Live from Montreux
Bill Evans By 変態ベース
レマン湖はスイスとフランスの国境にまたがる、三日月の形をした湖である。湖畔にかげを映すシヨン城の歴史は古く、12世紀頃からその地を治める領主の住処となっていた。それは崩れゆくものの美学とでも言うのだろうか。かつては栄耀栄華を謳歌したものも、やがて歳月とともに朽ち果ててゆく。そのような物悲しさこの城は語っているようだ。
『Bill Evans at The Montreux Jazz Festival』にはちょっとした思い入れがある。それはこのアルバムが最初に手にしたエヴァンスのレコードだということだけでなく、ジャケットに写されている、おおよそジャズらしからぬ古城のシルエットが脳裏に焼き付いているからだ。『お城のエヴァンス』として有名なこのアルバム、巷の評判も様々である。
モントルー ジャズ フェスティヴァルは1967年からスタートした。今ではジャズのみならず、多様なジャンルのミュージシャンが出演するポップフェスティヴァルとなった。エヴァンスが出演したのは翌68年。フェスティヴァルの目玉として招聘された。
このアルバムを印象付けているのは、何と言ってもジャック ディジョネットの参加だろう。当時、ディジョネットはまだ全くの無名の存在だった。しかしそのドラミングの斬新さはこの録音からも明白だ。チャールス ロイド カルテットを抜けエヴァンストリオに参加した経緯は不明である。だが、その鋭いセンスにエヴァンスが白羽の矢を立てた事は想像に難くない。ドラマーとしてのサポートぶりは変幻自在。メトロノームのようなリズムキーパー的役割にとどまらない。しかしながら自由奔放のように聴こえて、上手くトリオの演奏に交わっていく奏法は大胆で、大器を予感させるものがある。 (正直なところ、近年の彼のドラミングは、がさつで耳障りに感じることもあるが) Nardisに聴かれるドラムソロはほとんどフリーテンポだ。エヴァンスが彼にどんな評価を下していたのかは知らない。但しそれまで彼が共演してきた如何なるドラマーとも資質が異なることは確かだ。
スコット ラファロを失ってからのエヴァンスは少し生彩を欠いていた。しばらくはトリオのメンバーも固定できない状態だった。ベーシストに対しては、特別のこだわりを持っていたものと思われる。ゲイリー ピーコックやチャック イスラエルも実力の備わったプレイヤーだったに違いない。しかし、エヴァンスが彼らに満足していたかどうか、はなはだ疑問が残るのだ。
転機が訪れたのは、66年に新人ベーシストエディー ゴメスと出会ってからだ。エヴァンスはあらたなトリオの構想に取り掛かった。残されていたのは鍵穴を埋めるドラマーの選定だけだった。旧友のフィリー ジョー ジョーンズを招いたりしたこともあったが、それもあくまで急場しのぎ。(尤もヴィレッジ ヴァンガードで録音された、『California Here I Come』は好演奏だったが)
そんな折にハンティングされたのが、ジャック ディジョネットだった。しかし好事魔多し。この直後、ディジョネットは早々とマイルスに引き抜かれてしまった。そんな訳で彼が正式にビル エヴァンス トリオで残した録音は、本アルバムのみとなってしまったのだ。そのままディジョネットが残留していたら、エヴァンスのトリオも少し違った展開を見せていたかもしれない。
後任には、マーティ モレルが加入した。テクニシャンだが、どういう訳か世間の評判はかんばしくない。私はモレルの正確なビートが好きなんだが。エヴァンスにもことの他気に入られていたみたいで、ゴメスと共に長きにわたって三角形の一辺に定着した。トリオを去った後は、クラシックのオーケストラに参加したと記憶している。人生、色々あってよろしい。
サポートメンバーの話が長くなったが、主人公たるビル エヴァンスの演奏も当然のことながら全くそつがない。この人の演奏はどれも質が高く、駄作が見当たらない。緊張感の持続ということに関してはマイルスとも共通する。しかし裏返せば、どれも平均しており傑出した作品が少ないのではと言えなくもない。
このアルバムで、私が聴くのはほとんどA面。いささか長いアナウンスメントの後、One For Helenが始まる。マネージャーのヘレン キーン女史に捧げられたこのナンバーはエヴァンスのオリジナル。美しいメロディが耳に残る。このアルバム以外で演奏された記憶がない。A Sleepin’ Beeはハロルド アーレンの有名な佳曲。意表をついたゴメスのベースソロが聴かれる。次のMother Of Earlもあまり他で取り上げられていないと思う。アール ジンダースのナンバーである。この3曲がベストトラックだ。
『Montreux Ⅱ』は1970年の録音である。録音は地元スイスの放送局によっておこなわれた。そのテープがCTIレーベルに渡り、レコード化されたものだ。どうしてこのアルバムだけがCTIなのかという点は奇異に感じられる。ヴァーヴ時代にクリード テイラーのお世話になったその恩返しってところが真相だろう。決して演奏の内容が悪いという訳ではない。しかし前述のアルバムがあまりにも有名だったため、影が薄くなってしまったことは否めない。