイスの音は古き良きニューオーリンズへの郷愁を感じさせるものがある。50歳を当に過ぎてからの活躍には大いなる拍手を送りたい。1960年代に何回かの来日も日本のファンには好印象を与えているようでもある。


女流アルトに期待

2010-08-31 15:32:41 | Jazz

女流アルトに期待
                                                                                By The Blueswalk

 最近の女性ホーン奏者の台頭には目を見張るものがある。特にアルト・サックスにおいては国内外問わず、それが顕著である。少し前までは高校生の矢野沙織が目立った存在であったが、すでに彼女も24歳にならんとしており、その後輩たちが続々と続いているといった状況である。矢野ちゃんもうかうかして居れない状況を呈している。そして、彼女らが目標というか目指しているのがチャーリー・パーカーであることも共通の傾向である。矢野沙織などは最初から女パーカーを標榜し、パーカーの楽曲ならびにビ・バップの楽曲を多く取り上げ、若いジャズ・ファンへはその容貌で魅惑し続け、昔からのジャズ・ファンにはバップ的演奏で惹きつけている。少し前、CDのオマケにDVDがあり、それを見ていると、まるでファッション・モデル並みの扱われ方であった。
 そんな中で最も脚光を浴びているのが“天才高校生”とのキャッチコピーで売り出された寺久保エレナちゃん。”山下洋輔、渡辺貞夫、日野皓正など、数々の巨匠との共演”の触れ込みだから、相当な場数も踏んでいるのであろう。タイトルが『ノース・バード』、つまり“北のチャーリー・パーカー”ということだ。バックにケニー・バロン(p)、クリスチャン・マクブライド(b)、ピーター・バーンスタイン(g)、リー・ピアソン(ds)ときている。期待の大きさが伺われるというものだ。そして、肝心の音であるが、流石に“天才高校生”と謳われるだけあって、相当なテクニックの持ち主であることがすぐ判る。さらに、曲の中での抑揚の付け方、音質の転換など、そんじょそこらのガキとは違うんじゃと、これでもか、これでもかと惜しげもなくすべてをさらけ出し煽りつづける。空恐ろしいばかりだ。だが、褒めてばっかりはいられないのが年寄りジャズ・ファンのしがない性。抽象的な表現だが、どうも心に響いてこない。何故か?結論を言ってしまうと、“自分自身に陶酔してしまっている”ということだ。“私、こんなこともあんなことも何でも出来るのよ。バラードもこんなにこころがこもっているでしょ。どお、まいった?”といった押し付けがましさが見えるのだ。
 さて、もう一人の新星、纐纈歩美(コウケツアユミ)さん。ファースト・アルバムが『ストラッティン』。こちらはバックをいつもの気心知れた納谷嘉彦(p)のトリオで固めている。エレナちゃんとは打って変わって、落ち着いた自然な音が気持ちよく謳っている。派手さは殆どないが、しかしテクニックでエレナちゃんに劣るというようなところは全く無い。自分を知っているというか、身丈相応のジャズをしっかりとこなしているという安心感がある。難しい曲を易しく聴かせる本能的なサムシングを持っている。選曲はバラードありアップテンポありでバランスの面でも工夫が伺えていい。欲を言えば、全11曲の中でのメリハリが欲しいところだ。つまり、メインで聴かせたい曲、干渉的に聴かせる曲などが見えれば、聴く方もそれなりに全体の流れに乗りながら鑑賞出来るというものだ。“全部がお上手ですね”で終わってしまう危険性をはらんでいるのだ。今後は“個性”をいかに出していくかがポイントになりそう。そうでないと、埋もれてしまいかねない。
 いずれにしても、両者とも出来としてはかなりのレベルに達していると思うので、今後、ますます個性を磨いて、1フレーズ聴いただけで、あっ、エレナちゃんだ、アユミちゃんだと判るようなミュージシャンになってもらいたいという望みと大いなる期待だ。


大西順子『バロック』

2010-08-27 11:20:30 | Jazz

大西順子『バロック』
                                                                                 By The Blueswalk

 1年ぶりの新作は『バロック』と題され前作と一転して、3ホーンをフロントにした攻撃的な作品である。女性のピアノがリーダーの3ホーン編成は聞いたことがない。ニコラス・ペイトンのTP、ジェームス・カーターのSAX、ワイクリフ・ゴードンのTBに対し、レジナルド・ヴィールとロドニー・ウィッティカーの2ベースのリズム陣で対抗する。もともと大西のピアノは男性的で激しいタッチが特徴であるが、なかなか聴き応えのある作品に仕上がったと思う。最初の3曲は大西のオリジナルで大作ぞろいだ。

