The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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女流アルトに期待

2010-08-31 15:32:41 | Jazz

女流アルトに期待
                                                                                By The Blueswalk

 最近の女性ホーン奏者の台頭には目を見張るものがある。特にアルト・サックスにおいては国内外問わず、それが顕著である。少し前までは高校生の矢野沙織が目立った存在であったが、すでに彼女も24歳にならんとしており、その後輩たちが続々と続いているといった状況である。矢野ちゃんもうかうかして居れない状況を呈している。そして、彼女らが目標というか目指しているのがチャーリー・パーカーであることも共通の傾向である。矢野沙織などは最初から女パーカーを標榜し、パーカーの楽曲ならびにビ・バップの楽曲を多く取り上げ、若いジャズ・ファンへはその容貌で魅惑し続け、昔からのジャズ・ファンにはバップ的演奏で惹きつけている。少し前、CDのオマケにDVDがあり、それを見ていると、まるでファッション・モデル並みの扱われ方であった。
 そんな中で最も脚光を浴びているのが“天才高校生”とのキャッチコピーで売り出された寺久保エレナちゃん。”山下洋輔、渡辺貞夫、日野皓正など、数々の巨匠との共演”の触れ込みだから、相当な場数も踏んでいるのであろう。タイトルが『ノース・バード』、つまり“北のチャーリー・パーカー”ということだ。バックにケニー・バロン(p)、クリスチャン・マクブライド(b)、ピーター・バーンスタイン(g)、リー・ピアソン(ds)ときている。期待の大きさが伺われるというものだ。そして、肝心の音であるが、流石に“天才高校生”と謳われるだけあって、相当なテクニックの持ち主であることがすぐ判る。さらに、曲の中での抑揚の付け方、音質の転換など、そんじょそこらのガキとは違うんじゃと、これでもか、これでもかと惜しげもなくすべてをさらけ出し煽りつづける。空恐ろしいばかりだ。だが、褒めてばっかりはいられないのが年寄りジャズ・ファンのしがない性。抽象的な表現だが、どうも心に響いてこない。何故か?結論を言ってしまうと、“自分自身に陶酔してしまっている”ということだ。“私、こんなこともあんなことも何でも出来るのよ。バラードもこんなにこころがこもっているでしょ。どお、まいった?”といった押し付けがましさが見えるのだ。
 さて、もう一人の新星、纐纈歩美(コウケツアユミ)さん。ファースト・アルバムが『ストラッティン』。こちらはバックをいつもの気心知れた納谷嘉彦(p)のトリオで固めている。エレナちゃんとは打って変わって、落ち着いた自然な音が気持ちよく謳っている。派手さは殆どないが、しかしテクニックでエレナちゃんに劣るというようなところは全く無い。自分を知っているというか、身丈相応のジャズをしっかりとこなしているという安心感がある。難しい曲を易しく聴かせる本能的なサムシングを持っている。選曲はバラードありアップテンポありでバランスの面でも工夫が伺えていい。欲を言えば、全11曲の中でのメリハリが欲しいところだ。つまり、メインで聴かせたい曲、干渉的に聴かせる曲などが見えれば、聴く方もそれなりに全体の流れに乗りながら鑑賞出来るというものだ。“全部がお上手ですね”で終わってしまう危険性をはらんでいるのだ。今後は“個性”をいかに出していくかがポイントになりそう。そうでないと、埋もれてしまいかねない。
 いずれにしても、両者とも出来としてはかなりのレベルに達していると思うので、今後、ますます個性を磨いて、1フレーズ聴いただけで、あっ、エレナちゃんだ、アユミちゃんだと判るようなミュージシャンになってもらいたいという望みと大いなる期待だ。


大西順子『バロック』

2010-08-27 11:20:30 | Jazz

大西順子『バロック』
                                                                                 By The Blueswalk

 1年ぶりの新作は『バロック』と題され前作と一転して、3ホーンをフロントにした攻撃的な作品である。女性のピアノがリーダーの3ホーン編成は聞いたことがない。ニコラス・ペイトンのTP、ジェームス・カーターのSAX、ワイクリフ・ゴードンのTBに対し、レジナルド・ヴィールとロドニー・ウィッティカーの2ベースのリズム陣で対抗する。もともと大西のピアノは男性的で激しいタッチが特徴であるが、なかなか聴き応えのある作品に仕上がったと思う。最初の3曲は大西のオリジナルで大作ぞろいだ。

