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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
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名盤になりそこねた一枚 Motion / Lee Konitz

2013-03-11 17:11:58 | 変態ベース

~ 名盤になりそこねた一枚     Motion /  Lee Konitz
                                             変態ベース
 京都の木屋町通りに呼人(よびと)という店があった。雑居ビルの2階にあったその店は、殆んど人目に付かない。昼はジャズ喫茶、夜はスナック。知る人ぞ知るといったお店で、ジャズ通にも殆んど認知されていなかったように思う。私の友人が、昼のジャズタイムにその店でアルバイトをやっていたのだが、たいてい客は入っていなかった。そんな訳でいつも昼間は私達、つまり軽音楽部の連中の貸し切り状態。コーヒーは只、好きなレコードを大きな音で、かけたい放題、聴きたい放題。学生のやることだから、遠慮を知らない節度をわきまえない。思い返せば汗顔ものだが、幸せな時代だった。
そんなある日、リー・コニッツの『Motion』が店でかかったことがあった。それ迄このアルバムについて全く知識がなかった(というよりリー・コニッツその人を、あまり聴いたことがなかったと言うべきか)。その時友人と交わした会話(論争というほどのものではなかったが)は、このアルバムの演奏方法についてだった。アルバムには有名なスタンダードナンバーが何曲か取り上げられている。そのいくつかは、テーマ部分は演奏されない。つまり、いきなりアドリブが始まり、そのまま終わってしまうのだ。
「これでは一体何の曲をやっているのか解からない。」
「いや、ジャズにとってアドリブこそ生命であって、アドリブ・インプロヴィゼーションが充実していれば、テーマはどうだっていいんじゃないか。」
「そもそもジャズにとってテーマって何?」 「テーマは必要なのか?」
そんな結論が見えそうにもないことを、夜を通して語り合ったのである。はたから見ればばかばかしいが、幸せな時代だった。

 ヴァーヴのコニッツと言えば、藤田さんご推奨の『Very Cool』(57年5月5日)が真っ先に思い浮かぶ。音のハリやイマジネーションの豊富さ。リー・コニッツというミュージシャンのユニークさが凝縮された素晴らしいアルバムだ。ドン・フェラーラ(tp)、サル・モスカ(p)、ピーター・インド(b)、シャドウ・ウィルソン(ds)。知名度という点でサイドメンは少し地味な感じもするが腕前は確かだ。トリスターノ楽派のつわものが勢ぞろいしたと言っても過言ではない。ウィットに富んだ会話をご堪能頂けることと思う。実にセンシティヴな作品だ。コニッツというミュージシャン(トリスターノ楽派の人はおおむねそうだが)はひねくれているというか、フレーズをリズム通り素直に吹かない。弱起(1拍目から入らない)を多用し、アクセントやビートを裏返したりする曲者だ。『Very Cool』は、そのトリッキーさが嫌味にならず程よく刺激的だ。聴けば聴くほどに、奥深い作品と感嘆させられる。

 その次に思い出されるのは、上記の『Motion』(61年8月)だろう。薄暗い背景に、ライトに浮かび上がったコニッツの顔が朱に染まっている。「赤のコニッツ」。私にはそういうイメージがある。編成は、サックスによるワンホーン・トリオ。ロリンズがお得意としていた楽器編成だ。ピアノのような和音楽器が抜けると、演奏に「間」が生じる。漫才で言えば、合いの手、ツッコミがいなくなった状況だろう。俄然ベーシストの役割が重要になってくる。つたないベースランニングではそれこそ「間」が持たない。本作のベーシスト、ソニー・ダラスは堅実なプレイでその大役をこなしている。しかしながら、ピアノを欠くと、演奏が解かりづらくなることも確かだ。前述の通りテーマの提示がないので、漫然と聴いているとどんな曲を演奏しているのか解からなくなる。また集中して聴かないと小節を見失うことになる。素人には勿論のこと、経験のあるリスナーにとっても聴力、スキルが試される踏み絵のようなアルバムなのだ。
『Motion』のセッションは、最初ニック・スタビュラスがドラムスを叩いていた。しかし出来栄えに満足できなかったためか、エルヴィン・ジョーンズに替えて再び収録が行われた。それが最終的にアルバムに収録されるテイクとなったのだ。後に全セッションを網羅した完全盤が発表されたが、それはCDにして3枚にものぼる膨大な量になってしまった。スタビュラスの入ったセッションもそんなに悪いとは思えない。それでも延々とセッションに重ねたのは、コニッツ自身納得行かないところがあったからだ。リスナーにとって些細なことでも、ミュージシャンには譲れないこともあるのだ。
 御存じのようにエルヴィン・ジョーンズはロリンズのヴィレッジ・ヴァンガード(サックストリオ)にも参加していた。コニッツがそのジョーンズを指名したのは、やはりあの演奏が意識の片隅にあったからではないだろうか。同世代のロリンズやコルトレーンの活躍は、大いにコニッツを刺激したと思う。この時期を境にして、コニッツの演奏は次第に変容していった。それはライバルに水を開けられまいという焦りや葛藤だったのか。それとも彼の好奇心が次の時代に吸い寄せられていたからだろうか。

 ジャズには音遊び的な実験とユーモアの精神が必要だ。リー・コニッツはいつも探究心に溢れ、ジャズの魅力を最大限に体現するミュージシャンだ。テーマをとばしていきなりアドリブに突入するパフォーマンスも、彼一流のユーモアと実験精神の表れなのかもしれない。誤解を恐れずにもの申すならば、ジャズに過大なロマンスや感傷を求めるのはお門違いと言うものだ。私はジャズから受ける感動とは、元来そのようなセンチメンタルなものとは少し中身が異なるように思う。打ち震えるような感動を求めるならば、もっと美しい旋律や叙情性豊かな詞を持つ音楽の方が適している。
それではジャズを聴いても全く感動が得られないかと言えばそんなことはない。ただ感動の種類が違うのだ。ジャズのアドリブなんて、そんなロマンティックな感情のこまやかさを表現するには遠回し過ぎるし歯痒くもある。痛快でもっと人の機知・洒落やユーモアのセンスに根ざした音楽。それがジャズの楽しみなのだ。ジャズは興奮だ。
リー・コニッツの演奏などはまさにその典型。コニッツの演奏は、ジャズと云う掴みどころのない音楽の象徴でもあるのだ。もしこのアルバムにとっつきにくい要素があり、それが本作を名盤の呼名から遠ざけたとしたら少々残念だ。しかしその解かりにくさや取っつきにくさこそが、ジャズ本来の魅力でもあるのだ。若い頃に友人と繰り広げたジャズ談義。いまだにその結論の糸口さえ見えないが、『Motion』を聴くと、あの頃のことがほろ苦く想い出されるのだ。


Live from Far East Billy Harper Quintet

2012-08-14 09:40:42 | 変態ベース

Live from Far East   Billy Harper Quintet

                         変態ベース
 6月の例会は、『Billy Harper Quintet Live』を選らんだ。1974年にビリー・ハーパーがサド~メル・オーケストラの一員として来日した際は、若手のホープとして周囲から好奇の視線を受けていた。日本公演の合間に、オーケストラの同僚だったジョン・ファディスと双頭リーダー作を録音したが、ガレスピー直系のファディスと新主流派のハーパーでは全く毛色が違う。あれはどんな作品に仕上がったのだろう。もう40年近く興味を満ち続けているのだが、未だに聴く機会に恵まれない。ハーパーも近年の写真を見ると、頭にずいぶんと白いものが目立つようになった。テキサス生まれのこのテナーマンも今年で69歳になる。あのチンピラ風の角刈りパンチヘアーも、どこか好々爺然としてきた。
 例会で彼のアルバムを選曲したことで、久方ぶりにじっくりとハーパーを聴くことができた。この人、今も昔も本当に変わらない。新主流派の旗手として斬新でエキサイティングな演奏を続けてきた彼には、常にアグレッシヴ・革新的なイメージがあった。しかしここまで自分のスタイルに固執すると、ひるがえって保守的なプレイヤーというイメージが強調される。一体、何が保守で何が革新なのか分かりにくい。コルトレーンだってあのままずっとモードやフリージャズばかりやり続けていたら、保守的な野郎だと思われていたかもしれない。保守と革新は表裏一体なのかもしれない。もし保守的という言葉が的を得ていないと思うならば、確信的で信念を持ったプレイヤーと言い換えればよりその本質を突いているだろう。
ハーパーがデヴューしたのは70年代の初頭。ギル・エヴァンスやサド~メルのオーケストラに参加しながら、腕を磨き徐々に名を上げていった。徹底的に吹きまくるスタイルはホンカーと呼ばれる連中と混同されがちだが、私はそのような仕分けには違和感を覚える。一曲の演奏時間は長いけれど、冗長でだらだらと垂れ流しのような演奏はしない。音楽と対峙する姿は生真面目そのものなのだ。ハーパーのバックボーンにはアフロアメリカンとしての強い信念を感じる。初期から最近に至るまで、彼の演奏の全てが同じトーンで語られるのはその帰属感が揺るぎないからだ。演奏が時に重苦しくのしかかるのもそのせいだ。コルトレーン没後、マッコイ・タイナー等を中心に新主流派と呼ばれるミュージシャンが台頭した。ハーパーもそのフォロアーのひとりだった。彼等の多くは野に埋もれ、またあるものは骨抜きになり他の集団に飲みこまれていった。しかしハーパーという男は節を曲げる素振りすら見せない。頑固者と言われようが、時代遅れとそしられようが、この半世紀近く自分のあるがままの演奏を貫き通してきた。率直に立派と認めざるを得ないだろう。

 1991年、ビリー・ハーパーは極東(Far East)ツアーを行った。参加メンバーはBilly Harper(ts)、 Eddie Henderson(tp)、 Francesca Tanksley(p)、 Louie Spears(b)、Newman T Baker(ds)。トランペットのヘンダーソン以外はほとんど無名だ。ピアニスト以下のメンバーはハーパークインテットのレギュラーのようだ。スティープルチェイスからリリースされたアルバムは、そのツアーからの実況録音である。私家盤ほど酷くはないものの、あまりハイレベルの録音とは言い難い。東アジアの国々を転々とするどさまわりツアーでは、録音機材の調達もままならなかったということか。しかしその音源には、ハーパーの真骨頂とでも言うべきパワフルな熱演が詰まっている。

 一枚目の『Billy Harper Quintet Live / On Tour in the Far East』は、韓国は釜山に於ける録音だ(4/27)。アルバムを見ると10分を超える長尺の演奏が多い。ライヴで演奏時間が長くなることはありがちなことだ。しかしやたら長いだけで内容の伴わないのは御免こうむりたい。ハーパークインテットのプレイも確かに長いけれど退屈はしない。それは彼等の楽曲にストーリーがあるからだろう。各人のソロスペースも十分にとっているが、前奏部やコーダにもじっくり時間をかける。演奏に起承転結があり、それぞれの展開が実にナチュラルなのだ。その傾向は冒頭のI Do BelieveやCroquet Ballet等のミディアムテンポのナンバーではより顕著だ。ハーパーのソロも男性的でエモーショナル。ギミックなしプレイは気迫がこもっている。ロリンズが好調だった頃は、テナーサックス一本で周りを沈黙させたものだ。ハーパーの演奏にも、絶頂期のロリンズに比類するだけのたくましさがある。テナーサックスはかくあるべきだ。
Countdownは、名作『Giant Steps』の挿入曲だ。速いテンポの曲で、ハーパーはその力量と溢れるパワーを最大限に発揮する。いわゆるスタンダード~歌ものはこのアルバムでは取り上げられてないが、4曲目のInsightはAutumn Leavesのコードチェンジを使っているようだ。


