The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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Live from Montreux

2010-11-25 17:48:37 | 変態ベース

Live from Montreux
Bill Evans 
                         By 変態ベース
 レマン湖はスイスとフランスの国境にまたがる、三日月の形をした湖である。湖畔にかげを映すシヨン城の歴史は古く、12世紀頃からその地を治める領主の住処となっていた。それは崩れゆくものの美学とでも言うのだろうか。かつては栄耀栄華を謳歌したものも、やがて歳月とともに朽ち果ててゆく。そのような物悲しさこの城は語っているようだ。
『Bill Evans at The Montreux Jazz Festival』にはちょっとした思い入れがある。それはこのアルバムが最初に手にしたエヴァンスのレコードだということだけでなく、ジャケットに写されている、おおよそジャズらしからぬ古城のシルエットが脳裏に焼き付いているからだ。『お城のエヴァンス』として有名なこのアルバム、巷の評判も様々である。
モントルー ジャズ フェスティヴァルは1967年からスタートした。今ではジャズのみならず、多様なジャンルのミュージシャンが出演するポップフェスティヴァルとなった。エヴァンスが出演したのは翌68年。フェスティヴァルの目玉として招聘された。
このアルバムを印象付けているのは、何と言ってもジャック ディジョネットの参加だろう。当時、ディジョネットはまだ全くの無名の存在だった。しかしそのドラミングの斬新さはこの録音からも明白だ。チャールス ロイド カルテットを抜けエヴァンストリオに参加した経緯は不明である。だが、その鋭いセンスにエヴァンスが白羽の矢を立てた事は想像に難くない。ドラマーとしてのサポートぶりは変幻自在。メトロノームのようなリズムキーパー的役割にとどまらない。しかしながら自由奔放のように聴こえて、上手くトリオの演奏に交わっていく奏法は大胆で、大器を予感させるものがある。 (正直なところ、近年の彼のドラミングは、がさつで耳障りに感じることもあるが)  Nardisに聴かれるドラムソロはほとんどフリーテンポだ。エヴァンスが彼にどんな評価を下していたのかは知らない。但しそれまで彼が共演してきた如何なるドラマーとも資質が異なることは確かだ。
スコット ラファロを失ってからのエヴァンスは少し生彩を欠いていた。しばらくはトリオのメンバーも固定できない状態だった。ベーシストに対しては、特別のこだわりを持っていたものと思われる。ゲイリー ピーコックやチャック イスラエルも実力の備わったプレイヤーだったに違いない。しかし、エヴァンスが彼らに満足していたかどうか、はなはだ疑問が残るのだ。
転機が訪れたのは、66年に新人ベーシストエディー ゴメスと出会ってからだ。エヴァンスはあらたなトリオの構想に取り掛かった。残されていたのは鍵穴を埋めるドラマーの選定だけだった。旧友のフィリー ジョー ジョーンズを招いたりしたこともあったが、それもあくまで急場しのぎ。(尤もヴィレッジ ヴァンガードで録音された、『California Here I Come』は好演奏だったが) 
そんな折にハンティングされたのが、ジャック ディジョネットだった。しかし好事魔多し。この直後、ディジョネットは早々とマイルスに引き抜かれてしまった。そんな訳で彼が正式にビル エヴァンス トリオで残した録音は、本アルバムのみとなってしまったのだ。そのままディジョネットが残留していたら、エヴァンスのトリオも少し違った展開を見せていたかもしれない。
後任には、マーティ モレルが加入した。テクニシャンだが、どういう訳か世間の評判はかんばしくない。私はモレルの正確なビートが好きなんだが。エヴァンスにもことの他気に入られていたみたいで、ゴメスと共に長きにわたって三角形の一辺に定着した。トリオを去った後は、クラシックのオーケストラに参加したと記憶している。人生、色々あってよろしい。
サポートメンバーの話が長くなったが、主人公たるビル エヴァンスの演奏も当然のことながら全くそつがない。この人の演奏はどれも質が高く、駄作が見当たらない。緊張感の持続ということに関してはマイルスとも共通する。しかし裏返せば、どれも平均しており傑出した作品が少ないのではと言えなくもない。
このアルバムで、私が聴くのはほとんどA面。いささか長いアナウンスメントの後、One For Helenが始まる。マネージャーのヘレン キーン女史に捧げられたこのナンバーはエヴァンスのオリジナル。美しいメロディが耳に残る。このアルバム以外で演奏された記憶がない。A Sleepin’ Beeはハロルド アーレンの有名な佳曲。意表をついたゴメスのベースソロが聴かれる。次のMother Of Earlもあまり他で取り上げられていないと思う。アール ジンダースのナンバーである。この3曲がベストトラックだ。