 1曲目“トゥッティ”。多彩なリズムの上を3つのホーンがピアノと一体となって激しく躍動する。前作が久しぶりの作品ということでやや押さえ気味であったのが、一気に弾けた感じだ。この曲は3ホーン陣の名刺代わりの自己紹介的で3人3様の味が出ており、実に楽しい。ピアノを中心にしたリズム陣もこれに負けていない。
 2曲目の“ザ・マザーズ”。ホーン・セクションのアンサンブルはかなり緻密にアレンジされているようだ。単なるアドリブ・プレイに頼らない、作品性を感じる。大西の作曲家としての実力が発揮されている作品だ。イメージ的にはチャールス・ミンガスの楽曲を今風にアレンジした感じ。だから、ミンガス好きにはたまらないが、ミンガス嫌いには少し辛いかもしれない。
 3曲目の“ザ・スルペニ・オペラ”。ピアニストのジャッキ・バイアードのピアノ・スコアを大西がアレンジし大作オペラ?に作り変えたとされている。3分にわたる無伴奏の2ベース・ソロで始まるが、枯れたピアノの音が割り込んできて、一転してフリー・フォームの3ホーンとの絡みで多彩かつ長大な音絵巻が展開されていく。約20分の長尺な作品であるが、ニューオリンズあり、アート・テイタム風あり、ミンガス風ありの色々なスタイルの楽曲をちりばめて飽きさせない構成ではある。途中から本当にミンガスの作品を聞いているかのような錯覚に陥ってしまうだろう。それでも、ジェームス・カーターのBCLとピアノの丁々発止なやり取りなど全く見事だ。この1曲で十分に元を取った感じである。
 4曲目“スターダスト”。メイン・ディッシュのあとのデザートとしてのピアノ・ソロ、これがまたさり気ないが実に味のある演奏となった。アート・テイタムもしくはテディ・ウイルソンが珠を転がすようなタッチの雰囲気が伝わってくる。


 
さて、ここまで聴いてきたが、あと4曲も残っている。もう、僕はステーキのフル・コースを鱈腹食って満足しているのに、さらにスキヤキを食べろというのか。しかも、前半4曲と同じような後半4曲の構成である。昔のLPだったら4曲で終わって良かったのになぁ。CD時代の弊害で74分フルに収めないとリスナーが怖いという脅迫観念がありはしないか?
 勿論、この面子での演奏だから悪いはずはないのだが、“過ぎたるは及ばざるが如し”。腹八分目で抑えてもいいんじゃないかなと思った次第である。


夏は省熱小スペースで

2010-08-21 13:17:24 | Jazz

夏は省熱小スペースで
                                                                                By The Blueswalk

 夏の暑い夜、オーディオのスイッチをつけるのをためらってしまうのは僕だけのことではあるまい。何といってもこのアンプというやつ、熱を発散させるのが俺の存在価値だとばかりに、やたら張り切って室内を異常な高温サウナ状態にしてしまう。冬ならば、多少の暖房の足しになって重宝もするのだが、夏場はそうは行かない。ただでさえ暑苦しいのに、こうも二重に攻め立てられると楽しい音楽を聴こうという気も失せてしまうのだ。
 そこで、何とかならんもんかと考えた挙句、散歩などの戸外で使用しているウォークマンにスピーカーをつないで聴こうと考え付いたわけだ。最近のウォークマンはイヤホーンの高精度化により、かなり良い音を聴かせてくれるので、外部スピーカーでも少しはましな音が聴けるのではないかと思うのだ。
 早速、梅田のヨドバシ・カメラに出かけて調べてみると、案外多くのタイプのウォークマン対応スピーカーがある。価格帯は1万円~2万円といったところだ。以下、サンプル画像。
大きさは、それぞれの画像に写っているウォークマン(横4cm、縦9cm)と見比べて想像してください。

 これらの商品の特徴はとにかく省熱(エネ)であるということ。基本的に熱を放出しない。そして、小(省)スペースであること。机上に置いてもあまり邪魔にならない。
最近は良く知らないが少し前までは、デスクトップ・パソコンを買うと必ずスピーカーがオマケで付いてきたものだが、邪魔になってすぐ捨てていたのが、それがもっとお洒落なデザインで好きなときにすぐ接続できて、パソコンに入っているウォークマンの音楽データや、WAV、VA、WMAなどのパソコンで再生できるすべての音源をこのスピーカーで聴けるということだ。
  結局、JBLの円盤型スピーカーを購入したのだが、今はウォークマンに接続せず、パソコンに接続してパソコン内の大量音源を楽しんでおり、当初の使用目的からはちょっとズレてしまった使い方だが、机上で気楽に聴けるのは便利で良い。
 ただし、音質は従来の重厚長大なオーディオに較ぶべくも無いことは言わずもがなであるが・・・
 さて、あなたはサウナの中で良い音で聴きますか? それとも涼しい部屋でそれなりの音で聴きますか?