 『On Tour Vol.2』は台湾の高雄市からのライヴ(4/22)。こちらも演奏時間が長い。さすがに25分を超える2曲目はきつい。コルトレーンのヴィレッジ・ヴァンガードのように、モードものは長くなる宿命なのか。歳と共に聴き手も、こらえ性がなくなってくるのだ。このアルバムからは1曲目のPriestessと、最後のDestiny Is Yoursが秀逸だ。どちらもハーパーの古いオリジナル曲だ。ハーパーという人は楽器の鳴り方が痛快だ。音楽の根源的なパワーが、スピーカーの向うから飛び込んでくる。それが聴後の爽快感、カタルシスにつながる。決して器用なテナーとは思わない。ある定型の演奏しか出来ないし、どこにでもあるようなスタンダードを吹かせたら、途轍もない陳腐なプレイになってしまうかも?そんな気がするのだ。ハーパーには彼独自の演奏パターンがあってそれしかない。しかしそれが素晴らしものであれば、なにもひとつ注文をつける言われはない。
 さて、3曲目のMy Funny Valentineは、唯一取り上げられたスタンダードだ。はたして奇妙な演奏になったかというとそんなことはない。ちょっとスピリチュアルなムードを持つこの演奏はハーパーの真骨頂だ。しかし「いやこれはクサイ」と感じてしまう人もいるだろう。そういう人はハーパーと御縁がなかった諦めていただくしかないが。なお、まだ聴いたことがないが、このシリーズは『Vol.3』(マレーシア、クアラルンプール)も発表されている。

 


Bluenote The Sidewinder / Lee Morgan

2012-06-29 17:44:59 | 変態ベース

Bluenote               
The Sidewinder / Lee Morgan

                                          変態 ベース
「かっこええやん なにこれ?」
CDケースを手にして興奮しているのは、およそジャズとは縁もゆかりもない風のおにいちゃん。ちょっと予想外の反響にいい気分だ。知り合いのショットバーでかかっていたそのCDは、以前私が持ち込んだリー・モーガンの『The Sidewinder』だった。サイドワインダーはアメリカの砂漠地帯に生息するガラガラヘビのことだ。よこば横這い移動(よ夜ば這いではない)する奇妙な習性を持っている。狙った獲物は逃さない。背後から忍び寄りパクリと食いつく。さてはこのおにいちゃんも噛み付かれたか。
3月の末、阿倍野近鉄百貨店で中古CD/レコード掘り出し市が催された。阪神百貨店では例年開催されているが、近鉄というのは珍しい。ちょうどお目当てのレコードがあったのでぶらりと覗いてみた。中古あさりもめっきり行く機会が少なくなったが、えさ箱をかき回しているとやはり楽しいものだ。ついつい時のたつのも忘れてしまう。しかし次第に腰のあたりがだるくなってきて、気になるレコードが10枚近く集まった時点であえなくギブアップ。といってもこんなにたくさん持って帰るわけにはいかない。その中から更に厳選して4枚に絞った。合計3,200円也。その中の一枚が探していた『The Sidewinder』だった。
思えばサイドワインダーなんてアルバムは、硬派のジャズファンを自認する人間からは、軟弱なレコードと疎まれていたものだ。そんな批判・風評はもちろん私の耳にも届いた。それを真に受けてか、このレコードには全く関心というものが湧かなかったのだ。「けっ、聴いてられるか」聴きもしないくせに、確かにそんな空気はあった。あの頃は他にも興味のあるレコードが山ほどあったし、いつしか記憶の彼方に押しやられてしまったのだ。
それから少し時が流れ、やがてCDが主流となった。ワルツ堂がまだまだ元気のあった頃、輸入CDそれもブルーノート、プレスティッジの再発盤は一枚1,000円程度。殆んどたたき売り状態で棚に並んでいた。元々ブルーノートなんかにはそんなに興味があったほうではなかった。しかし、あまりの安さにつられ、一枚、二枚と買い集めていた。その中にこの『The Sidewinder』もあったのだ。

                            

 このアルバムはブルーノートにとって異例の大ヒットとなった。あのブーガルーのリズムが、大うけにうけた最大のポイントだ。60年代のブルーノートサウンド、いやジャズ界全体を俯瞰しても、ブーガルー~ロックビートはしっかりと浸食していった。しかし我が国のジャーナリズムの反応はいささか冷やかであった。少なくとも70年代にかけては、殆んどこれらのアルバムは注目を浴びることもなく、見くびられていたように思える。そんな空気が入れ替わったのはいつ頃からだろう。フュージョン旋風も一段落し、やがてブルーノートの旧譜も再発されるようになった。半世紀の時を経て、古き佳きジャズが注目を集めるようになったのだ。その音楽はセピア調に染まり、いささか時代を感じさせたが、輝きだけは失っていなかった。
 『The Sidewinder』は前述のようにCDを持っていた。それをまたLPで買い足すというのは不合理なことだ。今更LPなんか手に入れても、とどのつまりが壁の装飾になるだけでは。しかし、ショットバーのおにいちゃんが発したように、このアルバムの持つかっこよさ、スマートさには、あがらい難い魅力がある。『The Sidewinder』は、いつかLPが欲しいと思っていた。それは単なる物欲かもしれないが、特別の思い入れのあるアルバムは、どうしてもLPのリアリティが必要なのだ。

 テナーのジョー・ヘンダーソンには、雑な演奏でがっかりさせられることがしばしばあった。しかしブルーノートにおける演奏は概ね安定している。いつもガッツのあるブローで、作品に気骨を与えてきた。これがハンク・モブレーだったらもっとソフトで、アルバムのタフネスがそがれたかも。ウェイン・シューターでもよかったが、もっとエキセントリックな内容になっていただろう。ジョーヘンのざらついた音色と、ハードなドライヴ感は、アルバムのコンセプトにぴったりだ。
 ピアノがバリー・ハリスというのも珍しい。ブルーノートの常連でないこのピアニストは、バド・パウエルを殉ずることでも有名だ。彼はハードバップの伝道師のような誠実さを持っているが、どんな演奏にも合わせられるようなスタンスの広いピアニストではないことも確かだ。ハリスがどうしてこのセッションに起用されたのか不思議に感じる。タイトルチューンでは、らしからぬ演奏が意外だ。どこか戸惑っているようにも聴こえるが、どんなものだろう。
 
掘り出し市では、他にも気を惹かれるレコードはあったけれど、値段と盤の状態が折り合わなかった。唯一納得できたのが本作だった。今回購入したレコードは現ブルーノートレコードの復刻で、まだビニールをかぶった新品だった。ジャケットにはオリジナルの4157番がふられている(以前の再発ものは84157になっていたはずだ)。オリジナルを集めている人は、このようなレプリカに興味を示さないだろう。まっさらでピカピカのジャケットというのも確かに違和感がないわけではないが、手に取るとどうしてなかなか美しい。レコードはめでるもの。なるほど、たまにはLPもいいものだ。しかしこんな買い物を続けていると、いつかアナログ狂いの深みにはまり込むことも考えられる。いわゆる病嵩じてといやつだ。くわばら、くわばら。


この春 2012 Part Ⅲ

2012-04-16 23:06:50 | 変態ベース

この春 2012 Part Ⅲ
                                                 By 変態 ベース
 宝塚歌劇を見に来るお客さんはどんな連中なんだろう。ちょっと澄ました麗人達が客席を埋めているのかと思ったが、期待に反してそうでもなかった。結構普段着のおばさんが多いのだ。但し想像したとおり女性が圧倒的で、その比率は20対1くらいか。少数派のおっさん達には、気恥ずかしいような肩身の狭いような一日だったに違いない。3月1日は私もその気恥ずかしいおっさんの一員だったのだ。
 お断りしておくが、もちろん私は常日頃から宝塚に関心を持っているわけではない。さるところからうちのかみさんが招待券を2枚頂いて、どうしても行かなければならない羽目になってしまったのだ。まあ、話のネタにでもなるのではという興味も無かったわけではないが、会社まで早退させられてしまったのでは殆んど強制連行だ。
 宝塚には手塚治虫記念館があって、子供が小さい頃には連れて来たものだ。しかし劇場に足を踏み入れるのは初めてのことだ。館内はゆったりとしていて、劇場エントランスまでの通路には、レストランやキャラクター商品を扱う売店がずらりと並んでいた。劇を観ない通りのお客さんも、そのお店で買い物ができるようになっている。公演は午前、午後の部があり、毎日2回行われている。役者さんも重労働だ。私達が観劇したのは15時スタートの午後の部だった。2階席の様子は分からないが、1階席は後の端の方を除いてほぼ詰まっていた。世の中にはよほど暇な人が多いのか、平日の昼間からよく入るものだ。

ミュージカルのタイトルは『エドワード8世』。月組主役コンビの男役 霧矢大夢(きりやひろむ)と娘役 蒼乃夕妃(あおのゆき)はこのステージを最後に卒業退団する。宝塚には月組、花組、雪組、星組、宙組(そらぐみ)があって、大阪、東京の劇場で入れ替わり公演を行っている。それぞれの組に看板スターがおり、このふたりその中でもかなり人気者みたいだ。
 宝塚歌劇の出し物は2部構成になっており、第1部のミュージカルが1時間半、30分間の休憩を挟んで、1時間のレヴューがある。さて第1部のミュージカルの感想だが、率直に申し上げてあまり面白くなかった。人の好みや楽しみは千差万別。まあ、自分には性があってないとしか言いようがない。隣のかみさんを見ると開始直後からコックリコックリ舟を漕いでいる。誘った本人がこの始末だ。私も開演中はうとうとしていたので、結局ストーリーがよく解からないまま気がついたら終わっていた。劇中、コール・ポーターのBegin The BeguineとガーシュインのFascinating Rhythm 魅惑のリズムが挿入されていたことはぼんやりと覚えているが、それ以外どんな展開だったか全く思い出せない。男役と娘役の俳優もみんな同じ人物のように見えた。申し訳ないが配役すら最後まで把握できなかった。
 第1部でよく寝たおかげで、第2部は頭すっきり眼もパッチリ。しかし妙なことが気になってしかたがない。というのはレヴューの様子が口(くち)パクに思えて仕方がないのだ。舞台袖のスピーカーから聴こえる大音声の歌と演奏は、この上なくバランスよくミキシングされ、まるでCDに録音された音のように聴こえる。歌も演奏も生音にしては一糸乱れることもなく、不自然なくらい見事にまとまっている。舞台の手前にオーケストラピットがあって、指揮者の頭が見える。しかしそこにいるはずの楽団員の姿が全く確認できない。しかもオケピからは直音が全く聴こえないのもこれまた不思議だ。そのことが気になってずっと荒探ししていたのだが、明確な証拠は見つからなかった。ネットで調べると、私のように口パクに疑念を抱いている人がいるみたいだが、宝塚は基本的に生歌だと書き込みされていた。それでもあれはやはり口パクだったに違いないと今でも私は疑っている。別に口パクでも構わないのだが、気になるよなあ。


この春 2012 Part Ⅱ

2012-03-18 13:29:45 | 変態ベース

この春 2012 Part Ⅱ
                           変態 ベース
 真剣にテレビドラマを見るのは久しぶりだ。いや連続ものはひょっとして初めてかもしれない。NHK大河ドラマ『平清盛』。前作『江』の評判があまり芳しくなかったものだから、今回はその汚名返上とばかり滑り出したはずが、早々に兵庫県知事からクレームがついた。曰く、「画面が汚い」「瀬戸内の海の色が真っ青ではない」海の色はともかく、時代考証に基づくならば、あのような薄汚れた清盛の格好も、リアリティーがあって面白いと思うのだが。福原京をいただく地元としてはイメージアップを期待していたのかもしれないが、日頃よりくちさがない井戸知事のことなれば軽く受け流す方が賢明だろう。しかし何だかケチがついてしまったようで、視聴率も思うように稼げていないとか。このままでは『江』の二の舞かと危惧する声も囁かれているらしい。
 平清盛という人物は日本史では悪人扱いされている。「平家にあらずんば、人にあらず」驕れるものは久しからず。その傲慢な振る舞いによって世間からはねたまれ、後世まで尾を引いているわけだ。日本人はとかく判官贔屓、敵役の源義経の方に人気が集まる。しかし主人公が横暴なヒール・悪役のままではこのドラマは成立しない。松山ケンイチ扮する平清盛がどのように物語を導くか、今後の展開が楽しみである。


 さて劇中でちょっと気にかかったことは、挿入歌に『タルカス』が使われていることだ。『タルカス』という曲は英プログレシヴロックグループ エマーソン、レイク&パーマー(E,L&P)の名曲だ(写真上)。今回ドラマで使われているのは、作曲家 吉松 隆がオーケーストラ用に編曲したしたものだ(写真下)。もともとシンフォニックな音空間の広がりをイメージさせる曲なので、このようなオーケストラレイションも違和感を感じない。映像にもすっきりと溶け込んで、なかなかどうして面白い効果をあげているように感じた。