『Montreux Ⅱ』は1970年の録音である。録音は地元スイスの放送局によっておこなわれた。そのテープがCTIレーベルに渡り、レコード化されたものだ。どうしてこのアルバムだけがCTIなのかという点は奇異に感じられる。ヴァーヴ時代にクリード テイラーのお世話になったその恩返しってところが真相だろう。決して演奏の内容が悪いという訳ではない。しかし前述のアルバムがあまりにも有名だったため、影が薄くなってしまったことは否めない。


アンチ・マイルスって?

2010-11-17 23:07:33 | Jazz

アンチ・マイルスって?

                                                     By The Blueswalk
  今月の例会テーマが『マイルス vs アンチ・マイルス』なので、今回はこんなタイトルになってしまった。 最初に断っておくけれども、僕はアンチ・マイルスなんかではない。それどころか、マイルス大好き人間と言ってもいいほどいろんなタイプのマイルス・ミュージックを楽しんでいる。ご存知のように、マイルス・デイビスはチャーリー・パーカーの許でビ・バップ革命の洗練を浴びて以来、常にジャズ・シーンの中心にあり、数々の変遷を遂げてきた。一言にマイルス・ミュージックといっても、大雑把に分類してもビ・バップ、クール、ハード・バップ、モード、エレクトリックと様々な系統のジャズを演奏してきている。以前会報の記事で、“マイルス・デイビスの歩んできた道がジャズの王道になった”と云ったことがあったけれども、それはお世辞でも極論でも無く僕の本音である。しかしながら、かといって50年にも及ぶマイルス・デイビスの楽歴におけるすべてのカテゴリーの作品を好んでいるかというとそうとも言い切れないのが事実である。だいたい、逆にアンチ・マイルスを標榜する人たちのなかでも“マイルス・ミュージック”のすべてが嫌いという人も少ないのではないだろうか。特に、古くからのジャズ・ファンにとっては、1960年代中半まで、つまり第2期マイルス黄金カルテットと呼ばれる、ウエイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムス等のグループまでは容認できるけれども、1960年代後半からのエレクトリック・マイルス(具体的にはビッチェズ・ブリュー以降)に至っては拒否反応を示す方々が多いのではないだろうか。僕自身はロック世代に身を置いてからジャズを聴き始めたので、どちらかというとフュージョン的なエレクトリック・マイルスは好きなタイプの演奏であり、“イン・ア・サイレント・ウェイ”などはマイルス・デイビスの最高傑作ではないかと密かに思っているので、全く違和感なく楽しむことができている。しかし、どうしてもこのロック的ビートに乗り切れない純粋な?ジャズ・ファンも多いようである。つまり、マイルス大好き人間にも少なからず“アンチ・マイルス”が共存しているところがあるということなのだ。 
 さて、他人の好き嫌いはどうでもいいとして、僕自身の“アンチ・マイルス”は何処かと問われたら、僕は即座に「ギル・エバンスに統御されたマイルス・デイビス」と答えるだろう。その心は、ギル・エバンスの編曲に因って、マイルスらしさが押さえ込まれて、自由度が制限されてしまい、全くつまらない音楽に聴こえてしまうからだ。そこでマイルス・デイビスがトランペットを吹く意味が全く見えてこないからだ。だから、名盤の誉れ高い『クールの誕生』も僕にとってはただの駄盤にしか思えない。問題はこのレコードに収められている多くの演奏が全く非の打ち処の無い状態に仕上がっているのにだ。すべて、マイルス・デイビス九重奏団による演奏なのに、玉石混交といえばいいのだろうか。例えば、1曲目の“ムーヴ”、まだバップの香りがぷんぷんする爽快な演奏で、ジョン・ルイスの編曲もあまり窮屈でなく自由度が残されたジャズらしい雰囲気とスピードを持っている。2曲目の“ジェルー”は本レコードで重要な役割を担っているジェリー・マリガンの作・編曲である。