夏は熱いジャム・セッション

2010-08-08 21:09:45 | Jazz
夏は熱いジャム・セッション
                                                                             By The Blueswalk
 連日35℃を超える猛暑日で大変な暑さの中全くやる気の無い日々を過ごしている。“茹だるような暑さ”とはこういうことを云うんでしょう。感覚的には、夜の方が暑いんだけれど、これは夜になると各家庭でクーラーをつけるため、その屋外機からの熱で逆に暑くなっているんじゃないかと思われる。こんな人間のエゴによりますます地球温暖化が進んでいってしまうと我々の孫子の時代はどうなってしまうんだろうか? 俺には関係ないなどと云っているわけにも行くまい。せめて自分だけでもクーラーを我慢して扇風機で乗り切ろうと思うのだが、一度クーラーをつけたら癖になって中々この誘惑から逃れることが出来ないでいる今日この頃である。この暑さの所為?で、うちのマンションンの中庭の蝉は真夜中の12時~2時ごろになってもシャーシャー泣きわめいている。うーん、蝉まで狂ってきたか??  こんなことだから、8月の会報も予定のテーマはあるものの全く書く気が起こらずに、ついつい締め切り間際になってこんなテーマで夏を乗り越そうと思った次第である。
 この暑さを吹き飛ばすには自分自身が熱くならないとどうにもならない。そうなると、“夏はジャム・セッションに限る”となってくる。ジャム・セッションとくれば、ノーマン・グランツ・プレゼンツのJATP(Jazz at the Philharmonic)しかない。このノーマン・グランツなる人、ジャズ好きが昂じてジャズの興行師として1944年からこのJATPコンサートを主宰し、その録音をレコードとして売るために1954年に自分の名前を取った「ノーグラン」を立ち上げる。その後、1957年には「ヴァーヴ」、1973年には「パブロ」と矢継ぎ早にレコード会社を設立し、雪達磨式に膨れ上がらせたカタログを頃を見計らってすべてを売り払い、スイスで悠々自適な生活を満喫した金満家である。なんと、うらやましい人生であることか。元来、ジャム・セッションなどというのはミントンズ・プレイハウスなどで行われていたように、アフター・アワーズに仲間が寄り集まって憂さ晴らしや本当にやりたいことのために実験的に行われていたのをレコード商売に結びつけたのだ。それまで、ジャズのライヴ・レコードなんてこの世に存在しなかったのだからこの発想は画期的であったと言っていいだろう。
 さて、JATPである。多分、日本では『‘40年代のJATP』、『‘50年代のJATP』、『JATP in TOKYO』の3セット(それぞれ3枚ずつ)が手に入るはずである。
で、何といっても、『‘40年代のJATP』。レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーなどなど、綺羅星のごときスターたちのオンパレードである。しかも、1曲10~15分の長尺でほぼ全員がソロを取ったライヴなのだから盛り上がらない方がおかしい。そして、このJATP御用達テナー奏者フリップ・フィリップス、イリノイ・ジャケーによる“パーディド”に於ける大ブロー大会は一つの伝説となっている。こういう場合は、大きな音を出せる奏者の勝ちである。レスター・ヤングのような繊細で流麗な音色を得意としている奏者にとってはブが悪い。だから、“デリカシーの無いやつらと一緒にやりたくない”のかどうかは判らないがほとんどこの二人とは共演していないのである。しかしちょっとやり過ぎの感無きにしも非ずだが、お祭りなんだからこれぐらいは大目に見てやりたいというのが僕の意見である。だから僕はこのレコードでは真っ先に“パーディド”を聴く。汗かきながら、大音量で聞くと爽快感この上ないのだ。makotyanさんのオーディオで聴くとさらに昂揚するだろうなぁ。さらにぐぐっと冷えたビールでもあれば最高なのだが。
 『‘50年代のJATP』はメンバーの多少の遷り変わりはあるが、ややこじんまりまとまった感じがある。『‘40年代~』が余りにも豪奢すぎたので比較するのもかわいそうではあるが・・・
ここでの聴き物は何といっても、ピアノのオスカー・ピーターソンだ。豪快にスウィングし、フロントを煽りまくるそのバイタリティには恐れ入る。こういうのは、冷房の効いたコンサート・ホールでしか聴けないビル・エバンスやキース・ジャレットには出来ない隔絶した世界だ。このJATPでの活躍によってその名が世界的に認められるようになったのだから、JATPの申し子と言ってよく、ほとんど全編に出ており、ピーターソン・ファンには垂涎のアイテムであるはずだ。
 『JATP in TOKYO』は1953年のJATP唯一の日本公演の模様を収めたものだ。フィルハーモニック・オーディトリアムでもないのにJATPとはこれ如何に? なんて、どうでもいいか。上記2セットを持っていれば十分とも云えるが、ここでのトピックは、エラ・フィッツジェラルドの参加で、一段と華やかになったということだろう。顔に似合わずと言ったら大変失礼だが、澄み切った、張りがあり伸びやかな歌唱はまさに全盛期の“歌姫”ここにありと言っていい。お得意のスキャットも満載である。
 他にもジャム・セッション・レコードを用意したのであるが、ノーマン・グランツ繋がりで最後まで押して行く事とする。
『ノーマン・グランツ・ジャズ・コンサート#1』は、JATPと平行してノーマン・グランツが自分のレコード会社「ノーグラン」用にJATPの焼きなおし(JATPの名前でコンサートを行い、レコードにはJATPの名前を入れない)コンサート・ライヴ・レコードである。だから、役者も当時(1950年)のJATPのメンバーが殆どである。商売根性丸出しこの上ない代物ではある。がしかし、中身が大変なのだ。これまでのJATPはオールスターによる寄せ集め集合体だったのを、ここでは「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」、「オスカー・ピーターソン・デュオ」、「コールマン・ホーキンス・カルテット」など、手を変え、品を変えした工夫の後が見られるのだ。何と言ってもチャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングスなんて、JATPでは考えられない組み合わせなのだから貴重なことこの上ない。
 スタジオ録音版のジャム・セッションがこの『ノーマン・グランツ・ジャム・セッション』シリーズである。1952年以降、数枚に渡って作成されている。#1はチャーリー・パーカーはいつもながらブリリアントな演奏を聴かせてくれているが、聴き物は2人のエリントニアン、ジョニー・ホッジスとベン・ウエブスターだろう。スタジオ録音でありながら、流石に大御所のことだけあって、ライヴかと思わせるような乗りのよさとスウィング感を味わうことが出来る。#4はカウント・ベイシーとフレディ・グリーンのリズム陣にスタン・ゲッツ、ワーデル・グレイといったテナーが入った珍しい組み合わせのセッションである。ワーデル・グレイは当時レスター・ヤング以降の最もスウィングするテナー・マンであると評判になっていただけのパフォーマンスを披露している。ウォームなゲッツとスマートなグレイの対比を楽しむのもいい。このシリーズは多分レコードで#7ぐらいまであったと思われるが、僕はこの2枚あれば十分である。
それにしても、いつも思うことであるが、この時代のジャズ・マンというのはブルースであれバラードであれどんなタイプの曲にも即座に対応できたんだなと感心すること頻りである。他流試合が盛んだったこの頃でしか味わえないジャズ遺産である。