 この2月はやけに忙しかった。日曜日はほとんど仕事でふさがったし、平日もおいそれとは休みが取れない。忙しいのは有り難いことだが、こういう時に限って私用と重なるものだ。2月16日は楽しみにしていた大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会だった。演目はベートーヴェン交響曲第6番『田園』と、ストラヴィンスキーバレエ音楽『春の祭典』である。管弦楽曲は自宅のオーディオで楽しむのもよいが、やはりナマの迫力には及ばない。特にハルサイはどうしても生オケで聴きたかったので、早くからチケットを購入していた。もちろん自宅に帰る余裕などない。福島のシンフォニーホールへは、現場から直行。19:00開演なのでのんびりと晩飯を食う時間はなかったが、ホール手前に「なか卯」があったので、大急ぎで牛丼をたいらげすべりこみセーフ。会場に入ると自分だけかなり浮いている。それもその筈、由緒あるシンフォニーホールに清盛のように汚れた作業服のまま駆け込んだのだからバツも悪かろう。おおよそホールの清掃係かなにかと勘違いされていたに違いない。
 本日の公演で大植 英次氏は、大フィルの音楽監督をひとまず退く。名伯楽 朝比奈 隆氏の後を継いだのが2003年。今回のコンサートがその締め括りの演奏会となるが、引き続き大フィルの桂冠指揮者として関係を保っていくようだ。それにしてもこのふたつの作品の取り合わせは何とも奇妙な感じがする。チラシにあるように「古典」と「近代」。確かにどちらも2月・春に相応しい楽曲なのだけれども。はたして聴衆はどちらがお目当てだったのか。
 『田園』の光さざめく様な美しさもさることながら、やはりハルサイの地の底から吹き上がるようなリズムは感動ものだった。ステージから押し寄せる音の律動が、強烈なロックビートのように体を揺さぶる。特に打楽器群の迫力は生オケでしか体感できないだろう。古典派に比べて管楽器の種類も豊富で、見ているだけで面白い。聴き終わった後もしばらく肩から力が抜けない。音楽を聴くだけでこんなに体力を消耗するものなのか。
クラシックのコンサートは、時間に遅れるとホールに入れてもらえない。咳払いひとつにも気を使うし、途中小用で立席なんてあり得ない。どうも素人にはかたぐるしい。それでも興味のある演目は、また聴きに出掛けたいものだ。ストラヴィンスキーの他のバレエ音楽、『ペトルーシュカ』や『火の鳥』も、ますますナマを体験してみたくなった。それとブラームスの4つの交響曲、マーラーの第1番~第5番も是非とも聴きたいプログラムだ。

 ONさん宅の新年会に続き、ディアロードの2月例会も楽しく過ごせとことは、この上ない喜びである。昨年末にジャズ喫茶オープンの知らせは受けていた。それがまさか早晩このような展開になるとは予想だにしなかった。既成のジャズ喫茶とは異なる明るい店の雰囲気が、いつもとは違った例会風景を演出したようだ。惜しむらくは、座席の配置を少し変更して、全員が向かい合えるようにしておけばもっと和めたことと思う。MZさんの知り合いのジャズ喫茶Real Jazz Cafeも次なる会場に決定した。会場探しに四苦八苦していた頃が懐かしい。あの頃はOKさん宅やBlue Cityに厄介になったが、見つかる時は得てしてこんなものだ。今後はライヴの計画も勘案しながら、ローテイションを練る必要がある。但し、今までお世話になった会場のオーナーに、あまり非礼があってはならない。

 気掛かりなのは、KDさんが体調を崩し入院しておられることだ。早く快復されてまた元気に例会にお見えになることを心よりお祈りしたい。音楽をさかなにワイワイ騒いでいるだけで気晴らしになる。例会に勝る良薬はない。
また年末にお越しいただいたIKさんだが、入会のご意思があるにもかかわらず、サックスのレッスンがかぶって参加できないようだ。特別な理由がない限り例会の第3日曜に変更はない。池本さんには申し訳ないがレッスン日の調整をして頂くしか手立てがない。それと2月にはふたりの新規加入が予定されていたが、諸般の理由で叶わなかった。くどい様だが会員の募集はしばらく続ける必要があるだろう。
 尚、高瀬 進さんにはせっかく参加頂いたが、交流する間もなくあっさり退出された。謂わばプロの方が例会にお見えになるということで、個人的にはちょっとした緊張感があったのだが。レクチャーや逸話が伺えるのかと思いきや、さっさと帰られてしまってかなり拍子抜けしている。

 2月のテーマになった「ヴァレンタイン」というのは、ご存知のように人のお名前だ。My Funny Valentine のちょっと可笑しなヴァレンタイン君も、ヴァレンタインデイの由来となった聖ヴァレンタイン候も、ポルノ女優の大御所ステイシー ヴァレンタインも。ということはヴァレンタインという名のジャズマンもいるのではないか?そんな訳で、スイングジャーナル別冊ジャズ人名事典をひも解くと、予想通りジェリー ヴァレンタインというジャズマンに出くわした。この人はかつてアール ハインズやビリー エクスタインの楽団でトランペットをプレイしていた。作曲もよくする人だったらしいく、彼の作品に有名なSecond Balcoy Jumpという曲がある。この曲はデクスター ゴードンのお気に入りで、ブルーノートの『Go』でも取り上げられている。御記憶の方もおられると思うが、ちょっぴりユーモラスで愛嬌のあるナンバーだ。多分ヴァレンタインの特集ということで似通った曲が並ぶのではと思ったが、果たしてMy Funny Valentineのオンパレードとなった。Second Balcoy Jumpなら例会の雰囲気が変わって面白いだろうと考えていた。しかし直前になってもっと例会の空気を変えてやれという気分になって、敢えて『Bitches Brew』を選んだのだ。

 『Bitches Brew』に決めた経緯にはもうひとつ伏線があった。昨年、KWさんが個人特集でマイルスの『On The Corner』をかけたことがあったが憶えているだろうか。これが個人的にはかなり新鮮だった。「ああ、こんなのも例会ではありなんだ」あの時はそんな目からうろこみたいな印象だったのだ。いつも選曲には例会のムードを逸脱しないよう気を遣っていたがそれは思い違いだったようだ。一体何を遠慮していたのだろう。KWさんのように素直の自分の好きなものをかけなければ意味がない。それが例会本来の楽しみ方なのだ。今回『Bitches Brew』を選んだのもそのことが頭をよぎったからだ。


 マイルス デイヴィスは絶大な支配力/影響力を持ちながら、永遠のヒール・悪役として君臨している。あの傲岸不遜な振る舞いが、彼のイメージをゆがめ、その音楽をもミステリアスにしているのだ。例会の時、『Bitches Brew』の感想をNKさんに尋ねてみたが、マイルスの音楽は全般的にどこが良いのかよく解からないとのことだった。ジャズの帝王と呼ばれるマイルスだが、彼の音楽を理解できないという人間は潜在的に大勢いるのだ。
 白状すると私もマイルスのことがよく解からない時期があった。確かにマイルスのレコードはよく聴いた。しかしそれはサイドマンの演奏やグループとしてのテンションの高さに魅かれていただけかもしれない。あの頃、マイルスのトランペットに心の底から共感したかと自問すると、よく解からないというのがその答ではなかったか。かつて大阪ジャズクラブを主宰していたYにその話をしたら、「WDさん、あなた本当はマイルスのことが嫌いなんですよ」と切り返された。その言葉がショックというか、悔しい気がして、長い間小骨のように引っ掛かっていたのだ。解からない=嫌い(性にあってない)ということなのか。

 さて『Bitches Brew』が発表されてから既に40年以上がたった。歳月だけを考えると古典と言われても何ら不思議ではない。しかし未だにその斬新さは失われていない。このような秀作を聴くと時代の遠近感が霞んでくる。この作品によってもたらされた8ビートと電気楽器は、ジャズの世界にどれだけ浸透しただろうか。むしろ一部のファン層からはよけい敬遠される結果を招いたのではないか。ラテンビートの使われ方に比べて、8ビートの立ち位置は微妙だ。それは8ビート(ロックビート)がジャズに於いて、いまだ承認を得られてないように感じるからだ。3月の例会では、8ビートジャズを個人特集として考えている。前回の失敗を顧みず、自分の好きなものをお聴かせするが果たして吉と出るか凶と出るか。皆様の率直なご意見を伺えれば有り難い。


Bluenote  ~Jackie McLean

2012-02-25 13:21:13 | 変態ベース

Bluenote         Jackie McLean

                     By 変態ベース
 アルトサックスは、よほどコントロールの難しい楽器と見えて、音程の悪い人が記憶に残っている。実際はアルトだけでなく、テナーや他の楽器にも音程のひどい人はいると思うがそんなに気にならない。アルトサックスはピッチのくるいがばれやすいという事なのだろう。チャーリー パーカー、 オーネット コールマン、 キャノンボール アダレイ、 リー コニッツ、 ナベサダ。そうそうたるメンバーが総倒れ。その中でも、ディフェンディング チャンピオンとでも言うべき存在が、我らがジャッキー マクリーンなのだ。あのズレ方が気持ち悪くて、どうにもこうにもマクリーンだけは好きになれないという方もおられるかも。しかし彼の粘り気のある音色とグル―ヴィーな節まわしは、それをおぎなってあまりある。そんなマクリーンにはまる人も多いのだ。
 さて、パーカー亡き後は、常にトップアルトのひとりとして、ジャズ界に君臨してきたマクリーンだが、はじめて脚光を浴びたのは50年代の初頭、マイルスのグループに抜擢されてからだ。それ以降はプレスティッジにレコーディングを行ったが、マクリーン初期のねちっこい演奏が聴かれるのはこの頃だ。ブルーノートに初めてお目見えしたのは、有名な『Cool Struttin’』(58年1月5日)のセッションだ。マル ウォルドロンの『Left Alone』もこの少し後だ(59年2月24日)。彼の人気を決定付けた録音だ。それ以降60年代を通し、ブルーノートの看板ジャズマンのひとりとして、自己のリーダー作は勿論のこと、ドナルド バード、フレディー レッド、 リー モーガン、 ジミー スミスなどのセッションにも頻繁に客演したのだ。


 最初にブルーノートに対してリーダーセッションを持ったのは、59年1月。その日の録音は『Jackie’s Bag』に収められた。マクリーンのリーダー作の中で私が最も頻繁に聴くアルバムだ。茶色い紙製の書類入れに見立てたジャケットが意表を突く。私はCDを持っているが、LPの方が実感があっていいだろう。前半は盟友ドナルド バードの入ったクインテット、後半はブルー ミッチェル、 ティナ ブルックス等を含む6tet(60年9月)。ハードバップ期の代表的な演奏のひとつである。マクリーンも絶好調を保っているし、各メンバーのソロも熱い。この時期のブルーノート盤は聴き逃せないものが多いのだが、このアルバムもハードバップファンは是非ともコレクションに加えるべきだ。マクリーンのコンポジション(作曲)には独特のあく強さがある。そのメロディラインを聴き慣れるまでは、少し時間が必要かもしれない。Appointment in Ghanaなどはその典型で、如何にもマクリーンらしい奇怪かつ魅力あふれるナンバーだ。


 59~61年の期間はマクリーンにとって最も充実した時期だ。7枚のリーダーアルバムを立て続けに録音したのだから想像がつくだろう。その全てがハードバップ期を代表する良質な作品なのだが、なかんずく『Swing Swang Swingin'』はひときわ人気が高い。ブルーノートには珍しくワンホーンカルテット、それもスタンダード集となったから人目を引く。ウォルター ビショップトリオの強力な後押しもあって、タイトル通りのスインギーでストレートな演奏を満喫できる。大変ノリがよく、聴きやすい演奏だ。かつてはジャズ喫茶の定番であったようだ。マクリーンが苦手な人は、これから入ると良いと思うが、これが駄目ならマクリーンとは縁がなかったということだ。

 さて好調をキープしてきたマクリーンも60年代中頃に差し掛かると、雲行きがあやしくなる。アート ペッパーもそうだったが、時代の波をモロにかぶり、本来の立ち位置を見失ってしまったのでは。同じベテランでもソニー スティットのように全くペースを崩さない人もいる。マクリーンなんかは不器用なくせに、ひといちばい前進願望が強い。そんな人間の方が周囲の影響を受けやすい。その兆候が見え始めたのは、62年の『Let Freedom Ring』あたりからだろう。Melody for Melonaeは、如何にもマクリーンらしいおどろおどろしい不思議なテーマだ。ソロの途中から突然リードを噛んだようなキィーキィー音が出るところは、「もう、昨日までの僕ではないんだ」的宣言をしたような感じだ。そういえば晩年のペッパーも突然演奏の脈絡に関係なくキィーキィー音を発したりしたものだ。嗚呼マクリーン、アンタもかよと嘆かれる諸兄も気を確かに、もう少し忍耐をもってお聴き頂きたい。まだまだこのアルバムなんかは序の口。ちゃんとまともに吹いているし、よく聴けば中々の名演奏なのだ。


