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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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雨の日はショパンでも聴こう

2010-06-08 10:24:13 | Classic

雨の日はショパンでも聴こう
                                                                              By The Blueswalk

 今年はショパンとシューマンの生誕200年ということで、世界的に色々な催しが行われているようだ。ところがこの二人の人気には雲泥の差がある。クラシック情報誌を見ても日本でもショパン一色でスケジュール満載といったところだがシューマンのそれはショパンのオマケ程度にしか扱われていない。この差はどうしてだろうか。奥さんとブラームスの不倫に嫉妬して死んだといううわさなど、どうもシューマンには暗いイメージがあるからではないだろうか。それに対しショパンには幻想的で優雅なメロディを持った小曲が多いのであまりクラシックを聴かない現代の若い人たちにも親しみやすく、曲が耳に入る機会が多いからといえそうだ。シューマンも純粋なクラシック作曲家としてはショパンに全く劣るところはないどころか、スケールは上だと思われるのにである。損な役回りをしている。同い年に人気のライバルがいるとことさら辛いものだ。
それはともかく、僕はショパンには“雨”が似合っているといつも思っているのだが、皆さんはいかがでしょうか? ショパンの曲は短くて、スローなので弾くのは簡単なように思うが、聴かせるのは非常に難しい。中学生でも弾ける代わりに、上手下手がすぐ判ってしまうからだ。
 クラシックのピアニストは、モーツアルト弾き、ベートーベン弾き、ショパン弾きなどとよく分類されることが多い。その作曲者の個性が曲に反映されているからで、それを得意としているかどうかということだ。たとえば、モーツアルトには華麗さが要求されるし、ベートーベンには力強さが求められる。ショパンはどうか? 一つ一つの音の分離の明快さだと思う。そういう意味でいうと、テクニックというより細やかな感性が必要になるといえるだろう。だから、以下に挙げる4名のショパン弾きたちも、超絶技巧派ではなく、印象派といってもいい人たちなのだ。ただ、年代が古い人が多いのは僕の好み(実際はアナログ・レコード派なので、現代の若い人たちの演奏をあまり聴いていないからなのだが)となっており、これより音の良いCDが他にたくさんあると思えるので気にいった人の演奏を気に入った曲で楽しむのが良いだろう。
 さて、ショパン弾きのパイオニアといえば、このアルフレッド・コルトー(1877/9/20~1962/6/15)を於いて他には居ない。音はシンプルで殆ど装飾音がない様に響き、ショパンの楽譜どおりに弾いているような感じであるが、じつはテンポ・ルバートなどを多用しており、かなり独自性を持った奏法に感じるのだ。コルトーの演奏対象はショパン、シューマンなどのロマン派が中心であり、古典派はあまり得意としていない。その代わり、これらのレパートリーに於ける個々の演奏は我々を桃源郷へ誘ってくれるだろう。
 アルトゥーロ・ル-ビンシュタイン(1887/1/28~1982/12/20)は見るからに謹厳実直で曲がったことが大嫌いといった風であるが、その演奏姿勢も映像で見る限り全くその通りであった。グレン・グールドやキース・ジャレットにこの人の爪の垢でも煎じて飲ましてあげたいものだ。背筋をきりっと伸ばし、全く破綻のない模範的なショパンを聴かせてくれる。しかし、逆に言えば、スリルがないとも云えようが、作曲家ショパンの意図するところを最も忠実に再現しているとも云えよう。

