The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

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Live from Far East Billy Harper Quintet

2012-08-14 09:40:42 | 変態ベース

Live from Far East   Billy Harper Quintet

                         変態ベース
 6月の例会は、『Billy Harper Quintet Live』を選らんだ。1974年にビリー・ハーパーがサド~メル・オーケストラの一員として来日した際は、若手のホープとして周囲から好奇の視線を受けていた。日本公演の合間に、オーケストラの同僚だったジョン・ファディスと双頭リーダー作を録音したが、ガレスピー直系のファディスと新主流派のハーパーでは全く毛色が違う。あれはどんな作品に仕上がったのだろう。もう40年近く興味を満ち続けているのだが、未だに聴く機会に恵まれない。ハーパーも近年の写真を見ると、頭にずいぶんと白いものが目立つようになった。テキサス生まれのこのテナーマンも今年で69歳になる。あのチンピラ風の角刈りパンチヘアーも、どこか好々爺然としてきた。
 例会で彼のアルバムを選曲したことで、久方ぶりにじっくりとハーパーを聴くことができた。この人、今も昔も本当に変わらない。新主流派の旗手として斬新でエキサイティングな演奏を続けてきた彼には、常にアグレッシヴ・革新的なイメージがあった。しかしここまで自分のスタイルに固執すると、ひるがえって保守的なプレイヤーというイメージが強調される。一体、何が保守で何が革新なのか分かりにくい。コルトレーンだってあのままずっとモードやフリージャズばかりやり続けていたら、保守的な野郎だと思われていたかもしれない。保守と革新は表裏一体なのかもしれない。もし保守的という言葉が的を得ていないと思うならば、確信的で信念を持ったプレイヤーと言い換えればよりその本質を突いているだろう。
ハーパーがデヴューしたのは70年代の初頭。ギル・エヴァンスやサド~メルのオーケストラに参加しながら、腕を磨き徐々に名を上げていった。徹底的に吹きまくるスタイルはホンカーと呼ばれる連中と混同されがちだが、私はそのような仕分けには違和感を覚える。一曲の演奏時間は長いけれど、冗長でだらだらと垂れ流しのような演奏はしない。音楽と対峙する姿は生真面目そのものなのだ。ハーパーのバックボーンにはアフロアメリカンとしての強い信念を感じる。初期から最近に至るまで、彼の演奏の全てが同じトーンで語られるのはその帰属感が揺るぎないからだ。演奏が時に重苦しくのしかかるのもそのせいだ。コルトレーン没後、マッコイ・タイナー等を中心に新主流派と呼ばれるミュージシャンが台頭した。ハーパーもそのフォロアーのひとりだった。彼等の多くは野に埋もれ、またあるものは骨抜きになり他の集団に飲みこまれていった。しかしハーパーという男は節を曲げる素振りすら見せない。頑固者と言われようが、時代遅れとそしられようが、この半世紀近く自分のあるがままの演奏を貫き通してきた。率直に立派と認めざるを得ないだろう。

 1991年、ビリー・ハーパーは極東(Far East)ツアーを行った。参加メンバーはBilly Harper(ts)、 Eddie Henderson(tp)、 Francesca Tanksley(p)、 Louie Spears(b)、Newman T Baker(ds)。トランペットのヘンダーソン以外はほとんど無名だ。ピアニスト以下のメンバーはハーパークインテットのレギュラーのようだ。スティープルチェイスからリリースされたアルバムは、そのツアーからの実況録音である。私家盤ほど酷くはないものの、あまりハイレベルの録音とは言い難い。東アジアの国々を転々とするどさまわりツアーでは、録音機材の調達もままならなかったということか。しかしその音源には、ハーパーの真骨頂とでも言うべきパワフルな熱演が詰まっている。

 一枚目の『Billy Harper Quintet Live / On Tour in the Far East』は、韓国は釜山に於ける録音だ(4/27)。アルバムを見ると10分を超える長尺の演奏が多い。ライヴで演奏時間が長くなることはありがちなことだ。しかしやたら長いだけで内容の伴わないのは御免こうむりたい。ハーパークインテットのプレイも確かに長いけれど退屈はしない。それは彼等の楽曲にストーリーがあるからだろう。各人のソロスペースも十分にとっているが、前奏部やコーダにもじっくり時間をかける。演奏に起承転結があり、それぞれの展開が実にナチュラルなのだ。その傾向は冒頭のI Do BelieveやCroquet Ballet等のミディアムテンポのナンバーではより顕著だ。ハーパーのソロも男性的でエモーショナル。ギミックなしプレイは気迫がこもっている。ロリンズが好調だった頃は、テナーサックス一本で周りを沈黙させたものだ。ハーパーの演奏にも、絶頂期のロリンズに比類するだけのたくましさがある。テナーサックスはかくあるべきだ。
Countdownは、名作『Giant Steps』の挿入曲だ。速いテンポの曲で、ハーパーはその力量と溢れるパワーを最大限に発揮する。いわゆるスタンダード~歌ものはこのアルバムでは取り上げられてないが、4曲目のInsightはAutumn Leavesのコードチェンジを使っているようだ。


 『On Tour Vol.2』は台湾の高雄市からのライヴ(4/22)。こちらも演奏時間が長い。さすがに25分を超える2曲目はきつい。コルトレーンのヴィレッジ・ヴァンガードのように、モードものは長くなる宿命なのか。歳と共に聴き手も、こらえ性がなくなってくるのだ。このアルバムからは1曲目のPriestessと、最後のDestiny Is Yoursが秀逸だ。どちらもハーパーの古いオリジナル曲だ。ハーパーという人は楽器の鳴り方が痛快だ。音楽の根源的なパワーが、スピーカーの向うから飛び込んでくる。それが聴後の爽快感、カタルシスにつながる。決して器用なテナーとは思わない。ある定型の演奏しか出来ないし、どこにでもあるようなスタンダードを吹かせたら、途轍もない陳腐なプレイになってしまうかも?そんな気がするのだ。ハーパーには彼独自の演奏パターンがあってそれしかない。しかしそれが素晴らしものであれば、なにもひとつ注文をつける言われはない。
 さて、3曲目のMy Funny Valentineは、唯一取り上げられたスタンダードだ。はたして奇妙な演奏になったかというとそんなことはない。ちょっとスピリチュアルなムードを持つこの演奏はハーパーの真骨頂だ。しかし「いやこれはクサイ」と感じてしまう人もいるだろう。そういう人はハーパーと御縁がなかった諦めていただくしかないが。なお、まだ聴いたことがないが、このシリーズは『Vol.3』(マレーシア、クアラルンプール)も発表されている。