 1曲目“トゥッティ”。多彩なリズムの上を3つのホーンがピアノと一体となって激しく躍動する。前作が久しぶりの作品ということでやや押さえ気味であったのが、一気に弾けた感じだ。この曲は3ホーン陣の名刺代わりの自己紹介的で3人3様の味が出ており、実に楽しい。ピアノを中心にしたリズム陣もこれに負けていない。
 2曲目の“ザ・マザーズ”。ホーン・セクションのアンサンブルはかなり緻密にアレンジされているようだ。単なるアドリブ・プレイに頼らない、作品性を感じる。大西の作曲家としての実力が発揮されている作品だ。イメージ的にはチャールス・ミンガスの楽曲を今風にアレンジした感じ。だから、ミンガス好きにはたまらないが、ミンガス嫌いには少し辛いかもしれない。
 3曲目の“ザ・スルペニ・オペラ”。ピアニストのジャッキ・バイアードのピアノ・スコアを大西がアレンジし大作オペラ?に作り変えたとされている。3分にわたる無伴奏の2ベース・ソロで始まるが、枯れたピアノの音が割り込んできて、一転してフリー・フォームの3ホーンとの絡みで多彩かつ長大な音絵巻が展開されていく。約20分の長尺な作品であるが、ニューオリンズあり、アート・テイタム風あり、ミンガス風ありの色々なスタイルの楽曲をちりばめて飽きさせない構成ではある。途中から本当にミンガスの作品を聞いているかのような錯覚に陥ってしまうだろう。それでも、ジェームス・カーターのBCLとピアノの丁々発止なやり取りなど全く見事だ。この1曲で十分に元を取った感じである。
 4曲目“スターダスト”。メイン・ディッシュのあとのデザートとしてのピアノ・ソロ、これがまたさり気ないが実に味のある演奏となった。アート・テイタムもしくはテディ・ウイルソンが珠を転がすようなタッチの雰囲気が伝わってくる。


 
さて、ここまで聴いてきたが、あと4曲も残っている。もう、僕はステーキのフル・コースを鱈腹食って満足しているのに、さらにスキヤキを食べろというのか。しかも、前半4曲と同じような後半4曲の構成である。昔のLPだったら4曲で終わって良かったのになぁ。CD時代の弊害で74分フルに収めないとリスナーが怖いという脅迫観念がありはしないか?
 勿論、この面子での演奏だから悪いはずはないのだが、“過ぎたるは及ばざるが如し”。腹八分目で抑えてもいいんじゃないかなと思った次第である。


夏は省熱小スペースで

2010-08-21 13:17:24 | Jazz

夏は省熱小スペースで
                                                                                By The Blueswalk

 夏の暑い夜、オーディオのスイッチをつけるのをためらってしまうのは僕だけのことではあるまい。何といってもこのアンプというやつ、熱を発散させるのが俺の存在価値だとばかりに、やたら張り切って室内を異常な高温サウナ状態にしてしまう。冬ならば、多少の暖房の足しになって重宝もするのだが、夏場はそうは行かない。ただでさえ暑苦しいのに、こうも二重に攻め立てられると楽しい音楽を聴こうという気も失せてしまうのだ。
 そこで、何とかならんもんかと考えた挙句、散歩などの戸外で使用しているウォークマンにスピーカーをつないで聴こうと考え付いたわけだ。最近のウォークマンはイヤホーンの高精度化により、かなり良い音を聴かせてくれるので、外部スピーカーでも少しはましな音が聴けるのではないかと思うのだ。
 早速、梅田のヨドバシ・カメラに出かけて調べてみると、案外多くのタイプのウォークマン対応スピーカーがある。価格帯は1万円~2万円といったところだ。以下、サンプル画像。
大きさは、それぞれの画像に写っているウォークマン(横4cm、縦9cm)と見比べて想像してください。