 63年4月30日の『One Step Beyond』もモードに取り組んだ意欲的な作品。グレシャン モンカーⅢ(tb)、ボビー ハッチャーソン(vib)の加入。サウンド的にもこの辺りになるとぼちぼち往年のマクリーンファンには限界、拒絶反応をしめし始める。でもこのアルバムもなかなかどうして興味深い。ドラマーのトニー ウィリアムスは、マクリーンが地方巡業で見つけてきた逸材。彼をニューヨークに引っ張って来たのもマクリーン。この録音はそのウィリアムスが叩いている。17歳の天才の出現に、周囲は唖然としたに違いない。マイルスのクインテットに引き抜かれたのもこの前後の話だ。マイルスの人さらい術も素早いが、さっさと持って行かれたマクリーンもトロイ。おかげでマイルスは幾多の名演を発表できたのだから、ジャズ界全体を俯瞰すればそれだけでもマクリーンは役割を果たしたことになるのかな?さてウィリアムスの入った『One Step Beyond』はやはり演奏の切れが違う。実はこの直前(4月1日)、ケニー ドーハムの『Una Mas』にもウィリアムスは参加している。17歳の若造だが存在感が半端ではない。いつもは野暮ったい感じのするドーハムの作品が、なんと引き締まって聴こえることか。本当に末おそろしいガキだったんだな、アンソニーは。ちなみに、Satuaday and Sundayもどこか変な曲。内容はまともだが。
 この後の数作も、新主流派~モード派的な作品が数作続く。出来具合が多少でこぼこはあるが、とても聴けないなんて難物はない。但し、ご注意と言うか、アブナイというか、普通ではないのが、『New and Old Gospel』(67年3月)。何故かこのアルバム、トランペッターとしてオーネット コールマンが加わっている。全くもって意味不明。はっきり言ってコールマンのトランペットなんて下手の見本のようなもの。無茶苦茶鳴らしているだけで聴く価値なし。どうせならツインアルトにでもすれば、もっと興味もわいただろうに。演奏はそんなにしっちゃかめっちゃかではない。意図が見えない。
もうひとつついでに『Bout Soul』(67年9月)も中途半端な印象。ソウルジャズとフリージャズを混合ミックスしたようなアルバムだ。アルバート アイラーの作風にどこか似ているが、マクリーン先生、申し訳ないが全く板についてない。新しいものに手を出すのもそこそこにしたほうが賢明だった。
 この後マクリーンはブルーノートとの契約を終了し渡欧した。デンマークに拠点を据え、72年にスティープル チェイス レーベルから復帰を果たした。ハードバップのリヴァイバルブームに乗って、晩年の諸作はかつてのマクリーン節が堪能できる。ちょうど彼の復帰作『Live at Montmartre』がジャズ喫茶で鳴り響き始めた頃、私も恐る恐るジャズへの扉を押し開けたのだ。何とも懐かしい、マクリーンのアルト。それまで彼も幾つもの扉をくぐり抜けてきたのだ。


この春 2012

2012-02-16 23:28:12 | 変態ベース

この春 2012 
                           By 変態 ベース
 いやあ楽しかったな、近年まれに見る愉快な例会だった。おいしい料理と高級な御酒。MOさんと奥さま御嬢さんには、準備や後片付けにお手間をとらせましたが、お陰さまで初めて訪ねるお宅とは思えないくらいリラックスして、ワイワイガヤガヤ。時のたつのも忘れ、また近所迷惑も顧みず、遊ばせて貰いました。本当に有難うございました。
 それにしても大変なオーディオセットだった。噂には聞いていたが、実際にこの目で見て納得。JBL、アルテック、マッキントッシュにプレイヤーはどこのだったか忘れたが、高級セットが3組も勢ぞろい。それとかわいらしいCDのミニコンポも。MTさんのおうちを訪ねた時もあのシステムに度肝を抜かれたけれど、ある処にはあるものだ。道楽と言えばそれまでだが、あそこまで散財してしまうきっぷの良さは真似できない。
 でもやっぱりJBLは良いなあ。私の座っていた後、床の間の置き物代わりになっていた4311。正面の4343(でよかったかな?)に比べると、まるでおもちゃのように見えるが実力は充分。音があでやかで躍動感がある。ジャズにはやはりJBLが似合っている。6帖の和室で聴かせて頂いて、今更ながら認識を新たにした。私もあと数年たって60歳になったら真剣に考えてみようかな。でももったいないし。いらなくなったらあの小さい方、安価で譲ってください。(ミニコンポじゃないですよ)

 2月の例会は放出のディアロードだ。オープンして3カ月余り。今のところは順調に客足も伸びているようだ。されどしょせんがジャズ喫茶、ウハウハ儲かるほど世の中あまくはないぞ。今までのジャズ喫茶と云えば、マスターはたいていオヤジだった。苦虫を噛み潰したような面で、平気で客にがん飛ばすけしからんオヤジでも、経営が成り立ったからジャズ喫茶ってのは不思議な商売だ。いやむしろ寺島某のように威張り散らしている方が、客がヘコヘコ集まってくるのだから意味が分からない。でもそんな店、これからは流行らないだろう。
 そこへいくとディアロードは本当に気が安らぐ。オーナーが女性でこれがまたにこやかで、話がお好きで、こちらも気持ち良く過ごせる。すごーく得した気分になる。リピーターも自然に増えるというものだ。これがオーナーの旦那であるSK君がカウンターに入っていて、むっつり顔でアルバート アイラーでも掛けやがったひには、二度と来るかこんな店という具合になるのだ。これからもお客さんが集まるよう、精進して頂きたい。

 さて2月のテーマは「ヴァレンタイン」だ。中々好いテーマだなと思ったが、いざ考えてみると何も浮かばない。これでMy Funny Valentineを禁止したら、何を持っていけばよいのかみんな困るだろうなあ。ウィキペディアでヴァレンタインを調べていると、ステイシー・ヴァレンタインというポルノ女優のページにたどりついた。見るも汚らわしい画像がいっぱい出てきて大変嬉しかったのだが、後からヘンな請求書がこないだろうか。少し心配だ。
 ヴァレンタインデイについて調べてみると、各国それぞれ風習が違う。3月14日ホワイトデイ、つまり男性から女性にお返しをするのは日本だけの習わしだがこれはご存知だろう。4月14日はオレンジデイと言う。恋人どうしがお互いにオレンジを送り愛情を確かめる。そんなの聞いたこともない。おおよそ全米サンキストオレンジ販売促進協会の策謀だろう。お隣韓国では4月14日をブラックデイと言う。恋人のできなかった男女が黒い装束で集まりジャージャー麺をすする?マジですか。さて皆様、何かの参考になりましたかな。


ROCKIN' in RHYTHM   ~The Monkees~

2012-01-21 22:25:05 | 変態ベース

ROCKIN' in RHYTHM
~The Monkees~
           By 変態ベース
 失礼な、なにがそんなに可笑しいの? Blueswalkさんにプッとふかれてしまった。ノンジャズの日に私が選んだのは“モンキーズ”。ちょっと軟弱だけれど、笑うことはないでしょうが。自分だって聴いてきたくせに。
皆様、洋楽の初体験はいつ頃?どんな音楽だったのだろう?私が小学生から中学生にかけては、テレビで「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリディ」のような音楽バラエティが花盛りだった。ザ・ピーナッツ、クレイジー・キャッツ、布施 明等の歌うポップス調のナンバーには、ベテラン歌手のムード歌謡とはまた違った、リズミカルでソフィスティケートされた爽やかさが感じられた。グループサウンズが流行したのもその少し後だ。彼等の出現は、勿論ビートルズやローリングストーンズのようなロックグループの台頭に刺激されたものだ。さらにヴェンチャーズ、寺内タケシとブルージーンズ等、エレキブームの火付け役の登場。加山雄三主演の「エレキの若大将」が製作されたのもこのあおりを受けたものだ。そこに折からのフォークブームが重なり、高校時代は猫も杓子もギターを片手にみたいな時代だった。さてそんな和製ポップスが形成される過程で、我々はモンキーズと出会ったのだ。最近、テレビCFに忌野清志郎が歌う「デイドリーム・ ビリーバー」が使われていた。私と同世代の方(会員で言えばBlueswalkさんやK.T.さん)だったら、懐かしく彼等のことを想い出したのではないだろうか。


モンキーズが結成されたのは、60年代の中頃。当時はすでにビートルズ全盛の時代。デヴュー以来、シングル盤や映画「ヤア!ヤア!ヤア!」「ヘルプ」の大ヒットで、世界中にビートルズ旋風が吹き荒れた。やがてショービジネスの総本山アメリカからも外貨をむしり取り、女王陛下からはうやうやしく勲章を賜ったのだ。(後にジョン レノンはその勲章を突き返してしまったが)そんな悔しい状況を、指をくわえて眺めているような米音楽業界ではない。早速ビートルズに対抗すべくニュースターをデヴューさせるプランが練られた。その結果、オーディションを経てかり集められた若者たちがモンキーズであった。業界が狙ったのは、ヒットチューンを量産するアイドルグループだった。ポップス界のヒットメイカー、ニール ダイヤモンドやキャロル キングの作品を与え、当初はその目論見がものの見事に的中した。同時に製作されたテレビ用の帯番組は日本でも放映された。ちょうど私が中学生の頃と記憶している。モンキーズの番組が始まると、私はいつもテレビにかじりついていた。「モンキーズのテーマ」「恋の終列車」「素敵なヴァレリ」彼等が歌う曲には、日本の歌謡曲にはないカラッとした陽気さがあった。モンキーズのナンバーが、洋楽に親しむきっかけになったのだ。いつも彼等のヒット曲が頭の中でリフレインしていた。しかし中学生のガキにはとてもレコードを買えるほどのお小遣いがない。仕方がないので、おもちゃのようなマイクをテレビのスピーカーに押しあてて、お天気屋のテープレコーダーに彼等の歌を録音したのだ。(このレコーダー、録音のレバーを押してもその日の気分でうまく回ってくれない、それはもう厄介なテープレコーダーだった。それでも彼らの音楽を聴く手段はそれしかなかったので、唯一の頼みの綱だった)信じられないが、その雑音だらけのテープを宝物のように毎日聴いていたのだ。それから少したって、姉が友人からモンキーズのLPを借りてきてくれた。それはもう夢のような出来ごとだった。
しかしそのお仕着せのプロデュースとハードなスケジュールがやがて軋轢を生み、短期間のうちにグループは崩壊に向かった。ベースのピーター トークがドロップアウトし、ギターのマイク ネスミスも自分のバンドを結成するために独立した。思えば奇妙なグループだった。マイク ネスミス以外、楽器の経験者がいない。特訓したってそんなに簡単に楽器なんかマスターできない。そんな輩をよくオーディションで合格させたものだ。彼等はそのままコンサートツアーで海外にも遠征した。その途上彼等は日本にも立ち寄った。一体どんなステージだったのだろう。素人みたいな演奏して帰ったのかな。それでも笑ってはいけない。彼らこそ私の洋楽事始め。モンキーズに出会っていなかったら、ジャズとの巡り合いもなかったかもしれないのだ。