いわゆる後年の、ウエスト・コースト・ジャズのアンサンブルの効果を先取りした快調にスウィングするビッグ・バンド・ジャズの趣を湛えた演奏である。ここまでは文句なしの出来具合であるが、3曲目のギル・エバンス編曲の“ムーン・ドリームス”、これが全くダメ。これまでの2曲の快調な流れに全く乗っていかない。急ブレーキをかけられ、前へつんのめってしまった気持ちにさせられるのだ。それに、眠たくなるほど退屈な演奏である。まあ、タイトルがそうなんだからギル・エバンスの思いどおりの演奏ではあるのだろうが。次のマリガンの“ミロのヴィーナス”がこれまた、マイルスのスマートなオープン・トランペットを大きくフューチャーした傑作なのに、“ダーン・ザット・ドリーム”では唐突にケニー・ハッグドというボーカルが出てくるという具合に躁と鬱が交互に出てくるといった纏まりの無いレコードに化している。結局は3人の編曲者がいることによる散漫化が致命的なんだろう。僕の好みから云えば、ジェリー・マリガン一人に絞れば本当の意味での『クールの誕生』という傑作が誕生したのではないかと思うのだが・・・ 
 ギル・エンバンスの編曲した『ポーギーとベス』も同様だ。マイルス・デイビスの回顧録に以下のような談話が残っている。少し長いが引用してみよう。「いちばんレコーディングに苦労した曲は“ベス・ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ”だ。《ベス、お前はオレのオンナだ》っていうフレーズを何回も繰り返さなければならなかったからな。しかも違う意味をもたせて吹き分けなきゃいけなかった。同じ気持ちで何回も“アイ・ラヴ・ユー”って言えないよな?」このことは、マイルスがこのオペラの内容を詳細に理解して演奏に当たっていることを伺わすものではあるが、逆に言えばそれによって演奏の自由度がかなり束縛されているということに他ならない。つまり、自分の好きなように、感じたままに吹くことを制限されているということだ。そもそも、クラシックであるオペラをジャズとして演奏する意味が果たしてあるのか?そこから聴取者は何を感じ、汲み取ることができるのか非常に疑問であるというところに僕の立脚点があるので、どうしてもこのレコードにはいい評価を下すことができない。このレポートを書くために、15年ぶりぐらいにこのレコードをターン・テーブルに載せ、気持ちを新たに聴いたつもりであったが、以前から抱いていた評価を払拭するには到らなかった。
 そして、この『スケッチ・オブ・スペイン』。実は、これは僕の大好きなレコードの一つで、アンチ・マイルスとして取り上げるべきものでは無いのだが、ギル・エバンスの編曲にはこれもあるということで・・・ このレコーディングのためにギル・エバンスとオーケストラは計15回のリハーサルと本番演奏を繰り返したというだけあって、入念に用意周到したことが伺える。また、ここでの“アランフェス協奏曲”にはこれまで指摘したギル・エバンスの制約があまり見受けられないのでマイルスのトランペットもアドリブっぽいかなり大胆な吹き方が見られ、非常に好感の持てる仕上がりにはなっている。それにもましてすばらしいのは、レコードで云えばB面の2曲“サエタ”、“ソレア”だ。A面の楽調をそのまま引き受けて全体の統一感を損なわないばかりか、ギル・エバンスのアレンジにありがちな眠気を誘うそれが無く、それぞれが短い演奏ながらもメリハリの効いた演奏になっている点だ。“サエタ”などはあのモーリス・ラヴェルの“ボレロ”を想起させるようなイントロに始まり、マイルスのフラメンコタッチのトランペットと合いマッチして深い感動を呼び起さずにはおかない。そして、“ソレア”でのトランペット・ファンファーレと前曲から引き続くボレロ的小太鼓のリズムが心地よくこのレコードのフィナーレを彩っていく。このレコードだけはギル・エバンスが全く別人なったかのような躍動感あふれる編曲を提供しているのだ。
 結局のところ、自分の描いた譜面をそのまま押し付けるのか、それともおおよその外枠だけを示してそこから演奏者の自由な発想を引き出すのかによって結果はおのずと決まってくるというのが真相のようだ。それでもマイルスは『So What?』と云うだろうが。