 これらの商品の特徴はとにかく省熱(エネ)であるということ。基本的に熱を放出しない。そして、小(省)スペースであること。机上に置いてもあまり邪魔にならない。
最近は良く知らないが少し前までは、デスクトップ・パソコンを買うと必ずスピーカーがオマケで付いてきたものだが、邪魔になってすぐ捨てていたのが、それがもっとお洒落なデザインで好きなときにすぐ接続できて、パソコンに入っているウォークマンの音楽データや、WAV、VA、WMAなどのパソコンで再生できるすべての音源をこのスピーカーで聴けるということだ。
  結局、JBLの円盤型スピーカーを購入したのだが、今はウォークマンに接続せず、パソコンに接続してパソコン内の大量音源を楽しんでおり、当初の使用目的からはちょっとズレてしまった使い方だが、机上で気楽に聴けるのは便利で良い。
 ただし、音質は従来の重厚長大なオーディオに較ぶべくも無いことは言わずもがなであるが・・・
 さて、あなたはサウナの中で良い音で聴きますか? それとも涼しい部屋でそれなりの音で聴きますか?


夏は熱いジャム・セッション

2010-08-08 21:09:45 | Jazz
夏は熱いジャム・セッション
                                                                             By The Blueswalk
 連日35℃を超える猛暑日で大変な暑さの中全くやる気の無い日々を過ごしている。“茹だるような暑さ”とはこういうことを云うんでしょう。感覚的には、夜の方が暑いんだけれど、これは夜になると各家庭でクーラーをつけるため、その屋外機からの熱で逆に暑くなっているんじゃないかと思われる。こんな人間のエゴによりますます地球温暖化が進んでいってしまうと我々の孫子の時代はどうなってしまうんだろうか? 俺には関係ないなどと云っているわけにも行くまい。せめて自分だけでもクーラーを我慢して扇風機で乗り切ろうと思うのだが、一度クーラーをつけたら癖になって中々この誘惑から逃れることが出来ないでいる今日この頃である。この暑さの所為?で、うちのマンションンの中庭の蝉は真夜中の12時~2時ごろになってもシャーシャー泣きわめいている。うーん、蝉まで狂ってきたか??  こんなことだから、8月の会報も予定のテーマはあるものの全く書く気が起こらずに、ついつい締め切り間際になってこんなテーマで夏を乗り越そうと思った次第である。
 この暑さを吹き飛ばすには自分自身が熱くならないとどうにもならない。そうなると、“夏はジャム・セッションに限る”となってくる。ジャム・セッションとくれば、ノーマン・グランツ・プレゼンツのJATP(Jazz at the Philharmonic)しかない。このノーマン・グランツなる人、ジャズ好きが昂じてジャズの興行師として1944年からこのJATPコンサートを主宰し、その録音をレコードとして売るために1954年に自分の名前を取った「ノーグラン」を立ち上げる。その後、1957年には「ヴァーヴ」、1973年には「パブロ」と矢継ぎ早にレコード会社を設立し、雪達磨式に膨れ上がらせたカタログを頃を見計らってすべてを売り払い、スイスで悠々自適な生活を満喫した金満家である。なんと、うらやましい人生であることか。元来、ジャム・セッションなどというのはミントンズ・プレイハウスなどで行われていたように、アフター・アワーズに仲間が寄り集まって憂さ晴らしや本当にやりたいことのために実験的に行われていたのをレコード商売に結びつけたのだ。それまで、ジャズのライヴ・レコードなんてこの世に存在しなかったのだからこの発想は画期的であったと言っていいだろう。
 さて、JATPである。多分、日本では『‘40年代のJATP』、『‘50年代のJATP』、『JATP in TOKYO』の3セット(それぞれ3枚ずつ)が手に入るはずである。