2011 BEST
一昨年あたりから私は少しヘンなのだ。なに言ってるの、あなたズーッと前からヘンだったじゃない。いやいやそういう意味ではなくて、音楽の嗜好が変ってしまったということを申し上げたいのだ。つまりこの一年ほどクラシックのCDばっかり聴いているものだから、自分でも一体どうなってしまったんだろうと戸惑っているのだ。最近、ジャズがちっとも面白くなくて、長いスランプに陥っていた。そういうことは以前にも再々あったけれど、たいてい時間がたつと復活していたものだ。ところが今回のスランプはいっこうに出口が見えない。それどころか、クラシックのCDを聴いていたらこれがとても居心地良い。本当はクラシックの方が向いているのではないかとか、あるまじきことを考えだしたからやっぱりヘンなのだ。
そんな状態なので、昨年を振り返っても感銘を受けたジャズが思い浮かばない。敢えて上げるとすれば、久詰氏に観せて頂いたトニー ウィリアムスのDVDだろうか。この映像は、彼の最後のクインテットを収録したものだ。VSOPを経て8ビート路線から、4ビートジャズに回帰したウィリアムス。このクインテットは是非とも聴きたかったグループのひとつだが、ウィリアムスの急逝により叶わぬ夢となってしまった。その空白を埋めてくれるのがこのDVDだ。彼等のライヴ盤は東京BNにおけるCDが発売されている。但しこの作品だらだらとソロが長くしまりがなかった。それに対しこのDVDはスタジオで収録されたものらしく、最初からビデオ作品化することを念頭に置いていたようだ。そのためか普段の演奏より短く切り詰められ、よりコンパクトな演奏になっている。トニー ウィリアムスはやかましいからダメ。そんな人にはお勧めできないけれど、ハードな4ビートが好きな人には観て頂きたい作品だ。☆☆☆☆☆

師走 2011 
12月10日(土)、ディアロードのオープニングライヴがあった。KJSからはTKさん、FJさん、OKさんが参加し、あの狭い空間に20名くらいはいただろうか、いい雰囲気でイヴェントを迎えることが出来た。JR放出駅を降りるとすぐ向かい。4階までの狭い階段が難点だが、ジャズ喫茶のオープンスペースは明るく見晴らしも良好。当日はオーナー一家(夫婦と娘2人)総出動で応対していたが、思いのほかの繁盛にてんてこ舞いといった様子だった。平日もこれだけお客さんが入ればよいのだが、たぶん翌日はまた閑古鳥状態に戻ったのでは。演奏はヴォーカルとテナー、ギター、ベースの4人編成。アマチュアくさいけれど、ギターの人(熊谷有真さん)はかなり秀逸だった。テナーサックスの方がリーダーらしいが、実はディアロードの改装工事に携わった水道工事屋さんだとか。工事中にこの店がジャズ喫茶であることを知り、それが御縁で今回のライヴ企画に話が広がったようだ。いろんな出会いがあるものだ。
ディアロードには機会があれば立ち寄りたいと思っている(ちょっと遠いけれど)。ジャズ喫茶受難のこのご時世に、せっかくオープンしたからには、もう少し宣伝にも力を入れて、それ見たことかと後ろ指さされないよう頑張ってもらいたいものだ。微力ながら応援したい。


昨年はKDさんとIKさんに参加して頂いた。お二人ともジャズの経験も豊富で、また面白い話を伺うこともできるだろう。今後KJSの活動がもっと盛況で楽しくなることを期待したい。しかし乍ご存知のように、会を離れる方もおられるわけで、長い目で見ると会員数は差し引き減少傾向にあることは間違いない。言うのは簡単だが、やはり例会には常時15名程度参加することが望ましいと思う。(もちろん参加人数が多すぎても時間的制約もあり運営が難しいのだが)
新しい会員を迎えることはこちらも楽しみに感じるところだ。もちろん会の空気にそぐわない人が応募することもあるわけで、多少なりともリスクは伴う。しかしジャズのようにポピュラーな人気を得ない音楽は、知己や仲間が出来にくいものだ。そういう意味でもKJSの存在は大変貴重なものである。今後の当会の発展を見据えて、今年も随時新規会員は募るべきだろう。会の発展に関して、何か良い知恵があれば提案頂きたいものだ。

12月17日(土)今年最後のライヴは、枝 信夫氏主催による演奏会だ。場所は遊音堂。と言ってもお聞き覚えないだろう。野田阪神下車、徒歩数分。スタンウェイ フルコンサートピアノが売り物のミニホールだ。元々クラシック専用のピアノレンタルサロンなのだが、昨年からジャズの演奏会も開くようになったのだ。今回のメンバーは、唐口 一之(tp)、杉山 悟史(p)、枝 信夫(b)、北岡 進(ds)。唐口さんは関西で最も多忙なトランペッター。古くからライヴ活動をやってこられたので、ご存知の方も多いだろう。トランペットの語り口はマイルドでベテランらしく落ち着いている。おしゃべりも滑らかで、休憩時間は観客席に入って皆さんとの会話を楽しんでおられた。
今回特に驚いたのは、ピアノの杉山さん。まだ20代の新進気鋭のピアニストである。名前も聞き初めだし、もちろん演奏を聴くのも初めてだ。この人近い将来ブレイクするのでは。そんな予感がする(私の予感はあまり的中しないが)。この人はかなり巧い。関西在住の若手の中でも抜き出ているように思った。曲もよく知っているようだし(あたり前のことだが)、ベテラン相手にレスポンスもよく、フレーズもよくこなれている。曲想によって演奏スタイルが多少ばらつくが、若手にはありがちなことだ。徐々に自分のスタイルも固まっていくことだろう。こういう有望株が引き抜かれて東京に行ってしまうのだ。名前を記憶にとどめておこう。


Live from German  ~Weather Report~

2011-12-29 21:07:23 | 変態ベース

Live from German  

 ~Weather Report~

                          By 変態ベース
 高校時代の友人はロック繋がりの連中が多かった。その中のひとりにKという男がいた。放課後は、なんばの地下街にあったコーヒースタンドでよくバイトをしていた。気前のいい奴で、立ち寄るといつもナポリタンを只で食わせてくれた。そのKの家に遊びに行ったある日のこと、何を思ったか突然「これ、お前にやるわ」と一枚のレコードを差し出したのだ。『I Sing the Body Electric / Weather Report』ウェザー リポート? どこかで聞いたような記憶があるグループ名だが、よく思い出せない。それにしても何故に高価なレコードを惜しげもなく私にくれるのだろう? さっぱり事情が呑み込めないが、据え膳食わぬはなんとやら。取り合えず只で頂けるものは、何でも有り難く頂いてしまおうということになった。ところが家に帰ってまたびっくり。一体何ですか?このレコードは。それまでロックしか聴いたことのない私には、このようなへんてこりんな音楽に対する免疫がない。ひとつだけ想像がついたことは、やはりKもこれ聴いて意味が分からなかったのだろうということだ。そんな訳で、押し付けられたそのレコードが私の手元に舞い込んだのだ。


 それから暫くして、私もめでたくジャズを聴く御身分となった。その頃になってようやく、Kからもらったレコードが大変有名なグループのものだということに気がついた。しかし第一印象が酷過ぎた。得てしてマイナスイメージというのは、トラウマのように簡単に払拭できないものなのだ。そのレコードは相変わらず棚の端っこで、出番のないまま怠惰な時間を過ごしていた。それからさらに年月が流れた。『Tale Spinnin’』というアルバムを見つけたのは、いつものようにミナミの中古店をぶらついていたある日のことだ。普段ならそのままえさ箱に戻すところを、その日は目の具合がおかしかったのか、けばけばしい色彩のジャケットに妙に気をそそられたのだ。

あとは早かった。『Heavy Weather』で羽交い絞めにされ、

『Night Passage』でノックアウト。気がつけば不覚にも彼等のアルバムを全て揃えるまでになっていた。フュージョン系のミュージシャンを網羅してしまうなんて、私にしては極めて珍しいことだ。


 WRはジョー ザヴィヌルとウェイン ショーターが中心になって結成された。作編曲の貢献度を考えると、実質的にはザヴィヌルがリーダーのように思える。しかし独立後のショーターのリーダー作を聴くと、驚くほどWRの諸作と類似していることに気付く。見かけ以上にショーターとザヴィヌルの力関係は拮抗していたということか。最初にふたりが出会ったのは、メイナード ファーガソンのオーケストラに在籍していた頃だ。その後、マイルス デイヴィスの『In a Silent Way』セッションで再会を果たしグループのプランを温めたわけである。当時のマイルスグループは、若手ミュージシャンのゆりかごだった。60年代後半、『In a Silent Way』から『Bitches Brew』に至るセッションには、70年代のフュージョンブームを担う有望株が巣立っていった。リターン トゥ フォーエヴァー、マハヴィシュヌ オーケストラ、ヘッドハンターズ、そしてWRもその中から産声を上げたのだ。
 発足時のWRサウンドはアコースティックなものだった。しかし前述の『I Sing the Body Electric』以降、彼等も積極的にエレクトリック~.シンセサイザーを導入し、音作りも徐々に変化していった。主要メンバーのひとりだったミロスラフ ヴィトウス(b)が早々とリタイアしたのも、この変化に対応しきれなかったからだ。実際ザヴィヌルとショーター以外のメンバーは、ころころとよく替わった。特にドラムスは殆んどアルバムごとに入れ替わり中々固定できなかった。


 『The German Concert』は、元々バラバラだった三枚のアルバム、すなわち75年ベルリン、78年オッフェンバッハ、83年ケルン、を纏めたものだ。このシリーズはDVDでも同時発売された。(当初はDVDを買って、その音をCDに焼こうと考えていた。しかしその方法を The Blueswalk氏 にご教授いただいたところ、とても難しそうに思えたので、あきらめてCDを購入することにしたのだ)彼等のライヴアルバムは『8:30』が有名である。天才、ジャコ パストリアスの加入後、グループはピークを迎えた。その絶頂期、78年のライヴテープから厳選したものが『8:30』である。『The German Concert』も少し録音に(あるいはミキシングに)難があるが内容に遜色はない。


 75年のベルリンは『Mysterious Traveller』『Tale Spinnin’』が発表された頃の演奏だ。見過ごされがちな時期だがあなどってはいけない。特にベースのアルフォンソ ジョンソンはジャコの登場で霞んでしまった感もあるが、当時は雑誌でも騒がれる注目株だった。アタックの強いピッチカートがそのままグループの原動力になっている。WRにとってベーシストは重要なキーパーソンなのだ。


 オッフェンバッハのコンサートは『8:30』と同時期だ。メンバーは最強と言われたショーター、ザヴィヌル、ジャコ、アースキンの面々。パーカッション抜きの4人編成はこの時だけだ。同年の日本公演もこのメンバーだった。ライヴの演奏を聴くとショーターのサックスが息を吹き返す。私はジャズ メッセンジャースやマイルスの下でテナーを吹いていた頃のショーターが一番好きだ。彼のリーダー作品で言えばBNの『Schizophrenia』あたりまで。オーソドックスなジャズをプレイするショーターに、彼のユニークさがより克明に表出しているように感じるからだ。そんな意味でWRのショーターは物足りない。しかしこのアルバムのショーターは素晴らしい。ライヴではジャズマンの血が騒ぐのか。やはり彼は突出したインプロヴァイザー/ジャズミュージシャンなのだ。
 アースキンはジャコの紹介でグループに参加した。それ以前はスタン ケントン オーケストラに所属するオーソドックスな4ビートドラマーだったが、WRへの加入でおおばけした。タイムセンスが正確でテクニック的にも最上位に位置するプレイヤーである。白人としてはスティーヴ ガッドと双璧をなす売れっ子だが、万能プレイヤーという意味ではアースキンの方が一枚上だろう。曲目はBlack Market、Teen Town、Young And Dandy、Birdland等々、彼等のヒット曲のオンパレードだ。いかにあの頃このグループが話題に尽きない存在だったか思い起こされる。
 ジャコとアースキンが抜けた後、グループは大改造が施された。ヴィクター ベイリー(b)、オマー ハキム(ds)、ホセ ロッシー(perc)が加入して一段と若返った。しかし個性的という意味において、小粒になったと言わざるを得ない。83年のケルンのコンサートは、そんな新生WRの演奏を収録している。『Procession』『Domino Theory』はWR後期の作品だ。秀作だが若干マンネリ化したような印象が付きまとう。このコンサートはこれらのアルバムからのナンバーが中心だ。しかしヒット曲は外せない。前述の古いレパートリーはメドレーで登場する。ヒット曲を持つことはミュージシャンにとってちょっとしたジレンマだ。その一曲で知名度もグンと上がるが、コンサートではいつもプログラムに入れなければならない。演奏者サイドに立てばいいかげんウンザリなのではないだろうか。

 

 