7月はラテン・ミュージック

2010-07-08 23:07:57 | Jazz

7月はラテン・ミュージック
                                                                             By The Blueswalk

 7月の例会テーマは“ラテン”ということであるが、さて、ラテン音楽ってどこまでの範囲を云うのであろうか? 普通はブラジルやアルゼンチンなどの南米大陸の音楽と認識されているだろうが、はたしてそれで正しいのだろうか?
 そもそも、「ラテン」という言葉はかつてのローマ帝国の正統な言語である“ラテン語”から来ていると思われる。つまり、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルなどの地中海北岸の南ヨーロッパがラテン系諸国といわれるのである。そう、これらの人々を“ラテン民族”と呼んで、北部のアングロ・サクソン民族やゲルマン民族、東部のスラブ民族と区分けされているのだ。中世・近代までは、宗教的、学術的用語はすべて「ラテン語」がヨーロッパにおける公用語であったのだ。それが何故南米大陸に移ってしまったのか? それは、イタリア人コロンブスによるアメリカ大陸、西インド諸島の発見に始まる、ヨーロッパ列強諸国によるアメリカ大陸植民地化政策の結果、植民地となったインカ諸国へ宗主国であるスペインやポルトガルから民族や文化の移入が行われ、現在に至っている訳だ。だから、ラテン音楽も元を糺せばスペイン、ポルトガル音楽がベースとなり、その中で、個々の国々で独自の発展を遂げて、今では多種多様な“ラテンアメリカ音楽”が氾濫しているのだ。

 ラテン音楽の種類にも各国、以下のような分類がされているようだ。(Wikipediaより)

キューバなどカリブ系
ルンバ、ソン、マンボ、サルサ、チャチャチャ、カリプソ、メレンゲ、バチャータ、スカ、ロックステディ、レゲエ、レゲトン、ブーガルー
コロンビア、ベネスエラ
クンビア、バジェナート、ホローポ、ガイタ、タンボール
ブラジル音楽
サンバ、ボサノヴァ、ショーロ、MPB、ノルデスチ、アシェー
アルゼンチン音楽、ウルグアイ音楽  
タンゴ、ミロンガ、ムルガ、チャマメ、パジャドール、カンドンベ、サンバ、チャカレーラ
メキシコなど中米
マリアッチ、ボレロ、カンシオーン・ランチェラ、バンダ
ペルー・ボリビア・エクアドル・チリなどアンデス系
フォルクローレ(ワイニョなど)、ランバダ、ヌエバ・カンシオン