 サンソン・フランソワ(1924/5/18~1970/10/22)は出来不出来の激しい演奏家であったといわれているし、自信家であり気分家でもあったらしい。しかし、その気分が乗ったときの演奏は豊かな表現力を駆使し、他の追随を許さない独特の華麗さを持っている。叙情的なショパンを聴きたいならフランソワに限る。僕は個人的にはこの人のショパンが一番気に入っている。
 ショパンを語るとき、ディヌ・リパッティ(1917/3/19~1950/12/2)を忘れるわけにはいかない。その端正な顔立ちは貴公子と呼ぶに相応しい。特に死の直前に於ける、ブザンソン告知リサイタルでの最後のワルツ『華麗なる大円舞曲』は最後の力を振り絞った鬼気迫る壮絶な演奏であり、力尽きる前の激しく燃える炎の演奏を涙なくして聴くことは出来ない。音の乱れ、テンポの乱れがどうのこうのという次元を超えた感動を我々に与えてくれる。ただ、不謹慎な表現だが、リパッティをしょっちゅう聴くというのはとても重荷を負わされるようでつらい。気が滅入ったときのカンフル剤として取って置きたい。


内田光子の弾き振りはどうよ

2010-03-31 21:50:28 | Classic

内田光子の弾き振りはどうよ
                                            By The Blueswalk

 内田光子のモーツアルトには定評がある。1987年のジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団とのピアノ・コンチェルト全集と同時期のピアノ・ソナタ全集は、僕も好きで今まで何度となく聴いてきた。モーツアルトはこれで十分と思える出来で、どちらも世界的な評価が高い。リリー・クラウスやイングリッド・ヘブラーといった、いわゆるモーツアルト弾きたちと較べても、断然こっちのほうが上だ。今のところ日本では敵なしで、マルタ・アルゲリッチと並んで、世界屈指の女流ピアニストであることは疑う余地もない。内田は1972年からロンドンを拠点に活動している。その貢献もあり、「DBE(大英帝国勲章)」などという、英国からの名誉の勲章も頂いている、日本が誇る最大のクラシック音楽家である。
 クラシックの器楽演奏家のうちの多くは、最終的には指揮者を目指したがるようである。チェロのカザルスやロストロポーヴィッチ、ピアノのバレンボイム、アシュケナージの例を挙げるまでもなく、間違いなく言える。その気持ちが分からないでもない。なぜかというと、オーケストラを率いるクラシックの世界は指揮者が絶対だからだ。基本的に演奏者は自分の好きなようには弾けない。指揮者のいう通りしなければならないのだ。だから、今までの恨み辛みを晴らすために指揮者になって、絶対君主になり自分のやり放題のことをやるのだ。こんな快感はないだろう。
 で、あろうことか、内田光子までが指揮者となって、モーツルトの弾き振りをやってしまったのだ。(実は、1982にも上記のイギリス室内管弦楽団とでモーツルトの引き振りをやってはいるのだが)そのCDがこれ。僕は、モーツアルトのピアノ・コンチェルトの中では、第23番が最も好きなので、早速買って聴いてみた。2008年12月、クリーヴランド管弦楽団との弾き振りである。
前者よりゆったりとした演奏だ。余裕というか、つやのある演奏であることは確かである。これは、オーケストラの質の違いが出ていると見ていいだろう。内田光子の演奏だから悪いわけはないし、これもありかなとは思う。しかし、前回より良くなったのかと考えると、そうとは言い切れない。前者のほうがよっぽど、スマートでしまりのある音であると思うのだ。特に第3楽章のAllegro assaiは、スピード感が命なのに、このテンポはなんなんだ。どうしても、指揮とピアノ演奏を同時にやるのは問題があるといわざるを得ない。ジャズのオーケストラの指揮などは、最初のスタートの合図をしたら、後は演奏者にお任せでいけるけれど、クラシックの場合はそうは行かない。ましてや、コンチェルトは基本的に最初から最後までピアノの引きっぱなしに近いのだから、指揮することに意識が奪われて、肝心なピアノに集中できないのではないかと思うのだ。
 内田さん、今からでも遅くはない。弾き振りなどという邪道はやめて、即刻、いちピアニストにもどりなさい。あなたの弾きたいように弾かせてくれる指揮者を探して、前回の全集を上回る作品を目指しなさい。ピアノを弾きながら指揮なんか出来ないのです。出来るのは唯一、天才グレン・グールドだけなんです。それか、上記4者と同様に、完全に指揮者になりきりなさい。ピアノを捨てる覚悟で指揮者に挑戦しなさい。
このCDが発売されて半年以上経つが、次が発売さていないところをみると、この苦言が聞こえているのかな。