Bluenote     ~Bud Powell~

2011-12-28 16:49:58 | 変態ベース

Bluenote
~Bud Powell~
                     By 変態 ベース
 ジャズを聴く人間にとってバド パウエルは通過儀礼のようなものだ。パーカーやガレスピーと共にビバップ誕生に立ち会い、以後のピアニストやジャズミュージシャンに多大な影響を与えた。つまりパウエルはジャズの絢爛たる歴史絵巻に於いて、すでに伝説のような存在であるわけだ。ここにこれからジャズを聴いてやろうじゃないかと決意を固めた人間がいる。彼は入門書を片手に、いわゆる歴史的名演やプレイヤーを、片っ端から自分の耳で確かめようと勢い込んでいる。そしてその入門書には、金科玉条のごとくパウエルの名前が登場するのだ。
 パウエルは決して、煮ても焼いても喰えないというようなミュージシャンではない。でも録音は古いし、妙な唸り声も入ってる。どろどろと漂う怨念のような妖気に、こいつは思った以上に手ごわい相手だと彼も気が付くだろう。これがセロニアス モンクなら、「こいつは変人だからパスしてもOKよね」みたいな言い訳もできる。しかしパウエルはそこまでヘンじゃないし、なにせ伝説だからなあ。それに一応耳を通しておけば、先輩のジャズバカにつっ込まれても、どや顔のひとつも返せるというものだ。

 パウエルも多くのミュージシャン同様、若くしてプロデヴューを果たした。デヴュー当時の写真を見ると、瘠せていて貧相ではあるが目つきは鋭く精悍だ。その頃はまだスイングスタイル、つまり左手でブンチャブンチャというリズムを刻むスライド奏法だった。それが、パーカー等と合流してからというもの化学反応でも起こしたかのように変身を遂げ、めきめきと頭角を現したのだ。41歳で亡くなるまでの二十数年間、死後発掘されたものまで含めると録音はけっこうな数に上る。
さしたるパウエルマニアでもないこの私が申すのも口はばったいことだが、彼が絶好調だったのは1950年を境にしたほんの数年間ではなかったか。それ以降は、指のもつれ、ミスタッチが恒常的になり、流れるようなシングルラインは鍵盤から消えた。その分凄みを増したと言う人もいる。言われてみれば確かにそんなふうに聴こえなくもない。しかし精神の混濁が音に流れ込み、何か尋常ならざるものを聴かされているような、重苦しい気分にさせられることも事実だ。
 パウエルの場合、精神障害とそのショック療法が復調の妨げとなった。ものの本によると、ショック療法っていうのは電気ショックによる荒療治のことを指す。つまり身体的なストレスを与えることで、統合失調症やうつ病などの精神疾患を治療するのだ。私なんか職業柄、幾度か感電した経験があるけれど、電気ショックだなんて聞いただけで怖気が立つ。また警察官の暴行がもとで、指が曲がってしまったなんて話もどこかで読んだことがある。常識的にはその時点でまともに演奏できる状態ではない。即リタイアーなんて言葉が頭に浮かぶのだが、ジャズ稼業というのは神経が図太いのか鈍感なのか。さらにアルコールや薬物への依存が足を引っ張り、完全復活を遂げることがますます困難になっていった。なんともはや、モダンジャズピアノの創始者なんて輝かしい称号には全くそぐわない、踏んだり蹴ったりの半生だったのだ。それでもその演奏の全てに、パウエルにしか成しえないひらめき閃きがあるのだと熱烈なファンは言う。どんなに調子が悪くてもパウエルは特別という訳だ。悔しいが私の耳にはそれが届かない。

 さて私がまっさきに思い浮かべるパウエルの演奏はルースト盤の『Bud Powell』だ。日本盤には『バド パウエルの芸術』という厳かなタイトルがついたけれど、『芸術』だけはやめてほしかった。気恥ずかしくて聴く気がうせてしまう。このレコードのA面、1947年の録音はパウエル畢生の快演だ。指がまるで意志を持った別の生き物のように鍵盤上をとび跳ねる。その饒舌さに於いてオスカー ピーターソンにも肉迫するが、溢れ出るイマジネーションの度合いは比較にならない。ところがB面(1953年録音)になると、これが本当に同一人物の演奏かと耳を疑いたくなる。僅か数年でどんだけ落ち込めるかというサンプルのようなアルバムだ。

 
 ヴァーヴへの録音では『Jazz Giant』(1949,50年)と『The Genius of Bud Powell』(1950,51年)が秀逸だ。現実と夢幻のはざまを彷徨ったパウエルだが、この時はおめめパッチリ起きていたことだろう。指の動きもたいへん滑らか、ルースト盤に近い出来映えだ。但し名門ヴァーヴにしては録音状態が悪い。テイクによってレベルもノイズも状態はバラバラ。マスターテープがなくなってしまったのだろうか。パーカー、ガレスピーと共演した『Jazz at Massey Hall』(1953年)も評判が高い。私には心ここにあらずといった風に聴こえるのだが。

   

パウエルはブルーノートに5枚のアルバムを残した。『The Amazing Bud PowellVol.1,2 』(1949,51,53年)は、それまでEPなどで分売されていたものを搔き集めたアルバムだ。内容は上記のいずれのアルバムと比べても遜色のない秀作だ。特に私が好きなのはソニー ロリンズ、ファッツ ナヴァロの加わった49年のクインテットのセッション。各プレイヤーのソロは半コーラスずつと短いが、濃厚なジャズエッセンスが凝縮している。来るべきハードバップを予感させるホットな演奏だ。51年のUn Poco Locoもエキセントリックだが有名なセッションだ。聴けば聴くほど味が出る。但しすでに指のもつれの前兆らしきものが感じられる。53年のトリオの録音はすでに下降気味。

  
 パウエルが再びブルーノートに戻ってきたのは、1957年の『同Vol. 3 - Bud! 』である。カーティス フラーをフロントに迎えた、珍しいトロンボーンカルテットを含む。その次作が通常のピアノトリオによる『同Vol. 4 - Time Waits』(1958年)。当時の写真を見ると顔全体がむくみ、どろんとした焦点の合わない目つきが痛々しい。生気の感じられない表情が彼の演奏の出来具合を如実に表しているようだ。天才パウエルからすると、これらのアルバムは不本意な内容だろう。ライナーにはパウエルの好調ぶりをたたえる文章を掲載されているがどこか空々しい。本心だろうか。ジャズライターというのも因果な商売だ。


 『同Vol. 5 - The Scene Changes』(1958年)はパウエルのアルバムの中でも特別な人気がある。Cleopatra's Dream以下のメランコリックな曲想が日本人の好みにハマったからだろう。しかし演奏内容について言えば別段優れているとは思えない。人気が先行しているこのアルバムに熱中してしまうとパウエルの真価が分からなくなる。入門書にこのアルバムを載せてはいけない。
パウエルはこのあとヨーロッパに居を移すことになる。環境が変り創作意欲も以前にも増したと云われるが、心身の傷は修復するには深すぎたようだ。



Gettin’ Together / Art Pepper

2011-12-27 23:01:48 | 変態ベース

Gettin’ Together / Art Pepper
     ~ 名盤になりそこねた一枚
                                                           By 変態ベース
 ソニー ロリンズは今も現役で演奏している。つまり半世紀以上を第一線で活躍したわけだ。しかし60年代を境にして彼も調子を崩してしまったように思う。RCAへの復帰作『The Bridge / 橋』は、それ以前のアルバムと比べて明らかに内容が変質(劣化)しているように感じる。要するに、彼の絶頂期はデヴュー後の僅か10年余りということなのだ。


1950年代に好調を持続したアート ペッパーも60年代に入って、突然何かが変わり始めた『Getting’ Together』(60年2月29日録音)は、マイルス デイヴィス クインテットのリズムセクションと共演したアルバムだ。しかし57年の名作『Meets the Rhythm Section』の二番煎じみたいな企画がわざわいし、巷の評判は芳しくない。

  
 『Getting’ Together』の直前、59年5月に録音されたペッパー最後の傑作(と私は思っているのだが)『+Eleven』は快調そのものだった。『Modern Jazz Classics』のサブタイトルが示すとおり、パーカー、モンク等モダンジャズのオリジナル曲がふんだんに盛り込まれたこの賑やかなセッションは、泉のように湧き上がるフレーズとペッパーならではの色気とダンディズムを発散していた。バラードにおける泣き節も健在。編曲も楽しく全く非の打ちようがないアルバムだ。
 ところが翌年の『Getting’ Together』になると、どこがどうのと具体的な指摘は難しいのだが、明らかに演奏からナイーブさや彼独特の陰り、それともっと細かな集中力が低下している。平均作の水準は保っているが、ペッパーのアルバムという点を勘案すれば並み以下。はっきり言って平凡なアルト吹きとでもいうか、血眼になって追いかけるような存在ではなくなってしまったところが寂しい。それに続く『Smack Up』『Intensity』(ともに60年録音)は更に精彩を欠く。途中のブランク(医療刑務所に閉じ込められていた)を挟んで70~80年代のペッパーに至っては、全くの別人のようだ。(尤もGalaxyへの録音は、別人と割り切ってしまえば それなりに面白いのだが)

  
 評論家の岩浪洋三氏は、復帰後つまり80年代のペッパーの信奉者だ。晩年のペッパーを批判することは、ペッパーの経歴をひいては人生そのものまで否定することだと御立腹だった。しかしそんなことに憤慨するなど、何をかいわんや、的外れもいいところだ。ペッパーが衰えてしまったことは、疑いようもない事実だ。それを庇護したところで、なにがどうなるというのだ。
ジャズマンが、場数を踏み、円熟味を増し、演奏も充実するという論理には一点の曇りもない。しかし、思い出してほしい。ジャズマンの多くが代表作・名盤を録音したのは、たいてい彼等が20~30代の気力、体力ともに充実していた時期なのだ。年齢を重ねて得るものもあるが、同時に失うものもある。早い話、イマジネイションが枯れてしまったとか、アップテンポについていけなくなったとか。演奏という行為はどこかスポーツと似ている。基礎体力や反射神経が低下すると、パフォーマンスに対する持続力、集中力もへこんでしまう。それを考えると、年季の入った者よりピカピカの新人の方が、優れた演奏を残すことも考えられるのだ。

 『Getting’ Together』のペッパーはまだ34歳だった。ペッパーに関しては、気力、体力が衰えていたとは考えにくい。しかしかつてのような情熱が希薄になったことは明らかだ。スタンダードナンバーのSoftly,as in a Morning Sunriseを聴いてみても、どこが悪いと言って別に普通の演奏なのだが、ペッパーが普通では物足りない。彼がよく演奏するバラードDianeもまるで魂が抜けたみたいだ。以前ならもっと燃え上がるような見せ場が随所にあった。テーマひとつとっても、何処かに聴かせ処を作ったものだ。それが熱が冷めてしまったように淡々と吹いているのだ。この変化は一体何処からきたのだろう。私にはペッパーが単純に下手になったというより、それまでの演奏にマンネリズムを感じ、違う方向に歩み始めたあかしと考える方が合点がいく。
 時代背景は激動の60年代。モード、フリー等、ジャズ内部の変化は急速だった。ペッパーがその影響で揺らいでいたことは事実だ。受刑中のペッパーが一番関心を寄せていたのはコルトレーンだったという。晩年のライヴに10分を超す長大な演奏が多いのもその影響だろう。しかし元々すぐれた短編作家だったペッパーには、集中力を切らさずそんな長い演奏を吹き通す能力は乏しい。
 ペッパー、ロリンズ、エヴァンス。生真面目でナイーブな人ほど考え込むものだ。自分の演奏に疑問を感じ、或いは自信を失い、ドラスティックな変化を求める。しかし皮肉なことにそれは必ずしもファンの期待とは一致していない。彼本来の魅力や「らしさ」さえ切り捨ててしまう危険が伴うからだ。マイルスもまた変化し続けた。しかしマイルスはどんなにスタイルが変っても、決して「らしさ」を失わなかった。アート ペッパーは迷い苦しんだあげく、別の道程を選択した。私には彼の選択が納得できない。彼は自分が思っているほど器用な人間ではないからだ。さりとて50年代のスタイルを変えずにいたら、それが正解だったという確信もないのだが。