 難しい話はこれぐらいにして、ジャズとして楽しめるラテン音楽(というか、ラテン音楽を題材にしたジャズ)を追っていこう。ジャズでラテンといえばまずはディジー・ガレスピーを思い浮かべることだろう。チャーリー・パーカーと共にビ・バップの創始者として有名なガレスピーであるが、ビッグ・バンドを編成し、『マンティカ』などの作品でアフロ・キューバン・ジャズの先駆者としてもその名を馳せている。ラテン=明るい、賑やか というところがガレスピーの性格に合ったんだろう。

さて、ジョージ・シアリングもラテン好きの一人である。イギリス出身の盲目のピアニストである。テディ・ウイルソンやアート・テイタムに影響を受けたそのピアノタッチは、『九月の雨』、『バードランドの子守唄』などのヒット作で好評を博しているが、ラテン好きが昂じてラテン音楽を集めたレコードを出している。もともと、あまり繊細な音にこだわらないスウィング系ピアニストであるシアリングはラテンに向いているともいえよう。ここに挙げた2枚『ラテン・レース』『ムード・ラティーノ』はその代表アルバムと云っていいだろう。ただし、これらをジャズとして聴くと物足りなさは残るだろう。イージー・リスニングなBGMとして聴くと、ピアノやヴァイヴ(マリンバ?)のメロディ楽器とコンガやボンゴのパーカション楽器が入り混じった色鮮やかなラテンリズムが楽しめるはずだ。ラテン・アルバムというとこのような妖艶なジャケットが多いのだが、これもまたラテン・アメリカの美的価値観を著しているようで眼の保養にもなっていい。
 ピアニスト兼歌手のナット・キング・コールもラテン・アルバムを何枚か出している。ピアニストとしても歌手としても超一流のナット・コールであるが、これはそのキャリアの中では息抜きのアルバムと言っていいのだろう。ナット・コールがラテン音楽が好きだったのかどうか判らないが、会社が上記のジョージ・シアリングと同じキャピトル・レコードであるところをみると、レコード会社の偉いさんがラテン好きだったのではと疑われても仕方がないか?しかし、『ナット・キング・コール・エスパニョール』、『モア・コール・エスパニョール』の2枚は余興の産物とは思えないぐらいの出来栄えだ。当たり前だが、ナット・コールのボーカルを中心にしているのだが、題材はすべてキューバンリズムを用いて、コーラスなどもふんだんに取り入れているので両方を楽しめる企画となっている。
 オスカー・ピーターソン『ソウル・エスパニョール』はジョルジ・ベン、ルイス・ボンファ、アントニオ・カルロス・ジョビンなどのブラジルのボサ・ノヴァを中心とした選曲である。ピーターソンらしさをある程度残しつつ、“マシュ・ケ・ナダ”、“カーニバルの朝”などの有名曲を快適にスピード豊かに弾きこなす。逆にこちらはラテンということを忘れるぐらいのジャズ作品に仕上がっている。
最後にザ・ラテン・ジャズ・クインテットという無名?のバンドによる『ラテン・ソウル』(1965年作)。リーダーのホアン・アマルバード(conga)以下、7人のメンバー(クインテットだから実際には5人で演奏しているのでしょう)誰も名前を知らない人たちだが、これが中々楽しい演奏を聴かせてくれる。レイ・チャールズの“ブルース・ワルツ”、マイルス・デイビスの“マイルストーンズ”など、ラテンとは関係ない楽曲をまるでラテン曲のごとく聴かせてくれる。しかし、彼らの本質はライナー・ノーツに書いているように、ネオ・ハード・バップなのだ。ホレス・シルバーやルー・ドナルドソンのようなファンキー・ジャズと見た方がいい。ラテンとファンクが一緒になった飛び切り楽しい1枚である。


雨の日はショパンでも聴こう2

2010-06-18 17:42:57 | Jazz

雨の日はショパンでも聴こう2
                                                                                By The Blueswalk