クラシック・ブームは本物か

2010-03-19 08:30:06 | Classic

クラシック・ブームは本物か
                                                                    By The Blueswalk

 ここ4~5年、クラシック・ブームらしいのである。実は、僕がクラシックの音楽を本格的に聴くようになってから、ちょうど4年ほど経っているので、僕自身もそのブームに乗っかった張本人であるかもしれない。ブームのきっかけとなったのはアニメ『のだめカンタ-ビレ』のヒットとその映画化だろう。それに加えて、今年の6月、盲目のピアニスト辻井伸行さんが「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝という快挙が大きく報道されたことにより、さらに大きなブームとなったようだ。マスコミ各社は世界3大ピアノ・コンクールの一つなどと持ち上げて特集などで大掛かりに宣伝していたが、僕の見方は少し冷ややかだった。水を差すようだが、このコンクールってそれほど権威のあるものではないと思っているからだ。
 クラシックのピアノ・コンクールでは、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールが世界で最高権威のある2大大会であることはクラシック・ファンでなくとも知られている周知の事実である。“ヴァン・クライバーン”って何者?と訝る方も多いと思われるので以下に少し説明しよう。
ヴァン・クライバーンは1962年に第1回のチャイコフスキー国際コンクールに優勝したアメリカのピアニストである。ご存知の通り、アメリカにはクラシック音楽における伝統があまりない。それで、この優勝を機にアメリカにもそのようなコンクールを作ろうとその権威を金に糸目をつけぬ手法で勝ち取ったのがこのヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールなのである。従って、優勝賞金も高額で優勝後のレコーディングも保証(逆に言えば半強制的)されている完全な商業主義スタイルのコンクールであるのだ。優勝者はこの金まみれの待遇のためほとんどが大成しないとまで言われている悪評高いコンクールであることを知っておくべきだ。第2回優勝者のラドゥ・ルプーなどはこれを嫌って、優勝後のすべてのイベントをキャンセルして国へ逃げ帰ったほどである。さらに追い討ちをかけるようであるが、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルの記事を紹介すると、
①辻井さんは学生レベルのピアニスト
②難曲に挑戦するのは良いが音楽に深みがない
③ピアノコンチェルトは指揮者の指示が伝わらないので、オケと全く絡み合わず酷い演奏だった。全盲がピアノコンチェルトをやるのは指揮者に対して失礼
④ソロ演奏も競演者の中で群を抜いて酷い出来
⑤クライバーンコンクールはラドゥ・ルプー以外碌な演奏家を輩出していないコンクールだが、今回の選出は過去13回で最低最悪の選出
などと、かなりエキセントリックで辛辣な表現で、“ここまで書くか?!”との気持はあるが、アメリカ有数のジャーナル誌がこのような批評を出していることを我々は知った上で自らの耳で確かめることが大切であろう。
何はともあれ、2008年、佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団とのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いて見よう。デビュー作品としてこのような難曲を選択した意図は分からないが、柔らかく繊細な音が心地よく響く演奏である。ただ、逆にタッチがやわらか過ぎて、オーケストラの音に負けている感が無きにしも非ず。当のヴァン・クライバーンの演奏と聴き較べても非力は否めない。次に、最新の2枚組CD『デビュー』を聴くと、こちらはピアノ・ソロなので的を得た選曲(ラヴェル、ショパン、リスト等)で、彼の繊細さがよく出ていてよかった。CD1枚目はAVEXが総力をあげて辻井伸行の天才性をアピール(モーツアルトの再来だそうだ)した10歳ぐらいのころからの自作の演奏であるが、私には天才とは思われない。
とにかくマスコミや取り巻き連中によるたかりの構図が見え透いていて、今後の成長が危ぶまれるのである。我々もブームを煽るマスコミに対し、これを冷静に判断していく必要があるだろう。


※この文章は2009年12月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。