この秋 2011 Part Ⅳ

2011-12-25 19:18:37 | 変態ベース

この秋 2011 Part Ⅳ
                      By 変態 ベース
 「人が浮いてる!」遊覧船のデッキから声の飛んだ方角を見ると、警官と野次馬が岸壁から波間を見降ろしている。油と浮遊物の漂う神戸の港。目を凝らすと人盛りの視線の先にその人は浮かんでいた。水死体なんて見るのは生まれて初めてのことだ。ドラマの撮影でも見ているような現実感の沸かない光景だった。
 神戸に行ったのは11月の2・3日。業者仲間の旅行だ。いつもは近くの居酒屋で集まっていたのだが、たまには遠出をしたいという意向もあってお泊り飲み会となったのだ。初日は灘の酒蔵/記念館巡り。桜正宗、浜福鶴、白鶴と回ったけれど、やはり白鶴が規模も大きく観光客も多かった。各記念館では試飲コーナーも設けてあるが、飲み比べても違いが分からない。取敢えず大阪では見かけない浜福鶴の純米酒を買った。少し甘口だが美味しいお酒だ。尿酸値が高いから日本酒はよろしくないのだが。
宿泊は国民宿舎「シーバル須磨」。一泊二食付きで¥12,000。水族館や砂浜も近くにあり、遠出は無理だがちょっとくつろぐにはお誂えむきところだ。夕食のあとはカラオケ。ジャズファンってのは、おおむねプライドが高いのかシャイなのか、とにかくカラオケは苦手というやからが多い。はっきり言って私もカラオケなんか好きではない。ところがこの日に限って、自分でもびっくりするくらいいっぱい歌ってしまった。というのも今回旅行したSがロック大好き男で、酒の勢いも借り二人でビートルズナンバーの大合唱となったからである。建設業というのは保守的な体質の業界である。「私はジャズが好きです」みたいなことを不用意にカミングアウトしてしまうと、宇宙人にでも出くわしたような目つきで見られることになる。だからそういう話題には今まで一切触れないようにしてきた。ところがSのような洋楽ファンが身近な所にいることを最近気づき、今回は思わぬ熱唱大会になった訳である。驚くなかれ、Sはドラムスを叩いている。それも東原力哉にレッスンを受けていたというから本格的?なんだろう。今でも週一回大阪までドラムレッスンに通っている。私より3歳下の電気工事店社長。飲み食いも豪快だが、ミュージックライフもエネルギッシュだ。翌日は神戸港めぐり(仏さんとはここで御対面した)、神戸海洋博物館見物、そしてリッチなホテルオークラのバイキングをいただき、大事な一升瓶を小脇に抱えて帰路に就いた。初物づくしの小旅行だった。

 11月は多忙だった。泉大津防災訓練、工事組合ハイキング、『ステキな金縛り』、大フィル定期演奏会、高校同窓会。しかし肝心の景気やお仕事の方はそれほどでもない。生活保護受給者が205万人を超えたとか。世相が敗戦直後に戻ったような感じだ。一体この国はどうなるのだろう。

 震災チャリティーライヴが行われたのは6日の夕方だった。場所は天王寺アパホテル一階のオープンカフェ。その裏をJRが走り、演奏と列車の音がブレンドされる。ピアノトリオとヴォーカルという最もよくあるパターンだが、人前で演奏できるミュージシャンではない。特にドラムスがひどい。ゲストプレイヤーで、ベースの枝 信夫氏やピアノの大塚 善章氏がステージに立ちどうにか一息ついた。震災チャリティーライヴ。こころざし志しは立派だが企画が雑だ。客寄せにお粗末なジャズ演奏。音楽を愚弄しているのではないか。

 私は大阪維新の会には票を投じなかった。知事候補に胡散臭さを感じたからだ。予想はしていたが維新会派の圧勝だった。選挙後は雪崩を打って自民党や堺市長が維新の会にすり寄った。しかしこれだけの信任を得て当選したからには、知事・市長共に是非とも頑張ってもらいたいものだ。気持ちを切り替えて応援したい。果たして大阪都構想は実現可能なのか。法律の改正も必要ということでハードルは高い。橋下人気だけでここまで突っ走ってきたが、ちょっとしたほころびが致命傷になる。身を引き締めて大阪の町を活性化して貰いたい。

 私にとって11月のビッグニュースは「ディアロード」のオープンだ。この世知辛い時代にまさか本当に開店するなんて思ってもみなかった。KJSの諸氏には早速立ち寄って頂いて有り難い限りだ。あの奥さんの人柄だから、訪問しても好い気分で帰れる。常連客もきっと付くだろう。10日の土曜日には記念のライヴをおこなうとか。それには都合をつけて顔を出そうと考えている。ジャズ喫茶の復権は、大阪の再生に一番求められていることなのだ。

 


極秘事項につき
 ドン エリオット[Don Elliott]という名前はもちろん知っていたが、どのような演奏をするミュージシャンなのか全く知識が無かった。そういえばドン エリスDon Ellisという紛らわしい名前の人もいた。どちらも白人でトランペット吹き。混同しそうだがスタイルは全く異なる。(Jack MontroseとJ,R, Monteroseの両人も白人のテナーマンでこんがらがりそうだ)今回K.Fさんにドン エリオットのアルバムを聴かせて頂いて、やっとどんなプレイをする人なのか分かった。『Jamaica Jazz + A Musical Offering』は2枚のアルバムを一枚のCDにまとめたものだ。前半がギル エヴァンス、後半がクインシー ジョーンズの編曲である。はっきり個性の違いが出て興味をそそられる取り合わせだ。敢えて言えば、私はエヴァンスのクールで済ましたアレンジに惹かれたが。エリオットはトランペット以外にメロフォンとヴィブラフォン演奏する。いわゆるマルチプレイヤー。楽器の腕前は、いずれも堪能で器用貧乏には感じない。スタイルは軽快で明るい典型的なウエストコースターと思われる。さてメロフォンは前回会報でも取り上げたホルンによく似た形をした楽器だ。音色はホルンより切れ味があり、音域の高いトロンボーンのようなまろやかさが感じられた。トランペットの持ち替えとしては、フリューゲルホルンが一般的だ。メロフォンもどうして捨てたものではないと思うのだが、何故かジャズでは広まらなかった。派手さや華やかさという意味で、トランペットに敵わなかったのだろう。


この秋 2011 Part Ⅲ

2011-12-23 15:21:27 | 変態ベース

この秋 2011 Part Ⅲ
                                                    By 変態 ベース
 10月の3連休は泉州地区の祭りと重なって会社は休みになる。子供の小さい頃は運動会や行楽で忙しく過ごしたものだが、気がついてみれば最近はこの休日をもてあましている。気候も良好、どこかに出かけようにも米寿を迎えた両親が家でじっとしているから、ほったらかしで遊びにも行けない。やはり今年も三日間、家でボーっとすることになるのか。まあ、ボーっとすることはまんざら嫌いなわけではないので、散らかっているCDでも聴こうかと思っていたところへ舞い込んできたのが、あべのカーニバルのチラシだった。あべのカーニバルってのは昭和49年から毎年行われている区民参加イベントのことである。そう言えば毎年この時期に行われていたような気がする。区役所の近辺でこじんまりと開催されているが、阿倍野区全体としてはさっぱり盛り上がっていない。件のチラシは性懲りもなく今年も開催されるますよという御案内だった。チラシを見ると今年はオープニングセレモニーとして、あびこ筋を吹奏楽が行進すると書かれている。ほう、パレードか。面白そうだな。但し、行進と言っても全面交通規制をかけるような大層なものではない。四車線の内一車線だけを塞いで、それも桃山高校から苗代小学校までの1キロ足らずパレードである。当初は区役所まで行く計画であったらしい。ところがその途中に阪神高速文の里インターがあって、そこを横切ると入口を封鎖しなければならない。その関連費用だけで百万円単位の金が要るらしいのだ。橋下知事の提唱する大阪都構想が実現すれば、区長も公選となり、区の予算も増える。そうなれば区役所どころか区内を一巡できるくらいのパレードになるかもしれないな。そんな下らないことを考えながらピン高(桃山高校)のグランドを偵察に行くと、いるわいるわ、制服に身を固めた楽団員たちが。しかし一体なんだろうこのワクワク感は。昔から吹奏楽が好きで、街でそんなパレードに出くわしたら何処までもついて行きたい気分になったものだ。子供がチンドン屋のけつにぞろぞろついて行くようなものか。ちょっと違うかな?嬉しそうにその隊列を眺めていると、ゲートの方からどこかで見たような人が近づいてくる。知っている人だったかなと、思わず挨拶しかけたが、違う違う、よく見ればハイヒールモモコだ。婦警のいでたちに肩からタスキを掛けている。どうやら阿倍野警察の一日署長に任命されたらしい。近くで観察すると本当に顔がパンパン。まるでベーキングパウダーを頬張ったようなまる顔だ。もうちょっとましなタレントはおらんかったんかいと言いたくなるが、阿倍野界隈にはあまり有名人はいない。すぐ思い浮かぶのは、文の里商店街の近所に横山エンタツの実家があったことだ。息子の花木京もそこに居たらしい。「浪曲子守唄」の超マイナーヒットを飛ばした、一節太郎もこの御近所に住んでいた。あとは京唄子が時たまスーパーに出没して誰かれかまわず会釈しているが、やはりこの近辺に家があるのか。そう言えば堀ちえみが近鉄百貨店裏の高層マンションに住んでいるとの情報もある。この人は幾つになっても可愛らしい。どうせならモモコより堀ちえみに一日署長をお願いしたかったがこれは全くの私情である。
 さあいよいよパレードが始まる。なんだかんだと言っているうちに開始予定時刻の10:30を遙かにまわっている。やがてパトカーに先導され、モモコを乗せたオープンカーが前を通り過ぎた。遠くから見てもやっぱりパンパンだ。最初のマーチングバンドは大阪府警の音楽隊。さすがにプロだ。迫力満点。ジャズやロックを聴く時とはまた違った高揚感がある。統制がとれた体育会系のノリとでも言うか、爽やかでカッコいいなあ。二番手はフミチュウ(文の里中学校)の吹奏楽部。さすがマンモス校だけあって団員の頭数も半端ではない。名門、トキワ(常盤小学校)~フミチュウ(文の里中学校)~テンコウ(天王寺高校)は、今も教育熱心な親たちが我が子に通ってほしい進学コース。昔から越境入学が最も多い地域だった。いまだにこの人気校を当て込んだマンション建設が後を絶たない。三番手は大谷・東大谷のマーチングだ。女子中高生合同のチームなのでこちらも人数は多い。やはり吹奏楽ってのは女学生に人気があるのだろうか。この内数パーセントが将来ジャズに流れる可能性がある。それもまた楽しみだ。未来のスイングガールズにエールを送りたい。つぎが我が母校アベチュウ(阿倍野中学校)。残念ながら創部の歴史も浅くメンバーも少ない。それでも精一杯パフォーマンスである。何故か見ているだけでウルウルとさせられる。歳だなあ。道端で行進見ているおっさんが泣いているのはヘンだろう。頑張れアベチュウ、俺がついていると言いたいところだがやっぱり何も出来ない。精々足を引っ張らないよう声援だけは声を枯らせたが。トリはブラバンの名門、明浄学院高校。コンクールでも度々上位入賞を果たす常連校。さすがに金賞を射止めるだけのエリート校だ。楽器の鳴り方が違う。ああこのまま学校までついて行ってひとりひとりハグしたいところだが、そこまでいったら理由のいかんを問わず完全に変態だろう。後ろ髪が引かれるがここはおとなしくお家に帰ろう。
 しかしながらマーチングバンドというのは重労働だ。チューバなんか担いでいるだけでヘトヘトになりそうに見える。さすがに中学生はスーザフォンを肩にかけていたが、それでも楽器にのしかかられている風情が痛々しい。それと見ていてあれっ?と思ったのは、フリューゲルホルンを吹いている奏者がいたこと。それがどのチームにもいたから不思議に感じた。いまどきのブラバンはフリューゲルが入るのか。その事が気になって魚の小骨のように引っ掛かっていた。ちょっと調べてみたら意外な事実に驚いた。私がフリューゲルと思い違いした楽器はメロフォンだったのだ。メロフォンと言われても吹奏楽に興味のない人はどんな楽器かピンとこないだろう。メロフォン(写真左)というのはフレンチホルン(中)を左右ひっくり返したような格好をしている。当然操作も左右逆である。基本的な違いはメロフォンがトランペット式のピストンバルブなのに対し、フレンチホルンはロータリーバルブを使う。管の曲げ具合もフレンチホルンの方が複雑だ。当然音色も少し違うらしい。吹奏楽ではフレンチホルンの代用としてメロフォンがよく使われる。メロフォンは右手でピストンを押すのでトランペットに操作がよく似ている。トランペットの経験者なら簡単に吹けそうなので、この楽器が重宝されているのだろうか。反対に外観が似ているからってフレンチ奏者がメロフォンを扱うのは難しそうだ。