 さて、ジャズ界でもショパン熱がおさまらない。この間ビートルズ曲集を出して好評を博したジョン・ディ・マルティーノが早速ショパン集『ショパン・ジャズ』を出した。取り上げたショパンのそれぞれの楽曲に独自?のタイトルをつけているが、これって掟破りじゃない?良いのかな?
 それはともかく、演奏はというと、一通り聞いた印象がもう一つピンと来ないというか、何をしたいのか判らないといったほうがいいかなそんなところだった。1曲目、やけにポップな演奏だ。ショパンらしさが微塵も感じられない。でもこれもありかなとは思う。ジャズのアルバムなのだから。でもだんだん聴き進むにつれて、ちょっと華やか過ぎる。ショパンの良さまでもが失われてしまっているような、そんな雰囲気だ。ショパンを題材にしているのだから、少なくともショパンを思わせる何かが欲しい。つまり、ショパンの特徴である“「野に咲く一輪のユリ”のような控えめでありながらも一寸の存在感を示すものが・・・ 4年前、モーツアルトの生誕250周年のときにもこのような中途半端な作品を出したが、同じ失敗を繰り返しているんじゃないか?
 と、まあこんな具合にあまり肯定的な賞賛に値するコメントが出てこなかったのだが、2回目、今度はBGM的というか、さらっと流す感じで聴いたところの印象が全く異なるのだ。つまり、1回目には、ショパンを期待し過ぎる事による違和感、物足りなさがあったのだが、2回目はジャズのピアノ・トリオとして聴くと、ショパンのメロディとマルティーノのインプロヴィゼーションが同化したように一体となって、これはこれでジャズに仕上がっていると云えるのだ。
 小曽根真『ロード・トゥ・ショパン』。ジャケットを見る限り、冬のソナタか?と思わせるデザインなので、小曽根よお前もか!!と叫びたくなった。ところがだ、中身は逆にこのどこがショパンなんだ?と思わせる演奏なのである。1曲目と最終曲にボーカル(ショパンの曲ではなさそう)を配置し、後はワルツ、ポロネーズ、ノクターン・・・などなど、ショパンの全容を網羅する曲を取り上げながら、ショパンを感じさせない、小曽根独自のショパン解釈と言って良いだろう。中間の2曲に完全なインプロヴィゼーションを挟んで、かなり、大胆で完全なる即興ジャズ作品に仕上がっている。でもやっぱりショパンのエキスもそこかしこにほのかに顕われるのでクラシック・ファンにも拒否反応をされることのないような配慮も見えている。ピアノの音もクリアーでショパンの繊細さと小曽根の大胆さがうまく同居して、何回聴いても飽きの来ない。ジョン・ディ・マルティーノのと同様に、ショパンをあまり期待すると肩透かしを食らわされるだろう。
アマゾンの商品紹介に「ショパンに聴かせたかった! ショパンが生きていたら、なんというのだろうか?」とあるが、まさにその通りで、ショパンもあっと驚くことだろう。まあ、とにかくこれは聴き物だ。是非、一聴を薦めたい。今年前半の最高のジャズ・アルバムと言ってもいい。