で、何といっても、『‘40年代のJATP』。レスター・ヤング、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーなどなど、綺羅星のごときスターたちのオンパレードである。しかも、1曲10~15分の長尺でほぼ全員がソロを取ったライヴなのだから盛り上がらない方がおかしい。そして、このJATP御用達テナー奏者フリップ・フィリップス、イリノイ・ジャケーによる“パーディド”に於ける大ブロー大会は一つの伝説となっている。こういう場合は、大きな音を出せる奏者の勝ちである。レスター・ヤングのような繊細で流麗な音色を得意としている奏者にとってはブが悪い。だから、“デリカシーの無いやつらと一緒にやりたくない”のかどうかは判らないがほとんどこの二人とは共演していないのである。しかしちょっとやり過ぎの感無きにしも非ずだが、お祭りなんだからこれぐらいは大目に見てやりたいというのが僕の意見である。だから僕はこのレコードでは真っ先に“パーディド”を聴く。汗かきながら、大音量で聞くと爽快感この上ないのだ。makotyanさんのオーディオで聴くとさらに昂揚するだろうなぁ。さらにぐぐっと冷えたビールでもあれば最高なのだが。
 『‘50年代のJATP』はメンバーの多少の遷り変わりはあるが、ややこじんまりまとまった感じがある。『‘40年代~』が余りにも豪奢すぎたので比較するのもかわいそうではあるが・・・
ここでの聴き物は何といっても、ピアノのオスカー・ピーターソンだ。豪快にスウィングし、フロントを煽りまくるそのバイタリティには恐れ入る。こういうのは、冷房の効いたコンサート・ホールでしか聴けないビル・エバンスやキース・ジャレットには出来ない隔絶した世界だ。このJATPでの活躍によってその名が世界的に認められるようになったのだから、JATPの申し子と言ってよく、ほとんど全編に出ており、ピーターソン・ファンには垂涎のアイテムであるはずだ。
 『JATP in TOKYO』は1953年のJATP唯一の日本公演の模様を収めたものだ。フィルハーモニック・オーディトリアムでもないのにJATPとはこれ如何に? なんて、どうでもいいか。上記2セットを持っていれば十分とも云えるが、ここでのトピックは、エラ・フィッツジェラルドの参加で、一段と華やかになったということだろう。顔に似合わずと言ったら大変失礼だが、澄み切った、張りがあり伸びやかな歌唱はまさに全盛期の“歌姫”ここにありと言っていい。お得意のスキャットも満載である。
 他にもジャム・セッション・レコードを用意したのであるが、ノーマン・グランツ繋がりで最後まで押して行く事とする。
『ノーマン・グランツ・ジャズ・コンサート#1』は、JATPと平行してノーマン・グランツが自分のレコード会社「ノーグラン」用にJATPの焼きなおし(JATPの名前でコンサートを行い、レコードにはJATPの名前を入れない)コンサート・ライヴ・レコードである。だから、役者も当時(1950年)のJATPのメンバーが殆どである。商売根性丸出しこの上ない代物ではある。がしかし、中身が大変なのだ。これまでのJATPはオールスターによる寄せ集め集合体だったのを、ここでは「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」、「オスカー・ピーターソン・デュオ」、「コールマン・ホーキンス・カルテット」など、手を変え、品を変えした工夫の後が見られるのだ。何と言ってもチャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングスなんて、JATPでは考えられない組み合わせなのだから貴重なことこの上ない。
 スタジオ録音版のジャム・セッションがこの『ノーマン・グランツ・ジャム・セッション』シリーズである。1952年以降、数枚に渡って作成されている。#1はチャーリー・パーカーはいつもながらブリリアントな演奏を聴かせてくれているが、聴き物は2人のエリントニアン、ジョニー・ホッジスとベン・ウエブスターだろう。スタジオ録音でありながら、流石に大御所のことだけあって、ライヴかと思わせるような乗りのよさとスウィング感を味わうことが出来る。#4はカウント・ベイシーとフレディ・グリーンのリズム陣にスタン・ゲッツ、ワーデル・グレイといったテナーが入った珍しい組み合わせのセッションである。ワーデル・グレイは当時レスター・ヤング以降の最もスウィングするテナー・マンであると評判になっていただけのパフォーマンスを披露している。ウォームなゲッツとスマートなグレイの対比を楽しむのもいい。このシリーズは多分レコードで#7ぐらいまであったと思われるが、僕はこの2枚あれば十分である。
それにしても、いつも思うことであるが、この時代のジャズ・マンというのはブルースであれバラードであれどんなタイプの曲にも即座に対応できたんだなと感心すること頻りである。他流試合が盛んだったこの頃でしか味わえないジャズ遺産である。