さて私が目撃した件のフリューゲルもどきはこのメロフォンのマーチングタイプ(下段左)だったわけだ。ついでに本物のフリューゲルは下段(右)のお写真。よく似ているでしょ、本当に紛らわしい。これで心安らかに残りの休日をボーっと過ごせるというものだ。

 

 


この秋 2011 Part Ⅱ

2011-12-23 15:16:06 | 変態ベース

この秋 2011 Part Ⅱ
                                                    By 変態 ベース
 大学時代の友人Sは、軽音楽部でドラムを叩いていた。ビッグバンド、コンボでは私のパートナーだった。出身地は福岡だが、今は大阪で暮らしている。Sの奥さんも音楽の好きな人で、学生時代は京都木屋町のジャズ喫茶「Lady Day」でウェイトレスのアルバイトをしていた。そこでSに見初められお付き合いが始まったわけである。卒業後間もなくふたりは結婚し、Sは奥さんの実家の家業である酒造機械メーカーの2代目社長におさまった。見事な逆玉の輿である。
 9月に入って大きな台風が四国を北上し、近畿にも甚大な被害をもたらした。台風一過のある日、そんなSからメールが届いた。「うちの奥さんが放出駅のそばでジャズ喫茶をやると言ってる......」Sの奥さんとは高槻や大阪城のフェスティバルでもよく顔を合わせる。愛想の好い人でいつも朗らかにお話をさせて頂いている。大の音楽好きってこともよく知っていたが、正直そこまでこっていたとは気がつかなかった。お子さんもすでに成人され社会人となった。肩の荷が下りたところで、若い頃に働いたジャズ喫茶の風景がフラッシュバックしたか。或いはもっと以前から虎視眈々と計画を練っていたのか。年相応になり温めてきた夢を叶える。傍目に見てもうらやましい限りだ。
 しかし水を差すようで申しわけない。ジャズ喫茶なんて簡単に言うものの、本当にまともにやっていけるのだろうか。だいたい大阪と言う土地は、昔からジャズ喫茶が栄えない。大阪人の気質や風土にそぐわないのだろうか。本当に嘆かわしくなるくらいの不毛地帯だ。いつもお世話になっている845はよく頑張っているが、キタ、ミナミに点在したジャズの老舗も今は総倒れ。新興店も出店したけれど長続きしたためしがない。そんな事情を知っている取り巻きの人間としては、諸手を挙げて賛成すべきか、はたまた痛い目に逢う前に思い留まりなさいといさめるべきか。

 岸和田ピットインのマスターに言わせれば、老後の資金を食いつぶす覚悟で趣味に徹するか、僅かでも利益を考えて商売に専念するか。いずれにしても方針を固めておかないと中途半端に終わる。例えば、客が誰一人来ない夜、レコードだけはとっかえひっかえかけている。自分ひとりカウンターに向かいジャズを聴きながら酒を飲んでいる。「俺、一体何やってるんやろ....」ピットインも過去には趣味の店から利益追求路線に方向転換したが、今は店の家賃を支払うために店続けているんだそうだ。やっぱり最後の手段は開き直り。そうだ、ジャズは開き直りが大切なんだ。

 天王寺にあったトップシンバル。マスターはかなりの変わり者だった。アイビールックに固めた外観は、一見ジャズオヤジらしからぬ雰囲気だが、自己主張が強く客ともしょっちゅう喧嘩をしていたとか。Sはこのマスターとウマが合ったらしく、ちょくちょく天王寺界隈まで出向いていたらしい。赤阪氏もマスターとは懇意だったようで、以前はよく通ったと聞いている。私は特に仲良しという訳ではなかった。むしろどちらかと言うと、あの人のドグマにムカつくことがあった方だ。昔は注文を聞く以外に全く会話などなかった。それがいつの頃からか、急にマスターの方から声を掛けてくるようになった。媚を売らないマスターの、あれが最大限の低姿勢だったのだろう。

 天王寺も今は変わりつつある。Q'Sモールが営業を始め、アベノ近鉄も高層ビルに建て替えられる。華やかさを増す天王寺交差点。その忘れられた一角にトップシンバルはあった。JR大和路線の南側、それも地下ということで周りに遠慮はいらなかったはずだ。店内は薄暗いが、かろうじて本を読めるくらいの明かりはあった。コーヒーと煙草の煙が入り混じったにおい。そして音の渦。こんな喧騒に満ちた処に憩いを感じていたなんて、人様にどのように説明すれば解ってもらえるだろう。
 奥に向かって先細りになる三角形の店内。非効率的なその地下室の一番奥、狭苦しい三角形の頂点が最良のリスニングポイントだった。音量はやけに大きかった。音のでかさは競うものではないが、バックグラウンド程度ならジャズ喫茶の看板は下ろしてもらいたい。アンプやスピーカーは何を使っていたのか覚えてない。でもそのクオリティーも気に入っていた。
 選曲に対するこだわりもまげなかった。とにかく極度の黒人偏愛主義。それもハードバップが多い。エヴァンスやゲッツなど一部を除いて白人はかけない。ズート シムスなんかよその店で聴いてくれ。ジャズは黒人のものだ。黒人の伝統文化なんだ。近寄りがたいほどファナティックなテーゼ。その話題に面白半分ちゃちゃを入れると噛みつかれる。あまり冗談も通じなかった。どうしてジャズオヤジって奴らは、どいつもこいつヘンコばっかりなんだろう。その主張はホームページ「マスターのひとりごと」にも綴られた。(誤字だらけと云えば失礼だが、かなり強烈なブログだった)
 ジャズ喫茶という名のあだ花は、確かにその根を下ろしたのだ。しかしそれも遥か昔の物語。今はコンクリートの中に塗り込められてしまった。都心のスポットが閉店した後もトップシンバルはひとり気を吐いていた。閉店の報せは耳に届いたが、最後の挨拶に行かなかった。今もあの前を通り過ぎる時、思わず階段の向うを覗きこむ。しかしシンバルの響きは伝わってこない。

 9月中旬、もう一つの大きな台風が日本列島を縦断し、季節は確実に一歩進んだ。メールには余っているレコードを寄付してくれだの、店名はどうしようだのと、かなり具体的なことまで書いてあったが、その後新しい情報は伝わってこない。思い直して止めちゃったんだろうか。だけどもし開店にこぎつけたら、ちょっと遠いけれど出来る限り応援したいと思っている。沿線の塚本さんや会員の皆さんも覗いてやって頂ければ幸甚である。ジャズ喫茶がオープンしたなんて嬉しいニュースではないか。和田の知り合いですと言ったら割り引いてもらえるか、割り増しを取られるか分らないが、その折は是非ともご愛顧賜りますようお願い申し上げます。


この秋 2011

2011-12-18 21:28:21 | 変態ベース

この秋 2011
                                            By 変態ベース
 次男の悠介が英語研修のためイギリスへと旅立ったのは8月21日(日)の朝。その数週間前から、イギリス全土に広がった暴動の様子が連日のようにニュースで報じられ、出発の朝もどこか落ち着かない気分であった。しかし当の本人はうわの空。現地の情勢を気にする素振りなんか微塵もない。親の心子知らずとはこのことだ。そんなことより数日前、旅行用に買い替えたスマートフォンのことが気になってしかたがない。片時も離さずいじっている。ところがそのスマートフォンが今回の渡英で騒動の元凶となったのだ。
 KDDIから連絡が入ったのは、渡英して十日ほどたった月末のことだ。「悠介さまの電話使用料が8月30日で、11万円を超えました。ご本人様は未成年なので、こちらの判断で回線を切らせて頂きました。」11万円!? 回線切断??....操作方法や料金体系については取次店で説明を受けたが、そんなべらぼうな請求が来るなんて一体どうなっているんだ?近頃の携帯事情などと言うややこしい事に関しては、自慢ではないがコチトラめっぽううとい。突然異国の地で連絡手段を失い当人も困っていると思うし、高額の使用料についても全く理解ができない。早速取次店に向かい事態の説明を求めたところ、海外でスマートフォンを使う際は事業者設定(何だそりゃ?)などの操作が必要だと、意味の分らない説明を聞かされた。しかし購入時には、事業者設定に関する説明なんか受けた記憶がない。いや、ぜーったいに聞いてないぞ。ここの窓口で押し問答しても全く埒が明かない。KDDIのカスタマーセンターにその旨を問い合わせたところ、意外にあっさりとクレームが認められて、法外と思える(ぜーったいにぼったくりだ 消費者庁に訴えてやる)通話料は返還いたしますとの返答があった。切断された回線も復旧し、息子には説明書の事業者設定の項目を精読するよう注意を与え、取り敢えず事件は収束した。9月18日(日)の早朝には、その次男も何事もなかったかのように帰宅し、ハラハラドキドキの一か月は終わったのだ。何はともあれ、めでたし、めでたし

 この10月は、恒例845のライヴパーティーである。久詰氏が私淑するテナープレイヤー井上 弘道氏のカルテットを迎え、その演奏を聴くことになった。井上氏は京都にお住まいだが大阪にもよく演奏で来られる。以前は布施のCross Roadで聴く機会があったが、最近は御無沙汰している。どんな演奏になるか今から楽しみである。
KJSの諸氏もライヴに出かけることがあるだろう。赤阪氏やタカ氏は、頻繁に生演奏にお出かけのご様子で活動的なことだ。私も数年前までは久詰氏に誘われて、月に一度のライヴ行脚を励行してきた。ところが最近は生来のものぐさ症候群が再発し、おうちに帰ると、ご飯を食べる、お風呂に入る、洗濯物をたたむ、お祈りして寝るという、平穏すぎるくらい平穏な毎日を送っている。しかしあまり長くライヴから遠ざかっていると、さすがにお知り合いミュージシャンからも愛想を尽かされるかもしれない。そんな訳でご機嫌伺いも兼ねて、久々にナマを聴きに行くことになった次第である。
 9月6日(火)。目的のハコは四ツ橋の「Beatles」。どう考えてもジャズハウスとは思えないネーミングだがまさにその通り、生粋のジャズ屋さんではない。こちらはベースの枝 信夫氏の大学時代の友人がやっているお店で、ブルースやロックを中心に連夜セッションを繰り広げている。階段を降りると左手にカウンター、その後ろにはマスター御自慢のギターコレクションがところ狭しと吊り下げられている。その奥にはテーブル席があり、壁際にアンプや機材が積み上げられている。当夜のセッションは、橋本 裕(G)、枝 信夫(B)によるデュエットである。数年前からこのふたりのセッションは毎月行われてきたが客の入りは最低。私の行かない日はゼロのことも多々あったとか。駐車場料金(楽器を運ぶための必要経費)とその他諸々を差し引くと完璧にアカ。本人たち曰く、いつも練習に来ているんだとか。せっかくのライヴなのに、もう少し客集めにも努力すればいいと思うのだが。これはいらぬお節介いというものなんだろうか。
演奏内容については、いつも何をするか全く打合せ無しに、えいやーって感じで始まってしまう。関西のライヴハウスに出ているミュージシャンなんて、こんなふうに適当な感じでやっている人が多いみたいだ。確かに客の入る当てもないのに、綿密に打ち合わせなんかする気も起らんだろう。むべなるかな。この夜は枝氏の旧友が二人来られて客席は三人。久々にステージより客席の方が人数は多かった。めでたし、めでたし。


 しかし、いくら顔見知りのミュージシャンのライヴといっても、客席に私一人というシチュエーションは、拍手もビールのおかわりも、そこそこプレッシャーが掛かるものだ。どうしてお客さまであるこの私が、そんなことにまで気をもまなくてはならないのか。全くもって不条理な話である。
 スタートは8時30分。演奏はスタンダードを中心に2セットに分けて行われる。ギターであれピアノであれトリオでやるが一般的だが、プレイヤー間のやりとりをもっとコンセントレイトして聴きたいならば、デュオの方が断然面白い。腕の確かなミュージシャンどうしなら尚のこと、ドラムレスの方が中身の濃いインタープレイが楽しめる。興味のある方は是非とも御一緒に。10月のステージは4日に終わったが、11月はまだ未定。詳細は下記のホームページまで。

http://www.km-beatles.com/