温故知新 Part02

2010-06-03 21:01:25 | Jazz

温故知新 Part02
                                                                             By The Blueswalk
 1917年に初めてジャズのレコード録音がされたのは周知の事実である。このとき録音したのはオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドというグループで、みんな白人で構成されていた。ジャズは黒人やクレオールたちの音楽として発祥したのであるが、まだまだ人種差別の激しい時代なので、黒人によるジャズが録音できるような環境ではなかった。黒人たちがジャズを録音できるようになったのはそれから5~6年後、1922~3年ぐらいからである。
 初代ジャズ王であるバディ・ボールディンも1906年には半ば引退同然で録音を残すことは出来なかった。第2代ジャズ王は誰になるのか? 当時のジャズは戸外でも演奏することが多かったので、どうしても音の大きい楽器、つまりトランペット(コルネット)奏者がその跡目を継ぐというのが自然な流れである。そこで2人のトランペッター、バンク・ジョンソンとキング・オリバーが競ったということになっているが、結果はキング・オリバーの勝利となった。別に、仁義なき戦いを繰り広げたということではないと思うが・・・。第2代ジャズ王と目されたバンク・ジョンソンであるが、不運なことに、彼が始めて録音したのは1942年、63歳になってからであった。黒人ジャズの録音が始まった1923年当時から第一線で活躍し、録音も大量に残したキング・オリバーが第2代ジャズ王とされるのはその理由からである。
キング・オリバー (1885/5/11~1938/4/8)
1922年に"King Oliver's Creole Jazz Band"をシカゴで結成し1923年には若きルイ・アームストロングをニューオーリンズから呼び寄せ、数多くのレコードを吹き込んでいる。ただ、この1923年~1925年の録音を聴くと、トランペット(正確にはコルネット)はまだ古いニューオーリンズ・ジャズの殻から抜け出ていない。個々の楽器のソロは少なくどうしてもアンサンブル中心となってしまい、せっかくのアームストロングの溌剌としたトランペットが生きていないというのが正直な感想である。あと、4~5年は待たねばならない。1929年頃のキング・オリバーを聴くと、既にソロ主体の“シカゴ・ジャズ”スタイルになっていることがわかるだろう。
バンク・ジョンソン (1879/12/27~1947/7/7)
まったく時のなせる不運というしかない。早く生まれすぎたのか、初録音が遅すぎたのか。ジャズ史研究家のビル・ラッセルによって再発見された1942年、すでに歯は抜け落ち、10年近くのブランクがあったという。これらの音を聴くと、20歳代の頃の全盛時の音は如何ばかりであったろうかと、録音がされなかったのを残念に思うのである。伸びのある艶やかな音色は既に完全にニューオーリンズ・ジャズを脱皮しているのだ(1942年のことだから当然ではあるが)。再発見後ビル・ラッセルが50枚以上の録音をしたという事実がそれを証明している。サイド・メンのジム・ロビンソン(tb)、ジョージ・ルイス(cl)も特筆されるべきだろう。
ルイ・アームストロング (1900/7/4~1971/7/6)
 ご存知のように、第3代ジャズ王であり、当時最大のエンターティナーでもあった。そして、ニューオーリンズ・ジャズの時代からモダン・ジャズの全盛の1960年代まで常に、ジャズの中心に位置して、話題を提供し続けたその芸人としての才能は古今東西、他に比肩する者はいない。それでも、ルイ・アームストロングのジャズ・マン、トランペッターとしての最盛期は1927年~1932年頃であるというのが定説である。このレコードは1928年のものを集めた編集盤であるが、ホット・ファイヴ面々による演奏は、まったく無駄のない洗練された完成品となっている。本当の意味で“コンボ”演奏の概念をジャズに持ち込み、アドリブ中心のジャズを作ったのはこのグループであるといっても過言ではない。そういう意味で、ジャズに興味のある人はすべからく一度は聴く必要のある演奏である。
ビックス・バイダーベック (1903/3/10~1931/8/7)
 史上初めて白人によるジャズを確立したという。白人のジャズとは何か?それまでのトランペットはルイ・アームストロング流の吹き方しかないとされていたところに、まったく新しい吹き方、つまり、感情を抑制し、クールで知的な表現方法を持ち込んだのである。残念ながら、音楽とは別の1929年の世界大恐慌という経済的な理由から、精神的・肉体的なダメージにより28歳という若さでなくなったのがいかにも惜しまれる。『ジャズ・ミー・ブルース』というビックス・バイダーベックの伝記映画を見ればそのフランスっぽいエスプリに満ちたお洒落感覚が伝わってくるだろう。シンコペーションとビブラートを極力廃した奏法は当時としては斬新だったのだろう。音は明るく歯切れよく、とにかく上手いの一言に尽きる。ルイ・アームストロングと人気を二分し、両横綱と称されたというのもわかる気がする。後年の“クール・ジャズ”に繋がってくる何かを伝えてくれる。
バニー・ベリガン (1908/11/2~1942/6/2)
 何といっても「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」の名演によって永遠に不滅の名をジャズ史上に留めている。後年自分のバンドを持って活動していたが、商才には恵まれなくて、バンドの維持の難しさから、酒の飲みすぎなどにより、残念ながら不遇な死を遂げてしまった。音質的にはビックス・バイダーベックの奏法を踏襲しており、白人特有の洗練された小気味よさが特徴的であるが、ややブルーな感じがするのは気のせいか?
いずれにしても上曲におけるソロはやっぱり特筆すべきもので、ルイ・アームストロングが演奏をリクエストされたが、「あれはベリガンの曲だから」と断ったというエピソードが残っているのを知ると、当時はこの曲については他にまねの出来ない奏法であり、それが唯一の奏法であると思われていたというべきであろう。


ブルーノート廉価盤その2

2010-05-31 17:50:18 | Jazz
ブルーノート廉価盤その2
                                                                              By The Blueswalk
 ブルーノートのボーカルと云えば、9000番台の2枚しかない。つまり、ドド・グリーンの『マイ・アワー・オブ・ニード』とシーラ・ジョーダン『ポートレイト・オブ・シーラ』のみである。
この、シーラ・ジョーダンが廉価盤として出されている。これは、まずめったに出ることはなさそうだから買わない手はない。数多居るボーカリストからたった二人しか選ばれなかったのだから、さぞや歌も上手いのだろう。ひょとしたら相当なファンキー・ウーマンだったりして、と想像を膨らませながらディスクをトレイに置いてPLAYスタートする。と、最初に飛び込んできたのが「フォーリン・イン・ラヴ・ウィズ・ラヴ」。リズミックだが、ちょっと異質だ。まるで、カーリン・クローグがちょっと英語が上手くなった感じといえばいいのだろうか。歌がうまい?うーん、ちょっと違うなあ。上手くはないな。でも下手か?そうでもなさそうだ。まったく強烈な個性丸出しで、多彩な引き出しから小物が次から次へと出てくる感じで笑っている暇もない。目が放せないというか、耳が離せない、最後まで耳をそばだてて聴き入るしかない。こんなボーカルもあるんや~と感心しきりの40分であった。これは、隠れ名盤といってもいいかもしれない。超掘り出し物をゲットした満足感があるのだ。
 ボビー・ハッチャーソンはブルーノートに9枚ものリーダー作を発表している。他人名義への参加作を入れると優に20作を超えるのではないだろうか。この、新主流派的演奏をアルフレッド・ライオンが高く評価したことの現れである。彼のブルーノートにおける代表作は『ハプニングス』だと考えているが、これはハービー・ハンコック(p)の参加とその代表曲“処女航海”に負うところも大きい。かたや、本『トータル・エクリプス』にはチック・コリア(p)を迎えて、傑作“マトリックス”を初演するなどまったく対抗心むき出しの展開だ。なるほど、ハッチャーソンとコリアの相性はよさそうだ。といっても、後年のゲーリー・バートン=チック・コリアほどの緊密性は期待すべくもないが。コリアのピアノは相変わらずクリスタルな鋭い感じで若々しくていい。驚きは、かのブラウン=ローチ・クインテットで一世を風靡したハロルド・ランド(ts)の参加だろう。まさかとは思ったがハロルド・ランドのこの変わりようは何だ。まるで宗旨替えしたようなテナーの響きが妙にこのグループの音にマッチしているのだ。
 タイロン・ワシントン(ts)については僕は初体験だ。この『ナチュラル・エッセンス』はブルーノート唯一のリーダー作のようだが、競演にウディ・ショウ(tp)、ジェームス・スポールディング(as,fl)を従えて、他リズム・セクションにも名のあるメンバーを配置しているところをみると、かなり期待されたデビューと見ることが出来よう。よくよく調べたら、ホレス・シルバーのサイド・メンが本人を含めそのまま参加したということのようだが。そして、演奏楽曲もすべてワシントンのオリジナルと来ている。さらには、ブルーノートでのデビューにしてはすごく前衛的な感じがして、僕は非常に気に入っている。惜しむらくは、これ1作しかブルーノートに残っていないということである。どうしたんだろう?アルフレッド・ライオン退任後間もない時期の録音だから前衛的過ぎてデューク・ピアソンに気に入ってもらえなかったんだろうか。ライオンならもっとたくさん録ってくれたような気がするのだが、時の運、しょうがないか。

ブルーノート廉価盤

2010-05-30 13:06:43 | Jazz

ブルーノート廉価盤
                                                                               By The Blueswalk

 ブルーノート・レコードの廉価盤CDが昨年から何回かに分けてシリーズで発売されている。\1100とお手頃な値段で、しかもレアーな貴重盤が多いようだ。現在は第4回目で、“ブルーノート・ベスト&モア・アンコール”と題して70タイトル、4200、4300番台中心となっている。
ブルーノートと云えば1500番台の100枚弱が超人気で、僕も大半は手に入れているけれど、4000盤以降は数も多くこういう機会でもないと中々触手が伸びない。
 ところで、僕は昔からブルーノート・レコードはファンキー・ジャズが多いこともあって、オルガン・ジャズが異常に多いレーベルだと思っていたんだけど、真実はどうなのかちょっと調べてみたら、リーダー・アルバムを出しているアーティストの分類として以下のような結果が出た。
 ・ジミー・スミス      27枚
 ・ビッグ・ジョン・パットン 11枚
 ・フレディ・ローチ      5枚
 ・ロニー・スミス       5枚
 ・ラリー・ヤング       5枚
 ・リューベン・ウイルソン   5枚
 ・他5人          12枚
 
締めて70枚、この外に、他人名義(例えばホーン奏者やギタリスト)への共演を入れるとさらに数は増えるのだが、全約500枚に対しこれを多いとするかどうかは異論もあることだろう。ジミー・スミスの印象があまりに大きすぎるからかもしれないなあ。それはさておき、件の廉価盤シリーズから、あまり有名でないオルガン・ジャズ3枚を買うことにした。
ビッグ・ジョン・パットン『レット・エム・ロール』。ギターのグラント・グリーンはともかくボビー・ハッチャーソンのヴァイブを入れたところがミソ。実に軽くさわやかでスムースなオルガン・ジャズに仕上がっており、かなり好感度アップだろう。ビッグ・ジョン・パットンといえば、もうちょっとゴリゴリで押しの強いイメージがあったので、これは得した感じである。
ラリー・ヤング『ヘヴン・オン・アース』。ラリー・ヤングのことを“オルガンのコルトレーン”と呼ぶそうな。それは、「常に問題意識をもって、自分のはるかな目的を見失うことがない。この求道者としての姿勢が近似するから」だそうだ。うーん、解からん!? そんなことはどうでもいいとして、肝心の音はどうだ?最初からアップテンポで快調なポップ調が楽しい作りとなっている。これも、Good!! ジョージ・ベンソン(g)の参加がユニークだ。
リューベン・ウイルソン『ラヴ・バッグ』。どうも、脇をリー・モーガン(tp)とグラント・グリーン(g)に固められて、二人に勝手にやられ放題だ。萎縮してしまったか、硬いぞ、もうちょっと前に出らんかおら~と罵声を浴びせつつも、でも、結果的にはこれが効を奏した。オルガン・ジャズとしてはインパクトが薄いが、3枚のうちでは一番ファンキーでトータルな出来は悪くないぞ。
 それにしても、ブルーノートの4000番台後半のなんとポップなことよ。60年代後半ともなるとソウル・ミュージックやロックからの影響がもろに出ているといえるだろう。ジャケットはどれもいいね。